日常6:ノートルーゲ
学校に戻ると、既に完走し終えた生徒の塊がいくつもあった。
早く帰って休めばいいものを。
彼ら、彼女らにとってはこの雑談こそ生きがいなんだろう。
ゴール付近、上原が順位の書かれた紙を受け取り、こちらへと近づいてくる
途中まで一緒に走っていたが、上原とは別ルートで一足先に戻っていた。
一度完走した生徒が再びくるなど、受付を混乱させかねないと考えの行動だ。
近づいてくる上原の表情に悔しさのようなものは微塵もなく、紙を見てはクスっとはにかんでいた。
人差し指でつまみ、順位用紙をこちらへ見えるよう突き出した。
「210位だって。酷い順位でしょ?生まれて初めて取った。」
心中はわからないが、少なくともネガティブな雰囲気は感じない。
納得、しているということか?
「ありがとう、篠崎くん。完走できたのはあなたのお陰。本当にありがとう。」
「いいよ、お弁当のお礼ってことで。」
「それより、一つ気になっていたんだけど…」
急に語尾がしおらしくなる。
上原らしからぬ、はっきりしない態度。
「ん、どうした?」
「えっとね、篠崎くんは何位だったのかって。ほら、結果的に私がタイムロスさたわけだし、ね。」
「ああ、それなら大丈夫。ちゃんと30位以内だったよ。」
「ほ、ほんと!よかったぁ」
ほっとなだらかな胸を撫でおろす。
肩の力が抜けたのか、強張っていた表情が緩みきっていた。
まったく、責任感が強い。
こういうところは、「上原」らしくて、「上原だな~」って思う。
「それで、何位だったの?」
「え!?」
「?、どうしたの、急に背筋伸ばして。」
「いや、ちょっと、な。腰が痛かったから伸ばしてたんだよ。いや~疲れたのかな~」
「いっぱい走ったからね。で、何位だったの?」
「さ,29位。」
「…今、さんじゅうって言いかけなかった?」
訝しむ視線を向けられ、心臓がひゅんとする。
「言ってない言ってない。あ、そうだ!引換券な、後で渡されるみたいだから、今度の昼に特別教室で食べよう。な!」
「え、ええ。私は願ったりかなったりだけど、あなたはそれでいいの?」
「勿論!もともと上原が提供してくれた情報なわけだし。」
「ならいいのだけれど…」
微妙に話をそらした風になってしまったが、引換券の存在を出して、無理やり納得してもらう。
ふぅ、と一息つき、俺も気になっていたことを質問した。
「ところで上原、帰りはどうする。」
「歩いて帰るつもりだったけど、迎えを呼ぶわ。流石にこれ以上動くのは辛いし。」
「だな、それがいい」
「あ、でも今日はスマホを持ってきてないんだった…。職員室にいって、電話借りないと」
「それなら俺スマホ持ってきてるから。ロッカーから取ってくるまで待ってて。」
「それなら私も行くわ。借りるのに取りに行かせるなんて。」
「もともと取りに戻るつもりだったし、そんなの気にしなくていい。」
「でも、」
「上原、自分が怪我人だって忘れてない?なるべく歩かせないために迎え呼ぶんだから、わがまま言わずに座ってなさい。」
ちょっと説教っぽくなってしまった。
少しムッと膨れたが、素直に聞き入れてもらえたので、その場を後にする。
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下駄箱からうち履きサンダルに履き替え、1-1教室を目指す。
3階の一番奥にあるうちクラスは、購買戦争でもっとも不利な地形に置かれている。
疲労困憊の足を押し上げ、一歩一歩、階段を上る。
いつもと同じ階段のはずなのに、北斗神社にも勝る険しい道に感じる。
手摺を使い、腕の力を借りながら、ようやく教室前までたどり着いた。
廊下に並べれらたステンレスロッカーの中から自分のものを探し、100均の安っぽい3桁の南京錠を解く。
目的のスマホを取り出し、再びドアを閉め、シャカシャカと南京錠をこねくり回す。
立ち上がり、そのまま戻ろうかとも思ったが、教室の方が気になり中を覗く。
閑散とし、自分を除いた誰一人いない空間。
思わず感傷的な気分へと流されそうになる。
超部分的な閉鎖社会のジオラマ上で、自分だけが、たしかな存在としてここにいる。
(教室って、こんなに広かったんだな)
「篠崎」
隣の教室の方角に、牧村がいた。
上位でゴールインしたはずの牧村がいることが気になり、問いかける。
「なんだ、まだ帰ってなかったのか?」
「おいおい、血相抱えてきた友人に、理由を聞かずお願いを聞いてあげた牧村様に、その口はなんだ~?」
上原を助ける際に力を借りた登場人物:「善良なバスケ部員」。
牧村がいなければ、駆けつけるのにもっと時間が掛かっていただろう。
俺の協力者兼、共犯者。
「その節は、まことにありがとうございました。」
「いいよ。それで、何とかなったのか?」
「ああ、おかげさまで。」
どうやら確認のために残っていたらしい。
後でメールすればいいのに、律儀な奴。
「あとほれ、引換券」
水色の紙に"一枚につき1個まで!ごろっとイチゴのマリトッツォ引換券"と書かれている。
そう、これが共犯者の所以。
俺は、上原に「嘘」をついた。
ポケットに入った順位表に、「29」も文字はない。
つまり、これを見せても引換券には変えられない。
タイムロスがあろうとなかろうと、結果は変わらなかった。
それでも、きっと「上原」なら、そのことで自責の念を感じ、当分は尾を引くだろう。
責任感の強い「上原」らしいところだが、それは望むところでない。
この世界の、あの場所で、二人だけの刻。
向かいに座る上原には毅然と態度で「また来たの?」なんて皮肉の一言でも添えらながら、過ごしたい。
こんな紙切れ一枚に、その空間を邪魔されてなるものか。
「なあ、一個だけ聞いてもいいか。」
いつもよりゆっくり、間をたっぷりとりながら質問する。
先ほどと雰囲気を変え、真剣であることを暗に知らせるようだった。
「その引換券を渡すのは、さっき助けに行った子、だよな?」
「どうして、そう思う。」
「お前のあんな顔、初めて見た。それぐらい、真剣だったってことだろ?。なら、この流れで渡す相手なんて、その人以外ありえないかな~って。」
相変わらず、鋭い。
周囲の視線を人一倍気にして生きてきた術なのか、的を外さず言い当てられたことに驚く。
「あーあ、なんだかな。ちょっと複雑。」
牧村の目に、若干の濁りが見て取れる。
複雑、と言った彼の心中が察せず、困惑の顔を浮かべると、あちらはすぐに察してくれたようで「何でもない」とだけフォローする。
「今度、飯でも奢ってくれよ。それでこの件はチャラにしてやる。」
「サイゼでいい?」
「最近、イオンのフードコートにいきなりステーキができたんだ。」
「…200g」
「250で手を打とう」
「チキン?」
「ビーフ。どこまでやるんだよこの交渉。」
牧村の苦笑いで、強張った空気がほどける。
いつしか濁りもなくなり、「みんなの牧村」へと戻る。
俺たちは玄関口まで一緒に戻り、解散した。
待たせていた上原にスマホを渡す。
親御さんと連絡がとれ、迎えに来てくれることを確認すると、そのまま家に帰った。
その日の夜、極度の疲労からか、なかなか眠りにつくことができなかった。
天井のシミを数えようにも、真っ白で数えるものがない。
羊を数えようにも、10匹通り過ぎた後で飽きてしまった。
すると、ある言葉がフラッシュバックされる。
「複雑だけどな」といった牧村。
複雑、とは要素の絡み合い、衝突が起きること。
引換券を渡すことで起こる衝突とは、何だったのだろう。
甘いものが好きで渡したくない反面、俺に喜んでもらえて嬉しい、とか?
「…自分でもびっくりするぐらい、自意識過剰やろうだな。」
中学の時の事を持ち出して、まだアイツが俺に好意があるなんて、振っておいて何様だ。
アイツが告白してきたのは中学の時のことで、もう吹っ切れているからこそ、自然と会話もできた。
いくら考えても、馬のしっぽを追いかけまわすようで、答えは一生つかめそうにない。
ちょうどよく頭がクタクタになると、電源が切れるように眠りについた。
次の日の朝、全身が筋肉痛に悲鳴をあげ、妹に湿布を張ってもらうとも知らずに。
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