第3話 何かへん
一
約束をしたはずなのに部長の真衣からはその後何の連絡もない。というより、むしろ以前より接触を避けている向きさえあった。このまま無視するつもりだろうか。
そうはさせないために、翔のほうから仕掛けてみた。
「平野君、ここへ来て」
早速、真衣から反応があった。ちらっと声の主の真衣の方を見ると、顔には怒りの表情が張り付いている。その割には目線は翔の方には向けずに宙に浮かせてはいるけれど。それと、みんなに聞こえるように敢えていつもより大きな声を出している。
『なんか芝居がかってるな』
これは何かあるな、というのが翔の感想。
みんなの顔が一斉に翔に注がれた。
真衣の声の響きから、翔が怒られると思っているのだ。
その中には自分の恋人の桃香の顔もあった。
「何でしょうか?」
もちろん、呼ばれたのはアレの件だと思うけど。
部長席へ行き、久しぶりに真衣の顔を間近で見る。
やっぱり自分の好みの顔だと再認識する。
「この資料のことだけど」
前に作成を頼まれた資料を、昨日真衣が留守の時に席に置いておいたのだ。
「はい?」
「この部分の意味がわからないんだけど。これは何?」
真衣が指さしたところには翔が仕込んでおいたメモがあった。
そこには先日のお約束はいつ果たされるのでしょうかと書いてある。
「ひょっとして部長お忘れなんじゃないですか。その件、先日部長の方からOKいただいてましたよねえ。僕と…」
それ以上先を言われると思ったのか、真衣が慌てだした。
「あっ、あっ、そうね。ちょっと待ってて、今指示書を出すから」
指示書ってか。
いかにも大げさに、A4の用紙を取り出し、今週の土曜日の午後なら時間を作れるからここに連絡してと書いて翔に渡した。そこには、真衣個人の携帯番号が添えてあった。
「なるほど。わかりました」
真衣個人の携帯番号をゲットでき、思わずニヤケてしまった。
「何ニヤケてるの」
「いや、わかりやすい指示書だなあと思って」
「そうよ。これでいい?」
「はい」
「じゃあ、席に戻って」
最後は部長の威厳を示すような声で言った。
ちょっとしょげたふりをしながら自分の席に戻ったが、机の下でガッツポーズを作った。
ふと横を見ると、首を傾げながらこちらを見ている桃香と目があってしまった。
二
「ねえ、翔ちゃん」
「ん? 何?」
携帯でゲームをしていたら、桃香が画面を覗き込みながら言った。
「今日の部長、何かへんだったよね」
「そうかなあ」
目は携帯に落としたまま翔は答えた。
「そうかなあって、翔ちゃんは何も思わなかったの」
「別に」
「ええー、明らかにへんだったと思うけどな」
まずい。
桃香は女の勘で何かに気づいたのか。
これだから女は怖い。
「どこがよ」
こういう時は徹底的に白を切るに限ることを、これまでの女性遍歴の中で学んできた翔なのであった。
「どこがって言われると困るけど…」
桃香のほうには何の確証もない。
「部長、プライベートで何かあったんじゃない」
あくまで真衣の側に原因があることにする。
「そうかなあ。あの人、プライベートなことは仕事場に持ち込まないタイプだと思ってたんだけどなあ」
桃香は部長の真衣のことを、あの人と呼ぶ。
「部長だって、たまにはそういうことだってあるんじゃない」
「もしそうだとしたら、逆に許せない。翔ちゃんに当たるなんて。ていうか、私が真剣に話してるんだからゲーム止めなさいよ」
できるだけ関わりたくないからゲームを続けていたんだけど、それが仇になった。
「ご、ごめん」
「で、どうなのよ?」
「どうなのよって、何?」
「私が言いたいのは、あの人もへんだけど、翔ちゃんもへんだったってこと」
いやあ、この子鋭い。
やっぱり女は怖い。
女の勘が鋭いのも、これまでの女性遍歴の中で学んだこと。
もっとも学んでも全然生きてないけど。
「ええー、俺には何の罪もないけど」
「罪なんて言ってないじゃん」
「言ってないけど、そういう言い方だったじゃん」
「なんか、翔ちゃんと話してると途方に暮れることあるよね」
「どういう意味?」
「よくわかんないってこと」
「ふ~ん」
「やっぱり、なんかへんなんだよなあ」
まだ疑っている様子の桃香の目をくらますことにする。
「全然話は違うけど、大野君がさあ、この間の桃香のツインテール姿、ずんげー可愛いかったって言ってたぞ」
「話を変えるな。だいいち、そんなの分かり切っていることだし」
「まあ、そうなんですけど…」
「やっぱり、私、あの人嫌い」
もちろん、部長の真衣のこと。
でも、翔からすれば、真衣と桃香は結構似ている。
だから、どっちも好きなんだけど。
「まあまあ」
そう言って、隣に座る桃香の身体を引き寄せて抱きしめる。
最終手段だ。
桃香が、いや女の子がそういうのに弱いことを知っているから。
三
「うちのチームもだいぶムードが良くなってきたと思わない」
桃香がストレッチをしながら話しかけてきた。
「そうだよね。特に紗英ちゃん、頑張ってくれてるよね」
翔はお風呂からあがったばかり。肩にタオルをかけパンツ一枚で桃香の向かい側であぐらをかいている。
「そのカッコやめてって言ってるよね」
桃香がこっちを見て言った。
その顔は怒り半分、戸惑い半分だった。
「だって暑いんだからしょうがないでしょう」
「親しき仲にも礼儀ありって言葉知らないの?」
「パンツを穿いているだけいいと思わない?」
「出てんのよ」
「何が?」
「決して立派とはいえないアレが。横から」
指さされ、目をやると、確かに片側からアレがにょろっとはみ出ていた。
「えっ、あら。すみません。世界の果てからこんばんわしてた」
「何じゃそれ」
「でもさあ、決して立派とはいえないって、誰と比べてだよ」
「そんなこと聞きたい?」
「ごめんなさい。やめておきます」
そう答えながら、アレを奥に押し込む。
「そのほうがいいと桃香も思います。て、そんなくだらないことより、紗英の話よね。今紗英がなんであんなに張り切っているのかわかる?」
「それは、仕事熱心だからじゃないの」
「翔ちゃんって、相変らず何もわかってないんだね」
「えっ、どういうこと? ちなみに、相変わらずっていうのは余計だけど」
「紗英、大野ちゃんが好きだからよ」
「ええー、そうなの」
「うん。紗英は彼みたいなイケメンで頭が良くて、いい大学出てて、挙句の果てに真面目っていう男が大好物なのよね。でも、私はああいうタイプの男って、なんか胡散臭くて嫌だけどね」
挙句の果てにっていうところはよくわかんないけど。
「胡散臭いねえ」
「そう思わない?」
「そう思ったことはなかったなあ」
実はこの桃香の言葉が思いの外意味があった。
「そこいくと翔ちゃんはいいよね。なんか言うことなすこと薄っぺらいし、いい具合に抜けていて」
「完全にディスってるじゃん」
「一見ディスってるように思えるかもしれないけど、これ、桃香ちゃん流の愛情の裏返しなのよ」
「どうせなら裏返さないでほしいんだけど」
「あらあ、そんなの桃香ちゃんのキャラじゃないの知ってるでしょう。で、話を紗英のことに戻すけど、今紗英は彼にドはまり中なわけ。ただし、完璧なる片思いなんだけどね」
「ふ~ん」
「他にもロマンスの芽があるの知ってる?」
「知らない」
頭の中を巡らせてみるが思いつかない」
「教えてあげようか」
「うん」
「新川桃香ちゃんと平野翔君」
「もうみんな知ってるし」
「知らない人だっているよ。板倉ちゃんとかさあ」
どうやら桃香はすべての人に知られたいらしい。
こういうところが桃香の可愛いところ。
「ああ、板倉さんって、そういうことに関心なさそうだもんね」
板倉美紀は融通のきかない真面目な人だということが今回初めて一緒に仕事をしてみてわかった。
「でもね、ああいうくそ真面目な子に限って、好きな男ができたら、どんな手を使ってでも自分のものにしようとするから、翔ちゃん、気をつけてね」
これが言いたかったようだ。
お前、気をつけろと。
「大丈夫だよ。彼女、俺のタイプじゃないから」
「バカだね。爆弾は翔ちゃんが持っているんじゃなくて板倉ちゃんのほうが持っているっていうことを私は言ってるのよ。どうせ男なんて、上げ膳食わぬは何とかって言うじゃない」
「上げ膳じゃなくて、据え膳ね。上げ膳だったら、そりゃあ食うわ」
「うるさい。摺り足を取るな」
「お言葉ですけど、揚げ足ね」
「いつからそうなったの?」
「ずっと昔からです。はい」
不毛な会話はその後もしばらくの間続いた。
四
メンバーによる様々な調査結果を踏まえた上で、グループに別れて東航商事への事業提案のプランを作成した。今日はそのプランの発表の日。
サブの大野の司会進行で始まった。
「谷口さん、お願いします」
「はい。詳細は資料でご確認いただきたいのですが、大筋を私が説明します。東航商事さんは資金力がある会社なので、やはりファストファッションのSPAが適切と考えます。もちろん、先行企業が強い分野ではありますが、東航商事さんが本格参入すれば十分太刀打ちできると思います」
「なるほど。可能性はありますね。では次に丸山さんお願いします」
「はい。私たちが提案するのは高付加価値型ファッションビジネスです。具体的には、ストーリーやクリエイティビティをベースとした付加価値ブランドを創りあげるものです。カテゴリーの拡大によるブランド力と収益性の両立がポイントと考えています」
「ありがとうございます。ちなみに、谷口さんは何かご意見ありますか」
大野はなぜ板倉さんに意見を求めたのだろうか。
「そうですね。もう一つポイントをあげるとしたら、ファッションアイテムだけでなく、ライフスタイルに関連したブランディングができるかどうかでしょう」
どうやら大野は谷口さんの知識レベルを試したようだ。二人は昔からライバルとされていたから牽制したのかもしれないが。
「確かに。さすが鋭いですね、谷口さん」
「いえ」
谷口はバカにされたとでも思ったのか、ムカついた顔をしている。
「では、次は私の番ですかね」
紗英が待ちかねたように言った。
「あっ、そうですね。どうぞ、お願いします」
「では、さっそく説明します。みなさんに配布した資料の表紙にあるように、私たちの提案は、カテゴリー型です。スポーツやアウトドアといった領域や、スーツ、鞄、靴といったアイテム別など、特定のカテゴリーに特化することで安定的な事業運営と収益性の向上を図ることができます。以上ですけど、リーダーはどう思いますか?」
いきなり振られた。
参ったなと思ったが、幸いなことに、カテゴリー型については、たまたま昨日美容院に行った時読んだ雑誌の記事を読んでいた。覚えている限りのことを言うことにする。
「う~ん。細野さんの言う通りだと思うけど、成熟した昨今の業界において、ほとんどのカテゴリーで定番ブランドができあがっていて、ニッチ戦略のみでの成長は難しくなっていると思います」
ほぼ記事内容を再現できた。頭はともかく、記憶力だけはいいのだ。しかし、みんなはそうとも知らず感嘆の声をあげた。
「ほう」
部屋中にみんなの感嘆の声が響いた。どうせ、とんちんかんなことを言うと思ったのだろう。
「感心されちゃいましたね」
自分としては精一杯の皮肉を込めたのだが、みんなの顔を見ると、誰一人そう思ってのが悔しい。
「リーダー、今週はここまでです。来週は私とリーダーの案を出して、その上で、次の週にディスカッションをしてわが社が提案する案を決めたいと思います。万が一、その週で決まらなかった場合は、翌週にもう一度ディスカッションをして決めます。その時点で決めないとプレゼンに間に合わなくなりますので、みなさんご協力をお願いします。よろしいでしょうか」
みんな頷いている。
「リーダーのほうから何かありますか?」
「今のところ、ライバルの博広社がどんな案を出してくるかわかりませんけど、われわれの若く新鮮な頭脳を結集すれば、きっと勝てると思います。なので頑張りましょう」
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