第44話 メイソンプライド
頭部を二つに割られたヤツシの屍を見下ろすヒトヤ。
ヒトヤの表情は喜びよりも苦しさを現していた。
ヤツシを殺害したことに感じるものは何もない。
単純に肉体の限界が来たのだ。
状況に適合すべく肉体を高速度で作り変える。それがどれほど体力を奪うものか。
戦いの最中は脳内に溢れるアドレナリンが、その苦痛を忘れさせていたが、戦いが終わった今、ヒトヤの身体は直ぐにでも休息を得るよう持ち主に命じていた。
(ここで無防備に休む……ってのは、なしだよな)
ある程度安全であろう廃墟の内部とは言え、ここは森林地帯。
どこからかロイドバーミンや野獣が遅い来るとも限らない。
いや、そもそもこの状況で最も危惧すべきは姿を隠したキャリス達だ。
先ほどまで戦っていた敵が潜むこの場所で、無防備な姿を晒すわけにはいかなかった。
「だってのに……ぐっ……」
足が震え、膝が笑う。
ヒトヤの目的はヤツシではない。ヤツシだけではない。
騎士を殺すことだ。あの日、村を襲った騎士を斬り刻むことだ。
記憶に残るヤソジの声。そして村を蹂躙した騎士達。
せめて死ぬ前にあの男達の命だけは絶つのだ。
だからこんなところで死ぬわけにはいかない。
ヤツシ如きの為に命を危険に晒している場合ではないのだ。
戦いが終わり、緊張の糸が切れ、冷めた思考。高揚はない。
すでにヒトヤにとってヤツシは、その場に落ちている肉塊に過ぎなかった。
(……逃げるか? だが)
キャリス達がヒトヤを襲った理由をヒトヤは知らない。
キャリス達がヒトヤを今も殺そうとしているのなら、仮に逃げて廃棄地区に戻ったとしても、廃棄地区で命を狙われるかもしれない。
そうなれば、アランズマインドの皆やイクサを巻き込むかもしれなかった。
(それはヤバいんだよな……)
イクサが協力する条件はアランズマインドやイクサをヒトヤの復讐に巻き込まないことだ。イクサに見放されれば、ヒトヤは住む場所を失い、野垂れ死ぬしかない。そうなれば復讐どころではなくなる。
だからここでキャリス達とも片を付けなければならない。
しかし、ヒトヤの身体はヒトヤの意思に反し、頽れる寸前だった。
既に力なく膝をつき、刀を杖代わりになんとか上半身は起こしているが、もういつまで意識を保っていられるか解らない。
そんなヒトヤの廃墟にやはりキャリス達は現われた。
(だよな……見逃す理由がねえもんな……)
絶望的な状況で姿を見せたキャリス達に、ヒトヤが出来ることは精々睨み付けることだけだった。
「お見事、といっておくわ。まさか、ランク10ちょっとの人形狩りが紋章持ちに勝つとは思わなかったもの」
風に揺れるドレス姿で優雅に歩みながら送られるわざとらしい拍手。
「といっても……もう動くのもままならないって感じみたいだけど」
「どうかな……アンタ等を斬る力位ならまだ残ってる」
ハッタリだ。下手なハッタリは当然キャリス達に見破られていた。
「そう? アンドリュー」
「はっ」
キャリスの声に応え、アンドリューが短剣を高速で投擲する。
もう、ヒトヤには反応する力もない。
ただ座りこむヒトヤの肩を短剣がかすめて通り過ぎる。
既にヤツシとの戦いで多くのダメージを受けていた防具は、その短剣によってとうとう限界を迎え、地に落ちた。
(またかよ……)
ヒトヤが防具が落ちるのを見るのは三回目。若干見慣れた光景に少し呆れつつも、
今出費に頭を悩ませられる状況でもない。
キャリス達から視線を逸らさず、次の一手に全神経を集中する。
動けないなどと甘えている場合ではない。動かねばならないのだ。
ヒトヤの殺意の乗った視線も何処吹く風。ヒトヤがもう限界であることに今ので確信を得たのか、キャリスは笑みを浮かべた。
「そう怖い目で見ないで欲しいわね。悪いことをしたとは思うけど、生憎貴方に殺されて上げるわけにはいかないわ……まあ、今の貴方に流石に負けるとも思わないけど」
キャリスの言う通り、今のヒトヤにこの状況を覆す術はない。
キャリス達がいつ仕掛けてくるか。今、ヒトヤの命がいつ消えるかはキャリス達の気分次第だ。
「ところで貴方、どうして騎士と戦ったの?」
「……あんたらには関係ない」
相手が何者であれ、ヒトヤの目的を知られることはリスクしかない。
ヒトヤの望みは騎士の皆殺しだ。ヒトヤが正確にそのことを理解しているかはともかく、それはいわば都市の崩壊を意味する。
「そう? 残念ね……まあ、あの状況で初対面の騎士を斬り倒したのだから、騎士全体に恨みでもあるってところなんでしょうけど」
「……」
ヒトヤとヤツシが初対面であることは、依頼の中で会ったときの二人の様子から察することが出来る。キャリス達に襲われた騎士と人形狩り。本来なら協力すべきその二人が突如斬り合いを始めたのだから、ヒトヤが騎士そのものに何らかの思いを持っていることは想像に難くない。
「貴方、表情に出過ぎよ?」
「……うるせえ」
折角突き放したのに心中を言い当てられ、ふて腐れるヒトヤ。
そんなヒトヤの様子に再度キャリスは笑みを浮かべる。
「さて、ところで提案なんだけど」
「……なんだ」
「全部、水に流して仲直りしない?」
「……は?」
唖然とするヒトヤにキャリスは続けた。
キャリス達にとってヒトヤはただ邪魔者だった。騎士であるヤツシを殺し、その目撃者が都市に帰ってその報告をすれば、キャリス達が都市と敵対する立場だと都市側に知られてしまう。
だからキャリス達はヒトヤを殺そうとした。ヒトヤを狙った理由はそれだけだった。
しかし、ヒトヤも立場は同じだった。
騎士を斬ったヒトヤは都市の敵対者。敵の敵は味方だというのなら、キャリス達にとってヒトヤは味方だ。
勿論、それでもキャリス達の立場を知る部外者がいるというのはキャリス達にとってリスクでしかない。
下手に弱者と手を組み、何らかの理由でその者が都市に捕まり、キャリス達のことまで話してしまえばキャリス達は窮地に陥る。
だが、先ほどの戦いでキャリス達はヒトヤを弱者と括ることが出来なくなっていた。いや、今はまだそうかもしれない。しかし、戦いの中で急激に成長し続けるヒトヤを見て、キャリス達は思考を変えざるを得なくなった。
こいつは「使える」と。
それ程にヒトヤはヤツシとの戦いで化けたのだ。
「まあ、貴方がよければ、だけれど」
「……もし断ったら?」
「その時は貴方を殺すしかなくなるわ。まあ、賢い選択をして欲しいところね」
キャリスの言葉にヒトヤは少しだけ考える様子を見せる。
襲われたこと事態に思う所はあるが、ヒトヤにとってそれは大した事ではなかった。ヒトヤの第一優先は騎士への復讐を、どうアランズマインドやイクサを巻き込まずに行うかだ。
他の子とは二の次。ましてまだ殺されてもいない自分の仇討ちなどに精を出している余裕はなかった。
何よりキャリス達はヒトヤを見逃そうとしている。
殺そうと思えばいつでもお殺せる状況だ。疑う必要はあるまい。
多少妥協すればそれで命が拾えるのなら、キャリス達の提案を飲むべきだ。
「……条件がある」
「貴方、自分の立場をお解り? と言いたいけど……まあ言ってみて」
「弁償しろ」
ヒトヤはそう言いながら視線で落ちた防具を指した。
キャリスの言うとおり条件など出せる立場ではない。それでもそう言ったのはただの意地だ。理不尽を飲み込めぬ子供の駄々。
ヒトヤの要求にキャリスは
「フフフ、ホホホ……アハハハハハ。アッハハハハハハハハ」
爆笑した。
ポカンとその様子を見つめるヒトヤの前で、しばらくの間笑い続けた。
「はぁ、はぁ……そう……それが条件ね。ふふふ。良いわよ? 弁償して上げる」
「……約束は守れよ」
「ええ、メイソンの名にかけて守るわ」
笑いすぎて呼吸困難になったのか、息を整えながら条件を呑むと告げるキャリス。
ヒトヤはその答えで、これでかけられた迷惑代としては充分と割り切った。
その直後、ヒトヤの目の前が暗くなる。
瞼がもう落ちようとしてた。
命の危機が去り、金の問題も片付いた。騎士を殺すという目的も達している。
完全に緊張の糸が切れたのだ。
「なら……いい……」
ヒトヤはもう落ちようとする身体の名に逆らう気力は持ち合わせていなかった。
「よろしかったのですか?」
「弁償の話?」
「それもそうですが……」
ヒトヤを生かし、利用すべきか。ここで後腐れなく命を絶つか。
キャリス達の中で意見は割れていた。
最終的にキャリスの決断に従う。それがアンドリューとラーナの姿勢ではあるが、キャリスが間違った決断をしないよう意見を出すのもまた、執事とメイドの仕事だ。
「出資するだけの価値がある。メイソンの名の下にそう判断したのよ」
「そういうことであれば、わたくしめから言うことはございません」
既に貴族街から出たキャリス達メイソンプライド。貧しいと言うほどではないが、資産が湯水のように湧いて出てくる立場でもない。
義賊として、都市の暗部との戦いに備えて、金はあってありすぎることはない。他人の為に使っている余裕などないのだ。
それでもキャリスはヒトヤの防具の弁償をメイゾンの名の下に約束した。
それは投資だ。キャリスはヒトヤにそれだけの価値を見出した。
都市の暗部との戦いに備え、ヒトヤは味方に引き込む必要がある。そう判断したとキャリスは応えたのである。
主がヒトヤに何を見出したのか、アンドリューとラーナには正確には解らない。
だが、貴族街に住む多くの者達に宿る才能、先見の目。
その者達の血を引くキャリスにもまた、その才がある。
ならばアンドリューとラーナに否定する理由はない。
「となれば、折角の投資対象。ここで死なれるわけにはいきませんな」
ここでヒトヤを放置しては野獣やロイドバーミンに殺されるだろう。
アンドリューがヒトヤ連れ帰るべく担ごうとして、ヒトヤが防具の下に着込んだ服が
僅かに顕わになった、ヒトヤの胸に刻まれた、存在を知られていない黒い紋章。
「これは!? ……」
「……本当に……思っていた以上に面白い子ね。フフフ。アハハハハ」
廃墟の中ではまたしてもキャリスの笑いが木霊した。
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