Please give me memories

2020年4月度

===

「今日もお変わりありませんか?」

「あぁ、先生。今日は痛みもなくってねぇ快適に過ごせましたよ」

「それは良かったです。そういえば、お昼は何を食べられましたか?」

「えぇっと、お昼はたしか、牛丼だったかしらねぇ。病院でも牛丼が出るんだって驚いちゃったわぁ」

「そうですか。入院されていても、外の空気を味わって頂きたいですからね」

「そうそう、そういえば、息子が会いに来てくれてね。こんなに元気なのに随分心配した顔しててなんだか申し訳なかったわあ」

「それはご家族ですもの、心配もされますよ」

「そうねぇ。うふふ、不謹慎だけど、息子に心配されてなんだか嬉しくなっちゃった」

「そういうのも大事だと思いますよ。嬉しい事や楽しいことを見つけて過ごすことが、今は一番大事なことですから」

「そうかしら。じゃあそう思うことにするわ」

「えぇそうしてください。それじゃあ次もありますから、この辺で」

「はい。いつもありがとうございます」


ベッドの上に身体を起こしていた老齢のおばあさまを横たえ、彼はその病室を後にする。

彼は斎藤勇気、この病棟を切り盛りする若手医師の一人だ。

彼が廊下を歩く様は、ちょっとした絵になるほどの美貌というのが女性看護師の間でも評判だ。


「塚田くん、ちょっと」


そんな彼が、目の前を歩いていた若い女性に声をかける。


「は、はぃ!」

「ちょっと確認したいんだが、今日患者に出されたお昼ご飯は焼きそばとサラダで良かったかな?」

「あっ、えっと、は、はい。合ってます」

「牛丼を出したことはあったかな?」

「えっと、た、たしか、2週間ほど前かと」

「そうか……。それと、1014号室への面会者はここ最近居たかな?」

「い、いえ。ここ最近どころか、入院して3カ月ほどですが、どなたも見えていないかと思います」

「ふむ……」


やはり、という表情で彼は考え込む。その悩ましげな雰囲気に、塚田も見惚れてしまうようだ。

そしてわずかばかりの時間考え、とりあえず、と言った様子で彼女に話しかける。


「1014号室の患者についてだが、せん妄の症状がみられる。ここ最近の投薬量や症状をみて対応を決めたいと思うので、1、2週間分のデータをまとめてもってきてくれないか?このあといくつかの病室を回ったあと宿直室に戻るので、1時間後に持ってきてもらえると助かるんだが」

「ふぇ?え、えっと、その、わ、私でよろしいんでしょうか?!」

「ん?あぁ、大丈夫。取って食べたりはしないよ。だから安心して持ってきてほしい」

「ひゃっ!す、すいません!そういうつもりではなかったんです!ごめんなさい!すぐに準備してきます!失礼します!」


彼女は顔を真っ赤にして足早に逃げ出していった。

いつの頃からか、宿直室で一晩を過ごした男女は一生を共にするという噂があるというが、新人の彼女はそれを真に受けてしまっていたであろうことがその反応から見て取れた。

そもそも親しい仲ぐらいしかそういうこともしないだろうというツッコミは野暮であろうか。


「さて、次に行くか」


そう言って、彼は次の病室へと向かう。

ここ、行方(なめかた)病院の十階は、ターミナルケア病棟、最近では緩和ケア病棟の方がより一般的かもしれないが、正確な分類はホスピスに当たる。また、俗に「死に最も近い場所」とも言われることがある場所だ。

患者の終末期における、肉体的、精神的なケアを専門に行なっている病棟で、基本的には、高齢者を中心にガンなどで余命宣告を受けた人々を収容している。


「せーんせぇ、お疲れ様」


"基本的に"と言われるのは、彼女のように、10代半ばであっても対象となるケースがあるからだ。


「あぁ、香川さんか。ありがとう。今日は君で最後ですね」

「そうなんだ。あ、先生マスクつけなくて大丈夫なの?テレビでは着けないと死罪って言われてるよ?」

「一般診療でも数が足りない状況ですから。入院している方だけと接する人は着けないようにして、外からくる人と接触する人に優先的に回してやりくりしているんですよ」

「なるほどー。じゃあ先生の顔を見ながらゆっくりお話しできるね!」

「次のお仕事もあるので、ほどほどにお願いしますね」

「りょうかい!」


彼女は香川加奈。今年から高校生の制服を着ていたであろう彼女だが、今身につけているのはこの病院の患者服だ。うっすらと、シャボンの香りがする。


「お話する前に、先に色々確認させて下さいね」

「体重とか?女の子のトップシークレットだよ!」

「はいはい、それはこの前計ったから大丈夫。でも、最近ちょっとだけ体重増えたみたいだし、良い傾向かも」

「それは言わないで!」

「あはは、でも多少はお肉ついてた方が女性らしいと良いと思いますよ」

「それでも女の子は気にするの!」

「そっかそっか、ちなみに今日のお昼は何食べたのかな?」

「今日は焼きそばだったよ!あとサラダ」

「野菜も残さず食べられましたか?」

「ちょっと、子供扱いしないでよ!ちゃんと全部食べたんだから」

「それはいいことです。そういえば、今日もご家族はいらっしゃいましたか?」

「うん、今日はパパが来たよ。仕事忙しいだろうから毎日は来なくて大丈夫って言ったんだけど、『明日はママが来るから』って」

「心配なのが親心というものだと思いますよ?」

「それはそうかもしれないけどぉ……。あっ、そうだ。感染症対策として、入場制限?とかしてくれればいいんだよ!ね、せんせぇ、やってよぉ」

「んー、確かに院内でも面会制限を設けるという話もありますし、一度ご両親とお話した方が良いかもしれませんね」

「やったぁ!これで気を使わなくて済むよ!」

「あら、香川さんも気を使ってたんですね」

「それはそうだよ。だって私死ぬんだもん。パパとママをこれ以上辛い気持ちにさせたくないし」


先ほどまでの明るいキャラクターが一瞬抜け落ちる。彼女なりの処世術という奴だったのであろう。


「そうですね。ご家族にこれ以上迷惑を掛けたくないというのは皆さん言われることです。でも、きちんと気持ちを伝えないことには、たとえ家族であっても理解しあうことは難しいですよ?」

「どういうこと?」

「そうやって気を使ってストレスを溜めるくらいであれば、そのことを伝えることも大事だってことです」

「ん、そっか。それもそうかもね」


そして彼女は少し考えた後、こう続ける。


「でも、パパとママは私のために頑張って働いてくれてるし、"私が二人のおかげで元気に生きていられた"って思い出を遺してあげるのが親孝行なのかなって思うから、このままでもいいかな」

「そうですか。では先ほどの件はご両親にはお伝えしないでおきますね」

「うん、ありがとう、せんせぇ」


その後、しばらく話をした後、彼は病室を立ち去ったのであった。


===


――同日、21時頃、宿直室


こん、こん、こん。ドアをノックする音が響く。


「はい、どうぞ」

「し、失礼します」


扉を開け、塚田看護師が斎藤医師の居る宿直室へ入る。


「せ、先生に頼まれていましたデータをまとめて持ってきました!どうぞ」


彼女から、そのデータが入っているであろうUSBメモリを受け取る。


「ありがとうございます。お疲れ様です」

「い、いえ。せ、先生は、今何されていたんですか?!」

「私ですか?今は先日発表された論文を読んでいたところです」

「ろ、論文」

「えぇ、きちんと勉強し続けなければいけませんからね」

「そ、そうですね。勉強、大事ですね!」

「えぇ。塚田さんは勉強されてますか?」

「わ、私ですか?!えっと、その、えぇっと……」

「あれ、もしかして勉強されてないんですか?」

「う、うぅ、その、私、勉強苦手で……」


その様子を見て、彼は吹き出す。からかわれていたことに気づいた彼女は、顔を真っ赤にする。


「あはは、すいません。塚田さんの反応があまりにも初々しくて、ついからかってしまいました」

「うぅ……。先生がそんなに意地悪だと思わなかったです」

「ふふふ、すいません。でも、私と話す時にいつもガチガチでしたから、多少は身近に感じて頂けると嬉しいです」

「あっ、えと、それは、その、すいませんでした」

「いえいえ。ですが、同じ病院の仲間ですから、もう少し肩の力を抜いて接してくださいな」

「は、はい。善処、します」

「よろしくお願いします。そういえば、塚田さんはこの後帰宅されるんですか?」

「そ、そう、です。だから、少し先生とお話しようかなぁ、と。」

「あら、それは嬉しい。でも、宿直室で男女が二人きりで話していた、なんて、あらぬ噂が流れてしまいそうですね」

「ひゃあっ!す、すいません!失礼しました!」


先ほどとは別の意味で顔を真っ赤にした彼女は、謝罪を残してすぐさま部屋を飛び出していった。


「あら、からかい過ぎてしまいましたか。残念」


それほど残念ではなさそうな顔で呟き、彼は受け取ったUSBメモリを先ほどまで論文を表示していたノートPCに差し込む。


「ん、データはきちんと入っているようですね。ちょうど良い時間ですし、先にシャワーでも浴びておきますか」


そう言って彼は、備え付けのシャワールームへと歩き出す。

病棟は21時消灯のため、今のうちであれば、問題ないだろうという判断だ。

そして彼は白衣を始め、身に着けていたものを上から順に脱いでいく。


「あれ、せんせぇ、今からお風呂?」

「なっ、香川さん?!どうしてここに?!」


幸い、下半身にはまだ下着を身に着けていた状態だったが、あまりの事に彼も取り乱す。


「えへへ、先生とお話したくて、きちゃった」

「きちゃったじゃないですよ。もう消灯時間過ぎていますし、他の看護師の方も心配しますからすぐに病室に戻りなさい!」

「そこは大丈夫!布団をうまい事やって、中に人が入ってるように見えるようにしてきたから!」

「いや、そういう問題ではなくてですね」

「えへへ、それに私、シャワー浴びたくて来たんだよねぇ。ちょうど良いし、一緒に入ろ?」

「いや、それは流石にまずいですよ!それに日中浴びてますよね?!」

「いやいや、それでも部屋の中が温かくて汗かいちゃうんだよ?」

「たしかに他の高齢の方に合わせて室温上げていますが、翌日まで待って下さいよ!」

「むぅ。じゃあ、この状況で先生に襲われるぅって叫んでもいい?」


その言葉を聞いた彼の背中に、冷や汗が流れる。


「い、いえ。それはちょっと、遠慮して頂けると」

「じゃあおっけーだね!よいしょっと」


そう言って彼女は話を聞かずに服を脱ぐ。下着もその勢いで外す。


「いや、ちょっと?!」

「せんせぇ、声おっきいよ?この状況見られたら大変だよ?」


そう言いながら、衣服を全て脱ぎ、肢体を晒した彼女が宿直室への入り口を塞ぐ。

彼には選択権が与えられていないようだ。


「わ、わかりました」

「やったぁ!先生大好き!」


そう言って彼女は、そのまま彼へと抱き着く。素肌が触れ合う。


「で、ですが、一緒に入るのはまずいので、私は戻らせて頂きたく」

「それはだーめ。叫ぶよ?」


トーンを落とした最後の一言が聞いたようだ。彼は観念する。


「わかり、ました……」

「うふふ、素直でよろしい!」


しかし、彼の矜持であろうか、こういい添える。


「絶対に間違いを犯さないように注意します。医者として」


対して、彼女は主張する。


「男として、間違いを犯しちゃってもいいんだよ?ちゃーんと、お墓まで持っていくから。それに……」

「それに?」

「私も、思い出、ほしいなって」


===


――それから約3カ月後


香川加奈の告別式が開かれたが、彼の姿はない。

彼は、今日も「死に最も近い場所」で、多くの患者を診ていたのであった。



===

この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

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===

※この物語はここまでです。

※次のエピソードとは関係がありません。

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