第8話「バッティング対決」

「安打なんて、バッティングセンターでそんなのどうやって区別するんですか」

「自己申告」

「無茶苦茶だなあ」


 文句は言いつつも小野寺は彼女に続いてコインを購入した。この店にとって一番の貢献者は小野寺と松崎だ。


 松崎が一番右の、その隣の打席に小野寺が立った。球速は2人とも100キロ。もうすっかり陽は傾き始め、ナイターの光がほんの少し眩しい。


「そういえばこうやって直接勝負するの初めてだね」

「ですね」


 彼女から野球を教わったことは何度もあるか、今日のように対峙することはなかった。なんだか新鮮だな、と思いながら小野寺はコインを機械に投入する。同じタイミングで松崎もマシンを起動させた。


 カキン、カキン、とお互いの打球音が鳴り響く。部活での疲労のせいか、さっきのバッティング練習よりもあまり打球が飛ばない。対して松崎は選手を辞めたとは思えないくらいの綺麗なフォームと洗練されたスイングで次々とヒット級の打球を連発している。彼女の顔色に疲れは一切見られない。


 負けじと小野寺もバットを振る。しかし思ったように打球が飛ばない。最初は互角の戦いになるかと思っていたが、どうも分が悪そうだ。このくそ、と小野寺はバットを構えるが、隣の打球がきれいなアーチを描き、向こう正面の的に当たるのを彼は見逃さなかった。自己申告以前の話だった。ホームランを告げるファンファーレが少しだけ癪に障る。


「私の勝ちだね」


 ニッと得意そうに松崎は笑った。彼女にはまだ敵いそうにない。小野寺は目線を落とした。


「そうですね。で、何奢ればいいですか?」

「えっとねえ……じゃがいも2個と玉ねぎ2玉。あと人参と豚肉と……」

「カレーですか」

「残念、肉じゃが。おつかい頼める?」

「多分松崎さんくらいですよ。罰ゲームに晩御飯の買い出しを頼む人」


 昔から彼女はこういう人だ。いたずら好きで、よく人をからかう。こういうところは少年野球時代から変わらない。小野寺に指摘されても、松崎はケラケラと笑ったままで反省の素振りはない。


「嘘嘘、冗談だよ。そもそも肉じゃが昨日食べたし。自販機のサイダーでいいよ。久しぶりに運動して喉渇いちゃった」


 はあ、と小野寺の口から重たい息が出る。彼女の傍若無人ぶりは今に始まったことではないが、振り回される身にもなってほしい、と常々思う。松崎に言われるまま小野寺はサイダーのボタンを押した。腹いせにサイダーを振って炭酸を抜いてやろうかと考えたが、やってもきっと笑われるだけだろうから止めた。いつまで経っても彼女には勝てそうにない。


「やっぱりもったいないですよ、選手辞めちゃったの」


 自分用に買った天然水のペットボトルを開けながら、独り言のように小野寺は呟く。そういえば彼女が高校でソフトボールを続けなかった理由は知らない。彼女が高校に入学してすぐにそのことを聞いた時は、なぜかとしつこく問いかけていたが、松崎は「いろいろあるんだよ、いろいろ」とはぐらかすだけで、結局教えてくれなかった。それ以降小野寺は彼女が選手を辞めた理由について踏み込まないようにしていた。


「本当? じゃあもう一回選手目指そうかな」


 口ではそう言っているけれど、きっと本心はもう完全に諦めている。いつもの冗談だ。今となっては彼女がなぜプレイヤーを退いたのかもさほど興味はない。知れたらいいな、とはほんの少し思っているけれど、きっと口は堅いだろう。


「でもやっぱり遠慮しておくよ。実際にやるよりマネージャーの方が向いてると思うし。それに今はあいつらが甲子園に行くことが私の夢だから」

「結局俺と一緒のこと言ってるじゃないですか」

「ホントだ」


 またケラケラと松崎は笑った。それにつられて小野寺もクスリと笑みをこぼす。彼女の笑顔に後悔の2文字は見えなかった。


「夢、叶うといいね」

「そうですね」


 丁度午後6時を報せる町内放送が窓から聞こえた。もうそんな時間か、と小野寺は慌てて帰り支度をする。門限は特に定められていないけれど、あまり遅くまでいると母親の雷が怖い。


 また来ます、と小野寺が店を出ようとした時だった。


「あ、ちょっと待って」


 松崎は唐突に小野寺を呼び止めると、カウンターの下に戻り何かを探していた。


「小野寺くん、スマホ使ってる?」

「ええ。この間買ってもらいましたけど」

「よかった。じゃあ連絡先交換しようよ」


 え、と一瞬思考がフリーズしてしまった。「ええ、まあ」と曖昧な返事しかできない。小野寺は鞄からスマートフォンを取り出し、通話アプリのアカウントのQRコードを見せた。松崎がそのコードを受け取って1分も経たないうちに彼女からのメッセージが可愛らしいウサギのスタンプと共に来た。


『やっほー。通じてる?』


 通じてる、というワードを選択するのがやっぱり彼女らしい、と思いながら小野寺は迷わずにアカウントを友達登録する。


『通じてますよ』


 そう返したと同時に現実世界の彼女がプッと吹き出した。


「小野寺くん、喋りながら打つんだ。なんか可愛いね」

「いいでしょ。まだ慣れてないんだから」


 自分でも機械系には疎いことはわかっている。わざわざ言わなくてもいいじゃないか、と小野寺は顔を赤くしてスマートフォンを鞄の中にしまった。


「からかってごめんね。小野寺くん、あんまり表情変わんないから、ついつい」

「ついってなんですか」


 溜息をつくように小野寺は答える。別に松崎にからかわれるのは嫌いではないが、単純に恥ずかしい。


「また来てね」

「また来ます」


 照れを隠すように小野寺はそっぽを向き、自転車に乗った。ちらりと後ろを振り返ると、ニコッとした笑顔で小さく手を振りながら見送っていた。それも少し恥ずかしくて、小野寺は急いでペダルを踏む。自転車をいくら漕いでも、心の中にあるモヤモヤは解消されることはなかった。


「うああああああ!!!」


 意味もなく叫んでみる。だけど心が吹っ切れる訳ではない。ペダルを踏む足はさらに回転が速くなる。結局家についても、家族と一緒にいても、心の中にあるわだかまりは取れなかった。


「松崎さんって、あんなに可愛かったっけ」


 別れ際の彼女の笑顔が忘れられない。記憶の中にあるどんな松崎の姿を切り取っても、可愛い、という印象が出てくる。そんな人と、俺は……。


 うああ、と布団の中で小野寺は言葉にもならない叫び声をあげた。顔の火照りはまだ冷めそうにない。

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