第3話 パンドラの箱
そんなある日、高齢の執事が連れてきた男に、若い執事は気付きを得ることが出来た。
「お気に召すかは分からないのですが……」
高齢の執事が、おどおどしながら報告を始めた。伯爵と同い年くらいに見える。
「おまえは、長年、ワシに尽くしてくれた。怯えんでよい」
「ありがとうございます。人を招いてもよろしいでしょうか?」
高齢の執事が「入りなさい」と告げると扉の向こうに控えていた男性が入ってきた。
背の低い中年男性だ。半笑いで人相が悪い。伯爵はいぶかし気に背の低い男性を観察している。
「この者は、古美術商でございます。珍しい物を専門に売買しております」
伯爵は無言で聞いている。
「おい、持ってこい!」
古美術商が声を上げると、扉を開けて二名の部下が何やら大きな箱を室内に運びこんだ。
高級な装飾が施してある一辺が1メートルほどの大きな箱。相当に古い物に見える。
「これは、有名な『パンドラの箱』にございます」
古美術商は、不敵な笑みで紹介した。
横で見ていた若い執事は、伯爵の目が輝いたような気がした。
「それは、興味深い」
「ご存じ、ギリシャ神話に出てくる箱でございます。昨年、発掘されたものを私が高額で買い取ったのです」
「箱の中身を見せろと言いましたが、できないと言うのでここに連れて参りました」
高齢の執事が会話に割って説明を加えた。
「それが、本物だとすると開けると中から、あらゆる厄災が出てくるのじゃな。興味深い」
「その通りでございます。開けるか、開けないかは伯爵次第でございます。もちろん、開けるのは買い取っていただいたあとですが」
「いくらじゃ」
古美術商は手で額を示した。周囲の執事が驚くほどの高額。
「古美術商よ。ワシを騙そうとは思ってないな」
伯爵が穏やかに聞いた。
「へへ、そんなことはめっそうもございません」
「本当に騙すつもりはないのだな!!」
今度は、部屋全体が震えるほどの激しい口調。執事も背の低い男性も、ビクッと反応し背筋を伸ばした。
伯爵は鋭い目つきで背の低い男性を睨んでいる。背の低い男性は、伯爵の鋭い眼光と気迫に圧倒された。
「申し訳ありません。この箱は偽物でございます。あなたのような方を騙そうなんて、私が間違っておりました」
古美術商は、頭を床に擦り付けて土下座をした。
「下がれ。二度とワシの前に現れるな!」
背の低い男性は、伯爵の方を見ることなく部屋をあとにした。
男性を連れてきた高齢の執事も、部屋に居づらくなり無言で出て行った。
「伯爵様、私は感動しました。男性の素性を見破られていたのですね」
若い執事は感嘆の声をあげた。これはお世辞ではなく、本心だった。
「長年の経験じゃな。部屋に入って来た時から分かっておった」
伯爵は穏やかな老人に戻っていた。
若い執事は目の前で起こったことを頭の中で思い出すと、疑問に思うことがあった。
『パンドラの箱』だと説明されたときの伯爵の目の輝きだ。
「伯爵、改めて『心が揺さぶられる扉』についてお聞きしたいのです」
「なんじゃ」
「嬉しい、楽しいといった感情だと理解していたのですが、辛い、悲しいといった負の感情でも良いのでしょうか?」
「喜怒哀楽、いずれでもよい。できるだけ深く、できるだけ多くの人に影響を与えられればな」
「早速、明日から世界中を渡り歩いて探して参ります」
「君には大いに期待しているぞ」
若い執事は、頭を下げてから部屋をあとにした。
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