日常5-3:強歩大会
強歩大会の折り返し地点である「浅間山荘」
この山荘に至るまでの道を「浅間山路」という(非公式であり、調べても出てきません)
なんとこの強歩大会、この「浅間山荘」へと続く「浅間山路」に到着するまで、約3キロ分の県道を走らなければならない。
山路なら景色でも眺めつつ新鮮な気分で走れただろう、
見渡す限り、雑草で埋め尽くされた民家の私有地を見ても、気分が紛れることはない。
緩やかな上り坂は、体力の消耗を加速させる。
高校と家までを結ぶ通学路はほぼ坂で構成されているので、傾斜に多少の慣れはあれど、疲れるものは疲れる。
コンクリートを踏みつける度、足に負荷がかかるのを実感し、右足へ感じる不均一な重みに、自分の姿勢の悪さを自覚する。
以前、人間の両腕、両足の長さは同じでないとバラエティーでやっていたのを思い出す。
先々週行った体重測定にそんな項目はなく、測ったことなどないが、もしかしたらそれかもしない。
(退屈だ…)
目的があるとはいえ、一人黙々と走り続けるのは退屈だった。
耳にイヤホンを付けて走る生徒もちらほら見かけたが、以前一度だけ試して断念した。
ポケットへ入れたスマホが集中を乱し、イヤホンが何度も落ちそうになる煩わしさが生理的に無理だった。
同じペースで走る相手でもいたらよかったのだが、牧村は光速で駆け抜けてしまい、さ、さ、さ…なんだっけ?。
1代目は随分前に追い抜いてから見かけない。
川崎、上原たちの女子組はずっと前を走行しているので、出会ったとしても折り返し地点を過ぎてからだろう。
代わり映えのない景色に辟易しながらも、3キロ地点である「浅間山路」入口へと辿り着く。
腕時計を確認し、想定のペースで来れていることに安堵する。
ポーチから一つ目のスポーツゼリーを取り出し、半分ほど流し込む。
ここからが、本番だ。
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山路は県道沿いとはうってかわり、まっすぐの一本道。
地割れのようにひび割れた道路と、何度も繰り返し現れるヘアピンカーブ。
雪が積もる時期に、交通事故が起こりやすいのも頷ける。
ちょうど2台が通り抜けられる道幅で、ろくにカーブミラーも整備されていないここは、ある意味「死地」だった。
今も、高校生を坂道ヘアピンカーブという名の死神が、徐々に地獄へと引きづりこんでいく。
唯一の救いは周囲の木々に囲まれ、日差しを通さないこと。
人より汗をかきやすい体質だが、いまだジャージの上着にベタつは感じない。
「残り何キロ」の途中経過を知らせる看板を見つける度、一喜一憂する。
目の前に示しだされる距離と疲労感が、まったく一致しない。
段々と呼吸が乱れ、左胸に感じる違和感が確かなものになる。
視線が下がり気味だったため、山荘にたどり着いたことに、気付くのが一瞬遅れた。
「おお、篠崎。」
声を掛けたのは1-1クラス担任こと、おれのクラスの先生である坂口先生だった。
折り返し地点である「浅間山荘」では、不正行為防止のため選手ゼッケンにスタンプを押す「折り返しスタンプ係」なる係があるそうで、今年は坂口先生にお鉢が回ってきたらしい。
「はいゼッケン出して。あとほれ、あめちゃん。」
「先生、走りながら飴玉は危ないですよ。」
「噛めばいいじゃないか?」
さも不思議そうな顔をするので、こちらが間違っている気になる。
(いや、考えるのはやめよう。)
酸素が十分に循環しない今のコンディションで何かを考えるのは、無駄に体力を消耗するだけ。
イチゴ味の飴玉を受け取り、スタンプの押されたゼッケンを確認して再び来た道を戻る。
「あ、そういえば先生。俺って何番目ぐらいに来たかわかりますか?」
「ん?あーそうだな…。まだ40人は来ていないと思うぞ、先生の手がそう言ってる。」
スタンプを握る手が上下にゆれ、素振りをするように今まで押した人数を思い出していた。
正直、全然あてにできないが、先生の事を信じるのであれば、今のままだと引換券を手にすることはできない。
上りの角度が大きかった分、帰りは勢い任せで走ることができる。
しかし、あのヘアピンカーブを曲がり損ねれば大けがをしかねない。
体力を抑えられる反面、一層の集中力とペースアップが求められる。
一つ目のスポーツゼリーは空になり、二つ目に口を付ける。
終わりが見え始めたことで足取りは軽くなり、死神へと立ち向かって行った。
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走る速度に比例し、通り抜ける風が汗を乾かす。
少しの肌寒さと、心地よさが、進める足をより一層軽くした。
速度を上げたい気持ちが先行する。
しかし、ヘアピンカーブの減速時の足への負担が大きいことを痛感し、その気持ちを必死で抑える。
自分の順位と30位までとの距離が把握できていないことが、焦りにつながる。
それでも現状がベストだと思い込ませ、意識を前へと集中する。
「あれ、篠崎だ!」
ぐるっとガードレールを挟んで一段下層に、見慣れた顔と身長の生徒が、うちのクラスの女子と一緒に歩いていた。
川崎である。
腰に長袖ジャージを巻き付け、白く華奢な腕をのぞかせる。
大きく手を上げ、半袖の隙間から見えた肌色に、思わず視線を逸らす。
周りの女子は「誰?」と質問し、川崎はそれに答えていた。
「篠崎早いね~。もう女子グループに追いついてきたんだ。」
「結構ペース上げてきたからな。」
「おお~篠崎らしからぬ決めセリフだ。」
茶化されるように、肘でつつかれる。
相変わらず距離が近いし、決めセリフでもない。
ふわっとかおる亜麻色の匂いに翻弄されつつも、「じゃ、急ぐから」とだけ言い残し、先を急いだ。
「がんばれー!。応援してるぞー!」
背後に聞こえた声に振り返らず、右手を手をあげて答えた。
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陸上には追風参考といい、2メートル以上の追い風が計測された場合、記録が無効になる。
たった0.01秒の差で記録が塗り替わる世界だ、当然と言えば当然。
今、まさにその気持ちを体感している。
先ほどまで死神のごとく参加者を苦しめてきた坂が、背中に羽でも授ける天使のように思えた。
自分のイメージする一歩が、倍以上の距離をたたき出す違和感。
ルール違反をしている気分だ。
ヘアピンカーブを越え、残る道は緩やかなカーブを走るのみ。
障害物となる木々の枝、石もほとんど転がっていない。
ここまでに3人の生徒を追い越してきた。
まだエナジーゼリーも一本ストックがある。
終わりと勝機が見えたことで、身体はより一層の速度を持って前進する。
「浅間山路」の入り口看板が目に入り、残り3キロ弱のペースを考えていると、見知った顔の生徒が座り込んでいた。
上原だ。
水色のウインドブレーカーを全開に開け、看板の近くに座り込んでいる。
視線がこちらを向き、また逸らす。
こちらに気付いたはずなのに、顔を合わせたくないのか一向に視線が戻らない。
「上原、どうしたんだ?」
こういう時、「大丈夫か」と声を掛けてはいけない。
人間は大丈夫と聞かれ、大丈夫ですと反射的に返してしまうらしい。
気を使ってなのか、はたまた「自分は大丈夫だ」と信じたいのか、所説ある。
上原の場合、絶対大丈夫と答える気がしたので、具体的ない質問を投げることにした。
「怪我したのか?」
「…」
沈黙、ということは図星らしい。
質問を変えても素直じゃない点を除いて、おおむね予想通り。
「足、見せて」
「何で、何も言ってない」
「足は口ほどよりなんとやらってな。」
少し意地悪だろうか。
先ほどから気にしていた足の部位を、軽く押す。
「いっ!」
「痛めたんだな?」
「この反応見た後に聞くこと!?最低!」
「いたっ、殴るなって。悪かったよ。」
涙混じりの抵抗が、あどけなく、可愛い。
怪我を認め、今度は素直に靴下を下げて、痛みの箇所を教えてくれる。
「捻挫、だな。どこで?」
「曲がり角が何度もあったとこ。」
まあ、そうだろう。
先ほど何度も苦しめられたポイントだ。
怪我をしたとなれば、間違いなくあそこだろう。
しかし、少し疑問が残る。
あのヘアピンカーブは山荘からすぐの地点、山路入口まではそこそこの距離がある。
「上原、お前怪我を我慢してここまで来ただろ。」
ばつが悪そうに、視線を逸らす。
目は口ほどになんとやらだ。
それにしても、この華奢で細い足のどこにそんな力があるのか。
穢れない真っ白な素足にがより一層、ケガの色を濃く映し出す。
「あのな、スポーツやってたんなら怪我の怖さぐらい知ってるだろ。いくら引換券欲しいからって、」
そこまで頑張らなくても、と言い切る前に上原が割り込んだ。
「それだけじゃない。ちゃんと、完走したかった…。そりゃ、引換券目的で始めたけど…」
少し、ほんの少しだけ、瞳が潤んでいた。
そうだ。
「上原」はそういうやつだった。
やるからには勝利を目指し、敗北するとしても最後までやり切る。
どんな劣勢な勝負でも、あきらめて投了することなんて、一度もなかった。
負けでも次につなげ、認められる強さが「上原」の強さだ。
それが、30位以内どころか、このままでは途中棄権になる。
強歩大会は原則走り切ることが義務づけられているが、やむを得ない理由、つまるところ怪我をした場合、教員が見回る車に乗って棄権することができる。
見回りは山荘にいる教員、坂口先生が見回りに来た時点で強制失格。
「なあ、どのくらい痛む。何かに寄りかかれば歩けるとか。それなら肩貸すから一緒に」
「それはダメ」
はっきりと、その言葉には熱がこもっている。
「これは私の不注意が原因。篠崎くんはちゃんと走ること。それに、今のペースなら十分30位以内を狙える。あなただって、食べたがっていたじゃない"マリトッツォ"」
「え?ああ、そうだったな…」
そういえばそんな景品もあったな。
結構ついで感覚で目指していた目標なので、商品の内容を忘れていた。
とはいえ、一度言ったら聞かない、か。
「わかった。じゃあ、行ってくる」
「ええ、いってらっしゃい。頑張って。」
「そうだ、これ」
ポケットに入れたイチゴ味の飴玉を取り出す。
「なにこれ?」
「坂口先生に貰わなかった?」
「ああ、そういえば貰った。ハッカ味の飴玉…。私苦手なの、ハッカ。」
手の平に乗せた飴を見せて、怪訝に目を細める。
断ればいいのに、喉まで出かかって辞めた。
「じゃあ交換。」
手のひらのハッカを、イチゴと交換する。
(手、小さいんだな)
ひょいと受け取った飴玉を口に入れ、がりがりと一気にかみ砕いた。
「篠崎くん…、飴玉は噛むものじゃなくて、舐めるものよ?」
ですよね~。
坂口先生の常識が間違っていると証明でき満足なのと、あたかも俺がおかしい人扱いされる理不尽さに納得がいかない。
ま、いいか。
口内に爽快感が駆けぬける。
頭がすっきりした気分だ。
(ここからは、全力だ。)
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