第3-1話 そこどけそこどけ、騎士姫のお通りだ
朝早く部屋を飛び出した私は、行くあてもなく城内をウロウロと歩き回っていた。
来たばかりで方向なんか分からないんだもの、仕方ないじゃない。
それにしても古くて広いお城だわ……どれくらい前に建てられた物かしら……。
呆然と歩いている内に侍女らしき人に捕まって、無理矢理朝食の場へと引っ張って行かれた。
まぁいいわ、丁度お腹も減っていたことだし。
そう思って大人しくされるがままになった。
後から聞いた話なんだけど、朝早くから私が部屋を飛び出したもんだから、アルヴィアが必死に探してくれてたみたい。
安心して、私はまだ無垢よ……なんて言えないけど、私を見詰めた時の彼女の心配そうな瞳の色は絶対に忘れないわ。
出された食事は人間が食べる普通の物だった。
普通の……って言っても、やっぱり豪華だけどね。
エルネスタの時とは大違い。
だってパンは乾いてないし、スープも温かい。
あんまり美味しいからペロッと食べちゃったわよ。
ライナスは野菜が好きなのかしら?
さっきから濃い緑色のギザギザした草のサラダを沢山食べているわ。
私のお皿にはなかった物だから特別……なのかもね。
「おい、馬には乗れるのか?」
朝食が済んだ後、甘いジュースを飲んでいたら徐にライナスが聞いてきた。
「え……乗れないけど……」
って当たり前じゃない、幽閉されてたんだもの。
自由に外になんか出たことないわよ。
大げさに溜息なんてつかなくってもいいじゃない。
心の中で悪態を吐いているとライナスが部屋の隅に控えていたグレイムさんに何かを耳打ちをした。
「……は……かしこまりました……」
そう返事だけをすると、グレイムさんは一度頭を下げてから部屋を出て行った。
何なのかしら?
そう思いながら問い掛ける視線を後ろに居たアルヴィアへと送ってみる。
彼女も困ったように小首を傾げた。
「……この後、遠乗りに行くぞ」
私の頭に“?”が沢山浮かんでいたのが分かったのか、ライナスがぼそりと言った。
「えっ? だから今馬には乗れないって……」
ちゃんと聞いてなかったの?
私は焦ったように言い返した。
「この国で馬にも竜にも乗れないのは致命傷だ。教えてやるから黙って付いて来い」
そうなの……って……えぇぇ!?
今なんて言った?
馬は分かるわよ、でもでもでも……竜ですって?
竜って乗れるものなの?
乗り物なのっ??
エルネスタでは伝説の生き物だと、神の御使いとして皆に怖がられているっていうのにっ!?
パニック寸前の私に、今まで黙って会話を聞いていたガイルが眉をひそめながら説明するように話し始めた。
「……王子は言葉が足りなくて困りますね……。姫君、この辺りは岩と森ばかりの辺境です。竜にでも乗らないと移動するのには困難なのです。馬は竜に乗るための練習用として幼い頃から皆訓練するのですよ」
……そうなんだ。
「さらに竜は頭の良い生き物です。一度主人と決めた人間を決して裏切りません。ですから安心してください、怖がると彼らにもその感情が伝わってしまいます」
竜って繊細な生き物なのね……。
でもそれならそうと、初めから言ってくれればいいのにっ。
私はジロリとライナスを睨み付けた。
彼は飄々としてコーヒーなんかを飲んでいるわ。
「……分かったわ。移動手段なら仕方ないか」
私は渋々頷いた。
馬に乗るのが怖いとかそういうんじゃ決してないのよ?
ただライナスの態度が癪に障っただけ。
多分私、ガイルの方が気が合うかもね、だって親切だし上品だしっ。
「そうとなったら早速出発しましょう、お城の外なんて初めてで楽しみだしっ! 自分が嫁いだ国のことくらい知っておかなくちゃねっ!」
そうよ、今さらエルネスタには私の居場所なんてないんだし、前向きに考えないとね!
勢い良く立ち上がった私を見てライナスは又も溜息をついた。
なに?
そんなに変だったかしら?
「大人しく幽閉されていた経緯を聞くと、ひ弱で世間知らずな姫かと思えば……」
悪かったわねっ!
私を着飾って舞踏会で踊るだけのその辺の姫君とは思わないで欲しいわっ!
自分を守るために色々と勉強してきたんだからっ!
でも舞踏会になんて出たことないけど……って落ち込んでる場合じゃないのよ!
まずは馬よ、馬っ!
乗馬用の服に着替えた後に連れて来られたのは、城の基盤のように突き出している大岩の先端だったわ。
その下には鬱蒼とした森が広がっている。
この崖の高さって一体どれくらいあるのかな?
下なんて見ちゃったら目を回しそう……。
そう思っていたらバサリとあの音がしたわ。
その途端に吹いてきた突風。私は太陽の眩しさに目を細めながら上空を仰いだ。
「!」
眩しい青空に真っ赤な飛竜が二匹。
昨日乗ってきた緑の竜よりは小さいけれど、何だか形が違ってて、こっちの方が怖かった。
「……彼らは戦闘用の戦竜で、各個体で主人を持っています。昨日の大竜は物を運ぶためのもので、大竜使いが操縦していました」
せ、説明は分かったわよっ!
詳しく話してくれるガイルに慌てて頷くと、私はアルヴィアの後ろへと隠れた。
「……何してるんだ、乗るぞ」
腕を掴まれて無理矢理に引っ張られる。
本当にこの王子ってば強引よね!
近付いてしまった戦竜は、爪は鉤状だし牙は生えてるし目付きは鋭いし……やっぱり怖い。
「……姫様……大丈夫ですか?」
そう聞いてきたアルヴィアを振り返ると、既にガイルと一緒に竜に乗っていた。
彼女は馬で早駆けするのが得意だったからやっぱりね……。
なんて妙に納得しながらもその様子を窺った。
二人の人間に乗られても、竜は大人しく喉を鳴らしている。
……本当に懐いてるんだわ……。
その様子に安心して、私も竜へと跨った。
勿論ライナスに手を貸してもらいながら……なんだけど、でも決して足が短いわけじゃないのよ!?
「いくぞ、しっかり掴まってろ!」
背中からそう叫ばれて、私は手綱をしっかりと握った。
ぐんと体に重力を感じたと思った途端、崖から思い切り飛び立つ。
「きゃぁっ!?」
その勢いに思わず声が漏れた。
「大声を出すな、こいつが驚く」
そんなこと言っても仕方ないじゃない、足の下には何もないんだからっ!
怖くて当たり前でしょっ!?
「……見てみろ」
冷や汗をかきながらも不貞腐れていると、背中のライナスから声を掛けられた。
片手で何かを指差しているわ。
私はその方向へと視線を移した。
風が耳元を切り裂く音がする。
風の道まで見えてきそう……そう思った瞬間、その先にゆったりと広がる湖を見付けた。
次第に減速されていく感覚に、あの場所に着地するんだと感じた。
ゆっくりと舞い降りる振動は、思ったより苦痛なものではなかった。
「はぁ……っ……」
足元に地面を感じて大きな溜息を吐いた。
乗っていたのは二、三分なんだけど、随分遠くまで来れたみたい。
ここからじゃ、あの大岩が見えないもの。
「大袈裟だな、だいぶ手加減して着地したと言ってるぞ?」
はぁ?
誰が? って思った瞬間、乗ってきた竜がクルルと鳴いた。
……もしかして?
「……そう、アグレイヤだ」
それってこの竜の名前?
と思った時、竜がライナスに鼻先を擦り付けた。
「えぇっ!?」
竜って……話せるんだ?
私が驚いたのを大袈裟とでも思ったのか、ライナスが竜を優しく撫でながら言った。
「アグレイヤは賢い。この魔国一だ。話せて当然だろう?」
「……でも話してなかったじゃない?」
いぶかしむ私に、後から降りてきたガイルが説明をしてくれた。
「竜は声帯を持っていませんから実際に喋ることは出来ません。ですが主人とは感情の同調があるので、怒っていたり悲しんでいたりという事は分かります。賢い竜ともなると、心の中で話しているかのように意思の疎通が可能となるのですよ」
「……そうなんだ……」
私はちょっと安心して、ライナスがやっているようにアグレイヤの耳の後ろっぽい所を撫でてやった。
手触りは高級な鰐革を分厚くした感じ?
滑らかで気持ちいい。
その手触りを楽しんでいるとクルルと子猫みたいに喉を鳴らし始めた。
「!」
……結構可愛いかも!?
嬉しくなって撫で撫でを繰り返す。
するとアグレイヤは気持ち良さそうにトロンと目を瞑った。
「おい! お前は乗馬の練習からだ」
なによ、邪魔しなくたっていいじゃない!
そう思いながら手を引っ込める。
すると先に来ていたのかグレイムさんが白馬の手綱を引っ張りながらやって来た。
「練習用の馬でございます。大人しい性格なので丁度よろしいかと……」
手綱を手渡され、支えてもらいながらぎこちなく跨る。
その後から背後に乗ってきたライナスと背中が密着したみたいでちょっと恥ずかしかったわ。
「慣らしに歩いてみるぞ」
お腹を蹴られた馬がゆっくりと歩き出した。
途端にガクガクとした振動が伝わってきて、乗り辛くてあんまり好きじゃない。
……そういえばアルヴィアは……?
そう思って振り返った先に、ガイルに教えてもらいながら彼の竜に跨る彼女の姿が映った。
「えぇっ? アルヴィアばっかり、ずるいっ!」
そう叫んだ私にアルヴィアが困ったように微笑んだ。
「……当たり前だ、彼女の乗馬の腕は一流らしいからな。悔しかったらお前も早く一人前に乗れるようになれ」
そう断言されて返す言葉もなかった。
アルヴィアの腕がいいのは有名なんだもん。
「よしっ! 頑張るわよっ!」
急に張り切りだした私に、ライナスが背後で僅かに笑ったのが分かった。
だって竜に乗るのって気持ちが良かったんだもん。
母様が好きだった森の緑も湖の煌めきも、竜に乗れるようになったら自由に見に行くことが出来るんでしょう?
閉じ込められて育った私には、そのこと自体が夢のような話だった。
一瞬で色んな所に行くことが出来る。
そう思うだけで目の前が開かれたような気分よ。
練習に集中していると大竜が静かに舞い降りてきた。
そこからグレイムさんが大きな荷物を持って現れる。
「お昼になりましたので昼食をお持ちしました」
本当によく気が付く人なんだわ。
知らない間に空腹になっていたお腹を擦って私は駆け寄った。
いい匂いが包みから溢れ出している。私達は湖で手や顔を洗うと、美味しい昼食に舌鼓を打った。
それにしても静かで美しい場所……魔国は人間が住めない、世界の果ての辺境の地だって一体誰が言い出したのかしら?
モグモグとサンドイッチを頬張りながら、静かに煌めく水面を見詰めた。
私、段々とこの国が好きになり始めているのかも……。
そんなことを感じながら、爽やかな風に髪を揺らした。
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