トランクケースに洋服やお気に入りの縫いぐるみなどを詰め込んで、旅立ちの用意をしました。

 私は部屋に戻ると荷造りをしました。

 いつまでも、お爺様のお屋敷を独占しているわけには参りません。引き取り先が決まったのですから、此処ここを出ていかなければならないのでした。

 親族の中には、私が無条件にこのお屋敷で暮らしていることをこころよく思わなかった人も居たようです。

 遺言書の内容が実現されることが決まったところで、早く立ち退くよう私に声を掛けてくる者までおりました。


 私としては、思い入れのある屋敷でありましたが──確かに、これはお爺様の遺産の一つです。私が独占して良いはずもないのです。

 なんだかそう考えると、早く此処を出ていかなければならないような気分になってしまいました。

 トランクケースに洋服やお気に入りのいぐるみなどを詰め込んで、旅立ちの用意をしました。

「このティーカップは……わざわざ持って行かなくても良さそうね。お砂糖くらいは……いえ、食品はいらないかしら……」

 何が必要で何が必要ないか──取捨しゅしゃ選択をするのは楽しいもので、時間を忘れてしまう程でありました。


「お待たせしました」


 トランク一つだけを持ってロビーに戻った私を、カールは呆れたような目で見て来ました。コーヒー何杯を飲んだのでしょう。雑誌の山が積まれ、灰皿にも多くの吸い殻が入っているのが見えました。

「ずいぶんお待たせしてしまったみたいね」

 私が頭を下げると、カールは気にするなと手を振るってきました。

「まぁ、色々と準備もあっただろう? 構わねーよ。忘れ物はないだろーな?」

「えぇ、大丈夫……」

 そう言いながら、私は改めてトランクのふたを開けて中を確認しました。

 大事な手帳は持ったかしら──?

 きちんと、入っておりました。

「うん!」

 今度こそ準備万端ばんたんです。私は大きくカールに頷き返しました。


 屋敷を出た私は足を止め、振り返りました。

名残なごり惜しいか?」

 カールに尋ねられて、私はうつむきました。

「……いえ。そうでもないわ……」

 私にとってこのお屋敷は、お爺様から辛い仕打ちを受けたまわしい場所なのです。

 辛い日々の記憶ばかりがフラッシュバックし、楽しい思い出など一つも頭に浮かびませんでした。


「ずいぶんとドライな奴だな……」

 カールは意外そうに、私の顔を見て来ました。


 私はそんなカールの視線を無視して、お屋敷に背を向けて歩き出したのでありました。

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