第9話「ライバル登場?」
夏になると3年生が引退し、野球部は小野寺たち1年生と2年生の新体制になった。ベンチ入りすらできなかった小野寺だが、ようやくベンチに入ることができた。2年生が主軸となっているが、上手い1年も2年生を差し押さえて活躍している。小野寺の実力は……まだ平々凡々だ。
せっかくの夏休みの1日練習なのに、生憎の雨だった。仕方がないのでこの日は校舎の中で筋トレを重点的に行うようになった。4月の頃はハードなトレーニングに音を上げていた1年生たちも、すっかり野球部らしい顔つきになった。もちろんそれは小野寺も同じだ。ウォーミングアップのランニングでハアハアと息を切らすも、「終わったら次筋トレ」という先輩からの指示に「はい!」と大声で返事を返せるようになった。そこに疲れなんてものは一切感じられない。
雨が止むことはなく、この日は午前中で練習が終わった。まだまだ動かしたりない。小野寺は自然とバッティングセンターへと向かった。
「いらっしゃい。あれ、小野寺くんじゃん。こんな時間に珍しいね。部活休み?」
「今日は雨なので、早めに切り上げたんです」
松崎の問いに答えながら、小野寺はコインを購入する。この動作も慣れたものだ。
すると、ガラガラ、と店の扉が開いた。夏休みとは言え今日は平日だ。しかもこんな雨の日に。自分以外に利用している客なんてほとんど見たことがない。
「いらっしゃいませ」
英単語帳を眺めていた松崎も本を閉じ、接客に応じた。
「あれ、小野寺?」
「柴山……」
訪れたのは、小野寺と同じ野球部の柴山恵一だった。小野寺と同じ坊主頭だが、爽やかな顔立ちから女子からの人気は高い。おまけに現在の2年生とも肩を並べるくらいの実力の持ち主で、次期エース候補、と持て囃されている。同じチームだがあまり話したことはない。仲良くはないが、かといって仲が悪いという訳でもない。
「何してんだ、こんなところで」
「今から練習。柴山こそ珍しいな」
「帰りにたまたま寄ったんだよ。そしたらお前がいるなんて思わなかった」
そう言いながら柴山もコインを投入した。
「よく使ってるの?」
「まあ。小学校の頃から」
「小野寺くんはね、うちの常連なんだよ。いつも利用してくれてありがとね」
小野寺の返答を補足するように松崎が2人の会話に割って入った。なんだか恥ずかしくなって、小野寺は顔を赤くしてそっぽを向く。
そのまま小野寺と柴山は打席に向かった。小野寺が110キロ、柴山は120キロのコースだ。
「そういえばさ、小野寺」
「何?」
「……やっぱいい」
バッティング中は機械の音や打球の音であまり他人の声が聞き取りづらい。叫ぶように柴山は尋ねたが、何も聞いてくることはなかった。雨音の中、2つの金属音が静かに響く。
今日の打率は散々だった。最近110キロの挑戦し始めたが、それからあまり成績が振るわない。しかしこのスピードに対応できないとレギュラーなんて夢のまた夢だ。
対して柴山は120キロでも問題なくボールがバットの芯に当たっていた。ヒット性の当たりも何本か出ていた。これが凡人と次期エースの格の違いだ。はあ、と小野寺は溜息をつく。
「今日調子悪いじゃん。どうしたの?」
松崎にそう尋ねられたが、自分でも原因はよくわからない。こういう日はたまにある。小野寺は首を傾げた。
同じタイミングで柴山も打席から出てきた。
「仲いいんですね」
柴山は松崎に話しかけた。松崎は柴山の方を振り向くと少年野球時代の小野寺のことをべらべらと話す。もはや公開処刑だ。顔を赤くして、その場を離れた。
「あ、行っちゃった。悪いことしちゃったな」
てへ、と松崎はチラリと舌を出した。
「それじゃあ俺はこれで」
「君もいつでも来ていいからね。この店利用するの小野寺くんくらいだから」
あと、と彼女は店を出ようとする柴山を呼び止めた。
「小野寺くんのこと、ちゃんと頼むね。あの子、同世代の友達いるかどうかわかんないから……だから、小野寺くんが困ってたら相談に乗ってあげて。よろしく」
「大丈夫ですよ。あいつ、友人関係はそれなりに良好だと思いますよ。ただ、あんまり他の人とつるまないだけで」
「そう? ならよかった」
ニコッと松崎は笑った。それにつられて柴山も微笑む。小野寺はもう既に外に出ていて学校指定の黄色いレインコートを着ていた。
「おーい小野寺、ちょっと待てよ」
一緒に帰ろうと柴山は小野寺を呼び止める。小野寺も自転車に乗って地面を蹴り上げるまではしたが、すぐにブレーキをかけた。
「何?」
「一緒に帰ろうぜ」
柴山の提案に小野寺はイエスともノーとも言わず、彼がレインコートを着るのを待った。
「行こう」
彼の合図とともに小野寺は自転車を漕ぐ。今日初めて知ったが、小野寺と柴山は帰り道が同じらしい。それは彼が帰り道の途中でここに寄ったのだから当然と言えばそうなのだが。
雨に打たれながら川沿いの道を走っている最中の出来事だった。
「なあ小野寺」
「何?」
「お前、あの人のこと好きなの?」
キューッとアスファルトとタイヤが擦れる音が一体に響く。
「な、ななな何言ってんだよ!」
「まあ落ち着けよ。誰にも言わねえから」
急ブレーキをかけた小野寺は、柴山の後ろで顔を真っ赤にしながら狼狽えていた。そんな顔を見られるのが恥ずかしくて、小野寺は顔を伏せる。柴山は小野寺の反応が面白かったのか、自転車を小野寺の元に寄せ、耳打ちした。
「で、実際どーなのよ」
「好きとか、そんなの、わかんないから……」
「いーや、この顔は惚れてるな」
「ばッ……そ、そんな訳ないだろ!」
ものすごく恥ずかしくて、とにかく否定したかった。好きとか、恋愛だとか、よくわからない。
「そういうお前はどうなんだよ」
「俺? あの人は美人だと思うけど、俺の好みじゃないな。でもあれだけ美人ならきっと高校でもモテてるだろうな。彼氏もいたりして」
そう茶化す柴山だったが、その言葉は小野寺の胸の奥にグサリと刺さる。考えたこともなかった。でも彼女は美人だ。それはファッションセンスも美的価値観もない小野寺が見てもわかる。幼少期から美人の部類には入ると思っていたけれど、中学、高校と年齢を重ねるにつれてどんどん美しさに磨きがかかっていった。きっと恋人がいてもおかしくはない。
それは……それは嫌だな。
「そんなに気になるんなら今度聞いてみれば?」
柴山の言葉にも頷く元気すら出なかった。小野寺は今目の前が真っ暗だ。自分ではない誰かの隣で彼女が歩いている……そんなことを想像しただけで、吐き気を催す。
「ごめん。先帰ってるわ」
小野寺は柴山にそれだけ告げて、自転車を漕いだ。雨は次第に激しさを増す。叫ぶ気力もなかった。心に空いた大穴は、雨は満たしてはくれなかった。
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