ロシアンシュークリーム

2021年12月度三題噺:「わさび」、「領収書」、「提灯」

===

「あ、そこ間違ってるよ。こっちの領収書忘れてる」

「マジだ。わりぃ」


 私、山内理奈(やまうちりな)が指摘すると、目の前の男の子は素直に謝った。


「こういう管理票って、間違ってると後が大変なんだよ?どこで間違えたか見つかるまで探すか、別の方法で帳尻合わせないといけないし」

「うへぇ。どっちも面倒だな」

「その時は…」


 どっちでも付き合ってあげる、と言おうとしたのだが、「付き合う」という単語に恥ずかしさが湧いて言葉が出てこなくなる。

 彼のことはその、そうなれたら嬉しいけど……。


「その時は?」


 彼に促され、ハッと我に返る。


「…………わ、私も、り、良太君に全部押しつけて帰っちゃおうかな」

「そ、そんな!」

「「……ぷっ。あははは」」


 そんなやり取りの後、二人して顔を見合わて思わず笑ってしまった。

 ひとしきり笑った後、作業を再開する。

 こんな穏やかな時間がずっと続けば良いのに。


「しかし、もう文化祭も終わりなんだなって思うと、なんていうか、寂しいよな」


 そう、文化祭も終わり、今は後片付けの真っ最中なのだ。

 ちなみに、私たち以外のクラスメイトは器具の返却や大きな道具の片付けなどで軒並み出払ってしまっている。


「うん、なんかちょっと残念。でも、充実してた感じがする」

「俺もそう思うわ。最初押し付けられた時はめんどくせーって思ってたのにな」

「あー。私も最初はちょっと嫌だなって思ってた」

「もしかして、俺と一緒にやることになったから、とか?」

「ち、違うよ!」


 全力で否定する。むしろ役得だなって思ってしまったくらいだったのに。


「私、中学までこういう行事にはあんまり関わってこなかったから」

「なるほど。まぁ俺も似たようなもんだったしな」

「そうなの?意外だね」

「いやなんていうか。うちの中学の文化祭って、名前だけで資料展示ばっかだったんだよ。そういうのはやる気起きなくてさ」

「あー、そうだったんだ」

「だからまぁ、こうやってみんなでワイワイやるのはすげー楽しかったよ」

「喫茶店やるって決まった時はどうなることかと思ったけどね」

「たしかにな。そういう意味では、理奈が居てくれて助かったよ」


 「理奈」と名前を呼ばれるだけで心が跳ねてしまうのは、結局文化祭が終わっても治らなかったなぁ。

 他のクラスの文化祭委員に同じ苗字の人が居て、区別するために始めた名前呼びだったけれど、ずいぶん仲良くなったように思えて嬉しくなってしまうのだ。

 その分、色々周りの人達にからかわれもしたけど。


「そ、そうかな?」


 少しだけ声が裏返ってしまった。気づかれてないよね?


「いやだって俺らの年代で商売したことある奴なんて普通いないだろうしさ。そういうのを知ってるからすげーありがたかったよ」

「い、いや、私もただ家の手伝いって程度で、そんなに経験があるわけじゃないし」


 私の家は、小さな、それも昔ながらの商店を営んでいる。

 昔からお母さんの帳簿付けも見たり手伝ったりしていたし、お父さんの交渉や商売なんかも見ていたとはいえ、私自身が何か商売をしていたわけではないのだ。


「そう?でも喫茶店のテーマを決める時とかさ」

「あ、あれは!そ、その……」


 クラスの出し物が喫茶店に決まった後、どんなお店にするかで話が発散してしまった時の事だろう。

 皆が思い思いのアイデアを出したり、メイド服だとか水着だとか変な事を言い出したりしたので、仕方なくだったのだ。


「でもかっこよかったぜ?『自分達が作るお店なんですよ!』ってビシッと言ってさ。それで結局まとまったし」

「うぅ……」


 確かにその結果として、改めてちゃんと話し合いができたし、最終的にはお客も巻き込んで皆で楽しむパーティ喫茶店にする、と決まったのは良かったと思う。

 けど、それとこれとは違うのだ。


「みんなあれで理奈のこと見直したって言ってたしな。それに、結果的にはめっちゃ儲かったわけだし」

「それは私だけじゃなくて、り、良太君のおかげでもある、よ?」

「そうか?」

「そうだよ!皆の意見聞いて調整したりするの、大変だったでしょ?」

「あー、まぁそれは確かに。でもまあ、みんな色々言ってくれたし、それ聞いて『ならこうしようぜ』ってまとめてただけだし、そんなにって感じもするけどな」


 商売をする上でも、それが一番大変なんだけどなあ。

 それを自然と出来るって、すごい才能だと思う。

 私には……到底無理なことだ。


「でも、飾り付けに提灯使おうって言ったらスゲー反対されたっけ」

「あはは。それはまあ反対されるでしょ。喫茶店に提灯吊るすなんて、お祭りの時の軒先くらいしか見たことないよ」

「そっかぁ。良いアイデアだと思ったんだけどなぁ」

「でも、わさび入りのロシアンシュークリームは採用されてたよね?」

「あぁ、そういえばそうだったな。って言っても、他の奴に誘われてカラオケ行った時に見つけたやつの丸パクリだし、俺のアイデアかと言われると怪しいと思う」

「この喫茶店で出そうって言ったのはり、良太君だし、十分すごいことだと思うよ」

「……そっか、ありがとな」


 目の前の男の子は少しだけ照れたように頭を掻く。

 そのしぐさが可愛く見えて、胸が高鳴るのを感じる。周りに誰もいない、二人だけの空間で、こんな幸せなことってあっていいんだろうか。

 顔が熱を帯びるのを自覚する。気恥ずかしさを隠すように目線を落とすと、作業中の書類が目に入った。

 残りの作業もあとわずかだ。他のクラスメイト達が戻ってくるまで、あと30分もないだろう。


「あと少しだし、作業終わらせちゃおっか」

「それもそうだな」


 短いやり取りの後、また作業を再開する。

 けれど、心は別の事を考え始めていた。


 『こんな幸せな時間が終わってもいいの?』『文化祭が終わったら、また"遠い人"になっちゃうよ?』『そしたら、想いを伝える機会もなくなっちゃうかもね』『その前に、他の人と付き合ったりして』『本当にそれでいいの?』


 いつから私はこんなにワガママになってしまったんだろう。

 それに、良太君には、私なんかよりもきっともっとお似合いな人がいるはずだ。

 けれど、もし、あるいは……。そんな想いがグルグルし始めた頃、教室の扉が開いた。


「あ、えっと、神田くん、いる?」


 入ってきたのは、クラスメイトの上田さんだった。

 少し緊張した様子で、目の前にいる男の子を呼んでいる。


「ん?あぁ、上田さん?どうした?」

「え、えっと。ちょっと用事があって。少しだけ時間ある?」

「あぁ、いいけど。ごめん、理奈。ちょっとだけ席外すわ」

「あ、うんわかった」


 そう言って上田さんと良太君は教室を出ていった。

 ただ、なんとなく気づいてしまった。

 きっとこの後、良太君は上田さんに告白されるんだろうなって。


 それはただの女の勘って奴かもしれない。

 もしくは、自分が良太君のことを好きだからかもしれない。

 あるいはそれは私の考え過ぎで、本当に何か事務的なことなのかもしれない。


 でも、こんなタイミングでそんなことがあるんだろうか?

 そして、もし告白だったら、良太君はなんて答えるんだろうか。

 もし、もしもそれで付き合うことになんてなったら……。

 じんわりと涙が浮かんできて、鼻の奥がツンとする。


「考えるのは後にしよう。今は、これを終わらせて……」


 それで、良太君が戻ってきたらどうしよう?

 何があったのか聞いて、もし告白だったら?

 なんて答えたの?おめでとうって言う?それとも……。


「それとも、私も告白してみる?」


 自分が無意識に出した声でハッとする。

 教室の外の喧騒が耳に届いて、文化祭の片付け中だったことを思い出す。


「…………」


 なんとなく座っていられず、席を立って窓に近づいてみる。

 窓から外を見下ろすと、たくさんの学生が荷物を運搬したり、会話しているのが見えた。

 皆、一様に楽しそうに会話しているのが、今は少しだけ羨ましい。


「わりぃ、用事終わったから戻ってきたわ。ってどうした?理奈」


 良太君は、ガラッと音を立てて教室に戻ってくると同時に声をかけてきた。


「ううん。なんでもないよ。それより、用事ってなんだったの?」


 私は、窓のそばに立ったまま質問する。良太君は、頭を掻きながら席へと戻ってきた。

 そして、少し言い淀んだ後、素直に話し始めた。


「いや、その……告白、されたわ」


 『告白』という単語に心臓が飛び出るかと思った。

 そして、あぁやっぱり、という気持ちが後を追ってくる。

 努めて冷静に、次の質問を絞り出す。


「そ、そうだったんだ。それで、な、なんて答えたの?」


 良太君は少しだけ目を閉じ、開いて、私の方を見て答えた。


「俺はまだそういうのよくわかんないから、少しだけ考えさせてくれって。上田さんとは、別に仲が悪いわけでも、特別良いわけでもないと思うから、すぐに答えられない、って」


 良太君は正直に答えてくれた。

 こういう嘘をつけないところも彼らしいと感じてしまう。


「そう、なんだ。付き合いたいとは、思ってるの?」

「まぁ、俺も男子だしな。告白されて嬉しかったし、付き合うのに興味がないとは言わないけど、特別な相手って思ってない人と付き合うってどうなんだろうなって思ってさ」


 あぁ、やっぱりこの人はホントに誠実で優しい人なんだな。

 それに比べて、私はなんて身勝手なんだろう。


「良太君は、他に好きな人とか、付き合ってる人とかいないの?」

「まぁ、そういう奴は特に」

「じゃあ、付き合ってみるのもありなんじゃないの?」

「そんなんで付き合ってもいいもんなのか?」

「付き合ってから好きになる人だっていると思うよ?」

「そういうもんか?まぁたしかに、そういう人もいるだろうけど」

「それに、付き合ったらきっと今までと違う考え方になるかもよ?女の子もそうだけど、きっと男の子だってそうだろうし。それに上田さん、女子の間でも悪い噂って聞かないから、いい相手だと思うけど」

「え、えっと、理奈?ちょっと落ち着けって」


 話ながら、私はいつもの間にか良太君のそばまで近づいて、座る彼の顔に近づいていた。


「良太君は、上田さんと付き合うの?」


 良太君は、動きを止める。


「理奈、なんかめっちゃ焦ってないか?」

「だって……」


 だって、それは。


「私も、良太君のことが好きだから」


 言った。言ってしまった。

 さっきまで、身を引いた方が、とか考えてたくせに。


「文化祭の準備で良太君とずっと一緒にいたからだけじゃないよ。私、引っ込み思案で、入学したての頃は他の女子ともうまく話せるか不安だったの。そんな私に、気軽に声をかけてくれて、それがすごく嬉しかった」


 まるで走馬灯のように、入学してからのことを思い出す。


「それから他の女子ともなんとかうまく行くようになったけど、やっぱり男子とはうまく話せなくて。けど、良太君はそんな私にもずっと声かけてくれて。そんな中、同じ文化祭の委員になれて嬉しかった」


 文化祭の準備で、一緒の時間が増えるにつれて、想いは増していった。


「おっちょこちょいなところもあるけど、気さくで、優しくて、それに意外とたくましくて。こんな私も褒めてくれたりして、すごく、すごく嬉しかった。『理奈』って呼ばれて、すごく嬉しかったの」


 良太君は、私の方を見て、話を聞いてくれている。


「文化祭も終わりだけど、もっとずっと、一緒にいたいって思ってた。だけど、もし断られたらどうしようってついさっきまで考えてたの」


 それなのに。あぁ、本当に私は悪い子だ。


「けど、上田さんに告白されたって聞いて。それで、もし付き合うことになったらどうしようって勝手に不安になって。だから、私も、告白しようって思ったんだ」


 だから、改めて、ちゃんと言葉にしよう。


「改めて言うね。私、山内理奈は、神田良太君のことが好きです。上田さんじゃなく、私を選んでください」


 良太君少し考えた後、意を決したように口を開いた。


「俺は――」


***


「それで、お母さんはなんて言われたの?」


 幼い娘にそう問われる。ちょうどその時、店先から呼びかける声がした。


「おーい、お母さん。お客さんだよー」

「はーい!すぐいきまーす!涼子、ごめんね。この話の続きはまた今度ね」

「えー!なんて言ったのか教えてよー!」

「また今度ね。今日のお客さんは、大事なお客さんだから、わがまま言わないで、ね?」

「うん……でも、約束だよ!」

「もちろん!それじゃあ部屋で大人しくしててね」

「はーい!」


 とてとてと歩いていく娘を見送り、高揚する気持ちを抑えながら『山内商店』の店先へと向かうのであった。

===

※この物語はここまでです。

※次のエピソードとは関係がありません。

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