4-7
「雨宿り」一部抜粋
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雨がやんだら、さようなら。
お姉さんと出会ったのは、まだ夏の始まりのことだ。
白い半袖シャツに、ベージュの短パン。
パンパンに膨らんだリュックに、お気に入りの麦わら帽子。
思い切って家を飛び出した僕に突きつけられた厳しい現実。
それでも、家には帰りたくないんだ。
ポツリ ポツリ
ひとつ、またひとつ。
雨粒が空から落ちてきて、僕の心は余計に沈んだ。
まだ、今日の宿を決めていないのに。
辺りが薄暗くなって、キラキラと光るネオンが恨めしい。
お気に入りの麦わら帽子じゃ、雨は防げなくて、僕は途方に暮れた。
ビルの壁際に雨から逃げるように張り付いて、そのまま座り込む。
雨が止むまでやり過ごそう。
どうせ夕立だ。直に止む。
でも、このままずっと雨が降り止まなかったら?
僕はこのまま石と化してしまうのかもしれない。
座り込んで、結構時間が経過したような気がした。
でも実際はそんなに経っていないのかもしれない。
急に視界が暗くなった。
「ねぇ、ウチで雨宿りしてく?」
驚いて顔を上げると、僕に傘を差し出すお姉さんがいた。
ショートパンツにタンクトップのその姿は、何だかこの夜の街には不釣り合いの格好だった。
「・・・・・・。」
急に声をかけてきたお姉さんを訝しげに見る。
「やーね。警戒してる?私には愛する旦那がいるから逆ナンなんてしないって。ただ、君本気で困ってそうだったからさ。」
その視線に気づいたのか、お姉さんは豪快に笑い飛ばした。
お姉さんの言う通り、その左手の薬指には指輪が嵌っている。
「・・・・・・。」
「雨、止まないよ。今日から梅雨入りだから。」
それでもなお動かない僕に、お姉さんは困ったように呟く。
そっか、雨は止まないのか。
それを知ると口が勝手に動いた。
「雨宿りさせて。」
雨は、嫌いなんだ。
***
お姉さんに連れられてたどり着いたのは、小さな庭のある古民家だった。
庭には紫陽花が植えられていた。
紫陽花を横目で見ながら玄関先の石畳を歩いて、引き戸を開ければ、どこか古い懐かしい匂いがした。
「ようこそ。ここが私の家。」
お姉さんがにっこり笑って、僕を招き入れる。
玄関には女物の靴しかなかった。
お姉さんは閉じた赤い傘を無造作に傘立てに突っ込む。
靴箱の上には、庭先に咲いていたのと同じ紫陽花が一輪生けられていた。
「お邪魔します。」
僕はリュックを背負ったまま、恐る恐る靴を脱いで上がる。
「荷物はその辺置いとけばいいよ。」
お姉さんが廊下を適当に指差す。
「うん。」
僕はやっとリュックを下すことができた。
ずっしりと重たいリュックを下すと、解放された気持ちになった。
肩がバキバキで、想像以上にリュックに負担がかかっていたのだと知る。
「こっち。そこ座ってて。」
居間に招かれ中に入る。
そこには、6月なのにも関わらずこたつが置いてあった。
少しだけ散らかった居間を見ながら、ここにはテレビがないことに気づく。
今時珍しい。
襖の上には、何枚か写真が額縁に入れて飾られていた。
古いものは白黒だった。
この家の玄関の前で撮った家族写真なんかだ。
そして、一際新しい写真がふと目につく。
警察官の制服に身を包んだ若い男性の写真だ。
お姉さんの、旦那?
そう勘ぐってしまったが、他人の家の居間を観察するのは良くない気がして、視線を外した。
庭に目をやると、先ほどの見事に咲いている紫陽花が目に入る。
紫陽花が、好きなのだろうか。
「はい、どうぞ。」
お姉さんがキッチンから戻ってきて、僕の前に湯呑みを置く。
中には、温かい日本茶が入っていた。
「ありがとう。」
お礼を言って、お茶を一口飲む。
苦い・・・。
滅多に日本茶なんて飲まない僕には、普通に淹れたお茶でも苦かった。
苦い、なんて口には出さなかったけど、顔には出ていたらしい。
「はっはは!ごめんごめん!若い子には出すものじゃなかったね。」
お姉さんは大笑いをすると、片手でごめんのポーズを作る。
若い子って・・・。
お姉さんだって、十分若いじゃないか。
「飲めますから。」
笑われて、意地になってお茶を飲みほした。
お姉さんはまた笑って、自分もお茶を一口飲んだ。
***
しばらくすると、雨が強まった。
「泊まっていきなよ。」
というお姉さんの勧めで、僕はその日お姉さんの家に滞在することにした。
旦那さんが帰ってこないかドキドキしたけど、用意された夕食は二人分だった。
そして、僕に差し出されたお茶碗は、お姉さんと色違いのもので、明らかに旦那さんのものだった。
今日は、帰ってこないのかもしれない。
夕食は和食だった。
僕の家はすっかり洋食なので、米と味噌汁と魚と漬物という和食は物珍しかった。
「口に合うといいけど。」
「美味しい・・・。」
すごく美味しくてビックリした。
パクパクと食べる僕に、お姉さんはまだ手をつけていない自分の魚を差し出す。
「これも食べていいよ。お昼食べすぎちゃってお腹いっぱいだから。」
「いや、でも・・・。」
「今更遠慮なんてしないの。」
押し切られて、魚を受け取った。
結局お姉さんは口に入れた量は、僕がペロリと平らげた量の10分の1にも満たないような気がした。
夕食後には、お姉さんは白湯を持ってきて、いくつかの薬を飲んでいた。
「どうしたの?」
何気なく問いかけると、お姉さんは困ったように笑う。
「ここ最近、風邪を引いちゃったみたいでさ。」
「大丈夫なの?」
「大丈夫さ。じきに治る。」
そう言われ、僕はそのことについてさほど気にしなかった。
もっと気にしていればよかったのかな。
いや、それでも未来は何も変わらなかっただろう。
***
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