非日常2(5-4):強歩大会

 努力を重ねた分だけ、成果が付いてくるとは限らない。


 幾度となく味わった、世の中の無情なまでの真実。


 偶然、という言葉では片づけられないほど、負の遺産は記憶に残り続ける。


 小学校のリレー競技。


 クラスで一番足が速かったので、アンカーに任命された。


 誇らしかったし、その分沢山練習した。


 結果、バトンを落として失格。


 中学校のバスケットボール大会。


 スコアラーとしてチームを引っ張り、県大会の準決勝まで勝ち進んだ。


 残り時間わずかで回ったファールからのフリースロー2本。


 2本決めれば逆転、1本でも入れれば延長戦。


 結果、2本とも外した。


 周囲の人間は気を使い「気にしないで」と慰める。


 それでも、成功体験を塗りつぶすぐらいこびりついた過去の失敗は、拭えば拭うほど歪に残り続ける。


 今だってそうだ。


 赤く腫れた足に触れる。


 鈍い痛みが全身を駆け巡り、思わず目をつむる。


(そんなすぐに治るわけないよね)


 篠崎くんと交換したイチゴの飴玉もすっかり溶けて、甘い余韻だけが口内に残る。


 彼が走りだした後も、一人、また一人と生徒が走り抜け、そのたび座り込んだ私を一瞬見る。


 まるで腫物のように扱われているようで、視線の落ち着く場所を探してしまう。


 あるのは「浅間山路入口」と書かれた立て看板と、周囲を取り囲む木々の緑だけ。


 こうしてみると、まると木々が意思を持って、私を閉じ込めているようだった。


 一度、川崎さんが「あれ、上原さん!?どうしたの」と声を掛けてきた。


 ミディアムショートの髪を揺らしながら、小走りでこちらに駆け寄る。


 ハムスターのようで、不覚にも可愛いと思ってしまった。


 というより、私と上原さんはいつ友達になったのだろう?


 いくら思い返いしても、朝の挨拶以外、交わした記憶がない。


 心配を無下にすることができず、軽く状況を説明し、気にしないで先に行ってくれと伝える。


 若干心配そうな顔を残しつつ、ポケットの飴玉だけ置いて、後ろ髪を引かれながらクラスメイトと共に走り出していった。


 篠崎くんといい川崎さんといい、怪我人に飴玉を与える習わしでもあるのだろうか。


 再び、イチゴ味の飴玉を口に入れる。


 本物のイチゴには程遠い、人工的な甘みを堪能する。


 車はまだ来ないだろうか。


 どうせ、このまま待っていても怪我が治ることも、完走することも叶わない。


 それでも、どこかでまだ完走したいと願う気持ちが片隅に残る。


 通り過ぎた生徒の人数が、残りの寿命を知らせるカウントダウンのようで、数えるのをやめた。


 篠崎くんは無事、引換券を手に入れられただろうか。


 もしかして、私とのやり取りが原因で間に合わなかったら。


 そして、責めるような視線を向け、非難の言葉を浴びせたら。


 想像して、胸のあたりにポッカリと穴が開き、吹き抜けに不安が流れ込む。


 どうして…。


 いわれのない言葉も、嫉妬の視線も、理不尽な悪意も、平気だったのに。


 彼の悪意だけは、受け止めれる自身がなかった。


 三角座りの姿勢のまま、両腕で顔を覆い隠す。


 いるはずのない外敵から身を守るように、強く、強く体を丸める。


 身体に感じる圧迫感が、ほんの少しだけ気を紛らわせた。


 猫は病気になると、見えない外敵から攻撃を受けていると思い、隠れて回復を図るという説がある。


 大抵はそのまま衰弱死してしまうらしい。


 もしかすると、人間にも同じ機能が備わっているのかもしれない。


 どこかへ消えてしまいたい、という気持ちは人間が持つ一種の回避信号と考えれば、私の行動にも説明がつく。


(はやく、家でお風呂に入りたい。)


 時折吹く春風が、汗で濡れた体を冷やす。


 ファスナーを上まで締めても、隙間めがけて吹く風は私を震えさせる。


 砂埃が舞い、とっさに目を伏せるが間に合わない。


「痛っ」


 目をこすり取り出そうとするが、入り込んだ微細な砂をなかなか取り出せない。


 思わずこする手に力が入り、角膜を傷つけてしまう。


(何やってるんだろう、私)


 その時だった。


「よっ、上原。ケガ治った?」


 痛みで開かない目をつぶったまま、もう片方の瞳でそれを捉える。


 篠崎くんだった。


 一瞬、双子の兄弟かと思った。


 彼には小学生の妹さんしかいないことを思い出し、双子説は棄却される。


「篠崎くんの、お父さん?」


「これが40代に見えるなら、お前の目は節穴だ。」


「じゃあ妹さん?」


「これが小学生に見えるなら、やっぱりお前の目は節穴だ。」


 このやり取り、このひょうひょうとした会話の流し方、なによりこの顔と声。


「もしかして、篠崎くん?」


「上原、ケガしたのって頭だっけ?」


 軽い冗談を言っているのか、はたまた本気で心配しているか、わからない。


 誰のせいだ、誰の。


「篠崎くん、なんでこんなところにいるの。さっき走っていってそれで、、」


 次に出る言葉が見当たらない。


 ゴールしたの?


 結果は?


 何をしに来たの?


 質問の優先順位が決まらない。


 それを待たずして、一番最初の質問の返答が帰ってくる


「これ、取りに行ってた。」


 先ほど背負っていなかったリュックから、何やら見たことのある箱を取り出している。


「サポータと、テーピング?」


「ほら、足出して。」


「ちょ、ちょっと待って。それどうしたの。」


「貰った。善良なバスケ部員から。」


 靴を脱がし、靴下を下ろしてそそくさと作業を始め、こちらの制止も気にせず、手慣れた手つきでテーピングをまく。


 足に手が触れた瞬間、反射的に目をつぶるが痛みはあまり感じない。


 カラス細工を扱うように、繊細で、それでいて手際がいい。


 声をかけるのもはばかられる面持ちに、少しドキリとする。


 こんなに近くで彼を見るのは初めてだった。


 長く伸びた茶髪にはほんのりと黒が混ざり、男性にしては長く、ピンと沿ったまつげが少し羨ましい。


 華奢に見える体躯と反対に、しなやかに引き締まった筋肉。


 足から伝わる感覚が、とてもむずがゆくて、変な声が出そうになる。。


「よし、できた。これで少しは楽になると思うんだけど。」


「え、あ、うん。」


 急に視線が私を捉える彼に、思わず俯く。


 声が1トーン上がり、ひよこみたいな声が出た。


 見つめていたこと、ばれていないだろうか。


 視線を上に戻すと、満足そうな表情をしていた。


 よかった、ばれていないようだ。


 立ち上がり、テーピングの具合を確かめる。


 若干の違和感は残るけど、これなら問題なさそうだ。


「走れそう?」


「ええ、軽くなら」


「じゃあ行くか」


 走り出そうとする彼を止める。


「なんで」


 "なんで、戻ってきたの"


 聞きたいことは、それだった。


 でも、いや絶対、はぐらかされる。


 本当の事を言わず、言葉を濁し、適当にごまかす姿が想像できた。


 私の勘違いでなければ、これを聞くのは野暮ってものだろうか。


 待て待て、相手は篠崎くんだぞ。


 迷路へと迷い込んでいると、それを引き上げたの彼の一言。


「どうした、置いてくぞ?」


「ちょ、待ちなさい!誰のせいで」


 "誰のせいで、迷っているのだ"と、いってやりたかった。


 だが、これは間違いなく野暮ってもんだ。


 気付けば、先ほどまで私を縛っていたものは、見る影をなくしていた。


 今はただ、目の前の背中だけを追いかけ、この迷路を抜けるのだった。

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