第23話 玉響
私と目が合うと、その男性は僅かな含み笑いとも取れるような表情でこちらを見下ろした。人と人とが貪り合うような、悪意に満ちた顔をしている。
「分かってます。さあ、行こう和久井さん」
丸山先生が立ち上がって和久井さんの手を引く。警察の人も扉の前で待っていてくれた。決して犯罪者を見るような表情ではない。慣れているのだろうか。人の過ちすら機械的に仕事として片付けられるのは一種の強さにも思えた。
和久井さんは、これから区の警察署に向かうという。先生たちは同伴せず、丸山先生が言った通りここからは警察の仕事ということだろうか。着ていた警察は三人。そのうちの一人が、和久井さんに声をかけた。
「あ、あの!」
こちらの話が通らない。言い訳なんて聞かない。そういう雰囲気に守られながら、あまりにも事務的に進んでいく和久井さんの処遇に思わず声をあげざるを得なかった。
けれど、言葉が出てこない。やってない、和久井さんを信じてあげて。そんな子供じみた言い分、大人の私が出していいわけがない。それに、やった証拠はあれど、やっていない証拠などどこにもないのだ。
「灯波先生」
警察の方が扉を開ける。和久井さんも立ち上がり、出口に向かう際、私の隣で震えた声をこぼした。
「もう、いいです」
どうしてそんな顔をするの?
もっと悔しがればいいのに。もっと怒ればいいのに。
なんでそんな諦めたみたいな顔をするの、和久井さん。
「あの日言ってくれましたよね。これは悪いことなんだって。そのときあたし、どこが悪いんだって食ってかかりました」
和久井さんが言っているのはきっと、自分の体を売っていたときのことだ。私は和久井さんに叱りつけるように注意した。けれど和久井さんは、商売に善悪などないと一蹴した。
「ようやく分かりました。悪いことって、自分に返ってくるんですね。せっかく教えてくれたのに、すみません」
そう言って、和久井さんは部屋を出て行く。追いかけた頃には、パトカーより一回り大きいワゴン車が、和久井さんを乗せて出発するところだった。後部座席に座った和久井さんの横顔は、曇った窓ガラスのせいでよく見えなかった。
駐車場まで走った私のあとを、丸山先生が追いかけてくる。肩に手を置かれ、店の中へ戻される。もう一度、店主へ謝罪をしようと言うのだ。
「最初はショックなのは分かるよ。けどね、多感な学生は、まあ遊び半分でこういうことしちゃうんだ。誰かを傷つけるよりはマシだって思って、あとは迷惑をかけた方へしっかりと謝罪をする。それから生徒を反省させ、更生させること。それが僕たちの仕事なんだ。気持ちは分かるけど、ここが踏ん張りどころだよ」
先ほどあれだけ強い口調で反抗したのに、丸山先生は務めて優しく私に言い聞かせた。
店に入って、店主に謝る。聞くところによると、ここはやはり個人店で、以前まで夫婦で営業していたらしいが二年ほど前に奥さんが亡くなったらしい。男性は、落ち着いた声色で私たちに説明をした。
「だからまあ、こちらとしてもね。謝罪してほしいわけじゃないんですよ。あの生徒がね、学校でどれだけ良い子のフリしてるかわかんないですけど、実はとんだ犯罪者ってことを分かって欲しかったんです」
立ち上がって、今すぐに反論したかった。
だけど、それより先に丸山先生が深く頭を下げる。深く、本当に深く、顔が見えないほどまで頭を沈めた。
それを見て、店主の男性は満足そうに頷いた。そして、私を見ると、お前はどうしたと言わんばかりに、顎先を向けてきた。
この男性は、以前和久井さんと接触しています。そのときの私怨でこんなことをしたんです。
私怨? 何に?
・・・・・・答えようがない。答えれば、和久井さんがさらなる罪に問われてしまう。万引きではおそらく停学処分を下されるだろうが、更に罪が重なれば、どうなるかは分からない。
この男性は、それを分かっているのだ。
言えないだろう、どうだ。言ってみろ。教え子を守ってみろ。
目で、そう言われているようだった。
私も丸山先生にならって、頭を下げるしかなかった。
自分の無力さに、悔しくて泣きそうになる。
残っていた警察の方が、盗んだ商品の支払いを後日する運びとなる、という説明をすると、男性はそれをやんわりと断った。
「いいですよそんなの、こっちはお金に困ってるわけじゃないんだ。ただもうこんなことはしてほしくないね」
「本当に申し訳ございませんでした」
もう一度、丸山先生が頭を下げる。
でも、やっぱり、おかしい。
支払いもいらない? じゃあなんで通報したの? なんでわざわざ証拠の画像をいくつも保存したの?
監視カメラの映像をプリントしたと思われるものがテーブルには四枚ほど並べられている。その中には確かに和久井さんがシャーペンやアクセサリーなどをカバンに入れる瞬間が納められている。それらは有名なメーカーが発売している商品で、たまたま和久井さんが同じシャーペンを持っていたということも物的証拠になっていると警察の方は先ほど説明してくれた。
でも私には、この男性が、腹いせにこんなことをしているとしか思えなかった。貶めている、という言い方が最もしっくりくるだろうか。
「あの、もう一度よく見せてもらってもいいですか」
テーブルに置かれた写真に手を伸ばすと、店主の男性が止めようとした。けれどすぐに警察の方が「どうぞ」と言ってくれたので、男性もそれにならい黙認した。
四枚もの写真は、およそ一ヶ月ごとに区切られている。
「毎日じゃなくて一ヶ月くらい間を空けてきているんですよ。怪しまれないようにって悪意が見え見えで、完全に確信犯ですよね」
店主の男性が苛立ちを露わにすると、警察の方も半ば肯定的に唸ってみせた。
一枚一枚見ていくと、確かに写真の下には撮った日付と時間が書いてある。それはだいたい一ヶ月おきに、別の時間帯にカメラに収められていたようだ。
「あ、れ?」
その内の一枚に、違和感を覚えて、思わず顔を近づけてしまう。
すると横から、丸山先生も覗き込んできた。
「ああ、それは体育祭の日だね」
丸山先生が思い出したように言う。
「文化祭とか体育祭のあとって多いんですよ、こういうの。修学旅行先でも万引きとかで掴まる学生さんもいてね、あまりいい気はしないですよね。こちら側も」
警察の方は苦笑いでそう答えた。
覚えている。
知っている。
体育祭のあった六月のこと。
でも、やっぱりそれじゃあ、おかしいじゃないか。
日付は体育祭のあった日。そして時間帯は、夜の九時と記録されている。閉店時間ギリギリを狙ったんだと男性は主張している。
けど、その時間に、和久井さんはここには来ていないはずだ。
だってその日、その時間、私は和久井さんと一緒に、いたのだから。
「あっ!」
私は思い出して、ポケットをまさぐる。ここに持ってきたのはスマホと、財布だけ。
「どうしたの?」
丸山先生が不思議そうに私の手元を見ている。
店主の男性は表情を崩すまでにはいかないにしろ、唇をキュッと締めていた。
私はポケットから財布を取り出した。いつもはバッグにしまっているのだけど、今日は急いでいたからついポケットに入れてきてしまったのだ。
パンパンに膨れ上がった財布を開いて、中を探る。
私は昔から、財布にレシートを溜め込む癖があった。よくお母さんから注意されていたし、最近も、電話をすると必ずといっていいほどレシートを整理しなさいと言われるほどだ。
いつ見たかも分からない映画の整理券や、お正月に引いた末吉のおみくじまでが残っている。かき分けて、目的の物を探した。
絶対に、あるはずだ。
そして見つけた、一枚のレシート。バスの整理券のように短い。
見慣れぬ文字列に、タイプAという商品名に四桁を超える高額な料金。
日付は、体育祭のあの日。
私と和久井さんが一緒にいた証が、そこにあった。
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