Real Try Amazing

2021年9月度三題噺:「ヲタク」、「姉」、「スポーツマン(ウーマン)」

===

 俺、武藤翔(むとうかける)は、『元』陸上選手だ。


 陸上を始めたのは小学生の頃。当時運動が苦手な自分が嫌で、地元のクラブに入部したのがきっかけだ。

 当時は本当に足も遅かったが、努力を続けた結果、中学卒業前には県の代表クラスに、高校3年生の時にはインターハイに出場し、大学も強豪と呼ばれる学校に入学できたのだ。


 けれど、そんな俺の選手生命は突如として奪われてしまった。


 いつも通りランニングをしていた時に、馬鹿な大学生が飲酒運転をした車に後ろから跳ね飛ばされたのだ。

 陽が落ちていたとは言え、蛍光材の付いたものを身に付けていたにも関わらず、『気付かなかった』らしい。


 俺はというと、その後すぐに救急車で運ばれ、治療を受けた結果、一命はとりとめた。

 だが、命は助かったものの、選手生命は絶たれたのだ。事故の後遺症で、左半身が上手く動かなくなったせいで。

 最初に気付いたのは、ナースコールをしようとして、左腕が思ったように動かなかった時で、そのことに気付いた俺は、絶望の音を聴いた気がした。


 その後、医者の説明を真に受けて懸命なリハビリを受け、両親やチームメイトの助けもあって、事故から1カ月と少しで退院することはできた。走ることはおろか、歩くのもゆっくりではあるが、医者は驚異的な回復だと驚いていた。

 でも、これまで陸上に人生を捧げてきた俺の心の中はずっと真っ暗闇の中だった。


 退院後は宿舎ではなく実家に帰った。なんとか自室に戻り、ベッドに腰掛けた時、ふいに壁や棚に飾られた過去の賞状やトロフィーが目に入った。その瞬間、猛烈な喪失感と絶望感に襲われてしまった。


「リハビリも、雑務も、もしかしたらまた走れるようになるかもしれないって、そう信じてやってきたのに……!」


 そんな時、乱雑なノックの音がした後、扉が開かれ、侵入者が現れた。4つ年上の姉である紫乃(しの)だった。


「お勤めご苦労さん!」

「…………」

「よいしょ、っと」


 遠慮もなにもせず、俺の横に腰を下ろす。

 いきなり部屋に入ってきて、隣に腰を下ろした後しばらく、お互い一言も発さなかった。

 自室だというのに、居心地が悪くなり、思わず口を開いてしまう。


「……少しは遠慮とかしねーのかよ」

「あんたに遠慮なんかいらないでしょ?けど」


 いきなり、俺は抱きしめられる。


「頑張ったね、翔」


 たった一言、それだけで、先ほど呑み込まれそうな絶望感が和らいだ気がした。

 姉は昔からそうだ。普段はぞんざいで、大雑把で、俺に対してはわがままで。

 けれど、優しくて、意外と面倒見が良くて、俺のことも一番応援してくれていて。


「あね、き……うぅっ」


 姉は構わず、何も言わず、ただ頭を撫で続けてくれた。

 これまで我慢していた涙が溢れてくる。


 俺はこの日、事故に遭って初めて泣いたのだった。


===


 それから数日。大事をとって大学を休んでいた俺はひたすら暇だった。


「体、鍛えても意味ないしなぁ。勉強もやる気でねぇし。はぁ……」


 これまで、走るか、身体を鍛えるか、走るために勉強するかしかしてこなかった自分は何をやればよいかわからなくなっていたのだ。


 ――ピンポーン


 そんな昼下がり、突如家のインターホンが鳴った。平日真昼間、姉も両親も仕事に出かけて俺以外誰もいない家。

 サークル仲間以外ほとんど知り合いもいない俺に、尋ねてくる奴なんていないだろうし、きっとセールスか何かに違いない。居留守でやり過ごすことに決めた。


 ――ピンポーン


 だが、そいつはしつこかった。いつまで経っても帰らず、インターホンを鳴らし続けた。


 ――ピンポーンピンポーンピンポンピンポン


 しかも次第に激しくなる。鬱陶しくなってきた。


「っはーい、すぐどぇまーす」


 若干口が動きづらいせいか変な発音になってしまったが、この際どうでもいい。

 動きづらい身体をなんとか動かし、玄関へ向かう。

 返事が聞こえたのか、インターホンの連打は止まっていた。

 なんとか玄関にたどり着いて扉を開ける。


「はーぃ」

「よっ、久しぶり!」


 扉の前に立っていたのは、チームメイトの一人、柏原成海(かしわばらなるみ)だった。


「暇してるんだろ?遊びに、っておい」


 思わず玄関扉を閉めようとすると、新聞勧誘並みの素早さで足を滑り込まされる。


「いや、足は大事にしろよ」

「いやいや、仲間も大事だろ?」


 仲間、という単語に思わず心が揺れてしまう。

 その隙に、あっという間に扉は開け放たれてしまった。


「というわけで、邪魔するぜ」


===


「漫画ももってこようと思ったんだけど重くってさぁ。ゲームならまぁいいかって」


 テレビゲームの本体ごと持ってきていた成海をリビングへと通す。

 自室に連れて行こうとも思ったが、あいにくゲームを接続するモニターないので、テレビがあるリビングへ通すことにしたのだ。


「で、なんで昔のなんだよ……」

「し、しかたねぇじゃん。俺が好きだからだよ」

「まぁ、いいけど」


 持ってきたのは、自分も子供の頃友人の家で遊んだゲームだった。

 ただ、成海はオタクで最新のゲームにも明るい印象があったので、古いゲームというチョイスが意外だったのだ。


「いつもやってた……、なんだっけ?そっちのゲェムとかのほうがいいんじゃねぇの?」

「あー、あれはPCでやるやつだし、PCは持ってこれねぇからな。まぁ、気晴らしになればなんでもいいじゃん」

「そっか」


 チョイスはともかく、気にかけてくれていることは純粋に嬉しかった。

 それから、成海は手馴れた様子でセッティングし、左手が使いづらい部分が大きなハンデにならないようにゲームを選んでくれた。選ばれたゲームは、子供の頃二人でよく遊んだキャラクターが競争するゲームだった。


「ただいまー」


 いつしか夢中になり、姉が帰宅した頃には日が沈んでいた。


「まったく、電気くらい点けなって、って。あれ、友達?」

「あ、はい! お邪魔してまっす!」

「んーと、どっかで会ったことあるっけ、君」

「は、はい!」

「成海だよ成海。小学校の時のクラブで一緒だった」


 高校、大学と実家を離れていたし、特に連れてきたこともなかったので覚えていなくても仕方ない。

 しばらく考えた後、急に笑顔になる。


「あー、あのナマイキな子! 大きくなったねー」


 手荷物をその辺に置き、近づいてきて、俺と成海の頭を撫でてくる。


「うあっ」

「子供扱いすんなっての」

「いいじゃんいいじゃん、あの時の子供がこんなイケメン君になってるんだもん。お姉ちゃん驚いちゃった!」


 俺は恥ずかしくなって声をあげてしまう。成海も恥ずかしいのか顔が赤くなっている。

 ひとしきり撫でて満足したのか、手を放す。


「そんじゃシャワー浴びてから、ご飯作るけど、成海くんも食べてく?」

「は、はい」

「そんじゃしばらく遊んでなー」


 姉がリビングから出て行くと、成海は俺に詰め寄ってきた。


「お前、紫乃さんがあんな美人になってるって聞いてねぇんだけど?!」

「いやまぁ、別に言うこともなかったし」


 姉はたしかに美人と言ってもいいレベルだと思う。贔屓目に見て、だが。


「いやいやいや、あんな美人身内に居たら自慢するレベルだろうが。てか俺……いや、あんな美人、もう誰かと付き合ってたりするんだろ?」

「いや、聞いたことないけど」


 勉強も運動もそれなりできたらしいし、面倒見もよく、教師からの評判も良かったので学生時代はかなり人気があったらしいのだが、その割に誰かと付き合ったなんて話は聞かないので不思議ではあった。


「えぇ、嘘だろ……。てか今……。つ、次のゲームやろうぜ!」

「あー……。いいよ、やろやろ」


 あの姉、男心を分かってないのか、分かってるのか。

 成海が少し気の毒になった。


 それからしばらくして姉が戻ってきた。ラフな格好は俺も見慣れているが、成海の方は意識が持って行かれているらしい。さっきまで成海の全勝ペースだったのに、今は良い勝負だ。


「くっっそ、なんでまた負けるんだ! つ、次こそ!」


 いやまぁ、明らかに平常心を失ってる成海の姿は、不謹慎ながら面白かった。

 そんな騒いでる俺らに興味を持ったのか、姉が近づいてくる。


「懐かしいゲームやってるねぇ。どれ、あたしにもやらせてよ」

「し、紫乃さん?!」

「なによ、やっちゃダメなの?」

「そ、そんなことないっす」

「じゃあ、俺の代わりに、はい」

「よっし、やるわよ」


 あぐらで座り、画面に向かう表情は楽しそうだ。

 成海の方もゲームに無理やり意識を切り替えてプレイし始める。


 しかし、その後は予想外だった。


「えっ、うそ、はや」

「なっ、ちょっ!?」


 先ほどまでの俺と成海のレースがお遊びと言っていいレベルでぶっちぎられる。

 同じコースを3周するゲームなのだが、1周ごとにその差は絶望的なレベルで広がっていく。

 そして。


「よっし! ふっふーん、どうよ?」

「いや、圧勝じゃん」

「俺、結構このゲーム自信あったんですけど、紫乃さんにへし折られた気分っす」

「しゃあないって成海くん。相手が悪いよ相手が」

「姉貴、このゲーム得意だったんだ」

「得意というか、元世界記録保持者だし?」

「「へっ?」」


 思わぬ単語に俺と成海の驚きが重なる。


「RTAって知ってる? ゲームのクリアタイムを競うやつ。そのゲームで一時期記録持ってたんだよねぇ。って言っても随分前の話で、新しく出てきた人に記録破られちゃって。その人に完敗してからはもう止めちゃってたんだけどね」


 どこか懐かしそうに、少し照れながら話す。


「あー、それで一時期母さんが『紫乃が最近帰ってきたら部屋に引きこもってる』って相談してきたことがあったのか」

「えぇ! 母さんが?!」

「めっちゃ心配してたよ、その時」

「うぁー、知らなかったなぁ」


 少し困惑した様子で頭を掻く。ふわりといい匂いがする。


「っっっと、その相手ってどんな人なんすか?」


 成海が口をはさんでくる。少し慌てた様子だ。


「んー、そうねぇ。その人は既婚者らしいけど、直接交流したことはないのよね。プレイが見たかったら、『ゲームタイトル ソロモード 片手プレイ』とかで検索してみたら出てくると思うよ」

「そ、そうなんすね。調べてみまっす」


 ささっとスマホを取り出し、画面に打ち込む。


「んじゃあたしはご飯の支度するねー。メニューは今食べたいものにするから文句いうなよー」


 そう言いながら、どこか軽い足取りでキッチンへと向かっていった。

 俺もその相手に興味があったので、成海のスマホ画面をのぞき込んだ。


「うわ、まじか……」

「すげぇ……」


 プレイ動画はつい先日上がったものらしい。

 発売から十年以上経つにも関わらず挑み続けていることも、すごいとしか言いようがないプレイ内容もそうだったが、俺の中では、それらを片手でプレイし続けているのが何よりも感動した。

 片手といっても、一応コントローラーを支えるために利用してはいるが、ほとんどボタン操作は一つの手で行っていたのだ。

 そんな動画をいくつか見ている中で、とある解説の文章に目を奪われてしまった。


『ちなみに、片手プレイということを謳っていますが、片手プレイというジャンルはないです』

『じゃあなんで片手?って話ですが、単純に以前事故に遭ってあんまり動かないだけです。ただそれだけ』

『でも、そのおかげで僕はこのゲームのすばらしさに気付けたし、このゲームのおかげで立ち直ることができたんですよ!逆に感謝してるくらい。これってすごくないですか?』


 自然と涙が溢れてきた。

 単純にハンディキャップとしか思っていなかった自分の頭を、全力でぶん殴られた気分だった。

 成海も、似たような気分だったようで、押し黙ってしまった。


「父さんも母さんも遅くなるって。冷めちゃうから早く来なー」


 ハッとして顔を上げると同時に、俺たちの腹が鳴った。


===

「「「ごちそうさまでした」」」


 姉の作った料理はいつも通り美味しかった。

 手分けして後片付けをした後、なんとなく3人はテーブルに向かい合って座っていた。


「そういや、見つかった? さっきの」


 なんとはなしに姉が尋ねてくる。


「あ、うんすぐに見つかったよ。すごかった」

「でしょ。プレイも凄いけど、あれを片手でやってるんだから半端ないよねぇ」

「紫乃さん、あれを見てやめちゃったんすか?」

「んー、まぁプレイ自体はマネできなくもなかったんだけどね。けど、なんか敵わないなって思っちゃて」


 少し苦笑しながら、話を続ける。


「新しいカテゴリーが出来てなきゃ、たぶん片手だろうが両手だろうが同じRTAとして扱われるだろうし、努力すれば超えられるかもしれないなぁとは思うんだけどね」


 でも、と続ける。


「あたしには、そこまで努力できないなって」

「?」

「努力するのは嫌いじゃないよ? でも、あの人に勝つだけの熱は持てないなって。そう理解しちゃったの」

「そうなんだ」

「でも、すごかったでしょ? 片手なのをハンデにせずに、あんなプレイできちゃうなんて」


 俺と成海は頷くしかなかった。


「だからね、いつかまた、翔にも前を向いて歩き出して欲しいなって思っちゃうの。あ、もちろん、しばらくはゆっくり休みなよ? 時間がかかってもいいから。ね?」


 俺を見る姉のまなざしは、慈愛に満ちていた。

 なんとなく気持ちは伝わってくる。自然と、俺は頷きを返していた。


「うん、よろしい。そういえば、成海くんはいつまでに帰ればいい感じ? それとも泊ってく?」

「えっ、いや、そこまでお世話になるわけには! そ、それに、いくらコイツが居るとはいえ、俺みたいなのがいたら彼氏さんとか嫌な顔するんじゃないんすか?」

「彼氏? あぁ、そんなのいないし、残念ながら居たこともないから心配しなくていいわよー」

「えぇ……。てか、ほんとに居たことないんすか? 彼氏」

「ないない。てか、全部断っちゃったしねー、告白」

「えー、なんで断っちゃったのさ」

「んー、それはねー」


 少し考える素振りを見せる。一瞬ちらっと成海をみた気がする。


「金メダルを持った王子様が、迎えに来てくれるのを待ってるからかなぁ」


 ニヤニヤした表情でそう嘯いてみせる。


「なんだそれ」


 意味が分からないので追撃をかけようとするが――


「お、俺、用事思い出したんで! すいません! やっぱ帰ります!」


 突然立ち上がり、成海は一目散にリビングを出て行った。


「……あいつ、ゲーム置いていきやがったな」

「……そうね。また今度来た時に渡してあげればいいんじゃない? それに、暇なら使わせてもらっちゃえば?」

「まぁ、そのつもりだったかもしれないし、一応連絡だけはしておくよ」

「ふふ。それじゃあゲームの片付けよろしくね。私は部屋に戻るから」

「ん、おやすみ」

「おやすみー」


 一人になって、先ほどの姉の言葉を思い出す。


「いつかまた、か」


 陸上はできなくなってしまったけど、別の何かなら俺にもやれることがあるかもしれない。

 漠然とした希望を抱いた俺は、また歩き出そうと決意したのだった。

===

※この物語はここまでです。

※次のエピソードとは関係がありません。

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