第2話 気づいたら一家の主
オレの名前は「茶太郎」らしい。ウチの皆が、そう呼ぶ。
「こらあ!チャタ!」「チャーぼう、ごはん!」「チャーちゃん、おいで」
などなど適当に呼び名を変えて、大声、小声、なで声で話しかけてくる。
尻尾に茶色の縞模様が付いている。茶トラネコと言われるけど、オレは「ネコ」たるものは見たことがない。
まったくもって解らないことを家の連中は言うから困ったものだ。
家の皆はオレの体の十倍以上デカいが尻尾がない。彼女たちの声と話は解かるが、どうもオレの言っていることは一割ぐらいしか解らないようだ。
体は小さいが、やはりオレ様の方が頭良いのだ。
オレの部屋は玄関を入って、スキージャンプ台のような急勾配で直線の階段を、一気に上がって右に在る。
部屋には二つ窓が有り、ひとつは隣の家との間、もうひとつは道路側に有る。
隣家側の窓からは道路が眼下に見えて、誰がウチに来たかが判る。
オレは、ここの窓辺に座って行き交う人とウチに来る人を見張っている。
道路に面した窓からは、家の向こう側に一両編成の赤い電車が通っているのが見える。
春には田んぼの向こうの小高い丘に桜並木が眺められる。
この窓辺に座ってよくボーっとしている。
桜が満開の春、オヤジが車椅子を押してもらって花見に出かけるのも、オレはここから見て知っている。
窓の向こう側にスズメ君がよく遊びに来るし、突然目の前をカラスくんが横切って行く。
うたた寝の邪魔をされるが、オレはこちらの窓が好きだ。
ここ西三河地方の豊田市は、夏は体温を上回るほど暑くなり、冬は隣の名古屋市と豊橋市より三度位は低く寒い。北に隣接する岐阜県多治見市が暑さ日本一と有名に成っているが、豊田市はいつも多治見より一℃位低いため、暑いところとは知られていない。
暑さにも寒さにも弱く、病気に成りやすいオヤジは、オレの部屋に来てテレビで天気予報を見ては、ブツブツと文句を何度聞いたことか。
オレが何とかできることじゃないのに、とかくボヤキが多いのだ。
オレの部屋にはエアコンもコタツが有るから、まあまあ快適だ。
テレビもカウチも、そして空気清浄機とやらも有る。
去年の夏に成る前頃、オヤジがおかしなモノを持ってきてガチャガチャやっていた。
「アレクサ!エアコンつけて!」
「よし、ベッド上からでも、このアレクサから茶太郎の様子も見えるし、エアコンの操作も出来るようになったゾ」
オヤジがワケ分からんこと言っていた次の日から、アレクサというモノの画面にオヤジの顔が映り、オレに話しかけてくる様に成った。
勝手に部屋を覗いて、プライバシーも有ったものじゃない。
また、エアコンも勝手に動きだしたりもする。まあ、暑くてだるい時に、自然とエアコンが動き涼しく成る。快適さが増したから文句は言わないことにした。
下階の南側の大部屋の庭バルコニーに面したベッドには、いつもオヤジが寝ている。
オヤジはいつも寝ている。オレは十八時間くらい寝るが、オヤジはもっと寝ている。
手脚が動かなく、ゴロンと寝返りもできないが、首は横向けができて
「茶太郎!」「茶太郎」とオレをよく呼んでいる。
我が家は人の出入りが多く、朝、昼、夕、夜と決まった時間に女の人がやって来る。
オヤジはヘルパーさん(訪問介護士)と呼んでいて、オレのご飯を用意したり、トイレや部屋の掃除をしたり、オヤジのご飯も作ったりしてくれる。
ヘルパーさんは、毎日、毎時間来る人も違っていて、ひと月に二十人以上入れ代わり立ち代わる。とにかくウチの家族は大人数だ。
更に白い服を着た(訪問)看護婦さんや、オヤジが「センセイ」と呼んでいるお医者さん、リハビリテーション、針灸整体のオジサンもよく来ている。
「おはようございます!」
朝八時には最初のヘルパーさんが来る。
今は十二月と朝の冷え込みが寒い。家中のカーテンを全部開けて、もっとコタツの中に居たいオレを「茶太郎!」と大声で呼び出す。
しぶしぶ起きて一階の大部屋に行くと、オヤジも電動ベッドの背もたれを起こして座って、朝食を食べている。
「茶太郎!いい天気だ、日向ぼっこできるぞ!」
と庭を目で指している。ベランダに出るとまだ空気は冷たいが、おてんとうさまが当たり眩しくも温かく気持ち良い。
ベランダのタイル床にはネコ草のプランターが置いてある。柔らかい部分のネコ草食べて、ついでにプランターの中に入り小便してやるのが毎朝のオレの日課だ。
ベランダにはいろいろな花や草、野菜などのプランターが置いて有る。
匂いが様々で花の色も季節の度に変わっている。
よその奴が来たかどうか、鼻を上に向けてチェックするのだが、花の香りが強くて、判らない時がある。取り敢えず所かまわず頬をこすりつけて、オレの匂いを付けておくのだ。
野菜やシソの葉や種には、多勢のスズメが集まって食べちゃっている。そこにヒヨドリが横取りに乱入して来る。
ベランダの外側には桜の木や、キンモクセイなど季節ごとに香りや色が異なっている。
たまに、オヤジが車椅子に乗ってベランダに出て来て花や樹をチェックしている。
オヤジがヘルパーさんに花のことを訊いている。
だからオレは、花の名前を憶えてしまっているが、オヤジはすぐに忘れてしまう。
毎年同じことを訊いている。まったくモノ覚えが悪いオヤジだ。
オレは専用の縁台に座り、トカゲくんやチョウチョ、マル虫、イモ虫が這い上がってくる。昔、カマキリにちょっかいをかけたら、奴は真剣にカマを振り上げてオレ様の鼻の頭を切りつけやがった。けっこう痛かったので、あれ以来は、虫くんや鳥さんたちには手を出さないことにした。見ているだけにしたら、奴らはオレの足許をノウノウと横切ったりしている。
同じ時間を、同じ空間でオレと一緒に今の季節を味わっているから、仲間にしてやっている。
「茶太郎、ぼちぼち入って来て、ご飯を食べろヨ!」
家の中からオヤジが叫んでいる。ホントにいちいちウザイオヤジだ。
でも、そんな庭で二時間位ひなたぼっこしているひと時が、オレのお気に入りのひと時だ。
◆
昼間はオレの貴重な昼寝時間。
下の部屋からは大音量でビートルズやデビッド・ボウイなどの楽曲が聞こえる。
飽きもせず毎日と云っていいほど同じロックを流し、知らぬ間にオレもビートルズが子守歌になってしまった。
オレのお気に入りの曲は、ポール・マッカートニーが歌っているGolden Slumberだ。
「黄金のうたた寝」という意味だとオヤジが教えてくれた。ある日、オヤジが楽曲の歌詞を噛みしめて、仏壇の前で涙目に成っているのを見てしまったことがある。
昼寝と云ってもゴロゴロしているだけだから、うるさくてもストレスが溜まることはない。
オレは、そんな度量の小さい男ではない。
「茶太郎。オマエは器量が悪いから、噛みついたりしてあかんぞ」
「ヘルパーさんたちに可愛がってもらうようにしろよ!」
何度も同じことを言う。オヤジはまったく口うるさい爺だ。
夕方のヘルパーさんが来たら、おもむろに昼寝を終わる。
部屋を出ると、左側に直滑降の階段が有るので、寝ぼけていると足を踏み外しそうになる。
一階では朝と同じように、オヤジがベッドの上で夕食をしている。オヤジはアグラ座りじゃなく、膝を伸ばして、ベッド用テーブルと背面に挟まれるように座っている。
オレはベッドに飛び乗り、オヤジの脚の間で丸くなってゴロゴロしているのが、これまた何故か心地よいのだ。
どうせオヤジは蹴ることもできず、動かないから安心で爪を立てても痛がらない。
夜、寝る時もオヤジの脚の間や、掛布団が凹んでいる脚のあいだあたりで寝るのが良質な睡眠が摂れる。
腹の上に乗っても、太ももの隙間に体をこじ入れて眠りやすい体勢にしても、全然怒らず文句ひとつ言わない。
この点はオレより度量が大きいのかもしれない。
オヤジは、いつも上を向いて寝ている、というか、仰向けでしか寝られないようだ。
オレは、腹の上で爪を研ぎ、足の指を噛み、あごの運動などやりたい放題できる。
ヘルパーさんたちは、膝の上に載っている時に爪を立てるだけで、すぐ叫び怒る。
オヤジは文句ひとつ言わないから、一緒に寝るのが大好きだ。
ある日、看護婦さんが来た時、オヤジの熱が三八度近く有り、身体をチェックしていた際、
「えー!なにこれ!」
「おなかも、スネもひっかき傷だらけで、赤く腫れあがっている!」
その直後、
「茶太郎!あんたがコレやったね!」
「お父さんは、痛みが分からないから噛んだり引っかいたりしては、絶対にダメ!」
えらい剣幕でオレは怒られたことがある。
この日からオヤジと寝るのは禁止されてしまった。
夜間は別居、オレは二階の大部屋で寝ることにされ、しかも、階段につながる廊下への扉には鍵をかけられてしまった。
「監禁だ!虐待だ!」
夜のヘルパーさんが帰る際に二階に追いやられ、大部屋に閉じ込められる。
翌朝八時にヘルパーさんが来たら、鍵を開けてくれる。超苦痛の約十時間だ。
といっても、二階大部屋はエアコンもソファーもコタツも有り、ベランダにもつながっている二十畳ほどの広さだから、走り回れ、寝食には困らない。
しかし、オレはイヤで嫌でたまらなく、朝になるまでの時間がメチャクチャ長く感じる。
「オレはオヤジのそばが良いのだ!」
「オレはなぜか、無性にオヤジが気になる、心配でもある」
「オレは、オヤジを護らなくちゃならんのだ!」
と、訴え続けたら約一年後に、地獄の監禁からは解放された。
夜間はオヤジの腹の上に乗れないように、ベッドの上にオーバーテーブルが設置された。
オヤジのベッドに乗ると、即刻ド叱られるようになったが、まあ、そばに自由に来られるから、夜間のオレのストレスは無くなった。
撫でてもくれず、遊んでもくれず、ご飯もくれず、トイレの掃除も何もしてくれないくせに、口うるさいオヤジ。
年に一度くらいは救急車で運ばれ、四~五日間居なくなり、ヘルパーさんも来なくなる。
その間はオレがこの家を護っている。
毎晩、オヤジがまた連れていかれるか心配で、いるか否かにチェックせずには居られない。
つまり、オレが家もオヤジも、しっかりと護る必要がある。
ギーコ、ギーコ、ゴツン
「あっ!やばい、曲がり切れなかった」
ギーコ、ギーコ・・・
日暮れ頃に成ると、オヤジが車椅子でやって来る。下からくるだけなのに時間がかかる。
特に大した用事もないのに、オレの部屋にやって来てはアレコレ話しかけてくる。
「茶太郎!いるかっ?寒くないか?朝ごはんが全然食べてないから下りてこいヨ」
オヤジの方こそ、あぶなかしい。まあオレがオヤジのそばに居てやるから、安心しなって!
何故か、うんと昔からオヤジのことを心配している気がする。
「オレが、この家もオヤジも護るのだ!」
「オレがこの家の主だから!」
年月が経つにつれ、生まれた時からミッションの自覚が強くなる茶太郎である。
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