第46話 覇者

 いつもの夢。

 液体の中で白衣の男達を何も出来ずただ見ている。

 いつも見ているのはガラスの向こうにいる男達だけ。


 ヒトヤは思った。自分はどんな姿をしているのだろう? と。


 自分の身体を見下ろす。

 それは人の身体ではなかった。

 肘から先、膝から下が虫の様に外骨格を纏っている。指の先端は鋭く、それ自体が凶器だ。

 身体は黒く、表面が硬質化しているのか、人の肌とは思えぬ艶を放っている。


 前を見ると、先程まで男達が見えていたガラスに自分の顔が映る。

 耳は長く鋭く伸びている。良く言えば良く聞こえそうな耳だ。

 口からは隠せぬ程に伸びた牙が唇を押し上げ、その先端を覗かせている。

 瞳は輝きを放ち……




「はっ!?」


 目覚めたヒトヤは自分の身体を確かめる。

 どうして確かめたのか、夢のせいだとは思うが、覚えてはいなかった。

 汗に塗れ、変わらず黒い幾何学模様が浮かぶ以外は何の変哲もない少年の肉体。

 いつもと変わらぬ事にほっとしていいのか、残念に思うべきか。

 ヒトヤが首を傾げる。


「起きたか」

「……おはよう、イクサ」

「おはよう……大変だったみたいだな」

「?」

「……覚えていないのか? お前は気を失って、ここに運ばれたんだ」

「気を失う? ……ああ!」


 ヒトヤの寝るベッドの横に座るイクサに言われ、漸くヒトヤは自分の状況を思い出した。

 騎士を暗殺し、人形狩り達の前に無様に倒れて、それから……


「イクサ」

「うん?」

「……今、どういう状況だ? ……ああ、大丈夫。気を失ったまでの記憶はある」

「ふむ。ならいいが。そうだな……」


 イクサが順序立ててヒトヤが今寝ている所までを話す。

 内容だけを並べれば大したことはない。


 メイソンプライドによってヤツシの遺体と共に運ばれたヒトヤは、センターへと運ばれた。

 人形狩りの命は軽い。毎日のように出る死者は、場合によってはセンターを市民が糾弾する理由になりかねない。

 そこでセンターは、少しでも市民からの印象を好くするために、善意あるサービスをいくつか提供している。登録時点で身内の人間の連絡先も記録し、死亡したり重傷を負ったりした場合に連絡を入れるというのもその一つだ。


 センターで倒れたヒトヤを見たヒメノは、慌ててヒトヤの安否を確認したが、単に気を失っているだけだと解ると安堵し、直ぐにアランズマインドまで連絡を入れた。

 イクサの家に通信機器などなかったから、アランズマインドをヒトヤは連絡先として登録したのだ。

 連絡を受けたアランはアカヤシにヒトヤを引き取りに行かせる一方でイクサに連絡を取り、アランズマインドからイクサがヒトヤを住処へと連れ帰った、という経緯だ。


「……そうか。あー……ありがとう、イクサ」

「ん? ああ、俺はアランの所から運んだだけだ。礼なら引き取ってくれたアランとアカヤシ、それとセンターまで運んでくれた人形狩りに言え」

「ああ……解った……」

「……どうした? どこか痛むのか」


 顔をしかめるヒトヤにイクサが問うと、ヒトヤは首を横に振った。


「いやそういうわけじゃないんだけど……随分寝てた気がする」


 身体が異様にダルい。

 痛みがないが、違和感はある。そんな気持ちの悪い感触。

 そういえば喉もカラカラだ。


「そりゃそうだろう。一週間近く寝ていたんだ」

「一週間? ……そんなにか」


 そう言われればヒトヤも自分の違和感に納得せざるを得なかった。


「一週間気を失っただけで済んだ。戦果を考えればそう言ってもいいだろう?」

「ん?」

「これ。やったのは、お前だろう?」


 イクサが端末を取り出し、そこに画像を表示する。

 表示されたのはヤツシの顔だった。


「ああ……って、知ってるのか?」

「いや。ピンと来たってだけさ。世間には義賊がやったって事になっている。その点は心配する必要はない……今はな」

「……思わせぶりだな」

「まあな。その辺りはそのうち解るさ」

「?」


 イクサの言い回しに疑問を感じるヒトヤを横目に、イクサは立ち上がる。

 

「さて、お前の目が覚めてよかった。これからお前を担がなきゃいけないのかと思うと億劫で仕方なかったんだ」

「? どこか行くのか?」

「都市からの呼び出しだ。ヒトヤ……」

「なんだ? っていうか……都市から?」

「……付いてこい。全部解る」


 何か言おうとして説明を諦めた。そんな空気を感じ取り、ヒトヤもひとまずベッドから立ち上がった。






「なあ、イクサ」

「ん?」

「何が始まるんだ」

「俺も知らん。予想はつくが、仮説を並べてもしかたがない。いいか、俺から離れるな」


 ヒトヤとイクサは準備を整えると、直ぐに都市へと向かった。

 都市の門では多くの人間が列を作っていた。

 ヒトヤは列の遠くにアランやイノリ、アカヤシがいるのを視認し、アランズマインドも来ていることを知った。

 そしてヒトヤが知るアランズマインドの面子は列のごく一部だ。


 つまり、この列は廃棄地区の人間の列なのだろう。

 列の横を騎士が往復して見回っている。

 騎士の姿を見て眉を潜め、僅かに殺気を漏らすヒトヤにイクサが小声で、しかししっかりと警告する。


「ヒトヤ。落ち着けよ?」

「……ああ」


 今騎士に喧嘩を売るなどあってはならないことだ。ヒトヤにもそれは解る。


 沸き上がる怒りを抑え、列の動きに従い少しずつ前進すること三時間以上。

 更に都市内を暫く騎士の監視付きで歩く。

 朝目覚め、直ぐに都市へと向かったヒトヤであったが、結経目的地に着いたのはもう日も傾く頃だった。


 都市内の大きな広場。

 そこに用意された高台に都市の住民、廃棄地区の住民全てが集められたようだ。


(なんなんだ?)


 疑問を抱くヒトヤ。

 高台に二人の男が姿を現した。


「ぐっ……!?」


 すると突如ヒトヤを強い圧力が押さえつけた。物理的なプレッシャーとも思える、しかしそうではないと明確に解る強烈な直接脳を抑えつけるような精神的重圧。

 たまらずヒトヤは地面に跪いた。


(こ、これは……なんだ!?)


 かろうじて動く目を周囲に走らせると、そこに集まった人間皆が、やはり跪いていた。


 ヒトヤはおそらくこの圧力を生み出しているであろう高台の二人に視線を向ける。


 二人とも機械鎧を身に纏っている。

 ヒトヤは二人の立ち位置と仕草からその内の一人は、おそらくもう一人の男の護衛か何かだと理解した。


 そして護衛されているであろう男が、高台に用意されていた拡声器を使い、話し出した。その男の額には金色に輝く幾何学模様の紋章が輝いていた。


「私の名はミカド・アマクニ。この都市、ヒガシヤマトの市長である」


 その声を聞いた途端、ヒトヤの身体を再度とてつもない圧力が襲った。

 ヒトヤの身体から汗が吹き出す。

 この男には逆らってはいけない。

 そう本能が告げる。




『義賊。騎士の死。ロイドバーミンを使った許されぬ犯罪。市民の皆よ。やるせなき義憤の気持ちは解らんでもない。しかし、敢えて言おう』


 市長と名乗る男の言葉を、そこに集められた者はただ跪いて聞いていた。

 そしてその者達に冷酷な命令が突きつけられた。


『狼狽えるな』


 キャリス達が持ち帰ったヤツシの遺体。そしてロイドバーミンの遺体。

 市営放送によって市民に伝えられたこれらの情報は、都市を揺るがした。

 市民達に生じた都市への不信感。それは、様々なところで吹き出し始めていた。


 都市への抗議デモは市営放送に映され、都市の各地で騎士への暴行事件すら起きていた。義賊を応援、支援を表明した者達もいる。

 そんな彼等の感情が、今この瞬間、市長ミカド・アマクニと名乗る男の一言によって握りつぶされたのだ。

 

『そしてここにいる者達に命じる。この騎士を殺害したものは直ちに立ち上がり進み出よ』


 ミカドと名乗る男の後ろに立つ、ヒトヤが護衛と判断した男が、大きな紙を広げる。それはヤツシの顔写真であった。




 ヒトヤは立ち上がろうと考えなかった。

 考える余地もなく、身体が動き始めた。

 ミカドの言葉に逆らうことなどあってはならない。そう考え、いや疑う気とも出来ずに本能的に従おうとした。

 そしてそのヒトヤの身体をイクサが止めた。


「!?」

「ヒトヤ! 気をしっかり持て!」


 ヒトヤが立ち上がろうとする力に抗する強い力で、ヒトヤを手で大地に押し込む。

 ここで立ち上がる。それは当然ヤツシを殺したと白状する行為だ。

 こんなことを言われて立ち上がる者など本来はいない。しかし、それでもヒトヤは立ち上がろうとする力を体から抜くことができなかった。


『……そうか。では次だ』


 それでもイクサの力により何とか立ち上がらずにすんだヒトヤ。

 ミカドが納得したのか、命令を収めた瞬間身体から力が抜ける。


『義賊を名乗り、快楽主義を襲った者は立ち上がり、進み出よ』


 今度の命令に、ヒトヤの体は何も反応しなかった。

 

『……そうか。ならばいい』


 今度の命令に従う者もいなかったようだ。


『つまり、義賊はここに集まった者以外の中にいるのだろうな……さて、皆を集めた要件は終わったが、最後に忠告しておく。市民たちよ。貴様らの命は都市の加護の下にある。忘れるな』


 ミカドはそう言うと高台から降りて行った。


「フゥーーッ……イクサ。あれは?」


 強く息を吐き出し汗を吹き出しながらヒトヤはイクサに訪ねる。ヒトヤには自分の身体に何が起きたのかまるで理解ができなかった。

 まだ跪いたままの姿勢で、ヒトヤはイクサに問う。


「ミカド・アマクニ。この都市の頂点に立つ市長。この世で唯一覇者の力を持つ男だ」

「覇者の力……」

「そして後ろにいたのがレイホウ・サカフジ。この都市の騎士団のトップ。団長だ」

「騎士の……トップ」

「つまりあの二人がお前の村を滅ぼすことを決め、命じた、お前の本当の仇だ」

「あの……二人が……」


 跪いてはいたが、二人の顔をヒトヤは見ていた。

 忘れてはならないと、記憶に刻むように、もう人のいなくなった高台をヒトヤは見つめた。

 あの二人の顔を、そしてヒトヤの望みを成し遂げるためには、この都市に挑むことなのだということを。






 広場に集められたその夜。


「危なかったわ。備えあれば憂いなし、とはよく言ったものね」


 自宅に帰ったキャリス達は衣服を脱ぎ、その下に着ていたものを脱ぎ捨てた。

 ふぅっと半裸でソファーにもたれる主をラーナがたしなめる。


「お嬢様」

「そう言わないでよ……さすがに疲れたわ……まさか市長の力の噂が本当だったなんてね。折角騎士の遺体を届けたっていうのに、これじゃ都市は揺るがないわね……」


 キャリス達が脱ぎ捨てたのは拘束衣であった。

 本来は強制労働させる罪人に着せ、罪人が反旗を翻した際にその動きを止めることに使われる。

 これを自ら着こみ、タイマーによって自身の身体を拘束したキャリス達は、ミカドの命令に何とか従わずに、あの場をやり過ごしたのだ。


「ヒトヤも命令には従わなかったようね。それともあの場にいなかったのかしら?」

「さて。私からは姿が見えなかったので何とも。ですがもし後者ならすぐに都市に調査され捕らえられることになるでしょう」

「そうね……せっかくプレゼントも用意したのだから……」


 キャリスは天井を見上げヒトヤの顔を思い浮かべ、静かに呟いた。


「損をさせないで頂戴。ヒトヤ」

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