第18話「アンサー」

 まだほんの少し寒さが残る中、小野寺はバッティングセンターの前に立っていた。最後にこの場所を訪れたのは去年の7月、地区大会決勝前日だ。あの日以来なので内心とても緊張している。中学の時も部活を引退してからまた来るまで同じくらいのブランクがあったが、緊張感はその時の比ではない。


 カウンターで接客をしていたのは松崎ではなく彼女の父親だった。いらっしゃい、と優しく笑みを浮かべる店長に対し、どうも、と歪な笑みを浮かべることしかできなかった。


「あの、松崎さ……茜さん、いますか?」

「ああ、あいつなら家の方にいると思うけど……何か用事でも?」

「あ、はい。まあ」


 わかった、と彼は店の奥の方へ向かった。緊張感が一気に高まる。カチ、コチ、と時計の音が静かな店の中に響き渡る。


 数分も経たないうちに、やっほ、と松崎がやってきた。あの日以来の対面だ。


「やっほ。久しぶりじゃん。避けられてるのかと思った」

「避けてないですよ。ただ、答えも見つかってないのに会うのはどうかなって」

「律儀だね」


 ここに来た目的は、当然彼女に課された宿題の答えを出すためだ。受験勉強のふとした時間に息抜きとして考えていた。自分が将来どうなりたいか、どんな風になっていたいか。受験が終わったら四六時中探していた。本当はあのホームにいた時に既にわかっていたけれど、まだ認めるのが怖かった。そこから考えて、探して、結局なりたい将来像は全く見えなかったけれど、今一番叶えておきたいこと、やらなければいけないことは見つかった。




 だから今、ここにいる。




「改めて合格、そして卒業おめでとう」

「ありがとうございます。松崎さんこそ、資格は取れたんですか」

「そりゃもうばっちり。お互いおめでとう」


 ありがとうございます、と社交辞令のように小野寺は返答する。けれど一番伝えたいことはそんな話ではなく、もっと、もっと奥底にあるもので……。


「松崎さん」

「何?」

「あなたが好きです」

「…………はい?」


 その言葉は、突拍子もなく放たれた。一瞬で松崎の頭が真っ白になる。自我を取り戻した時には全身が熱く火照っているのを感じた。


 悪い冗談であれ、という願いは小野寺の目を見てあえなく撃沈した。彼の目は本気だ。耳まで真っ赤で、きっとこの言葉を言うのに、もっと言えばここへ来るのにも相当な勇気が必要だっただろうに。


 最初は「冗談でしょ」と茶化していたが、次第にそんな余裕もなくなっていった。彼が本気であるということを嫌でも理解した。なんだか自分まで恥ずかしくなる。もうまともに彼の顔を見れない。松崎は両手で自分の顔を覆った。


「いつから?」

「わかんないです」

「何がきっかけ?」

「わかんないです」

「本当に私のこと好き?」

「はい」


 どの質問も即答だった。けれどまるで答えになっていない。いつ、何がきっかけで好きになったのかもわからない。それでも自分のことを好きだと自信を持って言える。松崎は頭を抱えた。


 様々な人から慕われていた彼女だが、生まれてからずっとこういうイベントには縁がなかった。むしろ自分から避けていた気がする。そもそも誰かに恋心を抱いたことなんてない。だから小野寺からの告白に対して、どう返せばいいのかがわからなかった。


「これからもずっとあなたと隣にいたい。それが俺の答えです」

「答えって、まさか宿題の?」

「はい」


 どうしてそうなっちゃうかなあ。心の中で小野寺に呆れたような怒りをぶつける。頼むから何かの間違いであってほしい、と何度も願ったが、それは彼の表情が「本気だ」と強く訴えている。まさか一番やりたいことが自分と一緒にいることなんて、思ってもいなかった。


「……マジか」

「マジです。だから付き合ってください」

「そっかあ……」


 両手で覆うだけでは耐えられなくなって、松崎はカウンターの机に突っ伏した。こんな顔誰にも見せられない。どう返すのが正解なのだろう。気の利いた言葉も浮かばないし、彼に対して恋愛感情を抱いているのかも自覚したことがない。そもそもバッティングセンターで告白するというシチュエーション事態おかしい気もする。


 松崎は脳をフル回転させた。きっと今まで使ったことのない脳の領域もこの答えを導き出そうと必死になっている。


「ホームラン」

「は?」

「私より先にホームラン出したら、付き合ってあげてもいいよ」


 松崎は突っ伏したままバッティングマシンの方を指差す。なんでこんな意味の分からない勝負を持ちかけてしまったんだ。きっと脳内コンピューターが熱暴走してしまったからに違いない。




 どれもこれも全部小野寺くんが悪い。




「なんで」

「とにかく! とにかく勝負。ちょっと、考える時間がほしい」

「……わかりました」


 自分で勝負を持ち掛けておいて松崎は後悔した。しばらく顔を上げることができなかった。なんでこんな勝負に乗っちゃうかなあ、と小野寺のことを恨みさえした。頭の中がぐちゃぐちゃになる。冷静になれと言われても無理だ。


 ようやく松崎が動けるようになるころには、小野寺は既にバッターボックスの中に立っていた。それだけ本気なのか。こんな意味不明な勝負に文句言わず乗るなんて。


「覚悟決めなきゃな、私」


 パチンと松崎は両頬を叩く。顔を上げ、コインを購入し、打席に入る。120キロのボールは彼女が現役時代の時に挑戦した最速だ。もうブランクは長い。まともにバットすら振れるかどうかわからない。対して小野寺は140キロに挑戦する。


 経験だけで言えば松崎は一度ホームランを出したことがある。だけどその時の球速は100キロ程度で、松崎自身もまだ高校生だった。あれからもう何年もやっていない。不安材料しかない。


 小野寺の方がもっとハードルが高いだろう。彼が高校生になってから140のスピードに対応するために練習を重ねたが、まだ攻略できた、と言えるようなレベルではない。ヒット性の当たりは何回もある。レギュラーを掴み取った実力もある。つい半年前までは小野寺も現役の高校球児だった。分はそちらの方にある。


「じゃあ、いつも通り30球勝負ね」

「わかりました」


 不安と、焦りと、その他諸々の複雑な感情が入り乱れる中、松崎はコインを投入した。人生をかけた最後の大勝負が始まる。

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