日常1: 春、出会いはバトルと共に(加筆修正版)

 うちの母はインターネットが嫌いだ。


 インターネットに限らず、未知のものに触れることを過度に避けようとする。


 俺にとっての「当たり前」が、母にとっては「未知の存在」に見えるようだ。


 それを否定するつもりはない。


 価値観は人それぞれだし、一概に古いイコール悪いものと決めつけるのは早計である。


 ただ、VHSをDVDに、DVDをブルーレイに買い替える時でさ、この価値観を持ち込むのは辞めてほしい。


 友達に借りたアニメのブルーレイディスクを、1話もみることなく返却したことは、今でも忘れられない。


 そんな母も、高校入学が決まるとスマートフォンを買い与えてくれた。


 勿論、母が肝要になった訳ではない。


 人の価値観は、簡単に変わらないし、変えられない。


 だから交渉を持ち掛けた。


 県内でも有数の公立高校への入学を条件に、スマートフォンの購入を申し出たのだ。


 いわば俺の実績、努力の賜物たまものといったところか。


 高校入試の合格発表が終わると同時に、母と共に携帯ショップへ直行したのを覚えている。


 合格の喜びを分かち合うでもなく、すぐさま携帯ショップへの直行を進言する息子に「風情のない子」と言われたが、受験という暗く、光明見えないトンネルの中をひたすら歩いていた期間を思えば当然の行動だった。


 店に着くなりショップ店員が現れ、慣れた手つきでタブレットを操作し、契約プランの説明をしてくれたが上の空。


 正直、大きい画面に黒色のスマホであれば、他は些細なことと聞き流していた。


 隣の母も、「じゃあそれで」と言われるがまま、電子契約書にサインする。


 後日、オプションマシマシの高額料金プランに設定していたと判明し、ひと悶着あったが、「契約書はちゃんと読め」といういい教訓になった。


 母に「これだから携帯ショップは嫌なのよ。」と小言を言われたが、生憎耳には入ってこない。


 スマホという、インターネットへの住民権を手に入れ、浮足だっていたからだ。


 高校入学までの約二十日間、スマホで遊びつくそうと考えていた俺は、兼ねてより遊んでみたかった「バケモンGo」をインストールし、街に繰り出すのだった。


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 意識が変わると世界が変わる。


 苗字に蔵がつく著者が、そんな本を執筆していた。


 読んだことはないので、本の趣旨とは異なるかもしれないが、その通りだと思う。


 毎日通っていた通学路は、ファンタジー世界での「始まりの地」と名前が付きそうなマップに変貌する。


 スマホを通した景色には、デジタルで脚色された別世界が広がっており、草むらに、岩陰に、標識の裏に、いたるところにバケモンが潜んでいる。


 今までゲームの中でしか存在しない、一枚のデジタルイラストだったものが、画面の奥で元気に動き回り、飛んでいる姿に心が浮き立つ。


 主人公が冒険に出かける日、きっと世界は鮮やかに色づいていたに違いない。


 真っ白な図鑑を一つずつ埋めていく姿はまさに、「冒険」そのものだった。


(冒険、なんて子供っぽいかな)


 普段自転車で通る道を、ゆっくり、じっくりと探索する。


 時にはバトルをし、時には触れ合いを楽しみ、冒険を隅々まで堪能する。


 頭の中には当時のアニメ主題歌が再生され、気分は主人公そのものだった。


 しかしこのアプリ、一時期はあまりの人気に「迷惑系トレーナー」が全国に出没していた。


 一般家庭や立ち入り禁止区域への不法侵入、画面を注視しすぎて対向車に気づかず交通事故。


 世間から「サービスを停止させるべき」と報じられたこともある。


 大人たちは何故間違った使い方をする人間ではなく、道具そのものを規制するのだろう。


 全世界の包丁を規制してから、その発言をしてほしいものだ。


 周囲に迷惑をかけないよう、最大限の注意を払い、ルールを守ってバケモンゲット。


 10年来のベテラントレーナーである俺は、その点しっかり守って冒険するのだった。


 始まりの地を探索し終え、近所の公園にある3人掛けベンチに座り、集めたバケモンの確認をする。


 昔より、少しだけ歳を重ねた木造のベンチは、腰を下ろすと軋む音がした。


 古くなったのか、それとも体重が増えたのか。そのどちらもだった。


「ここら辺の常時出現しているバケモンは一通り集めたな。イベント限定、時間帯限定のバケモンはまた今度にするとして、あと行けそうなマップは…」


「なあ兄ちゃん!バケモンやってるのか!」


 元気のいい、というよりやかましい声が、耳元で響く。


 キーンと、耳鳴りがした。


 反射的に両耳を塞ぎ、声とは反対の方向へ飛びのく。


「うるさっ、」


 視線の先には、ゲームの世界からそのまま飛び出してきた風簿で、ベンチに仁王立ちする短パン小僧の姿があった。


 まだ春風も冷たい時期だというのに、その姿はまるで風の子のよう。


 どちらを先に注意すべきか悩み、踏まれた思い出の方を先に何とかする。


「こらこら、ベンチに足を乗っけるんじゃありません。次座る人のお尻がドロンコまみれになっちゃうでしょうが。」


「あ、ごめんなさい。」


 ささっとベンチから足をおろし、手で軽く土を払う。


 素直に言うことを聞く、いい子だった。


 自分の小学生時代は、何かにつけて反抗していた気がするので、今どきの子供は偉いと感心する。


「それで、バケモンやってるの!」


「ん、バケモンGoな。最近始めたんだ。」


「いいな~。俺、スマホは中学からって言われてるから、switchでしか遊べないんだよ。」


 なん、だと…


 なんて羨ましい家庭、もとい教育方針なんだ。


 あまりの衝撃にガラスの破壊音が聞こえた気がする。


 中学生でスマホ?


 うちの親だったら絶対考えられない。


「俺の友達、みんなスマホかタブレット持ってるから、俺だけバケモンGoの話できなくてつまんない。」


「マジか!」


 今度は驚きを隠しきれず、思わず大きな声が出てしまった。


 短パン小僧も驚き、「どうしたのお兄ちゃん?」と不思議そうな目で、こちらを見つめてくる。


「今どきの小学生は進んでるな…」


 この歳で、「今どきの○○は~」なんてフレーズを使う時が来るとは…、恐ろしい時代になったものだ。


「兄ちゃんはswitch版持ってないの?」


「いや持ってるぞ。ついこの前までスマホを買ってもらえなかった家庭だからな。こっちの方がずっとやりこんでる。」


「マジでか!じゃあやろうやろう!バケモンバトル!おれめっちゃ強いんだぜ!」


「えぇぇ…」


「こわいかお」、ではなく「いやなかお」を繰り出した。


 短パン小僧は逃げ出す、訳もなく、遊び心を一層強く引き出してしまったようで…。


「ねえねえやろうよやろうよ、俺強いよ手加減するから、お願いお願い!」


 服の袖をこれでもかと引っ張り、全身で左右に揺さぶってくる。


「分かったから、強く引っ張るのは止めて!服が伸びちゃうから!」


「ほんと!やったー!」


 遊んでとせがむ姿に、妹の面影が重なる。


 時代が変わっても、小学生の無邪気さは変わらないようで、どこか安堵する。


 今年小学2年生になる妹も、遊びを断られると不機嫌になり、よく服の袖を引っ張ってくる。


 ほとんどの確率で根負けするか、母親に「お兄ちゃんなんだから、面倒を見なさい」と強制され、渋々快諾する。


 ただ、面倒なのはこの後で、もしも短パン小僧が妹と同じだった場合、後にまつのは「ぐずり」だ。


 うちの妹は、負けるとまず泣く。


 大声で泣くのではなく、静かに唇を噛みしめるようにほほを濡らし、小一時間は自室から出てこない。


 一度、わざと負けた時があったが、見るからに不機嫌な態度へと変貌し、これまた部屋に閉じこもってしまった。


 昔はお菓子を買ってあげるか、頭をなでてあげると機嫌を直してくれたのだが、最近は「子ども扱いしないで!」と一蹴されてしまう。


 そのため、ぐずり処世術として「接待プレイ」を習得する羽目になった。


 大人になれば「接待飲み会」「接待麻雀」「接待ゴルフ」、接待はついて回るものだが、長男も同じらしい。


「どのバケモンでいこうかな~」


 楽しそうにパーティーメンバーの選出を始め、口にするバケモンはどれも伝説や幻のバケモンばかり。


 こうして、史上最強の短パン小僧との一戦が始まった。


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「ひっぐ…、えっぐ…、くうっ くっくっ ううっ うっうっ」


 目元を赤くはらし、ゲーム画面は大粒の涙で覆い隠され、何も見えなくなっている。


 涙でぼやけたLOSE画面のまま、数分が経過したころだろう。


 先ほどまで、元気いっぱいではしゃいでいた子供の姿がまるで嘘のよう。


 風の子から風要素がなくなり、ただの子供へとなってしまった。


 結果は2対3の辛勝。


 こちらが先に2匹のバケモンを倒し、最後に出てきた伝説バケモンに3体倒されてフィナーレ、という筋書きにはならなかった。


 劇的な勝利をプレゼントし、そのまま満足して帰ってもらう算段が崩れる。


 とはいえ、途中までは順調だったのだ。


 今までの妹とのバトルが功を奏し、互いの残りバケモンが1匹になるところまでよかった。


 こちらのHPは残り僅か。


 この状況で攻撃以外の選択肢は不自然に思われる。


 かといって、素早さで優るこちらの攻撃が先に当たるのもまずい。


 それでも、相手のバケモンのHPは満タンで、こちらの攻撃力を踏まえても1撃で倒されることはない。


 勝てる、いや負けるはずの戦いだったのだ。


(まさか、急所に入るとは…)


 結果、勝負に勝ち、戦いに負ける結果となってしまった。


 10年来のトレーナー人生を歩んできた俺も、運を味方に付けることはできないのだ。


「い、いやー。危なかった!あそこで急所にならなければ絶対負けてた。君のバケモンはすっごい強いな!驚いちゃったよ。」


 頭を撫でて、彼のバケモン達がすごかった事を素直に伝える。


 実際、よく育てられており、驚かされる点は要所にあった。


 それでも、敗北したことへの悔しさから、一向に立ち直るそぶりはない。


(この状況、俺が子供をゲームで負かして、泣かせてるようにしか見えないよな…)


「健太!」


 これを誰かに見られたら、という心配は的中する。


 公園の入り口に立っていたのは、グレーパーカーに黒スキニーの女の子。


 黒く、長いポニーテールを左右に揺らしながら、健太と呼ばれた少年に駆け寄る。


 パーカーのポケットからハンカチを取り出し、目元をぬぐった。


「大丈夫?何があったの」


「ううっ うっうっ」


 うまく言葉にできない少年は、手に持ったゲーム画面を突き出す。


 そこには先ほどのリザルト画面が表示されており、俺のゲーム画面と交互に見比べると、状況を察したのだろう。


 こちらに向ける眼差しは、とうてい初対面に向けるもののソレではなかった。


「あなたが、うちの健太を泣かしたんですか。」


 愚問である。


 はたから見れば「子供を泣かしている年上」にしか見えない。


 この状況で「接待プレイをしていたはずなのに、運悪く勝利してしまった」と見えるのは俺だけらしい。


 なるほど、これぞ現代羅生門というやつか。


(過程はどうあれ、泣かせてしまったのは事実だ。謝ろう)


「ごめんなさい。」


「私とバトルしなさい。」


 謝罪とほぼ同時、この状況に限りなく不自然なセリフが聞こえた気がする。


(対戦を申し込まれた?)


 気のせいだ、と耳を疑う。


「私と、バケモンバトルをしなさい。」


 一拍置いて、間違いじゃなかったとわかる。


 俺と彼女の立つ間に戦線が引かれ、今にも対戦を仕掛ける勢いだ。


 公園に強い風が吹きすさび、砂が宙に舞う。


 まるで、開戦の狼煙のごとく舞い上がり、避けられない戦いへと昇華していた。


 今思えば、この時から始まっていたのかもしれない。


 上原彼女篠崎の関係が始まった。


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「王手、詰みね。」


「…参りました。」


(また負けた。)


 いつもの教室、いつもの顔ぶれ。


 窓から流れ込む春風は舞い散る桜を呼び込み、彼女の勝利を祝福するかのように頭上にかぶさる。


 乱れた黒髪を耳にかけつつ、頭に花びらが付いたことを教えると、それを手で払う。


 将棋、オセロ、五目並べ。


 こういったゲームで上原に勝てたことは、ほとんどない。


 こちらが真剣になればなるほど計略にはまり、盤上で踊らされているような気分になる。


 綺麗に踊らされた後、満足したのか「ありがとう、また私の勝ちね」とデザートまで添えてほほ笑む。


「上原ってさ、こういう頭脳戦だとホント強いよな。弟君と普段遊んでるから?」


「そうね、それはあるかもしれないわね。程よく負けてあげないと、もう一回、もう一回って終わらないから。」


「ああ、納得」


 どこの家庭も同じなんだなぁとしみじみ思う。


 それよか、現在進行形で続いている「もう一回」が、目の前にある。


 負けてしまった腹いせに、少しからかってみる。


「俺も、もう一回、もう一回ってお願いされててさ。」


「妹さん?でも、「接待バトルは慣れたもんだよ」って言ってなかった?」


 首をコテンっと傾げる姿は、非常にあどけない。


「いや、もっと大きな子供に、ね。」


 隠す気など一切なしに、勿体付ける言い方をする。


「大きな、子供……!」


 気づいた上原は、目を一段吊り上げてこちらを睨みつける。


 普段からクールな印象の彼女が目じりを吊り上げると、殺気で射抜かれているようで、心臓に悪い。


 このまま視線を浴び続けると、寿命が減りそうなので退散することを決意した。


 持ってきた将棋盤を折りたたみ、マグネットの駒と共にカバンへしまう。


「じゃあな、また明日」


 この後も教室で顔を合わせるというのに、「また明日」。


 この誰もいない「特別教室」で過ごす時間こそが、俺の中で一日としてカウントされているらしい。


 上原とは、言葉でいい表すのが難しい、複雑であやふやな関係。


 言葉では理解されない、俺と上原にしか伝わらない関係。


 卒業までに、この関係に名前が付くことはあるのだろうか。


 その時、二人の関係は今のままでいられるだろうか。


 でも今は、二人だけが共有し、二人だけが知るあの教室で、誰にも侵されることのない時間を過ごしていたい。


 ただただ、願うのだった。


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