桜木の木漏れ日

2022年4月度三題噺:「停電」、「桜」、「カフェ」

===

「サイッテー!」


 バチンという小気味良い平手打ちの音と共に、女性の叫ぶような声が静かな店内に響く。

 そして席を立つと、バッグを持ってそのまま店外に出て行ってしまった。

 おそらく、この後すぐに戻ってくることはないのだろう。

 一先ずは、そっとしておくべきだろうか。


「痴話喧嘩なら別のところでやれって話よなー」

「いや、店長、そういうのは店閉めてから愚痴って下さいよ」


『桜木カフェ』の店長である桜木萌香(さくらぎ もえか)がボソッと呟いた一言に、同調しながらもクギをさす。


「なんだよー、ユウタは思わねーのかー?」


 めんどくささ全開の気だるげな雰囲気で、こちらユウタ―荒滝優太(あらたき ゆうた)―、に問いかけられる。


「いや、まぁ、ぶっちゃけめんどくさいです」

「だよなー」


 もちろん、小声での会話ではあるが、もし聞こえたら悪いなと思い、少しホール覗いてみる。

 カウンター側から見ると、気にせず新聞を読んでいるおじいさんが一人、何を話しているか想像がつきそうなくらい声がした方をちらちらとみているおばさんが二人、聴こえていなかったかのように黙々と本を読んでいる女性が一人。

 全員が特にカウンターの方を見ている様子はなく、少しほっとする。


「まいっか、んじゃ、後よろしく」


 店長が奥の休憩スペースへと引っ込むのを見送る。

 店内に目線を戻すと、先ほど平手打ちを受けた男性が席を立とうとしているのが見えたので、レジへと移動しておく。

 ほどなくして、その男性はレジへと近づいてくると、無言で伝票を差し出してきた。


「えーっと、1940円のお支払いになります」


 既に値段も確認していたのであろう。スッとお札が二枚トレイに置かれる。

 さっと会計処理を済ませ、男性の方へ向く。


「おつりの60円になります。その、頬、大丈夫ですか?」


 男性にしては長めの髪を金髪にし、ワックスで固めているのが傍目からみても分かる。

 背丈は少し高めで、色白だが、その頬の赤みが強くなっていた。痛々しさに思わず声をかけてしまう。


「あー、痛みは大丈夫っす。それより、なんかご迷惑かけてすいません」

「い、いえ」

「彼女一筋だったんですけどねぇ。なんでこうなるんだか、っと」


 手に取った小銭を財布に入れそこなったらしく、床に落としていた。

 幸い、隙間に転がっていくこともなく、足元に落ちたそれをすぐに拾い上げていた。


「またのご来店お待ちしております」


 営業スマイルで、とぼとぼと帰っていく男性を見送った。


***


 それから小一時間は、来店も退店もなく、落ち着いた時間が流れていた。

 ふと道路と反対側の窓の外を眺めると、一本の桜の木がキレイに咲いていた。


『あれ、おじいちゃんが植えたんだって。ウチの名前にかけたって自慢してた』


 随分前、店長がそうやって寂しそうに語っていたのを思い出す。

 あの時、うっかりアドバイスなんてしてなければ、ここでこうして働くこともなかっただろうと思う。

 人の縁というのは不思議なものだなぁ、と春の陽気にあてられた頭で考えていると、いきなり照明が消えた。


「は?」


 思わず声が出てしまったあと、店内を見渡す。

 同じようにきょろきょろと見渡すおばさまがたと、変わらず本を読み続ける女性しかいない。


「申し訳ございません!すぐに確認してまいります!」


 ブレーカーが落ちたのかもしれないと思い、店の裏に入る。

 少し高い位置にあるそれを確認すると、特に異変はなかった。

 地域での停電の場合、どうすればいいのだろうか。とりあえずスマホから電力会社に連絡入れるべきか?


 とりあえず、マニュアルに従って厨房に戻り、ガスを確認するとこちらは問題なく火が付いた。

 こうなると、どこかで電線が切れたのかもしれない。一旦お客様には事情を説明すべきだろう。

 そう考えてホットコーヒーを三杯淹れて、順番にお客様の元へ持って行く。


「申し訳ありません、どうやらブレーカーではなく地域の停電のようでしてどうにも。こちらサービスですので、お飲みください」

「あら、そうだったの!お店も大変ねぇ」

「ありがたく頂くわー」

「もしかして、この前電柱工事するって言ってたからそのせいかしら?」

「そういえば岩谷さんのところで何かやってたわね」


 よく来るこの二人のおばさまとは話したことがなかったが、やはり近所に住んでいたらしい。

 岩谷さんは常連の一人だ。


「嫌ねー、ちゃんと仕事してもらわないと」

「仕事と言えば、最近ウチの洗濯機がちゃんと仕事してくれなくって」

「ウチも最近買い替えたのよー。洗濯と乾燥ができてすごく便利だわ」

「いいわねー。ウチも買い替えようかしら?」

「お出かけ前にセットしてきたから、仕上がりが楽しみだわー」

「ご近所なら停電で途中で止まったりしてないかな……?」

「「えっ?」」


 おばさまがたの視線がこちらを向く。うっかりボヤいた声が大きかったらしい。


「そうだわ!止まってたら大変!坊やありがとね!」

「ついでにどんな洗濯機なのか見せてもらえないかしら?」

「ええもちろん!すぐに行きましょう!」


 おばさまがたの気迫に押され、レジへ連行されると会計を済ませた。

 きっちり一円単位で支払ったかと思うと、飛ぶように店を出ていった。

 呆気にとられていたが、もう一人のお客にコーヒーを運んで気を取り直すことにする。


「申し訳ありません、どうやらブレーカーではなく地域の停電のようでしてどうにも。こちらサービスですので、お飲みください」


 先ほどと全く同じ台詞で謝罪する。

 女性の方は本から目を話さず、小さな声で「ありがとう」と言ったのがかろうじて聞こえた。

 邪魔されたくないのだろう、すぐにその場を離れた。


「そういえば、店長静かだな」


 普段であればきびきびと指示をだすが、愚痴を聞いて欲しそうに声をかけてくるはずなのだが。

 そう思いながら休憩スペースへと戻ると、パイプ椅子の上で膝を抱えて丸くなっている店長がいた。


「えっと、店長、どうされました?」


 声をかけると、弾かれたように立ち上がり、自分に抱き着いてきた。

 いきなりのことに驚いていると、店長が不安そうな声を漏らす。


「ユウタ……やだ……一人で、暗いのやだ……」


 店舗の方は良い天気ということもあって文字を読むのも問題なさそうだったが、休憩スペースは店の奥にあり、窓もないため真っ暗な部屋に取り残された形になったのだろう。

 昔、事故にあったのがトラウマで、雷がこわいと言っていた気がする。寝る時も、真っ暗すると不安で眠れなくなるらしいし、突然のことで気が動転しているのかもしれない。


「大丈夫ですよ、俺はここにいますから」


 優しく、背を撫でながら声をかける。


「ほんと?絶対にどこにもいかない?一人にしない?」


 涙目で見上げてくる姿が、幼い頃の妹に重なる。

 うっかり子供扱いすると怒るので、頭を撫でたりはしないが。


「ホントですよ。今もこうして一緒にいるでしょう?」

「うん、ありがとう」


 そのまま、抱き着いた彼女の背中を優しく撫で続けていたが、頭が冷静になってきたらしく、冷静に状況を確認して気づいてしまった。女性店長と男性店員が暗がりで抱き合っている、普通にヤバイ事案では?

 ちなみに店長はよく子供扱いされる程度には身長が低い。

 自分も男性としては平均より少し低い程度だが、そこから頭一つ分以上違うのだから、かなり低い身長なのではないかと思ってしまう。

 それに対し、胸の辺りは意外とある。一度だけうっかり着替え中に出くわしたことがあり、以降はずっとからかいの種ではあるが、『胸じゃなくて身長にいけば良かったのに』とその度に言われ、何とも言えない返事しかできずにいる。

 男としては非常に役得ではあるのだが、流石にどうしようか、と思っていると、急に明かりがついた。


「えっと、店長。電気、点きましたね」

「…………」


 自分の胸に顔を埋めていたが、明るくなったのには気づいたらしい。

 そしてゆっくりと手を話、距離をとる。


「…………」

「……誰にも、言わないで」

「え?」

「だ、誰にもこのこと言わないで!暗いのが苦手で、停電の時にいきなりユウタに抱き着いたって!」

「え、えと、それは」

「私も下着の件でからかわないようにするから!お願い!」


 頭を下げながら頭の後ろで手を合わせるという高等スキルを発動しながら大きな声で言う。

 変なことを考えていたのを悟られたのではないかと内心冷や汗をかくが、かろうじて答える。


「わ、わかりましたから。頭をあげてください」

「ほんと!?よかったぁ」


 安堵する様子を見て、自分の方も胸をなでおろす。

 思考を読み取られたわけではなくて良かった。

 お互い安心しきっていると、レジの呼び鈴が鳴った。

 二人して慌てながら、店内へと戻ると、静かに本を読まれていた女性が伝票とお札をトレーに載せていた。


「お、お預かりします!」


 慌てていてレジを打ち間違えるなどするが、何とか会計処理を済ませる。

 お釣りを受け取った女性は静かに財布をしまった後、店長を見て声をかけてきた。


「サクラ、この人に下着を見せる程度には進んでいたのね、おめでとう」

「ちょっ、ちが、ウメ!違うからね!」


 どうやらこの女性と店長は知り合いだったらしい。

 よく来ている常連さんだったが、古くからの知り合いなのだろうか。


「でも、さっき奥で抱き合ってたし、てっきり」

「違うから!暗い所が苦手なこと知ってるでしょ!」

「ふふふ、そうね。子供の頃は家族に、学生時代は私に抱き着いていたこともね」

「も、もう!今度来た時は試作のコーヒー死ぬまで飲ませるからね!」

「そうね、新作、楽しみにしてるわ。それまでこの子をよろしくね、ユウタさん」

「は、はい!」

「う、ウメ!」

「ふふ、それじゃあお邪魔虫はこの辺で。あ、ユウタさん、サービスの一杯美味しかったわ。ありがとうね」


 そう言って優雅に店を去っていた。硬直してしまい、返事はできなかった。

 ふと店長の方を見ると、店長も自分の方を見ていた。

 目線が合うと、二人ともすぐに顔をそむけた。

 外は少し風があるようだったが、店内は春の陽気で暑くなったように感じた。

===

※この物語はここまでです。

※次のエピソードとは関係がありません。

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