第5話 とんでも3分、歩いて30分

「翔ちゃん、来週の土曜日空けといてね」

「うん。いいけど、何?」

「パパがね」

「パパ?」

 あんまり聞きたくない言葉だ。

「そう。うちのパパが翔ちゃんに会いたいって」

 何だ、何だ。

 今、自分の身に恐ろしいことが起ころうとしている。

「ええー、俺は会いたくないんだけど」

「どうしてよ」

「なんか時期尚早って感じ」

 遠まわしに断る。

「何? じきしょうしょうって」

 言葉が通じなかったみたい。

 へんなところで躓く。

「時期尚早だよ。まだ早いってこと」

「ふ~ん。って、何言ってるの。早く会って翔ちゃんのことわかってもらったほうがいいでしょう」

 こちとらとしては、早くわかってもらう必要性などさらさらないのだけど。

「そうかなあ」

「ごちゃごちゃ言うな」

 急に怒り出した。

 どうやら断ることができないらしい。

「わかったよ。でも何でそういうことになったの」

「この間実家に返ったら、パパに今彼氏はいるのかって訊かれたの」

「ふ~ん」

「だから、結婚を前提に付き合っている男の人がいるって言ったのよ」

 そんなこと軽々しく言われちゃあ困るってものよ。

「ええー、そんなこと言っちゃったの」

「だって言うでしょう。事実なんだから」

「まあそれに近いところにはいるかもしれないけどさあ」

「何、その曖昧な言い方。私とそんな気持ちで付き合っていたの?」

「そういうわけじゃないよ。だけどさあ、まだちょっと俺のほうに心構えができていないのでもう少し先にしていただくとありがたいかなあ、なんて」

「翔ちゃんの心構えなんて待ってたらいつになるかわからないじゃない」

 それはその通り。

「とにかく、断ることなんてできないんだから私と一緒に行ってね」

「なんか憂鬱だなあ」

「しっかりするんだ翔」

 へんな励まし。

「だって、自信ないんだよな、うまくやる」

「そうしたら、私がQ&A集を作ってあげるよ。パパが翔ちゃんに訊いてくることはだいたい想像できるから」

「それはありがたいけど、それ本当に当たるの?」

「私、ド―タ―だよ。ド―タ―」

 なぜか、急に英語を使った。

 えっ、も、もしかして?

「あのー、確認なんですけど、パパって日本人だよね」

「ううん。アメリカ人だよ」

 目ん玉が飛び出るかと思った。

 と、とんでもない事実が判明した。

「えっ、アメリカ人? 聞いてないよー、それっ」

「そうでしょうね。言ってなかったもん」

 でも…

 翔は思わず桃香の顔を指さしていた

「人の顔を指さすな。ハーフ顔じゃないって言いたいんでしょう」

「うん」

「今のパパはママの再婚相手なのよ。なので、残念ながらハーフ顔じゃないのよ、私は。もし、私がハーフ顔だったら、とんでもなく可愛くて大変だったと思う」

 確かにそうだけど…。

「そりゃあ、そうだと思うけど、自分で言うかね」

「お前が言わないからだ」

「お前って言うな」

「じゃあ、なんて言うの?」

「翔ちゃんでしょう」

「あっ、そうね。忘れてた」

 どういうこと?

「私、興奮すると言葉遣いが悪くなっちゃうのよね。顔に似合わず」

 案外、いつも悪いけどね。

「あっ、そうですか。で、もともとのパパは?」

「私が小さい頃に病死してる」

 悲しそうな顔で言われ、桃香が愛おしくなった。

「そうなんだ。大丈夫? 泣かないでよ」

「今、コンタクトが少しズレただけ」

「あっ、そう。心配して損した」

「損とか言うな」

「ごめん。しかし、アメリカ人とはなあ」

「心配しなくてもいいよ。パパ日本語べらべらだから。何なら関西弁も使うし。どついたろうか、とかね」

「怖い~」



 桃香の実家は昔テレビで見たことのある細木なんとかという占い師の家のような、やたらとバカでかい家だった。

 門から5分くらい歩いたとこで建物が見えたので、

「アレ?」

 と訊く。

「アレは犬小屋だから」

 ウソ--

 翔の実家とほぼ遜色ない。

「うちの実家の隣の家とさして変わらないんだけど」

 実家と同じとはプライドがあって言えなかった。

「ええー、そうなの。隣の家、可哀そう」

 可哀そうって言われちゃったよ、お父さん。

 しかし、そこからさらに鬱蒼とした森の中のようなところを歩くが一向にたどり着かない。

「大丈夫?ついてこれてる」

 少し先を歩いていた桃香が後ろを振り返って言った。

「うん」

「もしはぐれちゃったら二度と塀の外には戻れないからね。今まで3人くらい途中で行方不明になっちゃった人がいるんだから」

「ここは樹海か。怖いこと言わないでよ」

「冗談よ。植木屋さんが迷っただけだよ」

 植木屋さんが迷うって言うのも相当怖いと思うけど。

「なるほどねえ…」

「ほら着いたわよ」

 目の前に、人を拒絶するかのような大きな建物が突然現れた。

「ほうー」

「雄たけびはやめてよ。そこ、玄関だから」

 玄関というより、大きなホテルの入り口。中に入ると、お手伝いさんらしき人が二人駆け寄ってきた。

「お嬢様、ご無沙汰しておりました」

「うん」

 素っ気ない桃香。

 とたんに、桃香に、いつもはあまり感じないお嬢様感が漂った。

「お父様とお母様がお待ちかねでございます」

「うん。わかってる」

 お手伝いさんの後を追って、長い長い廊下を歩いて行くと、ようやくリビングにたどり着いた。桃香がドアを開けると、これまた広い広いリビングの、一目で外国製とわかる豪華なソファーに桃香の両親と思われる二人が座っていた。母親と思われる人物は犬を抱っこしていた。

「どうぞ」

 父親らしき人物に言われ、座る。

 これが噂のアメリカ人パパか。

 すごいカッコいい顔だが、なんか怖い。

「パパとママに紹介しておくね。こちらが、私が今付き合っている彼氏」

「ふ~ん」

 と言ったのは桃香の母親。

 なんか品定めされているようで不快。

 でも、さすが桃香の母親。すんご~い、美人。

 どこか真衣に似ている。

「翔ちゃん、前に座っているのが私のパパとママ」

「よろしくお願いします」

 翔はいったん立ち上がって挨拶したが、両親は座ったままだ。

 偉そうで気に食わない。

「翔ちゃんて言うの、あなた」

 母親に言われたので、一応返事をしておく。

「はい、そうです」

「可愛らしい名前ね、桃香さん」

 さすがお嬢様。実家では、桃香さんとさん付けで呼ばれているのがわかった。

「でしょう、でしょう。それに、イケメンでしょう」

「あら、どうかしら。あなたはどう思う?」

 どうやら母親の趣味には合わなかったみたいだ。

 振られた父親は、先ほどからずっと厳しい顔をしている。

 母親の問いかけには答えす、いきなりパンチを食らわしてきた。

「君か? 桃香と結婚を前提に付き合っている厚かましい男というのは」

 桃香から聞いていた通り、日本語はパーフェクトだ。

「そうですけど…。別に厚かましくはないと思うんですけど。それに…」

 結婚を前提にというのは桃香のほうが一方的に決めているだけで自分はまだ決心がついているわけではないと言おうとしたら、それに勘づいた桃香に思い切り足を踏まれた。思わず痛いと声が漏れそうになる。同時に顔も歪んだ。

「なんだ、その顔は。厚かましくないとでも言うのか?」

「いや、そういうわけでもないんですけど…」

「なんかはっきりしない男だな、君は」

「そんなことないですよ」

「あっ、そう。とにかく、これから君に桃香がこれまで連れてきた数々の彼氏と同様にいくつかの質問をするから答えなさい」

 今、この人数々の彼氏って言ったよな。桃香は自分に過去に付き合った男は2人しかいないって言っていたのに。

「もちろん、質問には答えますけど、今数々の彼氏とおっしゃいましたよね」

「おっしゃいましたけど、それがどうした?」

「桃香さんからは、これまで二人の男性としか付き合ったことがないって聞いていたものですから」

「翔ちゃん」

 今度は桃香が声を出してストップをかけた。

「バカだな、君。そんなの鵜呑みにしちゃダメだ。桃香の美貌と超絶のスタイルを男が放っておくわけがないだろう。私が会った男だけで1ダースはくだらないよ」

「パパ、それは言い過ぎよ。10人くらいだから」

 そう言ったのは母親だったが、1ダースと10人って二人しか違わない。ひょっとして桃香の天然は母親譲りなのかもしれない。

「パパもママもいい加減にして」

 桃香が両親を睨んだ。

「あっ、ごめん。パパが悪かった。許してくれるか」

 さっきまでずっと怖い顔をしていた父親が桃香に向けた顔は、ふやけたジャガイモみたいに崩れていた。

 このいかつい父親も、普通の父親と同様、娘にはめっぽう弱いらしい。

「まあ、いいけど」

 桃香はいいかもしれないけど、翔としてはまだ納得していない。

 本当のところ、桃香がこれまで何人の男と付き合っていたのか曖昧にされてしまった。もっとも、桃香のことを責められるほど自分も潔白ではないので流しておく。

「それはそうと桃香。この頼りない男で大丈夫なのか?」

 それはそうと、って何だよ。

 それに、勝手に頼りない男と決めつけられてムッとする。

 頼りなさそうならわかるけど…。

「パパ、大丈夫よ。彼、こう見えて欠点も多いけど、長所も多いの」

 欠点も多いけどは余計だ。長所が多いだけにしてほしかった。

 桃香も自分がこの場では反論できないからって、言いたい放題はやめてほしい。

「ほんとうか?」

 父親が桃香のほうを見て言う。

「ほんとうです」

 桃香が答える前に翔が答えていた。

「そこは君が答えるところじゃなくて桃香が答えるところだろう。隣の桃香の顔を見てみなさい」

 そう言われて桃香の顔を見ると、この世の終わりの時のような、死ぬほど呆れた顔をしていた。

「長所が多いって、具体的にはどんなところなんだ」

「そんなの見たらわかるでしょ、パパ」

 桃香は翔の顔面のことを言っているらしい。

「だから、具体的なところだよ」

「イケメンでしょ。それに、このスラリとした体形。ものすごく優しい性格。頭も良すぎない程度にいいし、仕事もまあまあできるし、ね」

 後半は長所とも言えないことを言われてる。

「何だかなあ。他にはないのか?」

 父親も半分呆れた顔をしている。

「あるわよ。翔ちゃんからも言ってあげなよ」

「自分で言うの?」

「そうよ」

「えーと、ですねえ。僕、こう見えて大学で深層心理を学んでいました」

「知らんがな、そんなこと」

 出た、関西弁。

 バッサリ切り捨てられた。

「もう、パパったら冷たいんだから」

「もう、いい。とにかく始めるぞ。まずは桃香のことをどれくらい知っているかだ」

「ああ。それなら自信あります」

「ほんとか?」

「ほんとよ」

 自分より先に桃香が答えていた。

 なんか嬉しい。

「私は彼に訊いているんだよ、桃香」

「ほんとだから」

 桃香が怒っているのを見て父親は急に弱気になった。

「桃香がそう言うのならそうかもしれないけど。一応確かめるね」

「どうぞ」

 ここまですべて桃香が答えていた。

「じゃあ、始めるぞ。えーと、桃香の3番目に好きな食べ物は?」

 ええー、そんなのズルイ。

 敢えて一番、二番を外してきた。

 でも、翔は知っていた。

「たらこスパゲッティです。ちなみに、1番はフルーツで、中でもシャインマスカットが大好きです。そして、2番目はしらすをたっぷり乗せた野菜サラダです」

 どうだ。しっかり聞いたか、父親。

 案の定、父親は不意打ちを食らったような顔をしている。

「ほう。じゃあ、好きな色は?」

 そんなの簡単。

「ピンクです」

「嫌いな季節は?」

 好きな季節じゃなくて、嫌いな季節を訊いてきたが、楽勝。

「夏です」

 これまで全問正解なので、ちょっと父親の顔に焦りが見える。

「桃香の癖は?」

「子供の頃は唇を噛むこと。最近では怒ると僕の頬をつねることです」

「知らんがな、そんなこと」

 またまた出ました関西弁。

「じゃあ、小学生時代のあだ名は?」

 父親はこの質問には答えられないだろうという顔をしていた。

「ミクりん。ちょっと初音ミクに似ていたから」

「う~ん」

 父親が思わず唸った。

 この分なら、この勝負に勝てるかも。

「じゃあ、運動会で苦手だった種目は?」

「徒競走」

「中学生時代好きだった男の子の名前は?」

 畳みかけてきた。

「高柳誠君」

 桃香に当時のアルバムを見せてもらった時に聞いたのを覚えていた。

「大学入試の時、慶光大学を選んだのはなぜ?」

「いわゆるお嬢様学校には行きたくなかったから。そして、慶光大学と早丸大学を受けて、両方受かったけど、大学の施設のいい慶光大学を選んだんです」

「う~ん」

 本日2度目の唸り声をあげた。

「大学の学食で一番好きだったメニューは?」

「肉野菜炒め。ちなみに2番目に好きだったのがタンタンメン。そして3番目がカレーライスです」

「おぬしやるな」

 全部いい当てられ、さすがに驚いたようだ。でも、ここまで全部知っている父親も自分に負けず劣らず桃香のことが好きらしい。

「じゃあ、背中にあるほくろの数はいくつだ」

 突然攻めてきた。

 これは罠だ。

 背中のほくろの数を知っているということは、そういう関係にあるということを認めることになるからだ。なので、どうしようか迷い、桃香の顔を見た。

「言っていいよ」

 小声で答えてくれた。

「あのお、答えにくい質問なんですけど、今本人の了解を得ましたのでお答えします。たぶん、お父様が知っている子供の頃は2つだったと思いますが、今は3つです」

「あらあ、1つ増えたのねえ。おもしろいわねえ、あなた」

 無邪気な顔で母親からそう言われた父親は、苦虫を嚙み潰したような顔をしている。

「は~い、パパの完敗」

 桃香が宣言した。

「う~ん。じゃあ、次に君自身のことを訊いていくからな」

 どうやら矛先を変えたようだ。

 というか、趣旨を変えたらしい。

 どこまでも追い詰めたいのだ。

「何でもお答えしますので、どうぞ」

「フルネームは?」

 今さら?

 桃香から聞いてないんかい。

「平野翔と言います」

「ひらのしょうって、キンプリの平野君と同じ」

 ここで反応したのは母親のほう。

「字は違うけどね」

 桃香が答える。

「顔もだいぶ違うわよ」

 ひょっとして母親はキンプリの平野紫耀のファンか。

「あら、ママ。イケメンの種類がちょっと違うだけだから」

 桃香がフォローしてくれるのは嬉しい。

「ふ~ん。そう言われればそうね」

 母親の半分納得した顔が気に入らない。

「年齢は?」

「今年27歳になります」

「身長と体重は?」

「身長は178㎝で、体重は68キロです」

「職業は?」

「はい?」

 まるで職質みたいだ。

「パパあー。私と同じ会社で働いているって、この間言ったじゃない」

 そこは話してあるんだ。

「そうだったかな。じゃあ、年収は? これは大事だぞ」

「年収は360万くらいです」

「低いな」

「パパ、それは会社の問題だから。それに、彼はこれから伸びる人だから」

「とはいえ、マイナス査定だな」

 わしゃ、中古車かい。

「きついですね」

 翔は思わず言っていた。

「きつい? そんなの当たり前だろう。目の中に入れても痛くないほどの存在の桃香の、結婚相手になるかもしれない男なんか、私にとってはただの敵だからな」

「はあ。そんなものですか。僕には理解できないですけど」

「少しは想像力を働かせたらどうだ。いずれ君たちに女の子ができたらわかる」

 君たちに?

 女の子ができたら?

「それって、パパ。私たちの結婚を認めたっていうこと?」

「ん? あっ。いや、違う。一つの例えだよ」

 うっかり口を滑らせてしまったことに気づいたのだろう。慌てて訂正したものの、おかしな答えになっていた。

「うふふ」

 隣で母親が笑っている。しかし、美しい。桃香の母親だから美人なんだろうとは思っていたけど、想像を超えていた。しかも、色気が半端ない。事前に桃香から聞いていた情報では、今年47歳になるということだけど、どう見ても30代にしか見えない。

「では次の質問に移るぞ。将来設計を教えてくれ」

「将来設計ですか?」

「今そう言ったろう。結婚するんだったら一番大切だろう」

「そうですよね。将来設計って言うからには、将来に対する設計ですよね」

 そう言いながら、どう答えたらいいか考えていた。

「何言ってるんだ。そうに決まっているじゃないか。桃香、本当にこの男大丈夫か」

「だから大丈夫だって。彼はね。30代に出身大学の大学院の公開スクールに通って仕事のスキルを高める計画を立てているわけ。そして、40代には独立して、将来、日本一の会社にすることを目標にしているの。そのために、プライベートでは30までに私と結婚して、35までに子供が2人いる安定した家庭を作りたいと私に話してくれているの。しかも、これは設計のほんの一部分だからね、パパ」

 そんなこと一言も話したことがない。しかも、30までに結婚と決めちゃってるし…。

 桃香に勝手に将来設計を語られ、翔は唖然とするしかなかった。

「桃香はああ言ってるけど、そうなのか」

 なんと答えようかと思っていると、桃香から翔の左足に軽い蹴りが入った。

「あっ、はい。彼女の話した通りです」

「まあ、頼もしいじゃないの、ねえあなた」

 母親はすっかり信じ込んでいる。

「まあな」

 父親は桃香だけでなく自分の妻にもからきし弱いらしい。

「さすがはママ、わかってる」

 桃香がすかさず合いの手を入れた。

「じゃあ、次の質問」

 えっ、まだあるの?

 勘弁してほしいと思うが止めるわけにはいかない。

「どうぞ」

 愛想笑いとわかるように、思い切り軽薄な笑いを浮かべて言ったが、父親には届かなかったらしい。

「桃香の好きなところを10個言うように」

「10個、ですか」

「なんだ。数に驚いたか。いくつ出せるかで桃香に対する思いの深さがわかるといものさ。今までここに現れた彼氏もせいぜい5個ぐらいで止まってしまって見事落第となったわけだ。君は大丈夫か?」

 こんなこと訊かれるなら事前に教えておいて欲しかったと思ったが、どうせ父親に止められていたに違いない。それに、ひょっとして桃香自身も翔を試しているのかもしれない。

「そういえば、パパ。私の好きなところ10個言えるの?」

 母親が突然、父親に向かって言った。

 のんびりした口調だったが、いきなり流れ弾が飛んできて父親は大慌てだ。

「言えるに決まってるじゃないか。ただ、あとで二人切りになった時に耳元で囁いてあげるからね」

「いゃあ~ん」

 母親が思い切り甘い声で言った。

 俺は何を見せられているのか。

「こんなの、いつものことだから」

 桃香が少々うんざりしたように言う。

「あっ、そうなの」

「話が脱線したけど、はい、そこの君、桃香の好きなところを10個言ってみなさい」

「はい。任せてください。とにかく顔が美しい。笑うと笑窪がめちゃかわいい。声に色気がある。スタイルが抜群。ファッションセンスがある。えっとお、これで5つですよね」

「そのくらいまではみんな出す」

「そうですか。でも、僕、いくらでも言えるんです」

「ほう。じゃあ、続きをどうぞ」

「はい。天然なところがあるんですけど、その無邪気さで僕はしょっちゅう癒されています。きついことを言う時もあるけど、本当はピュアでかわいらしいところがいっぱいある素敵な性格だということ。拗ねた時、洋服の裾をいじいじしちゃう姿が愛おしいです。後はキッチンで料理をしている時の後ろ姿がキュンとさせてくれます。僕の友達にもすごく優しいところも好きです。ラーメン食べている時の横顔には心を奪われてしまいます」

「もうー、翔ちゃんたら。恥ずかしいじゃん。でも、嬉しい。大好きだよ、翔ちゃん」

 桃香が抱きついてきた。

「もういいわ」

 父親が呆れ顔で言った。

「は~い、今度もパパの完敗」

「う~ん」

 3度目の父親の唸り声を聞いて、翔も勝利を確信する。

「彼、あなたにとって過去最高の難敵よね」

「う~ん」

 どうやらまだ負けを認めたくないらしい。

「パパ、これでもう終わりでいいんでしょう」

「いや、最後の質問があるぞ」

「しつこ~い」

 父親以外の3人が大声をあげた。

「しつこいのは俺の性分だ」

「どうぞ、何なりと」

 翔も開き直った。

「初めて会った女性がいるとしよう。その女性のどこに一番最初に目がいくか正直に答えなさい。選択肢の1番は顔、2番は胸、3番はヒップ、そして4番は足。さあどうだ」

 悩んだ。

 正直言えば顔だが。

 顔と言ってしまうと、なんか顔だけで選ぶみたいな感じになってしまうし…。

「う~ん、足です」

 嘘をついた。

「あっそう。桃香、この男は浮気癖が強いから気をつけたほうがいいぞ」

 勝ち誇ったような顔で言われムッとしたが、浮気癖が強いという点は当たっているので反論する気が失せる。

「足に目がいくのは浮気癖が強い証拠なんだ」

 どういう根拠があるというのか。

「それはあなたがそうだからでしょう」

 母親のこの日一番のナイスなツッコミ。

「そうよ」

 桃香も鼻で笑った。

「ほんとは顔なのよね。でも、そういうとマズイから足と言ったのまで、あなたと同じ」

 と、母親がとどめをさした。

「パパさあ、ママにはすべてを見抜かれてるんだから。で、パパ、うちの翔ちゃんは合格よね」

 いつまでも終わらない父親の悪あがきを終わらせるために桃香が確認した。

「半分合格っていうところかな。確かに桃香が今まで連れてきた男の中では一番だ。でも、まだまだだ」

 一番なのにまだまだって、どういうこと?

「パパが半分合格なんて今まで言ったことなかったらから合格も同然よね、ママ」

 桃香が母親に同意を促した。

「桃香の言う通りよ」

「ちょっと違うんだけどなあ」

 そう言う父親の言葉にもはや力はなかった。

「じゃあ、私たちはもう帰ってもいいよね」 

 桃香が父親の顔を見て言った。すると、なぜか母親が突然手をあげた。

「は~い」

「何?ママ」

 父親が一番驚いていた。

「私にも質問があります」

 ええー、もう勘弁してくれよ。

「ほう。いいですね。どうぞ、ママ」

「確か平野君だったわよね」

 ええー今さら?

「はい」

「その平野君は、さっきからずっと私のことをいやらしい目で見ているんだけど、それはなぜ?」

 バレていた。

 色気たっぷりの美人母親に、翔はずっと心を奪われていた。

「ええー、信じられない」

 桃香と父親が怒りの声をあげた

 まるで合唱のように。

「あのお、別にいやらしい目で見ていたつもりはさらさらないんですけど…。ただ、あまりにも、お美しくて目が眩んでしまったのは確かです」

「そうか。それはわかるな。君、女性を見る目だけは確かみたいだな」

 父親がへんな相槌を打った。

「翔ちゃん」

 桃香が真剣な顔で翔を見た。

「何?」

「ママと私のどっちが好きなの?」

 これは究極の選択を迫られている。

「そうよ。ちゃんと答えて」

 母親まで答えを求めている。

 最後の最後に最大の試練が待っていた。

「どっちがなんてないですよ。二人とも大好きです。もちろん、好きの意味は違いますけど」

「なんか無難でつまらない答え」

 母親に一刀両断で切り捨てられた。

「まだまだ君も若いな。でも、桃香が君のことを好きになった理由がちょっとだけわかったような気がするよ。でも、予め注意をしておく。うちのママにだけは惚れるなよ。大やけどするだけだからな」

 大やけど。

 してみたい。

「大やけども、ちょっと興味ありますけどね」

「やめてよね、翔ちゃん」

「冗談に決まってるじゃないか」

「ママもやめてよね」

 桃香が母親にも否定するよう求めた。

「さあ、どうかしら」

 母親は艶然とした笑顔で言い放った。

 ここで、やめると言わないところが魅力的だ。

 ただ、あまりの衝撃の言葉にみんな無言になってしまった。室内全体がへんな空気に包まれたのを見て母親はこう弁解した。

「冗談よ、冗談」

「そ、そうだよな。アッハッハッハッ」

 父親が無理をしてまるで空気砲のような笑い声をあげた。

 それにつられて桃香も翔も笑ったが、ただただへんな声が部屋中にこだましていた。

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