日常3:距離感
この学校では、3時限目の授業が終わると戦争が始まる。
購買戦争だ。
うちの学校には食堂がなく、玄関近くに施設された小さな購買が一つだけ。
コンビニは学校を出て徒歩10分程度の場所にあるので、わざわざ学外にお昼を買いに行く生徒は珍しい。
「なら予め買っておけばよくない?」
決戦前最後の休憩時間。
財布の中身を確認する姿を見て、川崎が聞く。
ひょいと、俺の机に置いてあるティッシュ箱から一枚抜き取り、チーンと鼻をかみ、鼻を赤くしていた。。
わざわざ後ろを向き、俺のティッシュをくすねるそいつは、同じ花粉症仲間として同じ苦しみを背負う同士。
1代目、前の席こと相模に変わる「2代目、前の席さん」だ。
川崎は自分でお弁当を持参するため、購買を利用することがないらしい。
お昼の時間限定で解放される購買は、買い弁する生徒でなければ訪れる機会もないだろう。
「そうか2代目、お前はあのお弁当を食べたことがないのか。そうかそうか…」
腕を組み、顎を軽く上下に振って、分かり易く頷いて見せる。
川崎は両腕に顔をうずめ、面白くなさそうに視線を細め、下から見上げてくる。
「なにさ、自分だけ知ってる風な態度取っちゃってさ、つまんなーい」
「実際、知っているからな。あとティッシュの2枚取りやめて、すぐなくなっちゃうでしょうが。」
「なにそれ、篠崎ってうちのお母さんみたい。」
何気ない一言がツボにはまったのか、眉がハノ字になり、悪戯な笑顔を向ける。
もともと童顔なのも相まって、その表情は妹と重なるところがある。
初めての席替えから幾ばくも時がたってないにも関わらず、川崎の距離は近い。
物理的にではく、心理的に近い。
勿論、俺が巧みなトークスキルを発揮し、心の距離を縮めた訳でもなく、川崎が俺に好意をもって接近した訳でもない。
「心の距離」に対する、固定観念がずれているのだろう。
川崎にとっての「クラスメイト」は、俺にとっての「友達」にあたるぐらいのずれがある。
思春期男子にとっての「勘違い」にどぎまぎしないのは、川崎の観念を理解しているからだろう。
一歩間違えれば、「俺の事、好きなんじゃね?」と勘違いしかねない、そんなずれだ。恐ろしい、俺でなければ勘違いして告白するところだった。
「今度、私のお弁当とおかず交換しようよ。」
「かつ丼のかつに値する主菜が、2代目のお弁当に入っているのかな?」
「むむ、意地悪だな。卵焼きでどうだ!」
「それ、全然釣り合ってないからな。もう少し肉感のあるものにしてくれ。」
「甘い!私の作る卵焼きは「だし巻き」だよ!」
全然甘くない提案に、少し心揺さぶられる。
「どうだ、まいったか」と、腰に手を当てる仕草は実にかわいらしい。
最近、妹のリクエストに合わせて味付けをすることが多い篠崎家では、しょっぱいものが食卓に並びずらい。
父の高血圧も後押しし、「塩分が1/3、でもおいしさ倍増!」のレシピ本が大活躍している。
音階みたいな芸名の人が書いた本だったはず、ドレだかミレだかシドーだか。
魅力的な提案に、交換条件の承諾を決めあぐねていると、3限目の開始の鐘がなる。
急いで数Ⅰの教科書を取り出し、昨日の課題のページを開く。
急いで教科書を広げたため、机の端においたティッシュ箱を落としてしまう。
周囲の視線が一瞬だけこちらに向くが、音の正体を確かめると、興味をなくし、視線を戻す。
目の前の川崎だけが視線を戻すことなく、手をぐっと伸ばして、ティッシュ箱を拾い上げてくれる。
「これで少しオマケしてね。」
普段、散々オマケしてるだろ。
皮肉を言い終わる前に、前方から注意が入り、言葉をしまった。
川崎にはもう少し、パーソナルスペースを広く持って欲しい。
早いうちに、校舎裏で撃沈する男の残骸が、後を絶たなくなりそうなので。
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「ねぇ、その
「冷たい…、上原が冷凍食品の詰まったお弁当を見せつけて、冷たいことを言ってくる。」
「れ、冷凍食品は関係ないでしょ!あと、見せつけてもいない。」
お弁当を隠すように、腕で覆うような格好で食事を続ける上原。
まるで早弁を隠そうとしているようだった。
見た目優等生なだけあって、その姿は少し新鮮である
購買戦争から早5分。
3限終了の同時に、いち早く教室を抜け、戦線に向った俺は、見るも無残に敗北した。
上下左右から押し寄せる、レスリング部の群れはまさに肉壁。
あのままいたら、四角いキューブになっていただろう。
結局、お目当てのかつ丼はおろか、何も成果を得られず、敗北者の烙印だけが押された。
(背中を踏んだやつ、顔覚えたからな!)
そんなこんなで今に至り、水筒のお茶をチビチビと、口に運ぶのだった。
胃が食べ物を欲し、服の虫がとめどなく音を奏でる。
視界に映る色鮮やかなおかずの数々。
いつもなら美味しそうに映るおかずも、今の俺には毒でしかない。
意識しないよう、視線を外す。
それでもこの狭い教室の中、匂いまで意図的に避けることはできなかった。
(なぜ、なぜ今日に限って、抗生物質の効き目が良いんだ…。いつもは全然効果ない癖に。)
この時期、耳鼻科で貰えるだけの抗生物質、点眼約、点鼻薬を処方してもらう。
病院に行くのは少し面倒だが、薬局で買えば約3倍近い値段を支払うことになるので、多少無理をしてでも処方箋を貰いに行く。
まさか、それがあだになるとは思いもしなかった。
色とりどりのおかず、塩コショウで味付けされたであろう香ばしいベーコンの香り、アスパラを食べる
視覚、臭覚、聴覚の三重奏が、より一層の音を奏でる。
水筒のお茶は底をつき、とうとう虫の機嫌が抑えられなくなる。
…ティッシュは口に入れると、ほんのり甘い味がするって聞いたことがある。
「はっ、何を考えているんだ俺!」
思わず手に取りかけたポケットティッシュを戻し、自分で自分を叱る。
突然の奇声に驚いたのか、上原の視線は戸惑いを隠せていない。
(自販機でコーヒーでも買って、少しでも紛らわせよう。)
スクールバックから財布を取り出そうと、中身をあさり始めたところで声がかかる。
「少し、食べる?」
思わぬ助け舟に、手が止まる。
向かいに座る席の主は、「しょうがないな」とついついダメ男を生成する、甘やかし系女子のそれだった。
ただ、空腹を自制できないダメ男は、その案にのっかる。
腰を浮かせ、少しだけ前かがみな姿勢で、箸に挟んだベーコンのアスパラ巻きを差し出してくる。
「はい」と、差し出されたおかずをパクリ。
美味しい、空腹という極上のスパイスがかかっているだけあって、そのおいしさはキャビアに勝るといっても過言ではない。
食べたことないけど。
若干の空腹を満たし、脳が機能を取り戻し始めると同時に、あることに気づいた。
パクリ、と食いついてしまったあとで、パチクリと目をしばたたかせる。
(これは、世間でいう「あーん」なのでは?)
こちらの表情の意図が読めず、「もう一個欲しいの?」と見当違いの質問が投げられる。
お腹は空いているので、あながち見当違いではないが。
川崎同様、上原も距離感がおかしいのだろうか?
普段の上原からは考えられない行動に、未だ溜飲が落ちずにいた。
そんな俺を置き去りに、上原は再びおかずを目の前に差し出された。
「ん?タコさんウインナー?」
差し出された箸には4本足のタコさんウインナーがいた。
海苔で作られたつぶらな瞳は、とても交友的な宇宙人みたいで、かわいい。
「随分と、おかわいいおかずが入ってるですこと。」
「こ、これは弟のお弁当のを作ったときに余ったやつ。もったいないから入れてきたの。」
別に照れることはないだろう。
たこさんに負けじと、顔を赤らめ、視線をさまよわせる。
なんとなく、先ほどの行動に合点がいった。
上原の、以上に近い距離は「姉弟」の距離なのだ。
もしも立場が逆だったら、俺も自然におかずを差し出していたかもしれない。
きっと、メンド可愛い下の子を持つ俺たちにしか分からない、そんな「距離」なんだろう。
「あーん」には一切気づかず、タコさんウインナーに照れる上原をよそに、空腹と心を満たす充足感を味わうのだった。
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