麦茶

青いバック

稔ちゃん

暖かい春。陽気なスズメの鳴き声は草木を揺らす。心地の良い風と気温が、肌を優しく撫でていく。


 ざあっと、落ち葉たちが地面を揺蕩う。


 私、春風稔はるかぜみのりは薄いカーディガンを腰に巻きながらおばあちゃんのお墓参りに行っていた。


 朝は少しだけ寒かったのでカーディガンを羽織って外に出たが、昼になれば寒さもどこかへ消えてしまった。着てきたカーディガンは無用の長物となっていた。


 おばあちゃんのお墓参りに行くのは、実に三年半ぶりだ。仕事やら何やらで忙しく行こうにも行けなかった。


 しかし1か月前、私は仕事を辞めた。理由は、上司のパワハラがエスカレートしすぎて耐えれなくなったから。


 これ以上仕事を続けてしまえば、私の体が持たないことは明白だった。一人の人間に壊されてしまうぐらいなら、先に辞めてやる。と思い辞表を出し会社を後にした。


 両親には言ってない。心配するからだ。辞めたことは責めないだろう。私の意見を尊重してくれる人達だ。しかし、そのせいで少し過保護すぎるところもあり、玉に瑕なのだ。


 そんなこんなで、やることも無くなって暇になった私は、三年半ぶりにおばあちゃんのお墓参りに行こうと決めたのだ。


 おばあちゃんのお墓は、田舎にある。電車を乗って、バスを乗って、またバスを乗って。乗り継ぎに乗り継ぎ。


 乗り継いだ先には、私の冒険の地だった場所がある。


 まだ私が7歳ぐらいの頃の話だ。私は両親とおばあちゃんの家に泊まりに行った。田んぼと森だらけの町は、子供だった頃の私の探究心を酷く擽らせた。


 大人から見れば何もない不便な田舎だろう。でも、子供の私にとっては冒険の地だった。


 絵本の中でしか見た事のない冒険の地は、開拓されているはずなのに未開拓に見えた。


 おばあちゃんの家に着くや否や、私は遊びに行ってくると外へ飛び出した。


 田んぼが毒の溜池に。森が妖精の住んでいる森へ。おばあちゃんの家は、お城へ。


 絵本の中の町が飛び出したようで、私は酷く興奮していた。ただの町なのに、ただの町ではなかった。


 私は突き進んだ。絵本の中の世界を。一心不乱に。


 数十分走った頃だろうか、体力が底を尽きて私は止まってしまった。喉もカラカラ。でも、水筒も何も無い。


 子供の頃の私は泣きそうになってしまった。


「……稔ちゃん、こっちへおいで」


 地面の真ん中で泣きそうになった、私をヨボヨボのおばあちゃんはこっちへおいで。と私を涼しい家の中へ入れてくれた。居間に座らせた私に、麦茶をくれた。


「稔ちゃん。なんでこんなところにいるの?」


「冒険しに来たの! ここは絵本の世界なんでしょ?」


「ホッホッホッ、絵本の世界ねえ。 稔ちゃんにはそう見えてるのかい?」


「うん! 毒の池に、妖精さんが住んでいる森!」


「ファンタジーだねえ。 稔ちゃん、お母さんのところには帰らないのかい?」


「帰り方が分からないの。 絵本の世界なら、魔法とかで帰れないかしら?」


「じゃあ、ちょっと目を瞑っててごらん」


 私は素直に目を閉じた。ヨボヨボのおばあちゃんが何をするんだろうと、心をワクワクさせて待っていた。


 魔法かな、魔法かな。と希望を抱きながら目を瞑っていたら、おばあちゃんの家に居た。


「……魔法だ! 魔法だー! あの、おばあちゃん魔法が使えたんだ〜!」


「稔どうしたの? 魔法って何?」


「絵本のお話かい?」


「ううん! 本当のお話! さっきね、ヨボヨボのおばあちゃんが私に魔法をかけてくれたの!」


「あらあら、それは良かったねえ。 稔ちゃん」


「うん!」


 と、ここまで楽しい楽しい思い出の話。おばあちゃんは、次の朝亡くなってしまった。


 お母さんとお父さんは、泣いていた。私は何が起きたか分からなかった。棺桶に入ったおばあちゃんを見て、何をしてるんだろう?と不思議に思っていた。その後は、淡々と葬式が終わり、お泊まり会も終わった。


 これが最後におばあちゃんにあった日。もう15年も前の話。私も22歳になった。


 今になって思うことがある。どうしてあのヨボヨボのおばあちゃんは、私を稔ちゃんと呼んだのか。そして、7歳の記憶なのに鮮明に残っているのか。


 まあ、今考えても分からないことだ。過ぎた過去を解明する術はない。憶測でなら、可能だけど。


「終点、終点。 紅葉町」


 昔の思い出に浸っていたら、おばあちゃんの住んでいた紅葉町に着く。


 バスを降りた先に広がる光景は、15年前と何も変わってなかった。毒の溜池だった、田んぼ。妖精の住んでいる森。


 風が吹き、懐かしい匂いがする。


 バス停から真っ直ぐ歩いて、階段を一つおりた所に、おばあちゃんのお墓はある。


 お墓に行く前に、町へ降りて花屋へ行く。供える花を、持ってこようと思った。が、花弁が散ってしまったものを供えるのは嫌だっため、紅葉町で買うことにした。


 毒の溜池を素通りして、少し行くとこじんまりとした花屋がある。鈴木と書かれた、表札のような看板の花屋。


「すみませーん、お花くださいー」


「はいはい、いっらしゃい。って、稔ちゃん! 久しぶりだねえ! 三年半ぶりかね!」


「はい、お久しぶりです。 鈴木さん」


「あらあ、べっぴんさんになりよって! おばあちゃんのお墓参りかね?」


「時間が出来たので、久しぶりに来ようかなと」


「そうだったんね、今用意するから待っとき」


 鈴木さんは、おばあちゃんの友達。もう80になるというのに、背中も曲がらずに元気に花屋を経営してる超人だ。


 せっせと、鈴木さんは花を束ねる。


「はい、出来た」


「あ、お値段は」


「なに、いらんよ。 あの子のお孫さんからお代なんて結構だよ」


「でも」


「いいんだ、いいんだ。 稔ちゃんの顔を見れた。それだけで結構なお代さ。 さっ、早く行った」


「ありがとうございます」


 鈴木さんに、花のお代を支払おうとすると財布を閉じられ、いらないと言われてしまった。少しだけ粘ってみたが、いいと言うので、有難く花を貰っていく。


 しかし、春というのに紅葉町は夏のように暑かった。ここだけ、南半球なのかもしれない。


 太陽がじわじわと体力を奪い、喉が干上がっていく。


 鞄にお茶を入れていたので、飲もうと取り出すが中身は空っぽになっていた。ここへ来るまでの途中、暑かったので飲み干したことを思い出す。自販機で水でも買おうかと思ったが、あるのは毒の溜池だけだった。


 お墓までは、30分ちょっと歩かなければならない。耐えれる距離のため、お墓の近くに自販機があることを願って、歩くことにした。


 喉渇いた。喉渇いた。考えること全てが喉乾いたになっていた。


 15年前のように、ヨボヨボのおばあちゃんが私に麦茶を恵んでくれないだろうか。


「稔ちゃん、久しぶり」


「……おばあちゃん?」


 暑さの中、私を手招きして呼んでいるのは15年前、亡くなったはずのおばあちゃんだった。


 幻覚を見ているのだろうか。熱中症になってしまったのだろうか。私は今、何を見ているのだろう。


「稔ちゃん、デカくなったねえ」


「おばあちゃん……なんで。 おばあちゃんは亡くなったんじゃ」


「あぁ、私は死んでいるよ。 15年前、麦茶をあげた私もね」


「……どういうこと?」


「稔ちゃん、喉渇いているでしょ? 居間においで、お話を聞かせてあげる」


 状況が呑み込めなかった。亡くなったはずのおばあちゃんが喋ってて、15年前、私に麦茶をくれたヨボヨボのおばあちゃんは、本当のおばあちゃんだと言うんだから。


 理解出来ない、理解出来ないならリスクを承知で着いていくしかない。大人の私の探究心は酷く擽られた。


「……それでおばあちゃんどういうことなの?」


「紅葉町には、子供だけが入れる生と死の境があるのさ。 昔からずっと言い伝えられてるのさね。稔ちゃんは15年前のあの時そこへ迷い込んだのさ」


「でも、おばあちゃんはなんで死後の世界にいたの? 死後の世界だと仮定しても、あの時おばあちゃんは死んでなかったよね?」


「まだ死んでなかったのさ。 あの時私は、誰に知られることも無く1度だけ倒れてしまったのさ。 魂だけとなった私は、死後の世界へ迷い込み、稔ちゃんを見つけた」


「じゃあ、今ここに私がいる理由は?」


「……稔ちゃん。 田んぼを毒の溜池っていう癖があるさね?」


 私は、田んぼを毒の溜池と確かに言っている。昔からの癖で、それが抜け切れてない。


「……うん」


「少なからず残っている子供心。 怪しい私に着いてくる、子供のような探究心。それが影響して、稔ちゃんはまた迷い込んだ 」


 おばあちゃんは優しく笑って言う。


「なるほど、帰れる方法は?」


「あの時と同じさ。目を瞑って」


 言われた通りに目を瞑る。15年前、私は目を瞑ったら家へ着いていた。次、目を開けたときには。


「……おばあちゃん。 会えて嬉しかったよ。ずっと、だいすき」


 次、目を開けた時にはおばあちゃんはそこにはいない。だから、最後に。最後に、言えなかった言葉を。


 目を開けると、私はおばあちゃんの墓石の前に立っていた。


 おばあちゃんありがとう。これお花置いていくね。

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