にっがいブラックコーヒー



 私はもう一時間だけ講義があったんで、教室を移動しました。次の講義は実は結構楽しみなんです。



「明後日やれることは明日には絶対にやるな!」



 これは私たちの大学の名物おじいちゃんの口癖です。なんでもこの人、以前がんのステージ四だったらしいんですが、七十過ぎてるのに元気になって帰ってきたんですよ。そんな一度死にかけたおじいちゃんが言うんです、説得力の次元が違います。そんなおじいちゃん先生の講義なんですが、これがまた雑談が多くて聞いててすごく楽しいんです。笑っていいんかぎりぎりの自虐ネタを、それはもう吹っ切れたようなバカでかい笑い声をあげて言うんです。


 こんな私が言うのはちょっとおかしいかもしれませんが、人が生きる上で最も必要なもんはユーモアだなあ、と思うんですよ。というか、これに関しては確信しています。ユーモアこそが、かったい一本の誇りになると確信しとるんです。笑うのが苦手とか、遊びたくないとか、いろんなことを言いますが私の答えは結局これなんです。自分でも矛盾しとらん? と思ったりします。だから、なんだかんだ言ってまだ私は馴染んでないんじゃないかと思うんですよ。十九歳といえばただでさえ多感な時期ですから余計です。あ、私実は、まだ酒も飲めんのですよ。まだいろんなもんを酒で流すことができない時にこんなことばかり考えるようになってしまったのが、良いことなのか悪いことなのかわからないですが、私は良かったんじゃないかと思うんですね。あと数ヶ月で酒が飲めるようになるわけで、そうなったら記憶飛ぶまで体痛めつけて、果てに死んでやるんも面白いんじゃないかと思ったりするんですよ。だから、今は散々苦しくても考えまくってやろうと思っとるんです。それに、酒が飲めないおかげで、私はブラックコーヒーに出会えたんかもしれませんしね。


 そんなことは置いといて。これは完全に私の感想ですが、馴染むにも順序があるんじゃないかと思うんですよ。うつみたいな心に燻る鉛みたいなもんは、水と油を一つの器に受け入れた時点でそれなりに軽くなるんだと思います。そっから水と油が乳化するんには乳化剤となるもんが必要で、これを見つけるのが大変だと思うんです。それこそ、人生をかけて探すもんだと思うんです。そして私にとっての乳化剤は、ユーモアだと思うんですよ。


 私がこういう性格だからかわかりませんが、私は吹っ切れた人が好きなんです。実は海くんもだいぶ振り切ってまして少し前の話になるんですが海くんが言ったんです。この世は本当に美しいと。涙ながらに言うんです。ごめんなさいと、無責任だと、自分を責めながらでもどこか清々しい赤子のような笑顔で言うんです。この世は本当に美しいって。僕らはみんな死んでしまうけれど、その上には新しい命があってそん中で恋したり、笑ったり、泣いたり、そんなことをする。そんなに美しいものはないと、海くんは言うんです。いつか崩れてしまうもんだからこそ、美しくて仕方がないんです。なんとなくですが、海くんはその中に自分もいるということに、なんとも言えん喜びを抱いているような気がします。言いたいことはわかります、私たちの大先輩方は遥か遠い昔に「命」と「死」という発明をしました。なんでかなあと考えると、まあ、きっと飽きたんでしょうね。ただ「在る」という色のない、なんもない、そういうもんに。その二つを作ったからこそ、私たちはいろんなもんを手にできているんです。その発明に従った方々のお陰で私たちはこの世界の大地を踏むことができてるんです。感謝してもしきれませんね。


 海くんはきっと、感性がすごく豊かなんだと思います。どんなことであっても、合わずとも遠からずといった程度は相手の感情を感じ取れるんです。海くんが泣いてしまうのもわかる気がします。私たちが生きてるのは、この地球という世界ではなく、自分という世界なんです。その中で、相手の世界を完璧とは言えないでしょうが、感じ取れてしまうんです。その上で自分の世界を歩くんです。だから、海くんほど優しい人はいません。でも、海くんほど薄情な人もいません。なんでかなあと思うほどにずっと優しさを振りかざすこともあれば、体全体がキュっと締まってしまうほど冷たいことを言うときもあります。


 それが海くんの笑顔にも現れていると思うんです。笑顔にはその人の人生が宿ると思うんですよ。そんで、海くんの笑顔はさっきも言いましたが、赤子のように純粋なものなんです。本当に同い年の人の笑顔なんかと何回見ても思います。それは、お父さんを亡くし、お母さんを亡くした今でも変わりません。もちろん辛そうな顔もします、苦しそうな顔もします。でも、その笑顔だけは変わらんのです。なんでかなあ、と思うんですがそれは海くんが私と違うからだと思うんです。海くんは強いんよ、私みたいに笑ってばっかいるとその笑顔に飲まれてしまうなんてことは考えないんです。だって最初から知ってるんですから、この世界には儘ならなんもんばっかで笑顔に塗りつぶされた不幸が腐るほどあるんだと知ってるんです。彼は、誰よりも純粋な笑顔を浮かべても、その裏にある不幸を見てるんです。すごいなんてもんじゃありません。彼みたいな人がいるから、私は考えるのを辞めずに生きられているんでしょうね。


 こんなことを言うと海くんはサイコパスなんじゃないかと思う人がいるかもしれませんが、まあ否定はしませんね。でも、優しい人です。見ないふりができない不器用な人なんです。でも彼は強いんで、必ず最後はその赤子のように純粋な笑顔に戻ってくるんです。


 さて、講義が終わりました。なんだか今日の名物おじいちゃんの講義はだいぶ抑えたもんでした。なんでしょうか。体の調子でも悪いんでしょうか。


「おい、はす


 と、そんなことを考えていたらそのおじいちゃん先生から声をかけられました。先生も私のこと蓮と呼ぶんですが、実は海くんと先生はすごく仲がいいんです。一年の頃海くんのゼミの担当が先生だったんですが、妙に海くんのことを気に入っているんです。私もそのゼミがよかったなあと思います。それで、海くんのゼミにたまたま行ったときに名前を覚えてもらったんです。


「海は元気そうか?」


「あ、はい。まだちょっと辛そうにしてる時もありますけど、もう大学にも来てますよ? 今日はもう帰っちゃいましたけど」


「お、そうか。なら明日にでも少し話してくる」


 海くんは一年の終わりごろから休学してたんですが、数か月くらいですかね、その間は学校には来てないわけで海くんと話す機会は先生にはなかったんでしょう。ただ、事情は学生生活課からでも聞いてるんでしょうか、先生の表情を見るにそんな気がします。この年でほぼ同時に両親をなくすというんは、悲劇なんて言葉が生ぬるいほどの出来事だということは誰にでもわかります。先生も相当心配してたようでなんだか少し顔に疲れがにじんでいるような気がします。そんなやり取りをして、私は家に帰りました。



 さて、色々ありましたが、今日も今日とて今日が終わります。今日は私たちが生きている限り永遠に訪れるもんですが、今日という今日は、今日を生きた私は、今日が終われば死にます。そんな今日を最後に彩るブラックコーヒーは一体どんなもんでしょうか?



 正解は、にっがいブラックコーヒーです。砂糖は入れません。確かに海くんと話していたときは砂糖を入れようと思っていましたが、よくよく考えて見れば今日は甘い日ではなく、おいしい日だったなあと思うんです。


 そんな日に飲むにっがいブラックコーヒーは、なんででしょうね。




 不思議と、、んですよ。

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ブラックコーヒー yukisaki koko @TOWA1922569

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