上原さんと篠崎くん

黒神

エピローグ(加筆修正版)

 いつからだろう


「空気」を読むことが自然になったのは。


 空気は体を縛り付け、子供から「無邪気」を奪いとる。


 そして、いつの日か子供でない自分に気付くことなく、大人になる。


 この国では20歳を超えると無条件で大人になる。


 最近18歳に変わったらしい。


 ニュースを見たとき、「19歳は成人を迎えられず、永遠の子供になるのだろうか?」と、そんなどうでもいいことを思っていた。


 ただそうなると、高校を卒業するころには俺も立派な「大人」になるわけで。

 

 2年も早く、そして長い期間、大人でいなければならなくなるわけで。


 そんなの、御免こうむりたい。


 盤上の駒をひっくり返し、四隅の一角を制圧した。


 その色の通り、白黒をつけるゲームの対戦相手は、角を取られたことに同様する素振りもなく、顔色一つ変えず次の一手を指していた。


 俺は最低限のルールしか知らないので、上原の思惑がわからず、何の気なしに次の手を指す。

 

 手に取る駒が盤面に吸い寄せられ、指先から抜け落ちる。

 

 手軽に持ち運びができる反面、操作性の悪さが難点だ。


「なあ、大人になるって、どういう意味だと思う?」


「…急にどうしたの?」


 パチっと次の一手を指し、手番とともに質問を投げ返す。

 

 盤面は段々と、黒に近づいていた。


「高校卒業するころには18歳になるじゃん。今の成人って18歳だから、高校卒業と同時に大人になるのかな~って」


「じゃあ、なるんじゃない」


 パチ、パチと、空虚な部屋を端から端まで満たすように音が鳴る。


 音を立てるのは控えるべきなのに、名人棋士のごとく、つい鳴らしてしまう。


「大人って、政治家の都合で定義が変わるんだから、あやふやだよな。」


「そうね、とても残酷ね。子供のような大人、と揶揄されてしまう人間が生まれてしまうのに。」


 本当に残酷、とこちらを一瞬だけ覗く。


 大人の定義は知らないが、負けず嫌いが子供のステータスなら、こいつは絶対子供にカテゴライズされる。


「授業をサボって遊んでいる人も、世間一般では子供っていうのでは?」


「必要な授業日数は数えているし、欠席しても問題のない授業しかサボっていない。自己管理はできているの」


 言い終えて、先ほどまで読んでいた文庫本を手に取り、栞を挟んでいたページを開く。


 勝負の最中に読書とは、余裕を見せつけてくれる。


 こうなれば、意地でも負かしてやろう。


 そう意気込み次の一手を考えるが、黒く塗りつぶされた陣地に白が進軍する隙など存在しなかった。


 もしやと思い、盤面から顔を上げ、上原に視線を向ける。


 そこには、嘲笑まじりに鼻を鳴らす上原の姿。


 本を片手に口元を隠しているが、。こぼれでる笑みが隠しきれていない。


 顔立ちが良いので大人っぽく見えるが、やっていることは「ゲームで弟を負かす、姉」の構図だ。

 

 つくづく「子供」だと思う。


 文庫本に手を伸ばしたのは、これ以上はやっても意味がないと判断したからだろう。


 逆に言えば、それまでは真剣にこの勝負の事だけを考えていたということ。


 負かされて悔しい反面、彼女らしい姿が微笑ましかった。


「何笑ってるの?」


 本を読む手が止まり、こちらに視線だけよこす。

 

 あらぬ疑いの眼差しを掛けられ、「なんでもないよ。」と両手を振って無実を表明した。


 腑に落ちない、といったご様子。


 だが、これ以上何も答える気がないとわかると、再び文庫本に視線を落とすのだった。


 黒板の横に飾られたアナログ時計の針が、二つに重なり合う5分前。


 この、永遠のような一時の終わりを告げようとしていた。


 明日の俺も、今日と同じことを思うのだろう。


 カチ、カチと、と歯車の音が、無情にも時を押し進めるのだった。

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