非日常1:お向かいさん
「おねえちゃんだから」
この言葉を言われることが、好きじゃなかった。
弟が嫌いなわけじゃない、むしろ大好き。
初めて見た時、まるで天使のように白く、脆い存在だった。
一瞬でも目を離せばどこかに行く、好奇心旺盛な男の子。
大変なことも多かったけど、あの子が笑う瞬間、疲れなんて一瞬で吹き飛んだ。
「ねーね」と初めて言葉を話したときのことを、将来永劫、忘れることはないと思う。
健太も私を慕ってくれていて、寝るときも、遊ぶ時も、お風呂に入るときも、ずっと一緒だった。
可愛くて、可愛くて仕方なかった。
でも周囲の人間は「お姉ちゃんは偉いね」、「弟の面倒を見るのは大変でしょう?」と、私が「姉」という役割を勝手に与えられ、無理やりやらされているような物言いをする。
昔、「お母さんも無責任よね」と言われた時は「無神経が勝手なことを言うな」と、危うく言い返してしまいそうになり、引っ込める。
言い返せば、私の中の葛藤は収まるだろう。
しかし、それはほかの誰でもない「お母さん」を追い詰める行為であると、幼いながらも理解していた。
両親はとても仲が良く、いわゆる「おしどり夫婦」である。
子供のころは特になんとも思わなかったが、最近、ほんの少しだけ、二人の幸せオーラ全開の空気に当てられ、「恥ずかしい」と思う時がある。
勿論、二人とも大好きだけど、弟の前でキ、キスするのは控えてほしい、教育に悪い。
そんな家族に心配を掛けまいと、学校では優等生であろうとし、勉強も部活も一切手を抜かなかった。
実際、何かに打ち込むことは性に合っていたらしく、自ら進んで取り組んでいたと思う。
周りが見えなくなるくらい、真剣に、夢中になって、気付いた時には手遅れだった。
幸い、県内でも有数の公立進学校の推薦を貰え、顔見知りはほとんどいない。
でも、きっと変わらない。
だって、私に変わる気なんてない。
自分のやったことに間違いはないし、自分を曲げてまで、協調性なんてものを得ようと思わない。
窓際で本を読み、時折窓の外を眺め、ゆっくりと流れる「退屈」を感じ、家に帰る。
両親の惚気と、弟の寝顔を見て、一日が終わる、そんな「日常」を送るはずだった。
「よっ、サボってるの?」
「あなたには
いつものように、からかい文句の一つをついて、向かい席に腰掛ける。
「それいいかも、今度「居酒屋:上さん」とか暖簾をかけてみるか。誰も寄り付かなくなって、堂々と遊べるかも。」
「…私の料理が不味いと言いたいの?それとも愛想がないと言っているのかしら?」
「料理はおいしいから、後者だな。」
「そ、そう」
いっそ、全てを非難してくれれば、文句の一つでも言ってやれたのに、変なところで褒めてくるからやりずらい。
篠崎くんは、出会った時から変だった。
最初は「弟を泣かした悪者」であった篠崎くん。
今では「よくいるお向かいさん」になっていた。
そりゃ、最初は私が勝負を挑んだのが発端だ。
あの日以来、公園で負けたことが悔しく、対篠崎パーティを組み、オンライン対戦で腕を磨いた。
弟とあの公園に遊びに行くときは、必ずゲーム機を携帯した。
だがあの一件以来、再び会うことはなく、気付けば高校の入学式が訪れ、いつしか机の中に閉まったままになっていた。
こうして高校で再び再開できたことは嬉しかったし、どうやって声を掛けようかも悩んだ。
たった一度会った相手に、再びゲームしようっておかしくない?変な人って思われない?
入学してからすぐに声はかけられず、特別教室に突っ伏していた時、彼はやってきた。
そして、彼には未だ勝つことができず、たまにリベンジマッチをしている。
篠崎くんは今日も購買戦争に敗北したらしく、自販機で買ったブラックコーヒーを手にしている。
私も一度だけお弁当を忘れて、購買で買い物をしようと出向いたことがある。
2回目から、そんな気は失せ、こうしてお弁当を持参するか、前もってコンビニでおにぎりを買うことにした。
「篠崎くんも懲りないね。コンビニで買っておけばいいのに」
「あそこのお弁当は安くておいしい。コンビニで買うおにぎり2個分が、かつ丼になるんだぞ。」
「なに、その例え」
右手に2本、左手で1本指を立て、おにぎり2個イコールかつ丼の説明を、ジェスチャーでしてくれる。
あまりに真剣な顔で説明するので、可笑しかった。
やっぱり、篠崎君は独特の感性、いや変な人だ。
「はい、もしよかったどうぞ。」
お弁当の蓋に卵焼き、ブロッコリー、プチトマトを置き、おにぎりを一つ渡す。
購買戦争で負けた時は、こうしておかずを分け与えるのが習慣になっていた。
篠崎くんは、最初こそ申し訳なさそうにしていたが、今では「ありがとう!」と素直に受け取る始末。
(美味しそうに食べるところは、健太と一緒。)
だし巻き卵とほおばり、めいっぱいにおにぎりをほおばる。
「ほら、ご飯粒ついてる。こっち向いて」
顔についた粒を摘み、自分の口に運ぶ。
本当に子供みたい。
すると、篠崎くんと目がある。
一瞬ではなく、じっと目が合い続け、おにぎりをほおばる手が止まっていた。
「な、なに?」
「い、いや。何でもない、別に。いつものやつか…」
何だったのだろう、勝手に納得した様子で、再びおにぎりをほおばる。
こちらは腑に落ちず、説明を要求するように、じっと目を細め訴えかける。
居心地悪く、視線が空をさまよっており、篠崎くんは話題をすり替えるように質問してきた。
「そういえば、上原って大食漢?」
「…は?喧嘩売ってるの」
私の感情を動かすのが得意らしい、負の感情を。
「いや、いつも大きいお弁当箱もってきてるから。俺がおかつ貰わない時もちゃんと完食してるし、そうなのかな~って」
「ねぇ、それ本気で言ってる?」
質問の意図が理解できないのか、小首をかしげる。
入学当初使っていたお弁当箱は、茶色で角が丸く、理科の実験で使う屈折レンズを太らせた形状をしている。
ご飯を半分いれて、3~4種類のおかずをいれれば一杯になってしまう程度のサイズ。
しかし、今目の前に置かれたているのは、黒に白のパッキンと、両サイドについた取っ手で蓋を閉めるものになっており、おかずのみで彩られたお弁当箱にはなんとも仰々しい。
断じて、私が大食漢になったわけではない。
あと、一般的に大食漢は男性に使う言葉だ。
お向かいさんが、よく戦争に負けておなかを鳴らし、お裾分けを求めるものだから、仕方なく多めに作っているに過ぎない。
それに気づかず、あまつさえ大食漢呼ばわり。
あきれて文句も出なかった。
でも、篠崎くんらしい。
おにぎり片手に腕を組み、時折口に運んでは、モグモグしながら質問の答えを探す。
考えるか食べるか、どっちかにしなさい。
そういうと、迷わず食べる方を選択し、残りのおかずを食べ始める。
私の思い描いていた日常は、見る影もなく、塗りつぶされていた。
(お昼の時間、もう終わっちゃうな…)
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