日常5-1:強歩大会

 久々に乗った父の車は、タバコの消臭剤の臭いで充満しており、少し気分が悪くなった。


 ミントフレーバーと書かれた銘柄のタバコを一本取り出し、口元に加える。


「ひ、ふへへふれる?」


 タバコを加えたせいで、カ行とタ行が聞こえない。


 サイドブレーキ付近にある、小さな小物入れからピンクのライターを取り出し、火力を確認してから着火する


 大きく息を吸い、煙を吐き出す。


 なんとも恍惚とした、幸せそうな顔をしていた。


「いつも言ってるけど、子供に火を付けさせるなよ。姫歌にまでお願いしてないだろうな?」


「当たり前だ。姫歌の柔肌に火傷跡でも残ったらどうするんだ。」


「それには同意するが、その「息子」と「娘」で扱いを変えるなよ…」


 よの父親は娘に甘い。という定説は本当らしい。


「お前はもう、立派に成長したからな。」


 タバコを片手にハンドルを操作しながら、視線は正面を見つめている。


 普段お茶らけた態度を取っている父が、時折見せる真面目な表情に、少しだけ、ほんの少しだけ、かっこいいと思ってしまう。


 タバコと運転中の車中という、刑事ドラマのシチュエーション効果も相乗して働く。2割増しぐらい、かっこいい。


 すると、お願いしていたコンビニに到着し、空いたスペースへと車をよせ、バックモニター指示のもと停める。


 うちから一番近い位置にあるのは、緑の7が目印の看板を掲げるコンビニ。


 過去、午前7時から午後の11時まで営業していることをキャッチフレーズにしており、24時間営業になった今でもよく聞く耳にする。


「あ、そうだ。一緒にタバコも買ってきてくれない?」


 財布からピン札を抜き出し、笑顔で無理な要求をしてくる。


 台無しだ。


 たまに威厳を取り戻したと思ったら、すぐ自ら落としてしまうので、一向に父の威厳は中空をさまよっている。


「未成年に売ってくれるわけないだろ、一緒に行くの。俺、アクエリ買うからお金よろしく。」


「はいはい」


 俺が降りるのを確認し、父はドアに軽く触れ、短い電子音と共にカギが閉まる。


 以前教えてもらった「スマートキー」というもので、キーを持っている人が一定範囲内にいると、ボタンを押すことなく、ドアに少し触れるだけでカギが閉まるものらしい。


 車の進化も終わりがない。


 自動運転車、なんてものが登場しても、きっと別の進化を遂げて、新しいものが生まれる。


 人間も、遺伝子操作とかゲノム解析で、「進化」すればいいのに。


 そうすれば、きっと「苦痛」なんて感じることも、無くなるのに。


 >>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>


 校門前で降ろしてもらい、父はそのまま会社へと向かった。


 校門から少し歩いたところの正面玄関には、既に大勢の生徒が談笑を広げていた。


 念入りにストレッチをする者、運動するには向かないスニーカーを履いている者、リュックの中に入ったお菓子を貪る者。


 その様相から、強歩大会へのやる気度が測れてしまう。


 ある程度クラスごとにまとまっていたため、俺も自クラスの集団の近くに寄る。


「よっ」


 声を変えてきたのは1代目前の席さんだった。


 名前は…なんだったっけ?ま、いいか。


「おはよ」


「篠崎って運動部だっけ?」


 下から上へと視線が動く。


「いや、中学の頃はやってたけど、高校ではやってない。」


「へ~、でもちゃんと走るんだ。真面目だな~」


 先ほど、品定めをするよ見たのは服装だったようで、質問をしたらしい。


 適当に「だろ?」っと相槌を入れる。


 さりげなく、少し鼻を鳴らすようにおどけて見せる。


 8割方の男子はこれで満足する。簡単でいい。


「俺は2リットルのスポドリと、大量のお菓子を持ってきたんだ。これで友達と駄弁りながら、気長に歩いていくつもり。」


 聞いてもないことを、とても流暢に話してくれる。


 べらべらと、よく舌が回ることで。


 すると、その友達連中を見つけたのか「じゃ、がんばれよ」と一言いって去っていった。


「おっはよー、しーのざき!」


「うおぉ」


 背後から飛びつかれ、身体が前へよろける。


 勢いのわりに軽かったため、そのまま首だけをひねって正体を確認する。


「二代目、じゃなかった川崎」


「ねえ、前から思ってたんだけど、たまに言い間違える二代目って何?」


 ピョン、と背中から降りて、顎に人差し指を付けたポーズで質問する。


(いちいち仕草があざとい…)


「二代目ってのは、俺の前の席に座る生徒を「何代目」って言ってるだけ。そして、あの席替えの日から、川崎が二代目に就任した」

「なんだ、変な意味で言われてたらどうしようかと思った。因みに、一代目は誰だったの?」


 それは俺も聞きたい。さっきの生徒は誰だったのだろう。


「なあ、「し」で始まる苗字って、俺以外いたっけ?」


「確か「白川」さん。髪型おさげにしてる子、たしか図書委員だった。」


 おお、名前を聞いただけなのに一杯情報が出てきた。


 スマホ契約同様、オプション代を請求されたりしないだろうか。


「じゃあ「さ」がつく生徒は?」


「「相模」くんだよ。その次が「か」で川崎」


「ああそっか、じゃあそれ、相模だ。」


 手のひらを打つように、ポンとこぶしを置く。


 つっかえていた鉛を払い出せた気分。


「ええ!今のやり取りって、相模君の名前を思い出すためにやってたの!?」


「ああ、どうにも顔と名前を一致させるのが苦手で。」


「…なんだか二代目の称号が不名誉なものに思えてきたよ。もしかして、私の名前も覚えてない。」


 斜め下を見る川崎は、少し悲しげな眼をし、さっきまでの天真爛漫さが無くなっていた。


「いやいや、川崎だろ。さっきも読んだし。」


「そっちじゃない、下のほーう」


 手を後ろに組み、悪戯な笑みで、下からのぞき込んでくる。


 答えがわかって、聞いているときに聞き方だ。


「川崎、うちのクラスで苗字に川崎が付く生徒の名前ってなんだっけ。」


「ねぇ、篠崎って私の事、おっちょこちょいとか思ってない?」


 おっちょこちょいって、今日日きょうび聞かない言葉なのに、川崎がいうと今どき言葉に聞こえるから不思議だ。


「悪い、白状すると覚えてない。というより、聞いたことない気がする。」


「友達の名前ぐらい、自分で調べてほしいかな。」


 友達たったんだ、俺と川崎。


 いつ友好条約を結んだか考えたが、わからない。


 まあ川崎であれば、クラスのみんな友達と思っていても不思議じゃない。


 俺の後ろ前の席にいる人物すら把握していたぐらいだし。


「ま、許してあげる。今は、ね?」


 瞼を閉じ、小さな声でつぶやかれた声が、微かに聞き取れず、なんと反応していいか悩んでいると、「じゃ!強歩大会頑張ろうね!」と走り去ってしまった。


 何故、始まる前からフルスロットル。あれでは本番にガス欠するのでは?


 若干心配しつつも、自分の準備が終わってないことに気付く。


 コンビニで買った3つのスポーツゼリーをランニングポーチにセットし、軽く走って落ちないかどうかを確認する。


 直前になって買い揃えた品だが、装着感は問題なく、万全の状態で大会に臨むのだった。

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