5.

 (──で、翌朝目が覚めたら、私が“桜合舞”に、あの子が“星崎空”になってたんだよね……)


 それも、魂や身体が入れ替わったのではなく、周囲──家族は元より先生や友達、その他諸々の人から、空であるはずの少年が桜合家の娘の舞、舞であるはずの少女が星崎家の長男の空としてあつかわれるようになったのだ。


 そればかりではない。

 確かに体そのものは元の自分のままだったが、あの日、舞の部屋で目を覚ました空の髪の毛は肩を覆うくらいの長さに伸びていたのだ。

 しかも舞の服──起きた時着ていたパジャマや、学校のセーラー服、体操服、可愛らしい普段着、はては下着に至るまで、サイズがピッタリになっていた。まるで、あたかも最初から彼が“桜合舞”だとでもいうように……。


 ともあれ、幸いにしてその日は日曜日だったため、舞の家族をなんとか誤魔化して朝食の時間を切り抜け、その後、すぐ隣りの星崎家──空の意識からすれば自宅であるはずの家を訪ねたのだ。


 「ただい……じゃなかった、おはようございまーす」


 あわてて言い直したところで、ガチャリと扉が開いて、母が顔を出した。


 「あら、舞ちゃん。空に何か御用?」


 予想通り、空の母親にも、空のことが“桜合舞”に見えているようだ。


 「え、ええ、ちょっと──あの、上がらせてもらっていいですか?」


 普段の舞はごく普通の女の子言葉を使っていたと思うが、さすがにそれを真似るのは気恥ずかしいので、とりあえず丁寧語でしゃべることで誤魔化すことにした空。

 なお、これ以降も人前ではそのしゃべり方がデフォになり「お淑やかで礼儀正しい娘」という評価を得るようになるのは余談である。


 勝手知ったる二階の空の部屋──本来は自分のものであるはずの部屋へ入ると、そこではなぜか自分のスウェットを着た短髪の舞が、腕立て伏せをしていた。


 「──31、32、さんじゅうさん……」

 「……何やってんの?」

 「あれ、空くん」


 腕立てを止めて床から立ち上がる舞。


 「なんか、スゴいよ! 今まで1回もできなかった腕立て伏せが30回以上できるようになってるの!」

 「いや、この状況で気にするところはソコじゃないだろ!?」


 思わず関西芸人の如くツッコんでしまう空。


 「舞、今の僕たちの異様な状況について理解してるよね」

 「あー、うん、たぶん。あたしが空くんになって、空くんが舞になってる?」


 頭のいい舞にしては珍しい短絡的な物言いに、空は溜息をついた。


 「そんなシンプルなモノじゃなくて、見ての通り僕らの身体そのものが入れ替わったわけじゃないから、“僕が舞、舞が空として周囲から認識されてる”っていうほうが正確なんじゃないかな」


 しかし、空自身も気づいていないのだ──本来はどちらかと言うと脳筋に近い自分が、このややこしい事態を自然と的確に読み解いているという状況に。


 「うーん、でも、それだけじゃない気がする。だって、あたし、今朝目が覚めてから、身体がこんなに軽いんだもん」


 言われてみれば、確かに髪型がスポーツ刈りになっただけではなく、まるで「小学生時代からの野球少年」のように、浅黒く日に焼け、身長こそ変わらぬものの、体つきも心なしかガッチリしているように見える。


 「空くんも、なんだか可愛くなってるよ、ほら!」


 舞に半ば強引に手を引かれて(そしてそれに抗えず)、洗面所に連れて行かれた空は、改めて今の自分を再見分することになる。


 髪型が舞のものになっていたのは知っていたが、よく見ると、これまでロクに陽にあたったことがないように肌の色も白く、手足も筋肉が落ちて華奢になっていた。


 「──もしかして周囲の認識というより僕らの“立場”が入れ替わった? それで“運動少年の空”の立場になった舞はたくましく、僕は“運動音痴の舞”の立場だから、こんなひ弱に……」

 「ぶぅっ、ひ弱はないでしょ、ひ弱は。それに、今は空くんが、そのひ弱な舞なんだよ」


 実際、試しに腕相撲をしてみたところ、“舞”な空は“空”な舞にあっさり負けてしまったので、その考察はあながち間違いではなかったのだろう。


 それからがまた大変だった。

 どうしてこんな事態になったのか、その時は皆目見当がつかなかったため、とりあえず周囲には、この“立場入れ替わり”のことは隠すことにする。

 ここまではふたりの意見は一致したのだが……。


 「いいっ!? 僕がチアリーダーやるの!?」

 「そうだよ。あたしだって、空くんの代わりに野球部の練習に出るんだから、空くんも頑張ってくれないと」

 「うっ……それは、まぁ、確かに」


 自分があのヒラヒラな格好でチアの演技をするところを想像すると、恥ずかしい限りだが、等価交換と考えると確かに舞の言い分に理があった。

 まだふたりとも入部届を出したばかりなので、部活の手順や人間関係などは来週1から覚えていけばよいというのは、不幸中の幸いだろう。


 「それと空くん、人前では、ちゃんと“桜合舞”らしくして行動すること」

 「あ~、できる限りは努力する。けど、完全に真似するってのは無理だよ」


 いくら仲の良い幼馴染とは言え、小さい頃ならともかく、ここ数年は空は男友達と、舞は女友達と過ごす時間も多かったのだ。その時、互いがどんな風にふるまっていたかまでは、さすがに知らない。


 「しょうがないなぁ。じゃあ、せめて周囲に恥ずかしくない程度には女の子らしくしてよね」

 「ぅぅ、わかったわかった。でも、舞の方こそ、僕の真似なんてできるの?」

 「もちろん! あー、あー……コホン! オレの名前は星崎空。舞桜中学の一年生だ。好きなものは野球、これでもリトルリーグでは3番バッターとして活躍してたんだぜ」


 声色を低めてそんなことを言う舞は、正直、あまり本物の空とは似ていないが、髪型や服装のおかげでそれなりに少年っぽくは見えなくもない。


 「じゃあ、空くん──じゃなくて、“舞”もやってみろよ」

 「え!? いや、あの、僕はいいよ」

 「“僕”はアウト! マンガとかなら“ボクっ子”ってのもいるみたいだけど、桜合舞はそういうキャラじゃないし」


 じゃあ、どんなキャラだと聞きたいところだったが、下手に藪をつつくとトンデモない女子像を押し付けられそうなので、空は自重した。


 「えっと──さ、桜庭小学校出身、桜合舞です。趣味は、読書と小物集め。運動は苦手ですけど、チアリーディング部に入ったので、がんばりたいと思います」


 こんなのでどう? と視線で問い掛けると「バッチリ!」というイイ笑顔が返ってきた。


 「当面は、こんな感じで日常生活を過ごしつつ、こうなった原因を探ることにしようぜ」

 「それしかないですね。はぁ~~」


 溜息をつく“舞”な空(以後、と表記)と、浮き浮き楽しそうな“空”な舞(以下)の様子が対照的だった。

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