日常4:鏡

 今でも時々、よく自分のような人間が現代社会を生き抜いているな、と思案にふけることがある。


 両親は「まだ子供だったから」で過去を片づけるが、あのまま成長していたら「思い出」ではなく「過ち」として、記憶に刻まれていただろう。


 まずは軽いジャブから。


「強く押す」と書かれた真っ赤なボタン。


 俺は書かれた文字に従い、強く押した。


 すると、学校中から騒がしいベルの音が鳴り響き、先生の顔が一気に強張る。


 クラスにいる児童を整列させ、すぐさま避難経路を渡り、校庭へと移動する。


 何事もなかったことを確認し、一旦教室に戻された後、俺だけが校長室に呼ばれた。


 母親と校長室に入ったのは、これが初めてだった。


 理由を問われ、「強く押せ」と書いてあったと告げると、校長先生は優しい表情を浮かべ、母は赤面した。


 この時、「悪いことをした」とは一ミリたりとも思っていなかった。


 次にストレート。


 テレビで双子のマジシャンが活躍していたころ、クラス内でマジックブームが到来した。


 帰り道、同じ通学路を歩く一人の児童が「小指が取れた」と言って、左手で右の小指を包み隠すように痛がり、騒ぎ立てた。


 周囲にいたサクラ児童も、「大変だ、一緒に探そう」と近所の畑を指差し、小指の捜索を申し出る。


 勿論、小指なんてお落ちていない。


 いつの間にか居なくなった児童に気づくことなく、俺は夕日が暮れるころまで小指を探していた。


 母親が心配になり、同じ学区の家を訪ね、俺がどこに行ったか聞き回ったらしい。


 それを見て焦りだした児童は、急いでネタ晴らしをしに来て、「人体切断マジックだよ、知らねーの?」と説明された。


 いったい何がマジックなのか意味不明だが、「なんて見え透いた嘘を信じたのだろう」と思う。


 それ以上に、「悪意を持った嘘をつく」児童が、俺には理解できなかった。


 最後にアッパー


 男の子の中で「ライガーボール」という、大人気のバトルアニメが流行っていた。


 強敵と戦い、一度は敗れても、最後に必ず成長して、悪を打つ。


 シンプルかつ熱い展開に、俺も夢中になってテレビにかじりついていた記憶がある。


 録画し忘れたときは大泣きした記憶も。


 ある日、学校内で人一倍自己主張の強い児童が「天下一武道会をやろう」と提案し、男子生徒はこぞってグラウンドに集まった。


 みんな「俺、○○のキャラの技使う!」「じゃあ俺変身キャラもらう!」と、好きなキャラクターになりきって、「ごっこ遊び」を楽しんでいた。


 俺の番が回る。


 対戦相手である、自己主張の強い児童が「殺す気でかかってこい」と、とあるキャラクターの手招きするポーズを真似して言う。


「殺したら反則負けだよ」と教えてあげたら、「空気が読めないやつ、本気でやらないと意味ないだろ」と、今度は素で返された。


 次の瞬間、「彼の首元」に「俺の両手」があった。


 人間、極限状態に追い込まれると力の枷が外れるのか、えぐられた爪の傷は残ったままだ。


 最初は周りも傍観していたが、相手の顔色に急速な「焦り」が見え始めたことと、一切手の力を緩めようとしない俺を見て、何人かの児童が仲裁に入る。


 その数日後、最後の校長室訪問を果たし、小学校を卒業した。


 その頃には、「はい」「いいえ」で割り切れない答えがあることに、気付く。


 それでも、ダメなことをしている自覚は無かった。


 ただ、泣きながら「何で周りと違うんだろうね」という母親を見て、胸が、焼かれるように、痛かった。


 その頃からだ。


 母が俺に「この本面白そうだよ」っと勧めるようになったのは。


 今思えば、少しでも世間とのズレを埋めるために、必死で考えた治療法なのだろう。


 しかし、以外にもそれが功を奏したといえる。


 本当に偶然としか言いようがないが、著書:「」を読んで、俺の行動は変化した。


 禅問答のような自己啓発本に書かれていたのは、「自分の周りを取り囲む人は、自分にとって都合のいい事を言ってくれるである」といった内容だった。


 まるで、白雪姫に登場する「魔法の鏡」。


 もしかすると、鏡を求める人間はみな、醜い魔女の末裔なのかもしれない。


 魔法の鏡は魔女に真実を告げ、本当に美しい存在は白雪姫であると知り、鏡は割られ、白雪姫は殺された。


 なら、「ただの鏡」になればいいと思った。


 そうすれば、きっとみんなと同じになれる。


 これを読んだ次の日から、鏡になることを徹底した。


 誰が鏡で、誰を映し出しているのか、観察した。


 最初は鏡になり切れず、魔女の怒りに触れることもあったが、そんなときは周囲の鏡を真似した。


 鏡はいくらでもあるのだから。


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「お兄、姫歌、顔洗いたいんだけど」


「あ、ごめんごめん。ちょっとボーっとしてた。」


「大丈夫?。キョーホ?大会の特訓で疲れてるんじゃないの?」


 水道を栓を上にあげたまま、鏡を見つめていると、妹が心配そうに声をかけてくれる。


「ありがとな、心配してくれて。」


「べ、別に!お兄がそこに突っ立ってると、姫歌がお顔洗えないだけだもん。」


「べ、ベタだなー。漫画でも最近見かけないぐらい、ベタなツンデレだな。」


「デレてない!」


 鼻を鳴らし、いそいそと顔を洗い始める。


 昔は素直にあまえてきた妹も「恥じらい」を感じるお年頃になってきたのだろうか。


 何を言うにも「べ、別に」が枕詞につく。


 それでも、兄を心配する心の優しい妹であることは変わらない。


 感情の出し方が、少しだけ遠回りになっただけだ。


「わかってる、ありがとう。」


 優しく頭を撫でると、「髪、乱れちゃう…」と言いながらも、大人しくうつむく妹が、とても尊かった。


 俺にはできなかった「普通」を、妹は順調に歩んでいる。


 うちの高校では制服、またはジャージで授業を受けることになっている。


 1限目が体育でない限り、制服を着て登校するのが当たり前だが、最近は毎日ジャージで登校していた。


 車庫に置かれた自転車も、何週間と乗っていない。


さとし、山登りって明日だったよね。お昼はどうするの?」


 台所から現れた母は、両手に目玉焼きのとレタスの乗ったお皿をテーブルに置き、声だけで質問する。


「山登りじゃなくて、強歩大会ね。お昼は…食べてくるからお金だけ頂戴。」


「りょーかい、朝はかつ丼にする?」


「やめて、動けなくなるか」


 いつも通りの朝の雑談。


 なのに、ついさっきまで昔の記憶に浸っていたせいか、少しだけ涙が出そうになる。


(姫歌の言う通り、疲れてるのかもな…)


 たっぷりの醤油をほぐした黄身にしみこませ、ご飯と共にかきこみ、急いで学校に向かうのだった。


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「よっ、おさぼりさん」


「…鏡でも見てきたら?」


 特別教室のを開けると、いつもの窓際席に、上原がいた。


 横目でこちらを視認すると、すぐにブックカバーのかかった文庫本へと視線を落とす。


 その向かい席へと座り、いつも通りの空間が出来上がる。


 なんでだろう、いて欲しいと思った時によくいる気がする。


「今日は少し寝坊して、1限目に間に合わなかったんだ。」


 カバンの中から文庫本より少し大きめの箱を取り出す。


 蜷局とぐろをまいた深い赤字で"Blade Dance"と書かれている。


 それを見ると、上原は本に栞を挟み、バックへとしまう。


 箱の開け、おもむろに中身を広げると、互いにダイスとボード、山札となるカード選び、準備を進めた。


 以前、面白そうとジャケ買いした対人戦用カードゲーム。


 トレーディング要素はなく、40枚のカードのみで完結するこのゲームは、一度ルールを覚えてしまえばそれ以上お金をかけることなく遊べるので大変お得である。


 俺と上原の密かなプチブームであった。


「そのまま教室に入ればいいじゃない。」


 あらかた準備が終わったにも関わらず、水を差すような横やりを入れる。


「授業中の教室に割って入るのって嫌なんだよ。」


 視線が集まる感じとか、先生に目を付けられる可能性とか。


「あなたの席、後ろのドアのすぐ近くじゃない。気にすることでもないでしょう。」


 確かに、一番後ろの席である俺は、こっそりやり過ごせる可能性があった。


 対して、上原の席は教室の入り口から最も遠い窓際で、一番前の席。


 教壇を突っ切らないと辿り着けないので、俺の席よりも視線を集めやすいだろうが、上原は「なにか?」と視線で訴え、何事もなく席に座りそうだ。


「かもな。でもこうして上原と遊べるわけだし、結果オーライだろ。さて、始めようぜ…、顔赤いぞ、大丈夫か?」


「な、何でもないから。始めましょう」


 急いで手札を引き、その背後に顔が隠れてしまった。


 何だったのだろう。


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「お気の毒の刃で攻撃!」


 カードを突き出し、必殺技を繰り出す勢いでカード名を宣言する。


「…何もありません。負けました。」


 ふるふると手札をわななかせ、上原は素直に負けを認めた。


 持ち主である俺に一日の長はあれど、実力はほぼ互角。


 ぶつぶつと、「あの時あれを選んでいれば」、「魔法主体で攻めていれば」と一人感想戦を繰り広げている。


 上原の勝負に対する執念は、鬼気迫るものがある。


 要は、負けず嫌いなのだ。


「オセロとか将棋では勝てないけど、こういうゲームは俺の方が得意みたいだな。」


「…私も同じの買おうかな」


「いやいや、言ってくれれば貸すって。」


 ブレザーからスマホほ取り出し、ショッピングサイトを開き始めたのでやめさせた。


 家で一人、ひたすら研鑽を積む姿が容易に想像できる。


「そういえば、明日は強歩大会だな。上原は運動得意な方?」


 ちょうどいい話題があったので、意識を誘導させる。


 顎に手を当て、逡巡する。


「悪くはないと思う。中学でバスケットボールやってたから、走るのには慣れてる。」


「それは凄そうだ。女子の中でトップになれたりしてな。」


「そんな簡単じゃないでしょ、全学年合同でやるんだから相手に上級生もいる。なれない山路を走る私たちとは経験も、体力も違う。」


 淡々と理路整然に言葉を並べる。


 強歩大会は浅間山路:往復21.6キロを走る、うちの高校伝統行事。


 "桜が満開のこの時期に、景色を楽しみながら汗を流そう!"と、学内新聞や学校ホームページにでかでかと宣伝されているが、絶対生徒数減るから辞めておいた方がいいと思う。


「というか、強歩大会は真面目にやるのか?」


「何その質問、普段真面目にやってないように聞こえるんだけど。」


「いや、鏡見て来いよ…。」


 授業中に教室で授業を受けていない生徒を、世間一般では不真面目という。


「私、順位が付くことって嫌いじゃないの。強歩大会は全校生徒で行うから、自分がどのぐらいの実力を持っているか測れる、滅多にない機会。それに!」


 カバンの中から一枚のチラシを引っ張り出し、とある記事を指差す。


「上位入賞者限定、"ごろっとイチゴのマリトッツォ"の予約券配布…、なにこれ?」


「知らないの?購買で超不定期に数量限定で売り出される"ごろっとイチゴのマリトッツォ"。事前告知もなく売りに出さ、卒業するまでに一度口にできるかどうかとさえ言われている伝説のスイーツ。今年から景品として配られることになったらしいの。」


「それまた、何で?」


「さあ?みんなやる気がないからじゃない?」


 ああ、すっごい納得した。


 花粉症と文化部と帰宅部にはデメリットしかない行事だし。


「上位って、何位まで?」


「男女別々で、トップ30よ。」


 全校生徒600人の半分、ようするに上位10%にランクインする必要がある。


 先ほど、上原本人が上位に食い込むことの難しさを語っていたというのに、目標がずいぶん高いこと。


「さすがに厳しいんじゃないか?3分の2は上級生なわけだし。」


「抜かりはないわ。全校生徒の占める運動部所属比率は約3分の1、女子だけ見れば100人程度。そのうち、マネージャーとして所属している生徒は約1割。卓球部や弓道部はそこまで脅威にならないだろうし、うちのバスケ部とテニス部は毎年一回戦負けの弱小部活。強敵になりそうな陸上部とバレー部も、全員合わせて20人程度。つまり、十分上位入賞を狙える可能性がある。」


 先ほど同様、理路整然と思惑を語る。


 勝つための努力を怠らない、実に上原らしい行動と、その目的が"ごろっとイチゴのマリトッツォ"という、SNS女子が飛びつきそうなデザートのためだと言うのだから、大変おかしい。


「なによ、何か言いたいことでもあるの。」


 異様に静かなお向かいさんを不思議に思ったのか、こちらへと視線を向ける。


 低い声で問いただされ、自分が苦笑していることに気づく。


 握りこぶしまで作り、明日にかける思いを語る上原に、今考えていたことを伝えたら、きっと紅葉する。


「いや、なんでもないよ。俺も頑張ってみようかなって思っただけ。」


「え、あなたも"ごろっとイチゴのマリトッツォ"を狙っていたの?」


「そこじゃないってっ」


 反射的に問われた質問に、今度はこらえきれず声に出して笑ってしまった。


 上原は、上原だった。


 鏡であることに徹し、やり過ごすように中学を過ごした俺とは、違う。


 家族のためと言い聞かせ、周りと同じになることを選んだ俺とは、違う。


 でも、いやだからこそ、この空間、この時間だけは、人間でいたい。


 我儘になった自分が、とても、狂おしいほど気持ち悪い。


 今はそれでもいいや、と笑った。

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