ペアリング
2021年4月度お題:「管理」「ダイヤ」「努力」
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「なあ、赤井」
「なによ」
「お前、自分の名前って今でも嫌いか?」
「……当たり前じゃない。大っ嫌いよ」
「そうか。いや、質問した俺が悪かった。すまない」
「……」
暫し、二人しかいない教室が沈黙する。
窓の外から、運動部の掛け声がはっきりと聞こえる。
『赤井』と呼ばれた女の子の方は、"美化委員会"と右上に書かれた書類を書く手を止めた。
そして、書類にまで垂れていた前髪を荒々しく払いのけながら目の前に座る大柄な男子生徒を見据える。
「アンタの方こそどうなのよ」
「うん?」
「女の私と同じ"ダイヤ"って名前、嫌じゃないの?」
「そうは言っても漢字は違うしなぁ。俺は"大也(だいや)"でお前は"宝石(だいや)"だろ?」
「そういう問題じゃないでしょ!さっきだって、『身体はデカいくせに女々しい奴だ』って言われてたの、アンタも聞こえてたんじゃないの?!」
「まぁね」
男子生徒の方も書いていた手を止め、幾分か目線が下になる女の子の目線を正面から見据える。
しばらく対峙した目線は、女の子の方が先に逸らした。
身長差から、はた目からは先生に叱られる生徒のようでもある。
「どうしてアンタはいっつもそうなのよ。勉強だって、運動だってできるし、努力してる。身体だって大きいんだからなんだってできるじゃないの」
何にもできない私とは違って、と呟いた声は、そのまま教室に染み込んでいった。
俯く女の子を前に、男子生徒の方は、頬を掻きながら答える。
「そうは言ってもなぁ。委員長ってガラじゃないし、放送委員や体育委員なんかは先に埋まってただろ?」
「確かにお昼の放送してるのなんて想像もできないし。体育委員は割り込む余地もなかったけど、委員長は立候補すれば応援する人だっていたんじゃないの?」
「そんな人徳はないって。それに、図書委員や保健委員はほら、目立ちたくない奴らが逆に集まってたし」
「でも、その辺って人とか本とかを運んだりするからけっこう体力がいるらしいのよ?あんな陰キャ達がやるくらいならアンタがやれば良かったじゃないの。それに、アンタけっこう本読むの好きなんでしょ?」
「それでもまぁ、希望者は優先してあげるべきだよ」
男子生徒はちょっとだけ残念そうに笑った。
「まぁ、アンタが風紀委員に入らなくて良かったとはちょっとだけ思ったけど」
「それは、どうしてかな?」
「ちょっと考えれば分かるでしょ!アンタみたいなのが校門の前で仁王立ちしてたら他の生徒達がびっくりするじゃない!」
「そうかなぁ」
「そうよ!」
「でもそれで遅刻者が減るならいいと思わないかい?」
「……じゃあアンタなんで立候補しなかったのよ」
「それはもちろん、怖がらせたくないからね」
男子生徒の方は、悪戯が成功した子供の顔をしていた。
女の子方は溜息をつく。
少しだけ教室の空気が和らぐ。
「それでまぁ、新聞委員とボランティア委員、あと選挙管理委員は放課後の拘束時間が長いから避けるのはわかるとして、仕方ないからって"ハズレ"委員を選んだってわけ?」
「まぁそうなるね。どれかの委員会には所属しないといけないわけだし」
「私とアンタ、二人だけになるって分かってても?」
女の子の方は、今度は少しだけ、縋るような目で男子生徒の方を見る。
一呼吸おいて、男子生徒は書類への書き込みを再開させながら応える。
「あぁ、そうだね。分かっていても、ね」
「他のクラスでも、美化委員会は仲間外れの女の子達がやってるじゃない。そんなとこに所属したら、女の子目当てとか、実は女みたいだからとか、色々言われるって思わなかったの?」
「まぁ、一瞬思ったけど、別に気にすることも」
「いや、ちょっとは気にしなさいよ。高校一年生の春にそんなことになったら、三年間苦労するのはアンタなのよ?」
「中学校の時みたいに?」
「ええ、中学校の時と同じように、よ」
シャーペンを持ったままの右手を顎にあて、少し考える素振りを見せる。
「それはたしかに困るかもなぁ」
「アンタ、ホントにわかって」
「だから、また困ったら助けてくれないかな。赤井」
「ダイヤ、よ。助けて欲しいならね」
「わかったよ。ダイヤ」
「それでいいのよ。わ、私だって、困った時は青野じゃなくてダイヤに助けを求めるから。ちゃんと助けなさいよ」
「はは。わかってるって」
それから二人は顔を見合わせ、クスリと笑う。
そしてまた、書類の続きを書き始める。
―カッカッカッ
――ゴスゴス
―――トントン
文字を書いたり消したり、悩みを表すかのようにリズムを取ってみたり。
時折、運動の掛け声も聞こえてくる。
そんな穏やかな時間は新たな来訪者によって終焉を迎えた。
「あ、ダイヤ、まだ残ってたんだー」
女子生徒は声をかけて、教室へと入ってくる。
忘れものでもして急いできたのだろうか、少しだけ上気した顔色だ。
「「美化委員会の資料作りよ」のためにね」
青野大也(ダイヤ)と赤井宝石(ダイヤ)の声が被った。
先ほどの雰囲気は立ち消え、赤井は剣呑な目つきで青野を睨む。
女子生徒の方は自身の机にたどり着くと、その中を漁りながら話を振ってくる。
「青野君は真面目だねぇ。赤井さんのお手伝い、大変じゃない?」
「そうでもないよ。逆に、赤井さんのおかげで来週までの仕事はほとんど終わってるし」
「あ、そうなんだ。意外ー」
「橘さんは新聞委員の活動、もう終わったの?」
「まぁね。ウチ以外の3人は早々に帰っちゃったから、ちょっと時間かかったけどね」
「それはまぁ、お疲れ様」
「はぁ、あのサボり屋どもが青野くんくらい手伝ってくれそうなら良かったんだけどね。ウチがやる気あるし、任せておけばサボれるだろうからって新聞委員に立候補したんだってさ。ヒドくない?」
「それは流石にヒドイ」
「まぁ、あんな努力もしない役立たず共、こっちから願い下げだし。それに、好きにクラス担当分の新聞記事作れるって考えたら悪い気もしないからいいんだけどね」
「橘さん、昔から新聞記者になるって言ってたしね」
「そうそう。だから、これはこれで良かったのよ。まぁ、アイツらの思い通りになるのは癪だけどね」
橘は溜息を一つついたあと、手に取ったケースをカバンに仕舞い、来た道を戻っていく。
「そっか、それじゃあ新聞づくり頑張って」
「んっ、頑張る。青野くんと、そっちの睨んでるお姫様も資料作り頑張ってね。そんじゃー」
橘はこちらに背を向けて、肩越しに手をヒラヒラと振りながら教室を後にする。
彼女が教室に居た時間は一瞬だったが、教室の雰囲気は先ほどまでとは打って変わっていた。
赤井が青野を睨みながら話す。
「アンタ、なんで被せるのよ」
「いや、ダイヤって言われたから反射的に、つい」
「そうはいっても美香(ミカ)がダイヤって呼ぶのはだいたい私でしょ!アンタが反応しなきゃ良かったじゃないの!おかげでまたからかわれるじゃないの!」
「いや、それはその、橘さんならまぁ、たしかにそうだな。すまない」
青野は困った声で謝る。
赤井は俯き、ぽつりと呟く。
「やっぱり、この名前嫌いだわ」
運動部の掛け声は、今はしていない。
少しだけ、沈黙が教室を支配した。
「俺なんかと一緒にされるの、やっぱり迷惑だよな」
青野は本当に申し訳なさそうな声で呟く。
それを聞いた赤井は勢いよく顔をあげる。
「ち、ちがう!それは嫌じゃないし別にいいの!そうじゃなくって、その……」
声が少しずつ小さくなる。また、顔を俯かせる。
「私は勉強もそんなにできないし、運動はちょっとできるくらい。けど言い方がキツイせいで他の人からはウザい奴って思われてるし。そんな私と一緒にされたら、青野の方が迷惑じゃないかなって」
「俺はそうは思わないけど」
「私がそう思うの!同じ名前だからって、そのせいで迷惑かけてるんじゃないかって、心配なの!」
赤井は涙目で青野を見る。
青野は穏やかに笑いながら、大きな手で赤井の頭を撫でる。
「……ありがとな」
「うっさい。バカ。あんまり撫でるな。今はいいけど」
しばらく撫でられるままだったが、廊下に人の気配がしたので手を離す。
赤井は残念そうな顔をするが、離さないと後が怖い。
上級生が教室を一顧だにせず歩き去っていった。
「資料づくりを再開しようか」
「そう、ね」
二人とも、いつの間にか立ち上がっていたので着席する。
青野は書きかけになっていた文章の続きを書き始める。
赤井は書き終えた3枚ほどの資料を見直し始める。
「そういえば」
青野は文章を書きながら気楽な調子で切り出す。
「なによ」
「やっぱりダイヤって呼ばない方がいいんじゃないかな?」
「なんでよ」
「だって、"ダイヤ"だけだとどっちか分からないだろ?さっきみたいに」
「いいのよ。アンタから呼ぶってことは私ってことでしょ。逆に、私が呼ぶ時はアンタなんだから、そんなに混乱するわけないじゃないの。気にせずダイヤって呼びなさい」
「それもそっか」
「もう。何回も言ってるんだから気にしないようにしなさいよ」
「あはは。悪い悪い」
「それももう何回目よ」
ただ、言葉の割に表情は柔らかい。
先ほどのように慌てることがないのは、これまで幾度となく繰り返してきた話だからだろうか。
「そういえば、日本でも改名するのって一応認められてるらしいね」
青野の方も、意に介さず話を続ける。
「へっ?そうなの?芸名とか通名とか、苗字の話じゃなくて?」
「名前の方だよ。色々条件はあるみたいだけどね」
赤井はそれまでとは違う、興味のある顔で青野の方を見る。
青野は書類からは顔を上げず、言葉だけを続ける。
「難しくてちゃんと呼ばれないとか、色々紛らわしいとか、そういうのでもいいんだってさ」
「でも手続きとか面倒だったり、お金とか大変なんじゃないの?」
「書類書いて裁判所に出すだけだって。時間とお金はあんまりよくわからないけど」
「へぇ。でも、そういうのって中々認められないんじゃないの?」
「まぁ時と場合によるんじゃないかな。新しく親族になった時に紛らわしい時とかは認められやすい、ってこの前テレビで言ってる人がいたよ」
「なるほどねぇ。じゃあアンタと私が一緒になれ、ば……」
青野の書き手が止まる。
赤井は何を言いかけたか気付いて、途中で言葉が詰まる。
そのまま顔を真っ赤にしながら、慌てて弁明する。
「ち、ちがうの!そういう意味じゃないの!アンタと結婚したらとかそういうんじゃないの!ね!わかるわよね?!」
「あ、ああ。今のは例えばって話だろ?」
「そ、そうよ!話の流れで、ね!もしかしたらそういうこともないとは言わないけど、今すぐできる話じゃないからね!勘違いしないでよね!」
「そ、そうか。そうだな。わかった」
慌てた様子で気付いていない赤井と、そのことに気付いた青野は対照的だった。
「あ、私、そういえばこの後家でやることがあるんだった!これ、3枚とも書き終えてて問題ないから、提出とかはお願いね!じゃあ!」
電光石火。書類を押し付けた赤井は自身のカバン―小学校の時に、青野がお礼として上げたキーホルダーがついている―を持って、赤井は逃げるように教室を後にしたのだった。
青野の方は、暫し呆気にとられた後、まんざらでもなさそうに独り微笑みつつ、書類作業に戻るのであった。
===
※この物語はここまでです。
※次のエピソードとは関係がありません。
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