グリフォン・マリッジ
2021年2月度お題:「タバコ」「お札」「リング」
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白い息と愚痴が公園の街灯に照らされて消えていく。
「でさー、ウチ今日誕生日なのに、シュンってば"おめでとう"だけってひどくない?!」
「アリスさぁ、流石にあいつとは別れたらー?」
話を聞いたマナミが、タバコを吹かしながらバッサリと切り捨てる。
「でも会った時はめっちゃ愛し合ってるし。それにシュンが今年大学卒業だけど、ウチが来年高校卒業したら一緒になろうって言ってくれてるし」
「いやいや、セックスもお金使うのも愛情表現?ってやつじゃん。それもないってのはありえないってー」
タバコを吸ってるせいなのか、どこか気だるげなマナミの言葉にムッとする。
「はぁ、もういい。今日はもう帰って寝る」
「あいー。んじゃまたー」
マナミと別れた後、公園の目の前にあるマンションへと入っていく。
エントランスで見知らぬ男とすれ違ったが気にせず、6階の自宅へ向かう。
自宅には鍵もかかっておらず、静かで暗い家の中を歩いていく。
「……」
リビングには、空になった酒缶と、裸体に申し訳程度に毛布をかけた母親が横たわっていた。
いつものこと、そう思いながら冷蔵庫からペットボトルを取り出して自室へと引き上げる。
男のニオイに満ちているであろう浴室に入る気にもなれず、そのままベッドに横になっていると、いつの間にか寝てしまっていた。
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目が覚めると、もう昼前だった。
「今日もサボりでいっか」
そう呟いてベッドから立ち上がる。
なんだかお腹がすいたので、とりあえずリビングへ向かう。
リビングには母親がいた。
「あら、学校行ってなかったの」
「気分じゃないから」
最低限の衣服を身に着けた母親の隣には、知らない優男がいた。
「こんにちは」
「誰?」
「アンタを買いたいってさ」
母親が、よく分からないことを言う。
「いや、意味わかんないんだけど」
「これ、アンタをこいつに売った金さ」
母親は机の上の、お札の束を指さして言う。
「初めまして。ナオトです」
「うっさい。アンタは黙ってて。てか曲がりなりにも母親でしょアンタ。意味わかんないんだけど」
「意味わかんないじゃないよ。アンタはもうコイツのもの。だからもうこの家から出ていきな」
「は?それが母親のセリフなわけ?」
「もうコイツに売ったんだから、母親でもなんでもないわよ」
「そういう問題じゃなくない?」
「そういう問題よ。金も受け取ったし」
「いや、ちょっと待ってよ。流石に人としてどうかとか、世間体とか、何も思わないわけ?!」
「思わないね。いいからさっさとコイツと出ていきな」
「あったまきた。いいよもう。そこまで人でなしだと思わなかった!男に遊ばれて野垂れ死んじゃえバーカ!」
あまりの理不尽さに頭に来た。こんな家、こっちから出て行ってやる。
そう思いながら、自室へ戻り外泊用のバッグに手近な服や荷物を詰込む。
そして、すぐに家を出たのだが、家の前にはナオトと名乗る男が立っていた。
「それじゃあ、まずはウチに案内しようか」
「いや、ダチんとこ行くんで」
「別に取って食おうってわけでもないし、それにアリスちゃんの方も頼れる人、そんなにいないんじゃない?」
図星だ。マナミ以外に頼れる友達なんていない。
ナオトの方は、予想通りといった風に言葉を続ける。
「君の意志は尊重するし、今まで通り自由に生活してもらっても大丈夫。そうだね、最初はウチをホテルか何かだと思ってもらえばいいよ。だから、荷物を置きにいくつもりで、まずはウチに来てみないかな?」
無言でナオトの方を見る。ナオトは微笑みながら、アリスの目を見つめ返す。
「……ホントに?」
「あぁ。神に誓って」
「変なことするならケーサツに逃げ込むから」
「分かっているよ。それじゃあ改めて。天鷲直人<アマワシ ナオト>だ。ナオトさんって呼んでくれると嬉しいかな」
「馬場可須<ババ アリス>。よろしく」
その後は、促されるままナオトの車に乗った。
10分くらい走ったところで、地元では有名な高級住宅街の一角に止まり、ナオトの家のリビングに通された。
「それじゃあ、これ」
そう言って、ナオトは棚の上にあった鍵をアリスに手渡した
「なにこれ」
「この家の鍵だよ。さっき言ってた通り、これまで通り好きに生活してくれて良いから」
「……どういうつもり?」
親に身売りさせられたことについてはさておき、この男が"買った"のは事実だろう。
そして、その客観的な意味を知らないわけではない。
「どうもこうもしないさ。ただ、今度からここが君の家だってことだよ」
「今から外に出て、夜中まで帰ってこなくても?」
「それは困る。君が事故にあってないか心配になってしまうからね。早めに帰ってきてくれると嬉しい」
「……一つだけ聞いてもいい?」
「何だい?」
「おじさん、いくつ?」
「あはは。来年でアラフォーさ」
===
それから数日。今まで食べたことがない美味しい料理、あまり男性のニオイのしない綺麗なお風呂、そういったこれまでの生活とはまるっきり異なる日々を過ごしたウチは、少しずつナオトのことを信用し始めていた。
――週末
「それじゃあ、買い物デートに行こうか」
「デートじゃないし」
前夜、服が欲しいと相談したところ、ナオトは一緒に買い物を行くことを提案してきたのだ。
それならいいと断ったが、押しに負けて二人で行くことになった。
ナオトは車を走らせ、都内のアパレルブランドが立ち並ぶ一角へと立ち寄る。
「あぁ、お金の事なら気にしなくて良いから。全部僕からのプレゼントってことで」
「……それで機嫌をとるつもり?」
「いいや。どちらかと言えば……」
「?」
「ううん、なんでもないよ。それじゃあ行こうか」
「あ、待って」
それから二人は立ち並ぶブランドショップを順番に見て回る。
スカートやシャツだけでなく、コート、バッグ、化粧品、もちろん、下着も。
ナオトはウチがちょっとでも興味を示したものは値段も見ずに購入するから少しだけ引いたけど、ウチの方もも少しずつ遠慮がなくなっていった。
「それで、デートは楽しんでもらえたかな?」
「楽しくはなかったけど、満足はした」
「それは良かった」
「えっと、現金な女って思った?」
「そんなことないさ。僕の誠意が伝わって嬉しいよ」
そしてナオトは、思い出したかのように聞いてきた。
「そういえば、明日からは学校に行くんだろう?」
「え?まぁ、たぶん……」
「そっか。学生の本分は勉強だからね」
「……」
「転校するのも変だし、今の学校の近くまでは送ってあげるから、しっかりと通うんだよ」
「……わかった」
――週明け
「行ってらっしゃい」
「行ってきます」
ナオトに見送られて学校へ行く。
教室には既に他の生徒が居るが、誰にも話しかけることはないし、話しかけられることもない。
授業が始まっても、休み時間になっても、午後になっても。
そして下校時間になると、挨拶もせずに教室を後にした。
――翌日
前日と変わりなく、ただただ教室で時間を潰す。
――その翌日
昨日と変わらない。虚無の時間が続いた。
――またその翌日
「今日はめんどいから学校行かない」
ついに、ナオトにそう切り出した。
「どうして?勉強はあまり役にたたないかもしれないけど、学校に通うことに意味はあると思うよ」
「そんなわけないじゃん。行っても意味ないし」
「友達とかは?」
「マナミは別の学校だし、あのクラス、というか学校には友達なんていないし」
「どうして?」
「うっさいなぁ。もう放っておいてよ」
「そうはいかないよ。だって」
「あぁもういい。今日は出かけるから。じゃあね」
「あっ、待って」
逃げ出すようにナオトの家を後にすると、どこに向かうでもなく、歩き続けた。
「大人っていつもそう。こっちのことなんか考えないし、自分の正しいと思うことばっかり押し付けて」
母親だってそう。知らない男を家にあげて、どれだけ怖い思いをしたか。
学校の先生だってそう。勉強が少し分からないだけで、どれだけ疎外感を受けたか。
シュンだって――
「あ、そういえば」
シュンからもらった物、前の自宅に置いてきたことを思い出す。
「……一応、取りにいこうかな」
幸い、無意識のうちに"元自宅"の方に歩いていたらしく、そのまま取りに行くことにした。
===
思っていたよりも距離はあったが、なんとか住んでいた家にたどり着いた。
そして、いつも通り、鍵のかかっていない玄関扉を開けて家に上がる。
「あれ、シュンの靴?」
玄関にあったのは、以前ひと月前にプレゼントした靴だった。
もしかしたら、最近連絡をとっていなかったことを気にして会いに来たのかもしれない。
淡い期待は、リビングから聞こえる声に切り裂かれた。
「んっ。アリスじゃなくて、私でいいの?」
「連絡も寄越さねぇんだし、他の男んとこ行ったんだろ?あのカス」
「んっ。そう、ね。私が売ったんだけどっ」
「ふんっ。まぁ元々飽きてたからそれはいいんだよ。けど溜まった時に使えねぇのはふざけんなって話」
「だからって。あぁっ」
「うっせぇよ。アンタから誘って来たんだからただ喘いでいればいいんだよ。オラッ」
「あっ」
それ以上その空間にはいることはできなかった。
===
どこをどう歩いてきたのかわからない。ただ、陽が落ちた路地をひたすらに歩いていた。
分かったことは、"元彼氏"と"元母親"が繋がっていた、ただそれだけのこと。
"元彼氏"は自分のことをただの"相手"としか見ていなかった。
"元母親"は自分のことを本当に"娘"として見ていなかった。
その事実を押し付けられて、潰れてしまいそうだった。
「うっ……」
何度目か。近くの公園のトイレへと駆け込み、胃の中の物を吐き出そうとする。
だが、唾液なのか、胃液なのか、分からないものしか出てこない。
このモヤモヤとした気分は吐き出しきれない。
水道で軽く口を濯ぎ、またどこかへと歩き出す。
一体自分は何のために生まれてきたのだろうか。
お金がなくとも、学がなくとも、愛さえあればそれでいいと思っていたのに。
親には愛されず、彼にも愛されず、社会にも愛されなかった。
ウチは生きている意味があるのだろうか?いっそ死んでしまってもいいんじゃないだろうか。
そんなことを考えながらずっと夜道を彷徨う。
「あっ……」
いつの間にか、ナオトの家の前にたどり着いていた。
二階のナオトの部屋に明かりがついていることに気付いて、自然と身体が動く。
玄関を開け、階段を上り、ナオトの部屋をノックする。
「入って大丈夫だよ」
優しい声音に促されて部屋に入る。そういえば、彼の部屋に入るのは初めてだっけ。
正面の椅子に座った彼が優しく声をかけてくる。
「おかえり。もうすぐ日付が変わる時間だし、心配してたよ」
自然と涙が溢れてきた。
「ナオト、さん……」
「うん?」
「うん。ぐすっ。うわあああん」
椅子に座るナオトに泣きながら抱き着く。
ナオトは抱きしめ返して、優しく頭を撫でてくれた。
===
「それで、何があったんだい?」
ひとしきり泣いたあと、ナオトは暖かい飲み物を取ってきて質問した。
先ほど見たもの、聞いたこと、感じたことを包み隠さず話した。
ナオトは珍しく顔を歪ませた後、頭を撫でながらこう言った。
「よく頑張ったね」
「頑張った?」
「あぁ。かわいそうだと言えばそうだろう。辛かったことにも共感する。でも、それを今乗り越えようとしているアリスが一番頑張っているし、ここまでよく頑張ったと思うんだ」
「……うん。そっか、私、頑張ったんだ」
「そうさ。昔から君は人のために頑張る子だったからね」
「昔?」
「あぁ。君は忘れてしまったかもしれないけれど、君は僕の恩人だからね」
「待って、それってどういう意味?」
ナオトは軽く微笑み、これまでの経緯を語りだした。
曰く、ウチが幼い頃に失くした仕事の資料を一緒に探して見つけてくれて、その結果財産を築いたこと。
その時、母親から勝手に変なことをしたと暴力を振るわれていたこと。
「だから、この財産は君を救い出して、そして君のために使おうと思ったんだ」
「私なんてもう生きる価値もないのに……」
「そんなことないよ」
ナオトは机の引き出しを開け、小さな小箱を取り出す。
「それって」
開くと、そこにはダイヤの付いた、小さなリングが納まっていた。
ナオトはそれをつまむと、そっとアリスの左手を取り、恭しく薬指に嵌めた。
「君は価値がないと言うけれど、僕にとっては価値あるものだ。だから、僕のものになってほしい」
「……はい」
===
※この物語はここまでです。
※次のエピソードとは関係がありません。
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