海の思い出

2022年2月度三題噺:「メタバース」、「マッチ」、「天使」

===

『ねぇ、海行きたい』


 ログインすると、いきなりフレンドからそんなチャットが送られてきた。


『いや、冬だけど?』

『海、行きたい』


 爆速で返事が来る。

 しかし、事情は説明してくれないのはいつものことか。


『あいよ。ちょっとメクるから待ってて』

『よろ』


 メクるとは、この世界――エターナルメタバースという安直な名前が付けられている一種の電子空間――で使える検索機能のことで、ヒットするワールドがあればリンクからそのワールドに行くこともできる素晴らしい機能だ。

 まぁ、海なんていくらでも出てくるだろうし、と思いながらメクると、候補だけで数万件ほど出てくる。

 予想通りではあるが、どうやって絞り込んだものかと悩んでしまう。外は大雪で外出もできないわけだし、どうせなら南の島のプライベートビーチとか、暖かいところがいいかなぁ。


『まだ?』


 チャットの追撃がくる。いや、まだ数分なんですけど。


『海ってどんなところがいいの?』

『寒いとこ』


 折角だし、希望を聞いてみたのだが、予想していなかった答えが返ってきた。

 寒い所?真冬なのに?


『暖かいとこじゃダメ?』

『ダメ』


 即答だった。まぁ、別にいいんだけど。検索ワードを入れ直してメクる。

 候補が絞られたのでいくつか見ていき、良さそうなワールドに目星をつけていく。


『…』


 無言の圧力を示すチャットが送られてくる。早くしろとの催促だろう。


『こことかどう?』

『いいね』

『じゃあワールド入っておくね』

『もう入った』


 早っ!仕方なく、少し準備をしてから後を追うのであった。


***


「さっむ。なんでわざわざ真冬にこんな目に」


 入ったワールドは、『日本のド田舎の寂びれた海水浴場(冬)』というあまりにもニッチなところだった。ニッチすぎるからどうせそんなに作りこんでないだろう、と思って候補にしたのだが、予想に反する作りこみ具合だったわけだ。


「なんでわざわざ風とか寒さとかめんどくさい設定まで作りこんでるんだよ。雰囲気だけでいいじゃんこんなの」


 一度自分でワールドを作ったことはあるのだが、その辺りは非常にめんどくさいのだ。

 エターナルメタバースの接続機器は、電気信号を直接脳に送り込むことで五感を再現させることができるようになっているため、その気になれば現実世界を完全に再現することも可能らしい。

 ただ、各感覚には様々なパラメータが設定されており、しかもパラメータごとに数十段階で設定することができるため、作りこもうと思えば作りこめるようになっている。

 逆に言えば非常にめんどくさい設定なので、普通はワールドのオブジェクト配置や照明などにこだわっていても、この辺りの設定は違和感が少ない程度に適当にするのが一般的なのだ。


「それをよくもまぁこんなリアルにしたもんだよ、っといたいた」


 ワールドに入った後、少し進むと待合スペース代わりのバス停――これまたご丁寧にボロッボロの木造だ――のベンチに座る一人の真っ白な女の子を見つける。


「よう。お待たせ」

「…………」


 遅いとでも言うようにこちらをにらみつけてくる。

 ノースリーブの真っ白なワンピースから伸びる色白で華奢な腕、脚と、真っ白な長い髪、それに低い身長で胸も薄い、そうまるで天使のような容姿の女の子がそんな顔をしても可愛いだけである。


「いや、俺は悪くなくない?」

「………………寒い」

「えぇ……」


 しばらくにらみつけたあと、叱責するかのような口調で言われた感想はあまりにも理不尽だった。


「いや、寒い所って言ったのカナの方じゃん」

「ユウが待たせたせい」

「いや、カナが入るのが早すぎるんだよ」

「でもこの寒さ、生きてるって実感する」


 カナがベンチから立ち上がりながらそんなことを言う。


「まぁ確かに。でも、電子の世界で生きてるって実感するのも変な話だよな」

「……そうだね」


 カナは一人で海岸の方へ歩き出してしまった。

 急いで後を追いかけ、横に並んで歩き始める。


「しかし、なんで急に海に行きたいなんて言い出したんだよ。こんな大雪の日に」

「外、雪なの?」


 キョトンとした顔でこちらを見上げてくる。不覚にもドキリとしてしまうが、反応してると心臓がいくつあっても足りないのでうまく言葉でごまかす。


「あー、そうなんだよ。こっちでは、だけどな。そっちは降ってなかったりするのか?」

「……わかんない」


 そう小さく呟くのが聞こえた。


「カナは四六時中ログインしてるし、わかんなくても当然か」

「でも、ちょっとラグいから、たぶん降ってる」

「判断基準そこなのかよ」

「そう。雪の日は皆引きこもってるから、回線が重くなるの」

「いや、言ってもほんの少しじゃない?俺はほとんど感じないけど」

「ほんの少しだけ。でも、ずっといるから、わかる」


 カナがそう断言するということは、きっとそうなんだろう。

 一回ログアウトして確認すればいいのに、という言葉は一旦呑み込む。

 前に似たようなことを言って酷く怒らせたことがあって大変だったのだ。

 そうこうしているうちに、舗装路から砂浜へと地面が変わる。海風が強まった気がした。


「変な感触」

「ん?あぁ、足元か。砂浜ってこんなもんじゃないかな」


 高校生になっても基本的にインドア派なせいで、十数年前に両親とまだ小さかった弟の4人で行った記憶しかないが、砂浜はたしかこんな感じだったと思う。


「そうなんだ。私、行ったことないから」

「あれ、そうだったんだ」

「うん、ずっと病院にいたから」

「あー」


 基本的に、この世界では身バレする可能性がある話は避けるのが鉄則だ。百年近く前にインターネットと呼ばれる通信網が整備されて以来の鉄の掟であり、元々リアルの知人であるか、逆に教えても構わないくらい近しい存在でなければそんな話はしないものである。俺達は後者だ。


「ずっと入院してたから、こういう砂の感触も、海の匂いも、風の寒さも、なんだか新鮮」

「そっか。そんな感じなのか」


 このワールドほどではないが、地方の田舎に住んでる身としては新鮮という言葉になんだか変な気持ちになる。

 都会の病院に住んでると、そういうもんなんだろうか?


「しかし、このワールドの作りこみすげーよな。こんなに匂いとか感触とか再現しなくてもって思うけど」

「うん、作るの大変。だからこそ、愛を感じる」

「愛?」

「うん。この場所が好きって気持ち」


 愛とか好きとか、男女二人きりで話すにはセンシティブな単語だ。

 まぁ、俺らの間に、少なくともカナから俺に対しては存在しないものだろうけど。


「たしかに、他にないもんなこのレベル。問題はこんなに作りこんでもニッチすぎて誰もこねぇってことか」

「誰も、ここに来なくても良かったんだと思う」

「なんで?」

「だって、ここは作った人のための場所だから」

「あー、つまり仕様上アクセスできるになっちゃうだけで、そんなつもりはなかったってことか?」

「そう。思い出を、残したかっただけ」

「なるほどな」

「気持ちは、よくわかるから」


 どこか寂し気な顔をして、そんなことを言う。

 俺も気持ちはわからないでもないな、と言おうとして、足元の感触が変わる。


「冷たっ」


 いつの間にか、波打ち際まで来てしまったらしい。

 冷たい海水が足にぶつかってきた。


「……冷たい」


 カナの方も、波を足に受けながら眉間に皺を寄せている。


「いや、流石に冷たすぎて無理だわ。ちょっと離れうわっ!」


 カナはおもむろにしゃがんだかと思うと、一掬いした水をこちらに放り投げてきた。


「ちょっ、流石にシャレになってないって!」

「そう?海ではこういうことをするって、昔何かで読んだ」

「いやいやいや、真夏の海で戯れるならいざ知らず、こんなとこでやると風邪ひくからね!?」

「? 電子空間だから、風邪ひかないよ?」

「いや、それはそうだけど、そうじゃなくってな」

「まぁ、いい。ここに、座って?」


 波打ち際から少し離れた砂浜を指さしながら指示してくる。

 傍若無人さに呆れるも、言われた通りにすると、ピッタリくっつくように隣に座られた。

 胸元が視界に入り、慌てて海の方に視線を逸らす。


「……寒い」

「いや、そんな恰好してるから仕方ないだろ」

「格好は、あんまり関係ないよ?」

「仕様上はな。気分の問題だよ、気分」

「そう。でも、これしかアバター持ってない」

「あぁ、だからどんなとこでもその姿なのか」

「ユウは暖かそう」

「そうは言っても防寒機能はないし、見た目だけだけどな」


 もちろん、アバターの中には常時体感温度を上げてくれるものも存在するが、流石に準備していない。

 その代わりに、準備してきたアイテムを呼び出す。


「これ、なに?」

「マッチだよマッチ。あー、古い家に置いてあったりするくらいだし、見たことない?」

「うん、ない」

「そっか、これは、こうやって使うんだよ」


 マッチから棒を一本取り出し、箱の側面に当てて素早くこすると小さな火がついた。

 すると、周囲の寒さが一気に和らいだ。


「へぇ、不思議」

「まぁ不思議だよな。マッチってこんなに周囲は暖かくならないし」

「そうじゃなくて、シュッてしたら火が付いたのが」

「あぁ、そっちか」


 どうやらマッチの仕組みを知らないらしい。

 現実世界でも普通に生活していたら見かけないし、仕方がないのかもしれない。


「この棒の先と箱の側面に火薬が付いていて、摩擦熱で燃えるんだってさ」

「へぇ」

「ただ、持ち手の棒のとこも燃えるから、現実だとすぐに消さないと火傷するけどな」

「そうなんだ。大丈夫?」

「あぁ、この世界では一回使ったら時間がくるまでそのままらしいし、大丈夫だよ」

「そっか」


 それからしばらく、二人とも海を見つめて無言になる。

 体感では5分くらいだったか、カナの方から声をかけられた。


「ユウに、教えなきゃいけないことがある」

「ん?どうした?」

「大事なこと」

「……」


 無言で続きを促す。


「私、あと半月くらいでこの世界からもいなくなるの」

「っ! どうして……」

「寿命、あと1カ月くらいだって」


 余りにも非現実的な言葉に絶句する。ずっと入院しているとは言っていたけど、まさかそこまでなんて。


「元々、長くは生きられないって聞いてた。ずっとそうだったから、やっとだね」

「やっとだね、って」

「死ぬって言われても、全然実感がなかった。生きてるって言われても、実感はなかったけど」

「……」

「でも、ユウと会って、生きてるってことが分かった。死ぬって、どういう感じなんだろうって思うようになった」

「そっか」

「死んだら、もうログインできなくなるし、ユウとも会えなくなる。それは寂しい。でも、楽しみ」

「楽しみ……?」

「違うワールドに、行くだけだから」


 あぁ、そっか。そういうことか。


「死ぬって、そういう捉え方もあるんだな」

「他の人は、違うの?」

「あぁ、まぁ一般的ではないな」

「そうなんだ。でも、私は楽しみ」

「……」


 あまりの感覚の差に、次の言葉が見つからない。


「それでね、ひとつ質問」

「……うん?」

「一緒に、転生しない?」

「転生って、一緒に死ぬってこと?」

「そう。このメタバースで、じゃなくて、違う世界に」

「……死んでも、同じワールドにログインできるかわからないんだぞ?」

「そうなの?」

「あぁ。死後の世界って、色々あるらしいしな」

「そっか。じゃあいいや」


 思っていたよりも、あっさりと引き下がった。

 しかし、まさか心中を提案されるとは思わなかった。


「じゃあ私、またひとりぼっちなんだね」

「……ごめん」


 でも、流石に死ぬのは怖い。


「ううん。でも、ユウとはずっと一緒が良かったなぁ」

「それって、いや、いいや。俺も、一緒の気持ちだったよ」

「そっか。嬉しい」


 隣ではにかんだ気配がする。

 けれど、彼女の顔を見ることはできなかった。


「もうちょっとだけ、生きてたかったなぁ」


 余りにも重い一言が波にさらわれ、また無言で海を見つめる時間が続いた。

 俺がログアウトした頃には、数時間が経過していた。


 これが、十年前に経験した、俺の初恋の話。

===

※この物語はここまでです。

※次のエピソードとは関係がありません。

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