Not Safe For Wife

2020年11月度お題:「花嫁」「鯖」「コーラ」

===

「先に聞きたいんだけど、これ、ナニ?」

「鯖のコーラ煮だけど……」


 とある日の食卓。俺は先日純白の花嫁姿を披露したばかりの蛍さんと、二人だけの夕食を摂ろうとしたのだが、見たことのない黒い物体が真っ白な皿の上に乗っているのを見て、思わず尋ねてしまった。


「えっと、見た目はちょっとアレだけど、レシピをちゃんと見ながら作ったから味は大丈夫だと思うの。だから。食べてみてほしいかなって」

「そ、そっか、まぁせっかく作ってくれたんだし……」


 そもそも鯖のコーラ煮なんて聞いたこともなかったが、いったいどこからそんなネタを仕入れてきたのか。そう疑問に思ったのだが、それはまぁいつものことなので一旦脇に置いておく。問題は味だ。

 その黒くてよくわからないものに箸を入れる。思っていたよりは柔らかく、スッと箸が沈み込んだと思ったらそのまま身が裂けていく。ただ、中身も黒っぽいのはちょっと予想外だった。味噌煮でも焼いた時のように白っぽさが残るものなのに、どうやったらこうなってしまったのだろうか。

 そんなことを考えながらも、恐る恐る口に運び入れる。


「………………」

「…………」

「……………………」

「……ど、どうかな」

「うーん、その、なんというか」

「なんというか?」

「甘い」


 とにかく甘い。鯖というと自然と口の中が塩っぽさを求め始めるのだが、そんな要素など欠片も見当たらない程に甘い。コーラ煮というとこういう風に甘くなるものなのだろうか。


「あ、あれ。塩とかも入れて調整したと思うんだけど」

「塩っぽさとか全く感じないかな。あとはちょっと……薬っぽい?」

「そっちはコーラ煮の特徴? らしいよ?」

「へぇ、そうなんだ。しかし、甘いよね、これ」

「もしかして、ダイエットコーラを使ったら甘さが足りないかなと思って砂糖を入れたせい、とか?」

「えぇ……」


 料理は得意ではないけど、ただでさえ甘くなりそうなところに砂糖を入れたらそれは甘くなるだろうと思わざるをえない、というのが正直なところだ。


「美味しくない、かな……」

「いや、美味しいか美味しくないかで言うと……、ただただ甘いというか」

「それ、答えになってないよ?」

「うっ。じゃ、じゃあ蛍も食べてみたらいいんじゃないかな?」

「レオ君に褒めてもらえなかったのは残念だけど、じゃあ食べてみるね」


 そういって、同じ魚に箸を入れる。そして少し身を切り出して、可愛らしい口でスッと咥える。

 その様子をただ眺めていると、そのまま少し咀嚼して飲み込んだのが分かった。

 そして一言。


「まずい」

「あー」

「絶望的に甘くないこれ?! なんでこんなに甘いの??」

「いや、砂糖入れたからじゃないの?」

「リョウジの嘘つき! レシピ通りに作ったのに!」

「えっと、リョウジって、誰?」


 咄嗟に出た、あからさまに男性の名前を聞いて少しムッとしてしまった。


「え、知らないの? 料理系youtuberで色んなレシピとか調理動画を上げてる人だよ? って陽太君が言ってたけど」

「それ、リュウジじゃなくって?」

「えっ?」

「えっ?」


 蛍はサッとテーブルの上に置いていたスマホを手に持って操作し始めた。お行儀は悪いがこの際仕方ないだろう。

 陽太については知ってる奴のことなので、特にどうとも思うこともなかった。


「こ、この人……」


 youtubeの画面を開いて、動画を流した状態で二人の見える位置に置いたので、その画面を見てみる。


「やっぱり、俺の知ってる人とは違うっぽいね」


 そう言いながら、置かれたスマホを操作する。動画からチャンネルのページを開き、登録者数などを確認する。


「ほら、これ見て。登録者数が3000人くらいでしょ? 本物だったらそれこそ数十万人は行ってるって公言してるわけだし、明らかに偽物だよ」

「ほ、ホントだ。騙された……。ううう」


 恥ずかしいのか悔しいのか、俯いて身体をプルプルと震わせる。

 こういうのに騙される人ってホントに居るんだなぁ、と、なぜか呆れよりも先にほっこりとしてしまった。

 しかし、こういうちょっと抜けてるところがあるのも蛍の可愛いところだと思う。


 そもそも蛍と知り合ったのは、近所のランニング同好会みたいなところで知り合ったのがきっかけなのだが、その時もポカをやらかしたのが原因だったりする。

 自分が入会したその日、既に入会していた蛍はグラウンドを走っていたのだが、あろうことか飲料を何も持ってきておらず、あまつさえ財布まで忘れてきていたのだ。それに気づいて、近くの自販機の近くで呆然としているのを見かけて、思わず奢ると言ってしまったのが最初だった。


 それからというもの、少しずつ話す機会が増えていき、お互いの家が比較的近場だということで、次第にランニング以外でも交流するようになっていった。

 最初はただの知り合いだった彼女だが、20cm以上身長が低く、人懐っこい性格の彼女のことをまるで妹のように思い始め、ランニンググッズの買い物を手伝ったり、家事で困っているというので手伝いをしたり、一緒に遠方の大会に出場するために旅行したり――。

 そうやって、気づいたら、お互いのことを求めあう仲になっていたのだ。


「まぁドンマイドンマイ。次は本物の動画を参考に美味しいもの食べさせてくれればいいからさ」

「うん……」

「それにさ」


 俯いて震えている彼女に、できるだけ優しい声音で声をかける。少し涙ぐんで上目づかいでこちらを見てくるのは反則的な可愛さだが、そういう気持ちを抑えて続ける。


「こういう風に頑張ってご飯作ってくれるってだけでもすごく嬉しいなって」


 自分でも恥ずかしいことを言っているという自覚はあるので、後半から目を逸らして頬を掻く。

 蛍の方を見れないけれど、少し笑ってくれている気がする。


「……うん、ありがとう。次はがんばるね」

「あぁ、うん。がんばって」


 そんな新婚みたいな、どこか幸せな沈黙をはぐらかすかのように、テーブルの上の他の物を食べ始める。

 蛍の方も少し遅れて食べ始める。


 最初はお互い黙々と食べていたが、次第に会話が始まる。

 仕事の事、料理の事、近所の事、ご飯を食べ終える頃にはいつも通りの雰囲気に戻っていた。


「「ごちそうさまでした」」

「お皿とか洗っておくから、先にお風呂入ってきていいよ?」

「本当? じゃあ遠慮なく」


 そう言ってリビングを後にする。


 勝手知ったるという感じで浴室へと向かい、服を脱ぐ。

 浴室に入り、身体を濡らした後、二つあるシャンプーの容器のうち、明らかに女性向けのものを選んで使用する。なんとなく、蛍と同じものを使っているという高揚感が生まれる。

 ボディソープも、ボディタオルも同じものを使い、身体をきれいにしてから、湯船に浸かる。今日はたくさん運動したこともあって、その疲労が抜けていくような感覚が気持ち良い。

 特に足腰の周りが張っている気がするので、揉みほぐしながら体を温める。


 そういえば、と思い出す。

 蛍のことを最初は年下だと思っていたのに、実は年上で、しかも大手企業に勤めるやり手だったと聞いた時は心底驚いたなぁ、と。

 こちらは会社の位置は近いとは言え、中小でそこそこの会社に勤めていることもあり、少しバツが悪くなってしまったのだが、気にしないで普通に接してほしいと言われたのがなんだか嬉しかったことも覚えている。

 ただ、それも随分と前な気もするし、割と最近だった気もする。その辺がおぼろげなのは体温が上がり過ぎたせいだということにして、ほどほどに湯船からあがった。


 リビングに戻ると、蛍は家事を一通り終わらせてテレビを眺めていた。


「あがったよ」

「あ……、じゃあ次、私、入ってくるね」

「おう」


 そう言って足早に浴室に向かう蛍を見送って、つけっぱなしのテレビを見始める。

 テレビの中では名前も知らないイケメンアイドルが何かに挑戦するバラエティ番組のようだった。

 特に興味がわかなかったので、適当にチャンネルを変えたものの、特に目を引くような番組は見当たらず、ややあってテレビを消してスマホを手に取る。


 それからしばらく、ソファーに寄りかかってスマホの画面に没頭していた。

 時間にすれば40分とか50分くらいだろうか。リビングの扉を閉める音に気付いて顔をあげる。


「えっと、おまたせ」


 蛍は、バスタオル一枚を身に着けた格好だった。そんな恰好でソファーの方に寄ってくる。

 それを見て、俺もたちあがる。


「もうやることはない?」

「あ、ちょっと待って」


 そう言って、リビングのテーブルの上のスマホを操作し始めた。

 俺の方はというと、何となく手持ち無沙汰になって、蛍に近づき、優しく抱き着いてみた。

 嫌がる素振りもなく、少しだけメッセージのやり取りをしているのを頭上から眺める。

 メッセージの内容も丸わかりなのだが、気づかないようだ。

 10分もかからなかっただろうか、やりとりもすぐに終わったようだ。


「うん、これでもう大丈夫」


 蛍の顔は風呂上りのせいなのかわからないが、少し上気していた。


「そっか」


 少しだけ、にやりと笑う。

 蛍は少しだけ、切なそうにこちらを見て言う。


「私、もう我慢できないよ」

「今日も一日中一緒だったのに?」

「それでも」

「そっか」


 お互いの唇を、軽く触れ合わせる。


「それじゃあベッドに行こうか」

「うん」


 裸の俺と、布一枚だけの蛍は軽く手をつないでベッドルームに向かう。

 少し冷えた床も気にならない程度に、俺たちの体温は上がっていた。

 大会前のようでもあるし、初めてのデートの時のようでもある、そんな興奮を感じる。

 言葉はないけれど、体温を通じて心が触れ合っている気がする。


 短い廊下を通り、部屋に入り、ベッドに腰掛ける。

 お互い無言のまま、今度は蛍から口づけてきた。

 さっきよりも深く混じりあう。蛍の身体から、バスタオルがはだけ落ちて、そのままベッドに抑え込まれる。


「そういえば、いつ帰ってくるって?」

「明日の夜、だって」

「そっか、新婦を1カ月もほったらかして出張なんて、陽太も悪い奴だよな」

「そうだよ。だから、ね」

「あぁ」


 それ以降無言で俺と蛍は、お互いを貪り始めたのであった。

===

※この物語はここまでです。

※次のエピソードとは関係がありません。

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