シスターの祈りは届かない
2020年5月度
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「ねぇシスター、この子ついてきちゃった」
その子は後ろからカチャカチャ音を鳴らしてついてくる機械を指さして、この修道院のシスターにそう報告した。
「あら、この子は……」
シスター、そう呼ばれた女性はしげしげとその機械を見ている。
大人の腕でようやく一抱えできそうな四角錘に、四本の足がちょこんとついているその機械には、報告してきた女の子のあごとちょうど同じくらいの高さにレンズのようなものが取り付けられていた。
その体高は、女の子より少しだけ低く、大型犬と女の子が並んでいるようにも見えて微笑ましい。
「この子はおそらくCS-Triangular-pyramid-machine-type.Cと呼ばれる機械のようですね」
「しー、えす、とら……うー?とら、トラちゃん?」
「CS-Triangular-pyramid-machine-type.R、様々な映像を撮影する機械です」
「トラちゃんはカメラさん?」
「そうですね、この世界を映す機械という意味ではカメラで合っていると思います」
「そうなんだぁ。トラちゃんは色んなものを見てきたの?」
トラちゃん、と呼ばれたその機械は砂地色の機体に入ったラインを緑色に点滅させる。
「この機械には発声装置がないようですね。代わりに、体の光で肯定、否定を表すようです」
「こうてい、ひてい?おへんじしてるの?」
「そうですね。緑色の点滅ならイエス、赤色の点滅ならノーを示すようです」
「トラちゃん、まいごなの?」
その機械は赤色に点滅する。
「トラちゃん、迷子じゃないんだって」
「そのようですね。そうすると、何か探しているものがある、ということでしょうか」
「トラちゃん、なにか見たいものがあるの?」
今度は機械が緑色に点滅した。
「そうなんだ! じゃあ、マリーがいっしょに見つけてあげる!」
「そうしてあげた方が良いかもしれません。ローズマリー、この子のガイドをお願いできますか?」
「うん! まかせて!シスターもいっしょにくる?」
「いえ、私は他にやるべきことがあるので」
「そっか。じゃあ、トラちゃんといっしょにぼうけんしてくるね!」
「ええ、いってらっしゃいませ。けれど、あまり遠くにはいかず、日が暮れる頃には帰ってきてくださいね」
「はーい」
機械は再度緑色に点滅した。
***
「トラちゃん、こっちこっち」
ローズマリーは、ところどころ緑色に植物が生えているアスファルトの斜面をかけ下りる。
その少し後ろを、どこかぎこちない動きで三角錐の機械が追いかけている。
「いよっし、とうちゃーく」
アスファルトが平らになった辺りでローズマリーは歩みを止める。
追いかけてきたトラも、そのすぐ後ろで進行を止めた。
「トラちゃん、ここが"街"だよ」
そう紹介した先には、緑とコンクリートが調和した廃墟が広がっていた。しっかり自立している建物はなく、ほとんどの建物が途中から上部がなくなったいたり、崩壊したビルの残骸が隣に横たわっていた。
そして、そんな残骸達の隙間から、草木が顔を出し、くぼみには透き通った水たまりが形成されていた。
「ここはね、いろんなものがあったり、いろんな人が住んでるんだよ」
そう言いながら、ローズマリーは再度歩き出した。トラはその後ろを続く。
「むかしむかし、ずーっとむかしは、とーっても大きなビルがたくさんあって、人間もたっくさんいたんだって。だけどね、ある時人間たちがみんなでケンカしちゃって、それでこんな風になっちゃったんだって」
ローズマリーはそう語りながら廃墟の、比較的歩きやすい部分を歩く。
小石や亀裂をものともせず、トラはその後ろをついていく。
「さいしょのもくてきちにとうちゃーく」
そこは廃墟の森の中にしては、開けた場所だった。
中央に深く大きな穴が開いており、そこに澄んだ水が溜まっていた。
「ここはね、むかしたくさんの人がいったりきたりしてた場所なんだって。でも、おっきなばくだんが落ちてきて、どっかーんてなってこんな風にしちゃったんだって。いまはほとんど人をみることはないから、むかーしむかしに、たくさんの人たちがいた時どんな風だったんだろうね」
トラは答えを持ち合わせていないのか、緑にも赤にも光らずに少女の後ろで待機している。
「マリーもね、ホントはそのころに生きていたらしいの。でもね、なぜかしらないけどずっとねむってて、おきたらいまになっていたんだ、ってマリアさんが言ってたの。あ、マリアさんはシスターのことだよ。シスターっていわないとおこられるから、気を付けてね?」
トラは駆動音を漏らしながら、緑色に光った。他に聞こえる音は、どこか遠くで鳴く鳥の声と廃墟を凪ぐ風の音だけだったが、しばらくして、女の子は別の方向へ歩み出した。
「いいおへんじ! じゃあ、つぎのもくてきちにしゅっぱーつ」
トラはその女の子の後ろを、忠犬よろしく歩き出した。
その姿を、犬の銅像が見下ろしていた。
***
その後、女の子と機械は様々な場所を巡った。
トリイという名前の門と大きな木の生えた森、アンドロイドが運営する不思議なお店、屋根の真ん中が空いた大きな広場、変なオブジェがある建物……それらの遺物群をめぐり、帰り着いたのは辺りが夕焼け色に染まった後だった。
「シスター、ただいまー」
「ローズマリー、おかえりなさい。そちらもきちんとついてきたみたいですね」
「うん! いっしょにぼうけんしてきたよ!」
「えぇ、そのようですね。服が汚れています。シャワーを浴びて来た方がよいかと」
「分かった! トラちゃんも一緒に浴びる?」
「いえ、この子は水没に強くはありませんから、やめておいた方が良いかと。私が拭いておきます」
「そうなんだ! じゃあシャワー浴びてくるね!」
そう言ってローズマリーは廊下に飛び出していった。
残されたマリアは微笑みながら、近くの雑巾を手に取り、濡らし、絞る。
そして、腰を落としてトラと呼ばれた三角錐の機械の表面を拭き始めた。
「ここは以前、教会と呼ばれていた建物になります。そして今は、この世界を生きる数少ない人類であるローズマリーと私が住まう場所です」
三角錐の機械はその言葉にどこか硬直したようだ。
「あなたに私たちの声が聴こえて、そして見えていることもわかっております。そして、最期の場所を求めてこちらにいらしたのでしょう?」
その三角錐の機械は淡く緑色に光り、肯定の意を示す。
「どうしてそのことがわかるのか、と疑問にお思いでしょうか。答えは単純です。あなたのような機械が、これまで幾人かいらしたことがあるからです」
機械の表面を雑巾で拭いながら、彼女は続ける。
「もちろん、同じ機種ばかりではありません。ただ、色々な形をしてはいるものの、駆動機構と通信機器、それから発光機構をつけただけの簡易な機体ばかりという点は共通していました。そして、一度だけ、完全に意思の疎通が図ることのできる機体が現れたことがあります」
機械の表面についていた汚れは、一通り拭い去られていた。
「そして知ったのです。残されたほとんどの人類はその肉体を捨て、電子の海に生きていることを。ただ精神を発生させるためだけに肉体の管理を機械に任せ、精神の世界と帳尻を合わせるために肉体が処理されたり、培養されたりしていることも。また、コロニーの存在を知ったものは消されてしまい、外に出ることは叶わないとも言われていました」
彼女は立ち上がり、雑巾を洗いながら続ける。
「ただ、その方はこうも言っていました。その事実を知っても消されない一部の特権階級の人間だけが、こうして外の世界を見るための機体に精神を移すことができる、とね。だからこそ、精神の世界の存在を消し、そして肉体すらなくなった後は、死に場所を探して旅をしているのだとも言われていました。あなたも、そうなのでしょう?」
機械はしばらく反応がなかったが、やがて緑色に点滅しだした。
「表面の汚れを落としながら機体をチェックしてみましたが、もうあと少しで基盤が壊れてしまうようですね。残念ながら私にはそれらを修復する機能が備わっておりません。私はあくまでも、弱き人々を守り、導き、救うためだけに存在するシスターアンドロイドなのですから」
マリアは洗った雑巾を干し、三角錐の機械のカメラに向かって微笑みながら、優しく伝える。
「あの子、ローズマリーは精神世界に囚われるという選択を選ばなかった二派のうちの一人です。といっても、幼子でコールドスリープしていたため、選んだのはそのご両親でしょうが。ただ、不運だったのは、同じ場所でコールドスリープ状態に移行し、解凍に成功したのは、ただ一人彼女だけだったこと。そして、もう一派である自力で生き延びることを選んだ派閥が、既に絶滅していたことでしょうか」
その残酷な事実に、三角錐の機械は応えない。
「その事実を、あの子はいつか知るでしょう。けれど、それは今ではないのです。ですから、あなたはもうお行きなさい。聖地<はかば>を探した機械たちはみな、教会の中で見つかっています。幸い今日は月光も強いですから、彼と同じ景色が見られるかもしれませんよ」
***
「ねぇシスター、トラちゃんみつからないの。どっかいっちゃったのかな?」
既に日が落ちた後、ローズマリーはマリアと向かい合い、粗末な料理を食べながらそう切り出した。
「先ほどローズマリーがシャワーを浴びている間に汚れを拭きとりましたが、その後あの子はどこかに行ってしまったようですね」
「シスター、どこに行ったかしらない?」
「いえ、わかりません」
「そっかぁ。また、機械さんいなくなっちゃったんだね」
「そうですね。……今夜はミサの日ですが、どうしますか?」
「……ううん、おいのりはちゃんとする」
「そうですか。であれば、食べ終えたら向かいましょう」
「うん……」
ローズマリーは残念そうな顔をしながらもそもそと食事をとっていたが、やがて食べ終えて席を立つ。
「じゃあおいのりのじゅんびしてくるね」
「えぇ、慌てないで良いですからね」
「うん、わかった」
彼女が出て行ったあと、シスターは食器とテーブルを手早く片付ける。
そして、近くの棚から礼拝用の道具を取り出し、身なりを整える。
「おまたせしました」
「はい、こちらも準備できております」
そうして二人は住まいとしている建物を出て、併設されている教会へと歩き出す。
すぐに入り口にたどり着き、少し開いていた教会の扉をマリアが開き、中へと入る。教会の中はランタンもついていなかったが、月光がステンドグラスを透過して照らしており、十分に明るかった。だが、座席の影で通路は暗闇になっていた。目が慣れても、ようやく分かる程度に暗い。
そんな中を、二人は手をつないで歩く。
「足元は暗いので、お気をつけて」
「うん」
ゆっくりと二人は歩いていたが、最前席の先の通路に、見覚えのある鉄塊が鎮座しているのを発見した。
ローズマリーがそばに駆け寄る。
「トラちゃん、ここにいたよ!」
「えぇ、そうですね。ですが……」
「トラちゃんの音、きこえないね」
応答を示す発光がないだけでなく、駆動音も消えており、カメラも光を失ったように見える。
「トラちゃん、こわれちゃったの?」
「そうですね、どうやらここで力尽きてしまったようです」
「そうなんだ」
ローズマリーがトラと呼ばれた三角錐の機械に近づいて、その手で表面を撫で始めた。
「トラちゃん、きょうはいっしょにぼうけんしてくれてありがとうね。えっと、おつかれさまでした」
マリアに感情と呼ばれるものは備わっていない。けれども、その小さな命と絶えた機械をステンドグラスの光が照らすその光景を見て、何かを願わざるを得なかった。
――ああ、神様。私たちアンドロイドの神様はもういないけれど、この子を見守っている神様がいるのであれば、どうか健やかで、安らかな人生を歩めるよう、この子をお導き下さい
===
※この物語はここまでです。
※次のエピソードとは関係がありません。
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