第10話「電話」
松崎に対してのモヤモヤとした感情は一週間経ってもまだ続いていた。全部柴山のせいだ、と思いながら小野寺は今日も部活帰りのバッティングセンターでバットを振る。
「精が出るね」
いつもの練習が終わると、カウンターから松崎の父親が声をかけてきた。どうも、と小野寺は会釈をする。
「最近調子悪いんだって? 茜から聞いたよ」
「そうですね。自分でもどうすればいいのかよくわからなくて……」
小野寺は首を捻った。今日の部活もあまり「いい練習ができた」とは言えない内容だった。身体のどこかに不調がある感じでもない。とすると、やはり精神面の問題だろうか。
「まあそんなに考えすぎるな。落ち着いて、平常心平常心」
松崎の父親は自身の両肩をグルグルと回しながら優しく微笑みかける。たまに彼からアドバイスを受けるが、ほとんどがこういったメンタル面の話だったり、根性論だったり、技術の話をされたとしても擬音が多く、あまりあてにならない。だけどこういう時ほどこんな話が一番参考になったりする。
ありがとうございます、とアドバイスのお礼を言って小野寺は店を出る。そういえば今日は彼女に会えていなかった。最近受験勉強で忙しいみたいだ。大学受験は高校受験と比較にならないくらい難しいらしい。よくわからないけれど。
「ただいま」
家に帰り、小野寺は汗臭いユニフォームから半袖短パンに着替る。着替え終わったと同時に母親から「ご飯ができたから早く来い」との催促を受けた。二階の自室から降りて食卓を見ると、昨日のカレーの残りだった。
いただきます、と小野寺が手を合わせた時だった。
「最近調子どうだ」
父親がカレーを食べながら小野寺に尋ねてきた。小野寺も手を止めることなく「普通」とスプーンを口に持っていく。その後も父は小野寺に対し野球部のことについて聞く。小野寺も単語を並べるように淡々と答えていった。母親は2人の会話について行けていないらしく、微笑ましく親子の様子を眺めながら食事をとっていた。
食べるのが早い小野寺は、ものの10分ほどでカレーを平らげてしまった。ごちそうさま、と食器をシンクにいれ、自室へと戻る。親とは不仲ではない。いつもこんな感じだ。
さて、自室に戻ったところで特にすることがない。夏休みの課題は夏休みが始まったと同時にほとんど終わらせた。適当にスマートフォンを眺める。見ていたのはスポーツのネットニュースだった。甲子園で活躍する球児たちの活躍を見て、心の中で彼らへの憧れを馳せる。
するとスマートフォンがポロロンと電話の着信を知らせた。松崎からだった。今までメッセージのやりとりは何度かあったが、電話は初めてだ。
「も、もしもし」
なぜか緊張している。小野寺の声は上ずんでいた。
『もしもし、私だけど。今大丈夫かな』
「はい、大丈夫ですけど、どうしたんですか?」
『いやー、作業通話、みたいな?』
くはは、と独特な笑い声が聞こえてきた。作業通話、と小野寺も繰り返す。相変わらず彼女の意図がよくわからない。
『最近受のために色々勉強してるんだけど、どうも無音だと落ち着かなくてさ。それに、誰かに監視された方がやる気も上がるかなーって思って。ちょっとだけでもいいから付き合ってくれない? 友達は「静かな方が捗る」って言うし。ね? お願い』
「まあ、いいですけど……」
そう了承したはいいけれど、一体何を話せばいいのかわからない。と緊張していたけれど、そんな考えは杞憂に終わった。向こうの方からマシンガンのように質問が次から次へと飛んでくる。よく勉強しながら色々話せるな、と半ば呆れながら彼女の質問に答えていった。きっと松崎の脳は常人とは全く異なるのだろう。
『ねえ、小野寺くんは私に何か聞きたいことある?』
「えーっと、そうですね……そういえば、松崎さんはどこに進学するんですか?」
『あれ、言ってなかったっけ』
彼女が口にした学校は、隣県にある専門学校だった。どうやらスポーツトレーナーになりたいらしく、その資格を取るためにそこに決めたそうだ。電車で2時間ほどかかるが、そのくらいならまだ許容範囲だ、ということで自宅からこのまま通学するらしい。
「なんか、松崎さんらしい」
『そう? そういうの自分じゃよくわかんないや』
クスリと笑う彼女の声とともに、ペンを走らせる音が聞こえた。本気で夢に向かっているんだ。そう思うと、不思議と身体が勉強机に向かった。しかし解ける問題集がないので数学の教科書をペラペラとめくる。やはり松崎と会話していると教科書の内容が全然入ってこない。
「あ」
思い出したように小野寺は呟く。何? と松崎も聞き返した。しかし小野寺は言葉を発することができなかった。頭の中にあるのは、柴山と会話したあの雨の出来事だったから。
「ま、松崎さんって、彼氏、とか、いたり、するんですか?」
言葉を詰まらせながら小野寺は質問する。手鏡がないのでよくわからないが、顔がとんでもなく熱いのでおそらくトマトのように真っ赤であることは間違いない。
電話の向こうからは今日一番の彼女の笑い声が聞こえてきた。
『彼氏? いないいないそんなの。っていうか、私今まで告白されたこともないんだから』
それは嘘だ、と叫びたくなったが、かろうじて残っていた理性がそれを抑制した。松崎のような美人、放っておくほうがどうかしている。
『何? 私に気があるの?』
「そ、そんなんじゃないです!」
慌てて小野寺は否定する。そう、別にそういうのではない。ただこんなことを聞いて恥ずかしくなっているだけだ。この感情はどこにぶつけよう。そうだ、あんなことを言ってきた柴山が悪い、柴山のバカヤロー。
『そういう小野寺くんの方こそどうなの?』
「いる訳ないですよ」
『えー、もうちょっと頑張ればモテると思うのにな』
それは「野球がもっと上手くなればモテる」ということを暗に伝えようとしているのだろうか。ちょっとムッとしたが、口にはしなかった。
その後も作業通話という名の談笑は1時間ほど続いた。下の階にいる母親から「お風呂で来たから入っちゃって」というお達しが来たので、終わることとなった。時刻はもうとっくに午後9時を過ぎている。
「あの、今度は俺から電話してもいいですか?」
『もちろんだよ。いつでも待ってる。あ、めちゃくちゃ夜遅い時間とかはやめてね。大体1時までにはもう寝てるから』
「わかりました。それじゃあ、おやすみなさい」
『はーい、またねー』
プツンと電話は途切れた。なんだか夢のような時間だった。幸せな空間の中でずっと浮かんでいるような、そんな感覚だ。
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