第24話 不撓
「これおかしいです。この日私、和久井さんと一緒にいたのに」
「灯波先生」
丸山先生が私の肩に手を置いて首を横に振った。これ以上の詮索はやめろということだろうか。ここで引き下がっていいとは私は到底思えなかった。
「どうかしましたか?」
そこで警察の方が、興味深そうに私の後ろから写真を覗き込んできた。
「この日、この時間に、私は和久井さんと会っていたんです。だからこの時間に、和久井さんがこの店にいるわけがないんです」
「言うのは簡単だけどさ、証拠がないじゃないですか」
店主の男性が薄ら笑いを浮かべながら主張する。その笑みが自信からくるものなのか、それとも動揺からくるものなのかは分からない。
「証拠ならあります」
私はレシートをテーブルの上にそっと置いた。
「これは?」
丸山先生が首を傾げる。
私は率直に、迷うことなく口にした。
「ラブホテルのレシートです」
「ラブホテル・・・・・・って、まさか、灯波先生と和久井さんがラブホテルにいたってこと? あのね、そういう冗談は」
「冗談じゃありません。本当のことです」
そう言うと、丸山先生が凍り付いたかのように固まって、そのまま口を閉ざした。この部屋で凍り付いていなかったのは私と、店主の男性だけだった。
「あははっ、おかしなこと言い始めましたよこの人。やめておいたほうがいいんじゃないですか? 自分の首を絞めるだけですよ」
「そうだよ灯波先生! バカなこと言ってないで――」
「でも、本当のことです。これがその証拠です。ラブホテルのロビーには監視カメラが設置されていました。遡れば、その日の映像だって見られますよね?」
私の意思は揺るがない。ふざけてなんていない。これが和久井さんを救う、最善手だと私は思っていた。
店主の男性は、大きな声をあげて、私を糾弾した。
「四ヶ月前のデータなんてあるわけないじゃないですか何を言っているんですか。そもそもね、ラブホテルのレシートなんて聞いたことないですよ」
「いえ、発券機がある施設ならあり得ますよ」
そこで、私の後ろに立っていた警察の方が会話に割って入ってきた。
「ああいう隔離された密室のある施設っていうのは犯罪が起きやすい。我々の間でも注意している場所なのでパトロールがてら怪しい客はいなかったか訪ねることもあるんです。確かにレシートのない場所のほうが多いですが無いわけではありませんね。ちなみにそれはどこに?」
地名を言うと、警察の方は「ああ」と合点が言ったように頷いた。
「店で使っている監視カメラの映像は約一ヶ月ほどで破棄されますが、もしかしたら駐車場に設置されている監視カメラなら、ここ一年くらいは遡ることができるかもしれません」
警察の方が、無線でなにやら本部と連絡を取っているようだった。
「灯波先生、君はいったい、何を言っているんだ。生徒とラブホテルだなんて。冗談だろう?」
「本当のことです」
私の語気から、嘘ではないと察したのか、丸山先生の顔がみるみる内に険しくなっていく。
「だとしても、ここでそれを言って何になる」
「和久井さんの冤罪が晴れるかもしれません」
「じゃあ君は、君の罪はどうなるんだ」
私の、罪?
「生徒とラブホテルに入っただなんて大問題になる。和久井さんのことは、なんとか教育委員会も守ってくれるだろう。だけど、灯波先生のことは誰も守ってはくれないんだよ。いいかい、よく考えなさい。今ここで真実を公言して何の意味があるんだ」
「和久井さんを救えます」
丸山先生は私の恩人だ。教師になったばかりの頃、分からないことやできないことがたくさんあって、何度も挫けて自分を責めた。そのたびに丸山先生は優しく声をかけてくれた。灯波先生なら大丈夫、灯波先生を信じている。その言葉があったから、私は頑張ることができた。
副担任として丸山先生の仕事ぶりを隣で見て、教師というものの素晴らしさと、在るべき姿を再認識できた。丸山先生みたいになれたらってその背中を追いかけた。私は丸山先生のことを尊敬している。だからこそ、言葉を選ぶ必要があった。
嘘は吐きたくなかった。
「そのために、教師になったので」
丸山先生は、蒼白な顔で、私を見た。
「灯波先生、君は」
私と丸山先生の間を結ぶ糸が、瞬間的に冷却されていくようだった。神経が麻痺したかのように、繋がりを感じられない。
「今から向かいますけど、同伴お願いできますか?」
「はい」
本部への連絡を終えたらしい。警察の方に続いて、私も立ち上がる。
「いや、いやいや! ちょっと待ってくださいよ! なんですか!? 俺を疑っているんですか!?」
「心配なさらないでください。ただの確認ですので。これでしっかり統合性が取れたら、保障などの手続きも簡単になりますよ」
冷静な警察の方と比べて、男性は異様に焦っている様子だった。
「そもそも、おかしいじゃないですか! 普通に考えて見てくださいよ、先生が生徒とラブホテルへ行った? 百歩譲ってそれが本当だったとしても、それをそのまま言うバカがどこにいるんですか。おかしいでしょ! 俺を貶めようとしているようにしか思えない! お巡りさん! それはでたらめですよ!」
店主の男性が私を指さす。瞳が交錯すると、彼は怯えるように後ずさりした。私の後ろに幽霊でもいたのだろうか。それとも、私が幽霊にでも見えたのだろうか。
不思議な感覚だ。視界の端に不要なものが映らない。気分はボーッと浮かんでいるような感覚なのに、地面を踏む感覚と、拳を握る感覚だけは鮮明に在り続けている。
「いい大人が分別も付かないのか! そんなことしたってなんの意味もない。それどころか、自分は生徒と淫行する変態教師だって世間に言いふらすだけだぞ! あの女子生徒は万引きをした。それで終わりでいいじゃないか! どうしてわざわざ物事を悪化させようとするんだ!」
「していません」
シャッターを締めるように、問答を閉ざした。
「和久井さんは万引きなんてしていません」
和久井さんは泣いていた。あの涙は、悲しくて流れる涙ではない。悔しくて、けど、どうすることもできない、理不尽で利己的な力に圧倒されて流れる涙だ。それはまるで、子供が大人にぶたれて泣くような、助けを求める雫と同じだ。
「大人、だからでしょう」
男性に一瞥をくれて、警察の方と共に部屋を出る。
手配されたパトカーに乗ると、店の外で待機していた船橋先生と目が合った。視線を外して、私は前を向いて警察の方にレシートを渡した。
ラブホテルの監視カメラにはやはりデータはもう残っていなかったけど、駐車場の監視カメラには残っているかもしれないということでラブホテルの経営者に許可を取って、そのままセキリュティ会社へと向かうことになった。
データを洗い出してもらい、その日の映像を見せて貰えることになった。
レシートに書かれた時間帯まで遡ってもらい、そこから五秒ごとに巻き戻してもらう。すると、ラブホテルの玄関に佇む私と和久井さんの姿が確かに映っていた。あの男性の姿は死角になっていて見えなかった。私にとっては、都合がよかった。
レシートにはチェックアウトの時間もしっかり書かれていた。その時間にもやはり、私と和久井さんが店から出る瞬間がカメラに収められていた。
警察の方は納得したように、再び本部に電話をして、セキリュティ会社を後にした。
その後は警察の方が店主の男性との事情聴取で、事情を洗いざらい聞き出してくれた。
個人的な恨みがあったこと。画像は和久井さんがたまたま店に訪れたときの映像を使い合成で作った偽物だということが、解析班により判明したこと。事件性が証明されたという連絡を私が受けたのは、アパートに帰ってからだった。
すでに時刻は夜の二時までになっていたけど、眠気はまったくなかった。むしろ頭がクリアになり、指先は炎が灯っているかのように熱い。
結局男性は虚偽報告の罪で一時的に拘束されていたらしいが、自白したということもあり、現在は解放されているのこと。厳重注意で終わるか、刑罰を受けるかはまだ分からないらしい。
私は男性の処罰などどうだってよかった。
それよりも、男性が抱いていた、尋常ならざる憎悪が恐ろしくて仕方がない。
合成を作るにしたって、何もあの日、当日じゃなくてもよかったはずだ。それでもラブホテルから去った僅か二時間後に画像を用意するなんて。
息を荒くして、顔を溶岩のように赤くし、家に帰るや否やモニターの前に座り無心に画像をいじくり回している男性の様子を想像すると、背筋が凍った。そんなにも、憎かったのだろうか。
こんな計画的に、虚偽の通報をして貶めようとするその胆力が恐ろしい。
彼の行動力と、起伏ある感情に、理解が及ばない。
でも、理解の及ばない人なんてこの世にはたくさんいる。そこまでしなくていいのにって思ったことは何度もある。
それと同じように、私もまた、誰にも理解されることがないのだろうか。
ベッドに仰向けになりながら、天井を見上げる。
これで、ウィンウィンでしょ?
もしこれで男性が開き直って和久井さんの、体での売買を訴えようものなら私はまた別の手段を考えようと思っていた。
けど、男性はそれをしなかった。自身がまた新たな罪で処罰されるのを嫌ったのかもしれないけれど、本当はきっと、そのことはもうどうてもよかったのだろう。
男性が本当に憎んでいたのは和久井さんではなく、あの日邪魔をした、私なのだから。
翌日、学校に出向くと、校長室へと呼ばれた。中へ入ると、教育委員会の人たちと、教頭先生と、学年主任の先生が私を待っていた。
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