第45話 波動転勁
ヒトヤが廃墟で眠りに落ちてから数日後、都市から少し出た草原地帯でフーシェとシャオンは戦闘訓練を行っていた。
「力みは身体を硬くする。硬い身体から速度は出ない」
誰もが知っていることだが身体は筋肉によって動いている。
効率の良い筋肉の使い方をするということは、瞬発力と継戦能力の両立を可能とする。武道や格闘技においては当然の心得だ。
「筋肉の使い方から無駄をなくす。その為には脱力が必要だ。脱力とはその時に十分な力を得られるよう、筋肉一つ一つの動きを意識し、最適な筋肉を動かせる状態の事をいう」
「筋肉による力を他の筋肉の力で邪魔しない……解ってるよ」
「その割にアタシより筋力が上の筈のアンタが間合いを詰められない理由は、じゃあなんだい?」
「単純な武器のリーチじゃじゃないかな……って」
「……はぁ」
訓練ではフーシェがいつも通りシャオンに良いようにやられている。
もはや二人にはお馴染みの光景だが、シャオンとしてはなんとかして変えたい状況でもあった。
フーシェは武器が使えないという謎の不器用さを持つが、素手での戦闘は他者の追随を許さない。
戦闘の勝敗を定義する上で、勝利を「敵が戦闘不能になる致命の一撃を先に当てること」と割り切るならば、武器のリーチや威力は有利不利に繋がることはあっても勝敗に必ずしも繋がらない。
素手で致命の一撃を与えられる存在に武器は要らない。
だから武器を使えないことはそれ程問題ではない。
ただし攻撃を当てられるならば。
言い換えれば、攻撃が当てられないなら、当てられる武器を持てという話である。
シャオンにフーシェの攻撃は届かない。けれども武器は使えない。
地下遺跡でヒトヤ達の度肝を抜いて見せたフーシェであるが、シャオンから見れば非常に中途半端というか、痒いところに手が届かない。そんな相棒であった。
しかしながら強くなるための特効薬などシャオンも持ち合わせてはいない。
反復する修練の先にしか、強くなる方法を知らない。
そこでシャオンはフーシェを叩きのめす度に波動転勁の基礎を何度も伝え。フーシェに足りていないのは何か、出来ていないことがないか、を考えるよう促すのだが。誰がどう見てもフーシェとシャオンの訓練の光景は、間合いで勝てないフーシェが突っ込む度にシャオンに迎撃されているだけという、ある意味当然の光景。
フーシェもこうなると自分に何が足りていないのかなど考える余地もない。
(フーシェにとって確かにアタシが相性最悪なのは否定できないからね。他に訓練相手がいれば話も変わってくるのかもしれないけど……)
フーシェの強化計画を考え込ながら、シャオンがフーシェを眺めているとフーシェの目線がシャオンの後ろへと移ったことに気付く。
(こういう勘はいいんだけどね)
フーシェの視線に従い、シャオンが声を上げる。
「覗き見ってのも趣味が悪くないかい?」
草原地帯といえど、木が一本も生えていないわけではないし前世界の瓦礫も僅かに残っている。いざというときロイドバーミンから身を隠せるように、開拓の際に視界の邪魔にならない程度に残されたそれらの陰から一人の女性が現われた。
「……これはこれは朱羅印の隊長殿」
「自己紹介の手間が要らないようでなによりだ」
物陰から現われたアサギの視線にあるのは敵意。
その視線に怯むことなくシャオンも視線を返す。
「まさか本当に覗き趣味ってわけでもないだろう? 用件は?」
「ウチの隊員が殺されてね。疑わしい連中を探ってる」
「その疑わしい連中に、何の根拠でアタシ達が入っているんだい?」
「……」
既にヤツシの死は都市へと伝えられていた。
キャリス達が都市へと連絡したからだ。
メイソンプライドはヒトヤとヤツシの遺体を、シュウジの部下達が用意していた荷台に載せて都市まで運んだ。
そしてキャリス達は都市にこう報告した。
依頼の最中義賊が現われ、騎士や依頼人を殺害した。人形狩りは無関係と思われたのか応戦はしたが、騎士を仕留めた時点で義賊達は逃げた。戦闘によって人形狩りの一人が気を失ったため、彼を連れ帰ることを優先。その為義賊達の逃亡経路などは不明である。
都市側はキャリス達が本当に無関係であるか、当初疑ったようであったが、何より紋章持ちを殺し得る戦力だ。
キャリス達がシュウジの部下の端末など証拠となり得る者を念入りに処分したこともあり、ランク20未満の人形狩り達は直ぐに容疑者から外された。
端末からシュウジの部下達が何らかの情報を都市に送信していれば状況も変わっていたかもしれないが、都市がカバーできる通信範囲は大体草原地帯に限られる。
電波塔などを建てても、野獣やロイドバーミンに破壊されるため意味がないのだ。
スーパーコンピュータが予測結果を送ったことから解るように、森林地帯まで届く通信手段もあるにはあるが、それは今の時代の者達にとってブラックボックス。
使い方を知るものがいない遺産を活用できてはいなかった。
そのため森林地帯で起きたことは目撃証言と事後調査位しか都市には手がない。そして野獣に遺体を食われてしまう厳しい自然の残る森林地帯での事後調査の結果というのは、大抵の場合は大した成果を上げない。
こうして「ヤツシを殺したのがこの者達なわけがない」という都市の思い込みにより容疑者から外れたキャリス達は、善人の仮面を被ったまま更に都市にヤツシ達が用意していたロイドバーミンの遺体を、センターの前という人目につく場所でオープンにして見せた。
騎士がロイドバーミンの遺体運搬に協力していた。そう思わせるには非常に効果的だ。現在、朱羅印はそのせいもあって都市側の取り調べを受けている状態に有り、その為一時的に任務から外されている。
現状防衛任務に関しては朱螺印の代わりに白獅音が暫定的に就いているのだが、それはさておき。
「お前達のことは監視させて貰っていた。ヤツシに直接手を下したのがお前達ではない事くらいは解っている」
「なら、無言で覗き見るのはやめて欲しいものだね。プライベートの侵害だよ?」
「直接ではなくとも間接的にってことは充分ある」
「言いがかりが過ぎるね。紋章持ちを殺せる戦力ってだけならファランクスやクレイモアとか他にもいるんだ。そっちを当たってみたらどうだい?」
「相手は盗賊だ。あんな機械武器で身を固めた目立つ連中じゃない。人目を忍んで紋章持ちを殺せる実力者なんてのがそうそういてたまるか」
完全にアサギの視線と疑いはウェイブランにロックオンされている。
シャオンは辟易したため息をつきながらもアサギに付き合うことにする。
いつまでもこうして見られているのは単純に気分が良くないし、騎士に疑われているというだけでも行動が制限されるからだ。
「つまりアンタの中ではアンタのところの紋章持ちを
「ああ」
「思い込みが過ぎないかい? まあ、自信も波動転勁を修めた最強の武者様からすれば波動転勁の怖さを身をもって知ってるってことなんだろうけど」
「……知っていたのか?」
「ああ。幼少の頃、都市クロノモリへと移り、波動転勁を修めた異例な二人の紋章使い。アサギ・ウェイカーとムギョウ・リクツネ。珍しいからね。名前位は知ってるよ」
「……」
「まあいい。で、仮にアンタの言うとおり今回の犯人が波動転勁の使い手だとして……常人がそれを修め、紋章使いを倒せる実力を得るまでに何年かかるのか。アンタなら理解できてるはずだね?」
「……」
「ところで、アタシ達がここに来たのは何年前だっけ? 防衛任務の柱、朱羅印の隊長殿なら把握しているだろう?」
「……フン」
シャオンの言葉にアサギは踵を返す。どこかで解っていたのかもしれない。
フーシェとシャオンが下手人ではあり得ないと。
しかし認められなかった。武者の紋章持ちが再度常人に敗れた、などというあってはならないことが再現されたという事実を。
アサギがシャオンとフーシェを疑ったのは、どちらかと言えば願望の方が大きかった。せめて波動転勁の使い手であってくれと。
願望故に言われて見れば当然の理論に反論する言葉は持たず、言わば論破された敗北者としてアサギは背中を見せざるを得なかった。
「なあ。ウェイブラン」
足を止め、アサギはシャオンに再度声をかける。
「……なんだい?」
「名前は?」
「シャオンとフーシェ。名乗らなかったけ?」
「……性は?」
「ウォンカッツェ」
「……そうか」
アサギは静かにそう呟いて静かにまた歩き始めた。
ウォンカッツェ。それはかつて武者の紋章使いが敗北した波動転勁の使い手と同じ名であった。
「なんだったってんだかね」
「さあね」
アサギの姿が見えなくなってからフーシェがシャオンに話し掛けると、シャオンは仏頂面を浮かべた。まったく良い迷惑だと表情に明確に掻いてある姉を見て、このまま機嫌が悪いままにしておくと、この後の訓練が辛いものになるとフーシェは考え、何とかシャオンの機嫌を立て直すために会話を続ける。
といっても四六時中一緒にいる姉弟だ。特に面白い会話も思い付かない。
少しの間をおいてフーシェは呟くようにこう言った。
「なあ、姉貴……」
「ん?」
「その紋章持ちを殺したやつなんだけど」
「? ……心当たりがあるのかい?」
「そういうわけじゃないんだけどさ……いや、全く根拠とか何にもないんだけど……あのボウズを連想したのって、俺だけ?」
「……アンタもかい?」
二人はしばらくお互いを見つめた。
そんなわけないだろう? でも……と。
実際フーシェとシャオンが知るヒトヤにそんな実力はなかった。
だからあり得ないと解っていながら、二人ともヤツシの死を知った時何故かヒトヤを思い浮かべた。
馬鹿らしい、と当時二人はその可能性を振り切った。
だが、理性でもない本能に近い勘のようなものが言うのだ。
あの少年は紋章持ちすら殺し得るのではないかと。
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