日常2:近くて、遠い(加筆修正版)
普段本を読まない母も、毎月一度は購読している雑誌を買いに、近くの書店へと足を運ぶ。
お店に入ってすぐ右隣りにある雑誌コーナーへ向かい、そのままレジに向かうため、お店の棚の半分も場所を把握していない。
無駄な事を楽しめない、父とは真逆の性格なのである。
そんな母が「面白そうな本があったから、買ってきた」と、ろくに中身も確認してないであろう本を押し付ける。
雑誌はすでに取り出されており、ブックカバーのかかった厚みのある本が一冊だけ。
一緒に入っていたレシートには、「世の中のすべては数字でできている」:税込み2420円と「天然生活」:590円と書いてある。
そのレシートから大体の行動軌跡を思い描ける。
「今週の売れてる本」とポップが張り出されているレジ前のコーナーで足を止めたのだろう。
本屋の企業努力といえばいいのか、それとも母が影響されやすい人なのか。多分、後者だった。
「お母さん、自分が読みもしない本を人に勧めるのはやめてくれ。あと、こんな本買ってくるんじゃなくて、2500円分俺のお小遣として渡してくれよ。」
手のひらを突き出して、金銭を要求するが、優しく手のひらをはたかれて、引っ込められてしまった。
「そんなことしたら、カードやらゲーム機やら買って無駄使いするでしょ。お金だって無限に沸いてこないのよ。それよりほら、面白そうじゃない。この前買ってきた「文章は3行で撃て!」も面白かったし。」
無駄遣いについて苦言を言いたかったが、ゲームをしない母にとって、これらすべては「無駄なもの」であり、変わらない価値観なのだ。
ゲームの楽しさを知ればそれも変わるだろうが、「未知の物」に一切触れようとしないのが、母である。
「たしかに面白かったけど、お母さん読んでないじゃん…」
そうじゃないんだよな、と心の中でぼやく。
これをいっても、母には理解を得られないからだ。
本を読むことは嫌いじゃないし、むしろ好きな方である。
だが、読んだ後の余韻を楽しむよりも、同じものを読んだ人と感想を共有する事の方が、俺は好きなのだ。
たとえ感想が違ったとしても、俺とは違う「解釈」を持ち、違う現実を知ることができる機会だから。
本を読むのだって、「知らないを知れる」ところが、一番の理由で、要因である。
「読んだら内容教えてね。」
「自分で読みなさい。」
この会話も何度目か。
棚に並ぶ面白タイトルの数だけ、繰り広げた光景。
冬の時期が過ぎ去ったというのに、未だ片づけられていない炬燵。
炬燵の上におかれた魔法瓶からケーブルを引き抜き、玄米茶のティーバックが入った小分け袋を一枚取る。
裏面にかかれた「今日の俳句」が、俺の小さな楽しみだった。
今日の俳句:「ふきげんな、
想像力豊かで、和やかな俳句だ。
中学生の俳句とは思えない、聞いているとその光景がアニメーションのように流れ込んでくるようだった。
それと当時に、ついこの前みた上原の顔が、頭に思い浮かんだ。
(上原も顔真っ赤にしてて、河豚みたいだったな。)
赤く膨れ上がった頬は、思わずつつきたくなる衝動を駆り立てる。
つついたらきっと、ハリセンボンのように棘を突き刺すだろう。
マグカップにお湯を注ぎ、二階の自室へと向かう。
昔は高いと感じた階段を、2段飛ばしで上がっていく。
中学受験を理由に妹と別になった部屋は、今も一人部屋のままだった。
時折、扉をゆっくりと開けて「暇なんだけど」と、遊んでほしそうに尋ねてくる妹も、今は友達の家に遊びに行っている。
静かな空間に、白い湯気と茶の香りが部屋を満たしていく。
絶好の読書日和だった。
「これで明日が休みなら文句なし、かな」
ペラ、ペラと、紙のこすれる音だけが聞こえる。
この世界の片隅で、一人と1冊の本だけが、そこにある。
織りなす二つの音だけが、ただただ世界を満たしていった。
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
「ふあぁぁぁぁん。。。」
気の抜けた欠伸が周囲に伝染する。
疲れ目をこすり、黒板の文字を、ただひたすらに書き写す。
頭に入ることなく、食品製造工場のライン作業のように、左から右、また左から右へと無心で筆をはしらせる。
約1ページ分の板書を書き写し、この時間のノルマを達成すると、睡魔が突如押しよせ、思わず机へと突っ伏した。
勢いよく顔からダイブしたため、「大丈夫か?」と前の席のやつが声をかけてくる。
多分、これが3回目となる会話の返答が「おう、寝不足でな」で終了した。
次の授業までの、わずかな休憩時間。
今の疲れた体を癒すには、到底時間が足りない。
だが、このあとに待ち受けているのは「学活」もとい「席替え」だった。
入学当初のまま、あいうえお順に並んだ座席。
「篠崎」はやや左寄りの、後ろから2番目の座席を示す名前であり、前の席は「相模」とか言ってたはず。
短い休み時間が終わっても、教室の中は席替えの話題で盛り上がっていた。
こういうところは、高校生になっても変わらないらしい。ちょっと前のことなのに、とても懐かしい気分になった。
「席につけ~、さっそく席替えをはじめるぞ~」と、担任の坂口が名簿順にくじを引くよう、指示を出す。
お菓子箱の蓋に入った、不揃いな30枚の紙の束。
黒板には座席番号が印刷されたプリントが張り出され、前から順に1番、2番と並び、5番まで繰り返した来たところで、前から再び折り返す列順。
つまり、5の倍数が最後列、あたりくじだ。
「あいうえお」で始まる苗字の生徒が先に並び始め、先頭の女子の後ろに、「上原」がいた。
上原はくじを引くと、その席番を確認することなく静かに席に座り、文庫本を開く。
あとから引きに来た生徒はがくじの番号を照らし合わせ一喜一憂しているなか、ただ一人静かにページをめくる。
まるで、彼女の机だけ教師から隔絶されているかのように。
(あいつ、宝くじなんて絶対買わないんだろうな。)
年末恒例、ジャンボ宝くじを買う人の行列を眺め、「お金の無駄」とか思ってそう。
根拠のない偏見だが、どこか確信めいたものがある。
前の席が立ちあがるのをみて、俺も席を立った。
数の減ったくじを、しゃかしゃかと振る先生。
「どれがでるかな~」と、夏祭りのくじ引き屋みたいな口調だった。
夏祭りのくじ引きなど、はずれを引いた記憶しかない。
箱の隅に挟まった紙を引き抜き、番号を確認する。
「30」と書かれた番号は、引きたかった1等当選番号。
それどころか、一番出入口の扉に近い後ろの席。大当たりだ。
(やった!これで寝ていても、簡単にはばれない!)
内心で大きくポーズをとる。
バク転と4回転アクセルを交互に繰り返した後、全員がくじを引き終えたことで、座席移動が始まった。
俺の座席は左後ろから右後ろへとスライドするだけなので、移動は手短に終わる。
ふと、昨日の本の内容が浮かぶ。
世の中のすべては数字でできている
この本の中で、人間の世界は数字によって成り立っていると、語られていた。
年齢、身長、体重など個人を表すステータスから、国道の番号、住所の番地等の身近なものまで、すべてが数字で成り立っている。
ことクラス内の座席順も、数字の上に成り立っていた。
中でも面白かったのは、「人間の心の距離は、数字で成り立っている法則」。
仰々しい法則だが、距離と時間に相対性があるという意味らしく、一言でうと「昔の友達 < 今の友達」ということらしい。
(この法則に当てはめると、真ん中の席は友達沢山ってことになるのか?)
逆説的に、端っこはボッチ?
少なくとも前と横の席とはティッシュ一個分の距離で繋がっているので、ボッチではないか。
となると、一番心の距離が遠いのは誰だろう?
四角形の対角に位置し、俺から最も遠い席にいる。
少しだけ背伸びをし、前の席に座る生徒を確認する。
すぐに気づいく。「上原」だった。
先ほどと変わらぬ姿勢で本を読む姿は、「窓際の令嬢」とでも言い表せそうなほど、気品と大人っぽさがある。
風で揺れた前髪を抑え、耳にかけえる仕草は、非常にそれっぽい。
もしかすると、前世はご令嬢だったりするのだろうか?
何も知らないがゆえに、憶測が宙を舞う。
(それにしても、一番遠いのが「上原」か。)
思わず口角がゆるむ。
特別教室での距離と、クラス内での距離。
一番近くて、一番遠い。
この距離間が、どこかいまの俺たちを正確に表現しているようで、可笑しかった。
きっと特別教室で、本の話の続きをするだろう。
あーあ、昼休みはまだだろうか。
待ち遠しい。
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