Sufferin' Cats
2022年7月度三題噺:(お題は特になし)
===
「痛たたた……」
「もう、ユウ君無理しないで横になってて?」
「うぅ、ごめん、涼子姉さん」
「いいのよ、半分は私のせいなんだし。それに、腰を痛めると癖になるって言うから、今は無理しちゃダーメ」
「うん、わかったよ」
そうして、部屋のベッドの上で横になっていると、涼子姉さんは手馴れた様子で家事を始める。
涼子姉さんは近所に住んでいる、三つ上のお姉さんだ。小学生の頃からの付き合いで、来年には三十歳になろうかというのに、今でも高校生…は無理でも、大学生と言って通じるような綺麗な女性だ。
そして、ずっと片思いしていた憧れの女性でもある。
大学を卒業して、就職を機に地元を出て一人暮らしを始めた後は少し疎遠になっていたけど、涼子姉さんの方が結婚を機に偶々近くに引っ越してきて以来、こうしてたまに家事をやってもらったりしている。
普段はその代わりに愚痴を聞いたり、重いものを動かすのを手伝ったり、買い物の荷物持ちなんかの手伝いをしているのだが、ギックリ腰になってしまってお世話されている以上、流石に今日は無理そうだ。
「ぐぁっ……!」
姿勢を変えようとして、痛めた部分を刺激してしまったらしい。痛みに声が漏れる。
「ちょっと、ユウ君大丈夫?」
家事する手を止めて、涼子姉さんは慌ててベッドのそばにやってくる。
「ごめん。ちょっと寝返りをしたら痛んだだけだから」
「もう、心配させないでよ。治るまでは、食事も、お風呂も、全部私が面倒見てあげるから、大人しくしてて?」
「涼子姉さん、俺ももう子供じゃないし、流石に……」
「ダーメ。それにユウ君は私にとってはいつまでも手のかかるかわいいユウ君なんだから、お姉さんに任せなさい」
そう言いながら、俺の手を優しく両手で包みながら、寄り添ってくる。
至近距離に憧れの人の顔があってドキドキしてしまう。目が合い、その瞳に吸い込まれそうになっていると……
「ユウ、大丈夫……ってお姉ちゃん!私のユウに何してるの!!」
廊下から、一人の美少女が現れるや否や、いきなり怒鳴り声をあげて俺たちに近寄ってくる。
「何って、ユウ君の看病よ?」
「看病ならそんなに顔を近づける必要ないでしょう!私の彼氏から離れなさい!!」
「え~」
「えーじゃない!ダメなものはダメなの!」
「ふふ。じゃあご飯作るのに戻りまーす。その間、夏美はユウ君が無理しないように見ててあげて」
「もう、お姉ちゃんったら。言われなくてもそれは私の役割!あ、それで、ユウは大丈夫…?」
先ほどまでの怒った様子とは一変して、心配している声をかけてくる。
涼子姉さんとは違う、けれどどこか姉妹であることを感じさせる綺麗な顔だ。
「あぁ、寝返りするのもしんどいけど、すぐに治ると思うよ」
「そっか、良かったぁ。ギックリ腰って痛いんでしょ?無理しちゃダメだからね?」
「わかってるよ。流石に無理する気にもならないしな」
そう答えながら、彼女を見る。
既に日はとっくに暮れているが、まだまだ暑い日が続いているせいか、それとも急いで会いに来てくれたのか、高校の夏服が汗で濡れ、うっすらと下に身に付けているものが透けて見える。
前にうっかり尋ねた時には、「別にキャミだから見られても平気だけど、気になるの?」とからかわれた挙句、しばらく変態呼ばわりされたので、変に触れないでおこうと思う。
そして、制服の裾からは、すらりとした筋肉のついた腕や脚が伸びており、トレードマークのポニーテールと相まって健康的な印象を与える。陸上部の大会が近いらしく、最近はいつも遅くまで練習していると聞いている。
「それならいいけど。でも、ギックリ腰だなんて、おじさんくさいわね」
「うっ。いいんだよ、俺が引きこもりのアラサーなおじさんなのは事実だし」
「えー、でも、竜司さんはもうアラフォーなのに、ギックリ腰なんてなったことないって言ってたよ?ちゃんと鍛えてるからーって」
竜司さんというのは、陸上部の顧問で、夏美の担任だ。
その割に親しい印象を受けるのは、涼子姉さんの夫でもあるせいだろうか。
「へいへい、どうせ俺は陰キャ根暗な運動不足の社畜ですよーだ」
「誰でもそこまで言ってないじゃないの」
「だって、アラフォーの現役ガチムチおじさまと比較したらどうせヒョロヒョロのもやしなのは事実だからねー。ギックリ腰になった弱小社畜は大人しく横になってますよーだ」
「もう、そんなこと言わないの。あ、もしかして他の男の名前出されて嫉妬しちゃった?かーわいー」
「……うっせぇ」
気付かない内に嫉妬の炎が燻っていたらしい。バツが悪くなって寝返りを打って顔を見ないようにする。
「……ぐっ」
しかし、また体勢を変えた時に患部に刺激を与えてしまったらしく、痛みが走る。
気合いで声を上げるのを抑え込もうとするが、少しだけ漏れてしまった。
「もう、恥ずかしいからって無理しないの。ちゃんと仰向けに寝て、ゆっくりしてなさい」
「…………」
なされるがままに仰向けに寝転がる。
体勢を変えさせるために、俺の上に覆いかぶさるようになっていた夏美と目が合う。
そのまま自然に、夏美の顔が近づいてきて、唇が触れるだけのキスをする。
「……ごめん」
「分かればよろしい。早く治してね?」
「ああ」
ポトリと顔に雫が落ちてくる。
愁傷に泣いて……くれているはずもない。ただ汗が垂れてきただけらしい。
「お前、そのままだと制服が汗臭くなるぞ」
「ひどっ!悪かったわね汗臭くて!」
「いや、まだ汗臭いわけじゃないし、なんなら良い匂いだぞ?」
目を閉じて鼻に意識を集中させてみる。
制汗剤だろうか。甘ったるい匂いに交じって炭のような、薬品のような匂いがする。
「ちょっ、嗅がないでよバカ!変態!」
そう叫んで勢いよくベッドから離れ、台所へ行く。
「お姉ちゃん、ユウに汗臭いって言われたから、シャワー浴びてくるね」
「あら、わかったわ。ご飯ちょうど準備できたけど、上がるまで待ってようか?」
「あー…。ううん、時間かかると思うし、先に二人で食べてて」
「わかったわ。ちゃんと臭いが落ちるまで洗ってくるのよ?」
「ちょっ、お姉ちゃんまで!?」
「ふふ、冗談よ。風邪ひく前に入ってきなさい」
「もう、お姉ちゃんのバカ!ユウ、お風呂借りるからね!」
「あいよー」
こちらの返事も確認せず、ドタバタと浴室へと向かい始める。
しばらくすると、水道の流れる音がし始めた。
「ふふ、あの子が今どんな格好してるか妄想でもしてるの?」
目を閉じて横になっていただけだが、変に誤解されてしまったらしい。
目を開けて、いつの間にか食事を持ってベッドのそばまで来ていた涼子さんを見る。
「何度か見てるから想像できなくはないけど、流石にそんな趣味はないよ」
「あら、そうだったの。じゃあ私のさっきの姿でも思い出してた?」
「それは…」
そう言われて、脳裏には先ほどまでの姿がフラッシュバックする。
一糸まとわぬ姿で、二人で激しく乱れていた時の姿が。
「ふふ、思い出しちゃった?」
「…………」
「ユウ君、すごくかわいかったわよ?でも、そのせいで腰を痛めさせちゃって、ごめんなさいね」
「……ねえ、涼子姉さん」
「なぁに、ユウ君」
「その前に言ってたことって、本当なの?」
「その前って?」
「……夏美が、竜司さんと肉体関係を持ってるってこと」
「本当よ」
それが事実であることを肯定するような即答だった。
「信じたくはないんだけど」
「でも、さっき確認したんでしょ?あの子が持ってないはずの消臭剤の匂いがするの」
「……うん」
さっき嗅いだ薬品の匂いは、『こんなのジジくさい』と昔言ってた消臭剤の匂いだった。
それに、普段は柑橘系のスプレーを好んで使っていることも知っている。
「それに、こんな時間までここにも、家にも帰ってきてないのが確認できちゃったしね」
「それも、涼子姉さんの言ってた通りだったね」
以前は今のような時間―時計をみると、21時を過ぎている―に来た時には『部活で遅れてる』か『一回家に帰ってきた』と夏美は言っていて、同じような時間で直接帰った時には、涼子姉さんに『部活で遅れた』か『ユウの家に行ってた』と答えていたらしい。
毎日ではないが、数日に一回はそんな時間に帰宅している。
不審に思った涼子姉さんが何をしているのか調べた結果、そうした関係にあることがわかったらしい。
そして数日前、旅行に行くと不在にしたところ、夫である竜司さんと、進学のため涼子さんの家に一緒に住んでいる夏美が、自宅のベッドの上で交わっているところがバッチリ撮れた、とのことだった。
そして、おそらく俺と付き合うことにしたのも、カモフラージュのためだったのかもしれない、と。
そんな涼子姉さんの話を聞いて、怒りと、悲しみを覚え、絶望したのが、つい数時間前のこと。
それから紆余曲折を経て、確信に至ったわけだ。
「あの人とこれからどうするかは考えなくちゃいけない。でも、夏美を追い出したりするのは、彼女の今や今後を考えると難しいかもしれない」
「あぁ、それにウチで同居するってのも、無理があるしな」
主に今の俺の心理状態で、とは言えなかったが。
ではどうするべきか、それも今は答えが出そうになかった。
「だから、しばらくこのことは二人には黙っておいてくれる?私の方でちゃんと始末をつけてから、改めてどうするか相談するから」
「わかったよ、涼子姉さん」
「ごめんなさいね、こんなことに巻き込んで」
「いや、俺よりも涼子姉さんの方が大変じゃない?」
「そうね。もし、また辛くなったら、慰めてくれる?」
「もちろん。涼子姉さんのためなら、協力するよ」
「ありがとう。それじゃあ、ご飯食べましょうか。今日は私が食べさせてあげるわね」
そうして、ベッドのそばで涼子姉さんの作った料理を食べさせてもらった。
***
ユウ君がもう少しで食べ終わりそうという頃に、お風呂からちょうど夏美が上がってきた。
その結果、今度は自分が食べさせると夏美が駄々をこね、ユウ君の世話をすると騒ぎ、最終的には、ユウ君との関係で"部外者"である私は家から追い出されてしまったため、一人で夜道を歩いていた。
「~~♪」
辺りは暗く沈んでいたが、私はすこぶる上機嫌であった。
それは、ついに念願が適ったからだ。
夫という安定した財布。
妹という使い勝手の良い駒。
そして、私がずっと欲しかった、ユウ君。
それらが全て、自分の好きに『使える』ようになったのだ。
「ユウ君は可愛い可愛いペット♪ これでもう私からは逃げられない~♪」
昔から、ユウ君が私のことを慕って、信頼して、そして、好きでいたのは知っていた。
だから、いいように扱っていたのだが、まさか就職をきっかけに逃げられるとは思わなかったのだ。
それが、今夜の既成事実で、もう逃げられなくなった。
「夏美は私の都合のいい女♪ ユウ君をつなぐ手綱~♪」
妹が、昔からユウ君のことを好きでいたのは知っていたし、何度も相談を受けていたのだ。
ユウ君が私から逃げ出すまでは、それを疎ましく思っていたが、今では良い駒に育ってくれたと思う。
ゆくゆくはユウ君とくっついてくれれば、それこそ彼を私の手の届く範囲に置くためのリードになってくれるだろう。
「夫は私のお財布♪ 一つ屋根の下の生徒には手を出せないヘタレ~♪」
正直、相手は誰でもよかった。
ある程度奥手で、経験が少なく、真面目で、安定して、それでいて金を持ってそうな奴なら。
そんな学生時代の先生と再会できたのは、ある意味では運命だったのかもしれない。
さっさとお金だけ残して死んでくれてもいいのに。
「ふん、ふん、ふふん~♪」
ユウ君が逃げ出した頃から考えていた計画がようやく実を結んだのだ。
その実は、甘美で、背徳的で、至上の興奮をもたらしてくれた。
それを今後何度でも、好きなだけ味わうことができるのだ。
夫には、たまに『お返し』をあげなければいけないだろうが、それもまぁ都合のつく時で良いだろう。
妹には、うまく言いくるめておかないといけないだろうが、それは何とでもなるだろう。
しばらくは苦労があるだろうが、その分ペットに癒してもらえばいいだろう。ただ、余計なことをしないように、うまく洗脳しておかなければ。今度こそ、逃げたりしないように。
「ふふふ……♪」
――静かな夜道、悪魔のような女の姿を見かけた者は、誰もいなかった。
===
※この物語はここまでです。
※前後のエピソードとは関係がありません。
竹製・習作箱(三題噺) 松竹海 @matsutakeumi
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