日常7ー1:ゴールデンウィークは始まったばかり
強歩大会が終わり、全身湿布まみれになってから一日が経過し、身体の疲れも癒え、気づけばゴールデンウィークに突入していた。
空腹に耐えかねた体を起こし、白い線を手繰り寄せる。
無機質な黒い画面は主人の顔であると判断すると、眩しく色づきだす。
目を引いたのは"10:30"の数字と一件の着信。
履歴をたどると「お母様」の三文字。
折り返さずとも要件が伝わり、急いで階段を下りた。
十ほどの段差を飛び越え、シンプルかつ明瞭な色合いの扉をスライドさえる。
三人の視線が一手に受け、その中でも一際異彩を放つ視線に向き直る。
「おはようございます。」
「おはよう、じゃないでしょ。何時だと思ってるの。とっくに朝ごはん食べ終わってるわよ。」
「はい、ごめんなさい。」
「ほら、ラップしてあるからチンしちゃって。あと、皿は自分で洗ってね。あと、このあとお父さんと姫歌と一緒に買い物に出かけてくるけど、聡も来る?」
「いや、いい。家でゆっくりする。」
「そう。もし出かけるなら戸締りはお願いね。2階、窓空いてるから忘れずに閉める事。」
了解、と言って大理石風に装飾されたテーブルに腰掛ける。
相変わらず、普通の一般家庭には似つかわしくない白黒の板。
気に入っているのは購入者ただ一人。
床と頭の間にクッションを挟み、スマホを片手に呆けている父だった。
幾度となく購入しては、家族から冷ややかな視線を向けられ、それでも衝動を抑えられずポチっとする。
あのボタンからドーパミンでも流し込まれているのだろうか。
一方、かじりつくようにテレビを独占している姫歌。
どうやら撮りためたアニメ番組を消化しているらしい。
永遠の10歳を生きる主人公が「バケモン、ゲットだぜ!」と決め台詞とともに番組が終わる。
出会った時は俺の方が年下だったのに、時の流れは恐ろしいものだ。
こうして16歳の聡は感慨に浸るのであった。冒険に続く、まる。
妹の興奮冷めやらぬ様子に、こちらからもドーパミンが溢れていそうだった。
広義で見れば互いの行為は同じことだろうけど、後者の方がいささか健全に見える。
お金を賭けていないからだろうか?
「賭け」と使ったのは、箱を開けて一喜一憂する父を見て、通販=ギャンブルと定義したからだ。
軽快なメロディーが朝食の再熱を知らせる。
薄く張った膜に水滴がたまり、十分に温まったことを確認すると、緑の筒から2匹の黒猫を抜き取りテーブルへとつく。
張った膜をはがすと、こおばしいソースの香りが鼻孔をくすぐる。
厚くカットされたキャベツと大量のもやし&焼きそば。
そして、それらを味付けし、主役へと仕立て上げるは「コーミの焼きそばソース」。
ジャニーズファンのママ友からもらった名古屋土産で、篠崎家の家庭の味になっていた。
甘辛ベースの焼きそばソースは食欲を膨れ上がらせ、罪悪感を忘れて箸を動かしてしまう。
買いすぎた袋めんを消化するのに、朝から焼きそばを食べることになったが、おいしいので結果オーライ。
右手に旋風、左手に黒猫を二匹従わせ、いざ実食。
「はふはふはふ、んん~やっぱ美味しい!」
全国の血圧平均を上げているのは名古屋人に違いない。
そうでなければ、名古屋ではきっと塩分摂取量に応じて税金を課税する制度があるに違いない。
外部からの抑止力が働かなければこんなの一生食べ続けてしまう。
うちの県の名産といえば、十割そば、野沢菜漬け、おやきと全体的に薄味でパッとしない。
唯一自慢できるのは野辺山高原牛乳3.6こと「シュッポッポ牛乳」の驚異的なまでのおいしさ。
「シュッポッポ」と煙を出しながら走る汽車が目印になっている。。
当時、牛乳を製造する工場のすぐそばには、国鉄小海線で活躍し昭和47年に引退した蒸気機関車C56があり、『シゴロク』、『シーコロ』の愛称で親しまれ、昭和48年に小海線で2カ月間復活した際には、小型機関車が軽快に高原地帯を走る姿がポニー(仔馬)を思わせたことから『高原のポニー』という愛称で親しまれていたらしい。
多くの人に愛され、野辺山を代表する存在となった蒸気機関車C56。
そのすぐそばで製造される牛乳だから、C56をイメージしたトレードマークがデザインされている。
毎朝飲むコップ一杯の牛乳が、俺の原動力と言っても差し支えない。
ただ、焼きそばとの食べ合わせは最悪なので、食後に飲むことをお勧めする。
「お兄ちゃん、食べてるときはそれ辞めたら?」
グルメの世界にいた俺を、姫歌の声が連れ戻す。
いつのまにかテレビ番組が変わっており、今週の映画興行収入ランキングが放送されている。
小さな指の先は俺の右手を指示しており、その意味を理解する。
先ほどからとめどなく旋回する緑の無機物。
キツネの口にくわえられたそれを前に差し出して、「これ?」と聞いてみた。
「ハンドスピナーを回しながら朝ごはん食べる人なんて、世界中でお兄ちゃんだけだと思うよ。」
「オンリーワンか…。いい響きだよな。」
「カッコよく言っても、変なものは変だよ。」
「だけどな、これはリハビリでもあるんだぞ。お兄ちゃんが正しい日常を送るためのリハビリ。」
そう、これはリハビリなのだ。
スマホを買い与えられた直後、溢れる好奇心と際限なく告知される無料アプリ。
スマホ依存症の典型にしっかりとはまった俺は、食事中にスマホを触ることが常になっていた。
それがスマホ嫌いの母の逆鱗に触れ、代わりに渡されたのがこのハンドスピナーという訳だ。
「徐々に回転数を減らしていき、回っていなくても気になら無くなれば、スマホ依存症が完全に治ったといえる。」
「…ハンドスピナーにそんな効き目はないよ、お兄ちゃん。」
情愛に満ちた瞳で貫き、右手を優しく握る。
小さなてに阻まれたスピナーは回ることを辞め、口から外されてしまう。
「ああ、待って。せめてご飯を食べ終わるまで。」
どうやら気づかないうちに、別の病に侵されていたらしい。
一幕終え、買い物に出かけて行く3人を見送るため、玄関に立つ。
再度、母から戸締りを念押しされ二つ返事を繰り返す。
心配性のきらいがある母は、この後さらにメールで確認してくる。少し、いやかなり面倒だった。
言われたとおりに玄関のカギを閉め、2階の窓を閉めに行く。
出かける予定などないが、母のいうことは2転3転玉のように転がるので、念のため全部の窓を閉めた。
「さて、ゲームでもするか。ダクバのデイリーやんないと」
テーブルの上からスマホを取り上げようとした瞬間、突然振動と共に電源がつく。
見知らぬ番号を映し出し、盤を振動させる音が緊張感を伝えてくる。
非通知であれば迷わず切るところだが、番号が表示されるところを見ると、携帯ショップからの電話の可能性があった。
以前に一度、そういった電話が過去にあったので、その記憶が受話器を置いた赤いイラストボタンへのタップを躊躇させる。
少し迷ったが、意を決して電話にでることにした。
『あ、もしもし。こちら篠崎さんのお電話でお間違いないでしょうか』
「はい、そうです。」
『私、お宅の息子さんと同じ学校に通っている上原|愛莉珠まりあの母の|茉莉まつりと申します。先日、娘が怪我したところを助けて頂いた件でお電話いたしました。』
電話の相手は上原のお母さんだった。
その声性から穏やかな印象を感じるが、電話での対応は丁寧かつはっきりとしたもので、受けるこちらの背筋が自然と真っすぐを向いてしまう。
『それで、篠崎聡さんはいらっしゃいますか?』
「あ、えっと、おれ、じゃなくて私が篠崎聡です。」
取り繕うのが遅れ、やや声が上ずる。
『そうだったの!この前はありがとうね、テーピングしてもらったり電話を貸してもらったみたいですっごく助かったわ!』
「は、はい。それはなによりで、ございま、す?」
先ほどの丁寧さとは打って変わり、今度はフランクな口調で話す。
この場合、どういう言葉遣いをすればいいのか分からず、入り混じった言葉遣いになってしまった。
『それでなんだけど、今日ってこの後時間空いているかしら?』
「え、はい。空いてます。」
つい反射的に答えてしまったが、このあとの上がる提案の内容がなんとなく分かってしまった。
『ならよかった!私からもお礼をしたかった。車で迎えに行くから、うちに来てもらってもいいかしら?』
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