徹夜の実験

2022年6月度三題噺:「紫陽花」「工具」「水着」

===

――『以上、天気予報でした』


「ついにこの辺も梅雨入りだってよー」

「最近雨多かったし、そろそろかなーって思ってたのよね」

「だよな。そう言って、今日も雨だし」


 言いながら窓の外を眺める。

 とっくに日が沈んだ後ということもあり、外には真っ暗な闇が広がっている。

 だが、部屋の明かりが差す位置に植えられた紫陽花が雨に濡れているのがよく見えた。


「今日というか、昨日からだっけ」

『――が、午前0時をお知らせします。ポ、ポ、ポ、ポーン』

「……一昨日からになったな」

「うわーーーーん!こんなの終わんないよー!」


 半泣きになりながらも、工具を使う手を緩めない。

 目の前にいる同期生の江藤杏奈(えとう あんな)は、それなりに真面目なのだ。


「いや、無理なのは最初からわかってただろ。安請け合いしやがって」

「うう、だってまさか実験用の器具が壊れるって思ってなかったんだもん」

「まぁそれは確かに災難だったな」


 そう、こうして深夜まで工具を大きな机の上に広げて、一見するとよくわからない装置のようなものを作っているのは、誰のせいでもなく、運が悪かっただけなのだと思う。

 だが、しかし――


「それならそうと教授に説明して、実験の期限延ばしてもらえばよかったじゃん。教授なら、仕方ないって許してくれるんじゃない?」

「で、でも既に一回期限を延ばしてもらってたし、これ以上は流石に……」

「あー」


 それでも、教授なら許してくれそうな気もするが、律儀な杏奈のことだし、意固地になって否定するだろう。


「そ、それに、アンタが手伝ってくれるし、絶対終わるから大丈夫だよ!ね?」

「いや、俺に対してどんな期待持ってんだよお前」

「こういう時、今までアンタが何とかしてくれたじゃん!」


 江藤杏奈と菊池誠也は小学校入学前後からの幼馴染である。

 家が近所で一緒に通学することになったのがきっかけではあるが、それ以来の腐れ縁だ。

 中学時代も頭が良いわけではなかったが、「夢がある」と言って同じ学校を志望し、見事に合格したのだから大した努力家である。それと同時に、それなりに能力があったんだろうとも思う。

 ただ、頼まれると断れない性格からか、よく色んな人の頼み事を引き受けてくることが多く、割と今日みたいに俺が手伝ってなんとかしてしまうことも多々あることだ。


「そうは言っても、俺にもできることとできないことがあるんだが?」

「うっ。えっと、今日のはなんとか……できないかな?」


 珍しくしおらしい態度で縋りついてくる。

 普段なら、軽口の一つや二つが返ってくるところだが、そんな余裕もないらしい。

 じっくりと顔を見つめると、化粧で隠したつもりらしい目の下の隈がわかってしまった。


「……見返りは?」

「えっ?」

「いくら俺でも、ただ働きには見合わんだろ、これ。見返りを要求する」

「……ありがと。でも、まったく考えてなかった」

「そっか。じゃあ今日はこの辺までにしとくか」


 そう言いながら、持っていた工具を机におき、片づけようとする。


「わあぁ待って待って!考えるから!今から考えるから!!」


 本格的にパニックになりながら、工具を放り投げて、必死に俺を止めようと抱き着いてくる。

 流石に工具で怪我したりすると危ないので、俺の方も工具をそばに置いて辛うじて正面からそれを受け止める。

 作業着のせいか、それとも身体的特徴のせいか、胸の当たっているはずの場所からは柔らかさをほとんど感じないのは少し残念だ。


「えっと、えっと、今度ゲーム内通貨で支払うから!」

「いや、別に特に困ってないし」

「じゃ、じゃあ、今度出る追加コンテンツの奴、お金私が出すから!」

「既に予約してるし。特典目当てで」

「何それ聞いてない、じゃなくて、えっとえっと、今度ごはん奢る!」

「そういう時に限って財布忘れてくるよな、杏奈」

「ぐっ。じゃ、じゃあいっそ私ならどう!?家事もできるし、ゲームも一緒に楽しめるよ!?ゲーム以外もきっと楽しめるよ!?!?」


 随分と混乱してきたらしい、とんでもないことを言い出す始末だ。


「いやいや、俺には矢口さんって心に決めた人が」

「って言いながら話しかける根性もないヘタレのくせに」

「そ、それは、ほら、機を伺ってるだけで」

「今までの3年ちょっとでそんな機会いくらでもあったでしょうが」

「ぐぬぬ」


 抱き着かれたままの至近距離で、顔を見合わせる。

 美人というよりも可愛い系の顔が、複雑な感情に揺られてるのが見て取れた。

 少しからかい過ぎたのかもしれない。そろそろ折れてやるか。


「まぁ、いいや。代わりに何してもらうかは後で決めるとして。乗り掛かった舟だ、最後まで手伝ってやるよ」

「ホント!?よかったぁ……」


 その言葉に安堵したのか、少し力が抜けてしな垂れかかってくる。

 仕方なく、そのまま抱き留めて話しかける。


「ただ、最善を尽くしてもできないことはあるからな」

「それは、わかってるよ」

「さっきメインパーツは交換し終わったから、あとは壊れた時に破片が入った部分をバラして、掃除して、戻してやれば動くはずだ。動かなかったらまた考えなきゃいけないが、おそらく大丈夫だろう」

「うん」

「その後ようやく実験だが、うまくいってないんだろ?」

「うん。この二週間で八割くらいは終わってるんだけど、聞いてたのと全然違う結果しか出てないの」


 ここ最近、こいつにしては珍しくゲームにログインしてる時間が少なかったのが気になっていたのだ。

 どうやらずっと実験の手伝いをしているらしいと噂に聞いてここまでやってきたのだが、どうやら任されたことが上手くいっておらず、行き詰まっていたらしい。

 ちなみに、俺がここに現れると、それに驚いた杏奈が誤操作をして装置を壊してしまったのだから、多少なりとも責任を感じていたりもする。本人には言わないが。


「まぁ、それはそれでいいんじゃねーの?小学校の理科の実験でもあるまいし。予想外の結果が出たなら出たでそれをまとめれば、それも一つの実験結果なわけじゃん」

「えっと、それでいいのかな?」

「いいかどうかは教授が判断するんじゃねーの?俺らにはそれが良いのか悪いのかわかんねーんだし」

「……そっか。そうかも」

「だからまぁ、もうひと頑張りしてみようや」

「わかった。ありがとね」

「どういたしまして」


 やり取りが終わると、杏奈は俺から身体を離す。

 重みとぬくもりが離れていくのを少しだけ寂しく感じる。


「んじゃ、俺はとりあえず裏側からやるから、お前は表側から進めてくれる?」

「わかった」

「それと、ちゃんと元に戻せるように、外した順番通りに部品を並べながらやってくれよ?さっきみたいにどうしたらいいかわかんないーって泣かないで良いようにな」

「う、うん。さっきはごめん」

「いいよ、別に」


 やっぱり本調子ではないらしい。いつもと違うやり取りに、こっちも調子が狂ってしまいそうだ。

 とりあえず、工具を持って装置の裏側に移動する。

 それからはしばらく、雨音をBGMに二人で黙々と作業を行う。

 カバーを外し、部品を外し、手のひらサイズの箒を使って壊れた部品の破片を外していく。


「そういえばさ」


 いくつもの部品を外して、掃除してと繰り返した後、杏奈の方が話しかけてきた。


「うん?」

「二人でこんな時間まで起きてるの、久しぶりだね」

「あー、たしかに。ゲームもいつもは日付変わるくらいには終わるしな」


 時計は死角になっていて確認できないが、窓の外は未だに暗闇に包まれている。

 かなり遅い時間なのはたしかだ。


「それもあるけど、二人っきりで同じ場所にこんな時間までいることってなかったじゃん」

「まぁたしかにな。年頃の男女が夜遅くまで一緒にいちゃいけませんって、杏奈のおふくろさんがよく言ってたし」

「たしかに、お母さんも良く言ってたね。でも、小学生6年生の夏休みの最後だけは許してくれたよね」

「あぁ、杏奈が夏休みの宿題を最後の最後にまとめてやる羽目になった時か」

「そ、そうだけど、そうじゃなくって!ほら、一緒に天体観測したでしょ!」

「やったなぁそういや」


 あの時も大変だった。

 お盆前後以外はよく一緒に遊んでたから、一行日記はほとんど写せたからよかったし、算数だけは得意だったから終わっていたのは良かったのだが、漢字の書き取りと読書感想文と自由研究が終わってなかったのだ。


「たしか、自由研究にするためにやったんだっけ」

「そうそう。あの時の星空はキレイだったね」

「たしかにな。杏奈のお父さんが珍しく帰ってきてて、わざわざ星がよく見えるようにって海岸まで連れてってくれたんだよな」

「ホント珍しく帰ってきてたのよね、あの時。海岸に着いたら車で寝てたし、翌日はまたどこかに行っちゃったけど」

「杏奈のお父さん、忙しい人だしな」


 杏奈のお父さんは色んなところを飛び回っているやり手の会社員らしい。

 休日に杏奈の家に行っても、ほとんど家にいるのを見たことがない。


「ねぇ、あの時何話したか覚えてる?」

「うーん?何話してたっけ」

「……もしかして、覚えてない?」


『大人になったら――になりたいの?』

『そう。じゃあ、私も一緒に――になってあげる』

『どうしてって?それはね――が私の夢だから』

『だからね、ずっと……、ずーっと…一緒に……スゥスゥ』


 ふと思い出したのは、その夜の最後のことだ。

 だけど、彼女はきっと覚えていまい。別のことを思い出す。


「あー、そういや杏奈のおふくろさんの実家に帰った時のこと話してたなそういや」

「えー、そこー?」

「だって、お前、『すっごく海がキレイだった』とか、『アンタにも見せてやりたかった』ってずーっと自慢してたじゃん」

「そうだったっけ?」

「そうだったよ。ずーーーっと自慢してきて、流石にちょっとイライラしてたの覚えてるわ」

「アンタだって、『僕も行ってみたい』とか『杏奈だけズルい』って言ってたじゃん」

「そうだっけ?」

「そうよ!あっ、そうだ。今日のお礼に、今度その海に連れて行ってあげようか?」

「はぁ?」


 杏奈がまた突拍子もないことを言い出したので、思わず疑いの声を上げてしまった。


「今年の夏休みに、お母さんと一緒に帰省するつもりだったし、それでいいよね。あ、水着はアンタに選んでもらうから」

「いやいや、流石に帰省に連れて行ってもらえるわけないだろ。あとなんでさらっと俺がお前の水着選ぶ話になってんだよ」

「大丈夫だって。あ、誠也の水着は私が選ぶから、一緒に買いに行こうね」

「へいへい。わかりましたよー」

「ふふ、楽しみだなぁ」


 そんな風に口を動かしつつ、手を動かしながら、夜は更けていくのだった。


 ちなみに、思うような結果が出なかったのは、どうやら壊れた部品が原因だったようで、交換後は驚くほどスムーズに、なおかつ予想した通りの結果が出てきて拍子抜けしたのであった。

===

※この物語はここまでです。

※次のエピソードとは関係がありません。

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