第43話 愚かな理屈
今勝たねばならない戦いがあるとして、しかし苦戦しているとする。
苦戦しているということは、敵となる者が何らかの要素で自分より勝っているところがあるということだろう。
それはパワーかスピードか、それともテクニックか……少なくとも、その戦いが単純な肉弾戦であるならば、その要因を覆せば勝利を手にすることは理屈の上では難しくない。
パワーで負けているならば、敵より強くなればいい。
スピードに劣るならば、敵よりも早く動けるようになれば良い。
テクニックに差があるならば、敵の使う技を使えるようになれば良い。
これは理屈としては正しく、しかして愚かだ。
常人が聞けば、「出来るなら最初からやれ」と一笑に付される理屈である。
愚かな理屈を笑わず、あまつさえ体現しようとするものを人はなんと呼ぶか?
言うまでもなく、「愚者」である。
ヒトヤとヤツシの今の戦いを表現するならば、躱し合いと言うべきだろうか?
ヤツシは単純に剣にダメージが入ることを嫌がっていた。
ヤツシの持つ細剣は重量がない。それ故取り回しも易く、武者の身体能力もあって武者との相性は悪くはないのだが、性質上どうしても確実な致命打を狙うなら突きによる攻撃に頼ることになる。剣に重量がないからだ。
加えて斬撃は剣に入った罅を悪化させやすい。ヒトヤの刃を受けるなどというのも論外だ。
その為ヤツシの戦い方は、ヒトヤの攻撃を躱しながら距離を取り、突きを繰り出す。この繰り返しとなっていた。
戦闘経験のある者であれば、この状況でも何か別の手を考えたのかもしれない。
だが、まだ若く、防壁に守られた都市での防衛任務が主ということもあって、ヤツシはその戦闘経験が圧倒的に不足していた。
ヒトヤの動きを先読みし、そこに繰り出す単調な攻撃。
ヒトヤは反応し、その刺突に対し身体を無理矢理捻り、止めて躱す。
ヒトヤはヤツシの剣の罅に気付いていない。
だからヒトヤはヤツシの剣にダメージを入れる戦術を考えなかった。
ただひたすらにヤツシを狙って斬撃を振るう。
様々な角度から振るう斬撃。それは剣を知らぬ常人には変幻自在と感じるものでも、ヤツシには予知能力がある。
そもそもヒトヤの剣は重い。振り切ってから再度の攻撃に移る上で、どうしても生じるラグがある。
一定の間隔を開けて繰り出される刃は、予知能力がなくともタイミングが計りやすい。どんな変化をつけた攻撃であろうと、タイミングが解るならば、それは充分に戦士にとっては単調な攻撃と言える。
互いに決め手にかける中、ヤツシは少しずつ気持ちを落ち着けていた。
ヤツシが気にすべきは、ヒトヤ以上に先ほど姿を消した人形狩り達である。
しかし、既に毒を撒いた後時間が経っているにも関わらず、彼等は次の手を打つこともない。
ヒトヤとヤツシの潰し合いを待つつもりなのだろう、とヤツシは判断した。
となれば時間は気にする必要はない。
この目の前の少年を確実に仕留め、次の襲撃に備える。
極論、戦いは攻撃を受けなければ負けないのだ。
ヒトヤの攻撃がヤツシに当たることはない。一方ヒトヤはヤツシの攻撃に対しかなり身体に負担をかけていることは明らかだ。
ならばヤツシの攻撃はいずれヒトヤを貫く。
だから単調と解っていながら、同じ攻撃を続けている。
次に襲い来るであろう、人形狩り達に剣を温存すべく。
ヤツシは思っていた。
むしろ時間は自分の味方なのだと。
今でこそ、毒の影響で身体が鈍く、この少年と互角の戦いを演じているが、時間が経ち、毒の影響から抜け出せば、目の前の少年を貫くことなど雑作もないと。
ヤツシは知らない。
ヒトヤの異常な回復能力を。愚者の紋章を。
無理な動きから生じる負担により痛めた肉体は、尽く回復していく。
そして、負傷した肉体は回復する毎にこの戦いの場に適合すべく、愚者の紋章の力によって強化されていくのだ。
ヤツシは気が付かなかった。
予知能力が見せるビジョン。ヒトヤの象が少しずつヒトヤの現時点から離れていることに。ヒトヤが剣を躱す動きに、少しずつ余裕が生まれていることに。
そして気付く前に解らされた。
「グッ!? な……」
ヒトヤの刀が外套を斬り裂き、鎧をかすめる。
確実に避けたはずの斬撃。
(馬鹿な……ビジョンが教える起動から確実に身体を反らした筈……)
戸惑うヤツシは攻撃に移れない。
その隙をつき、ヒトヤが刃を再度振るう。
この戦いで初めてのヒトヤの連撃も、ヤツシの予知能力は既にその軌道をヤツシに教えている。
意表をつかれることもなく、ヤツシはその刃を避け、
「がッ!? チィッ!」
再度鎧をかすめた刃に舌打ちしながら、大きく後退した。
「……どういう……ことだ」
ヤツシの呟きに少年は応えない。
刀を正眼に構え、強く踏み込んできた。
「くぐっ……ふざけるな!」
再度鎧に打ち込まれた刃。鎧がなければ決して浅くない傷を肉体に残したであろう斬撃。その衝撃に呻きながらヤツシは再度後退する。
ふざけるな。紋章持ちが常人に負けて良いわけがない。そんな理不尽を許してはならない。武者が再度そのような汚名を被るわけにはいかない。毒で身体が鈍っていなければ、奴らが卑怯な真似をしなければ。
ヤツシの頭に去来する思考。毒さえなければ、俺がお前に、紋章持ちが常人に負けることなどあり得ないのだと。
ヤツシは今の状況をあくまで毒のせいだと判断していた。
少しずつ愚かな理屈を体現する目の前の愚者を認められなかった。
時間が経てば、全てが解決すると信じていた。
もう、既に毒の抜けた自信の身体を自覚も出来ずに。
ヒトヤにとって騎士は仇だ。
紋章持ちであろうが常人であろうが、皆等しく殺すべき対象だ。
強くなる理由も、騎士を殺し易くなるからに過ぎない。
人形狩りになったのも、騎士を狙う場を得やすくなるからに過ぎない。
全て目的ではない。手段だ。
のどかな村に生まれ、優しい家族と村人に育てられた少年に、ストイックに強さを求める武闘家の心などあるわけもなかった。
振る斬撃に乗せる意思はただ殺意のみ。
目の前の少年騎士に致命の一撃を与えるべく、ただ刀を振るう。
躱されるならばもっと早く。鎧が阻むならばもっと強く。
誰も邪魔する者がいないこの空間で、憎むべき相手とどちらかが死ぬまで斬り合う。
今ヒトヤは始めて純粋に強さを求めたのかもしれない。
ヒトヤの意思に応え、愚者の紋章が脈打つ。
適合すべき必要性に応え、ヒトヤの肉体を一振り事に強化していく。
徐々に強化される肉体。しかし、致命の一撃にはまだ遠い。
(もっと……もっとだ! 強く! 速く!)
ヒトヤの一撃がヤツシに届く理由は解ってしまえば簡単だ。
ヤツシの予知はデータから割り出す予測。ヒトヤの先の斬撃を分析し、次のヒトヤの踏み込み速度とリーチ、耐性から、ヒトヤの斬撃の軌跡を割り出す。
つまりヒトヤが刀を振るう度に強化され、踏み込みの速度と深さが変われば、その剣の軌跡は、予知した軌跡よりも伸びる。
成長し続ける故に、予測を裏切るヒトヤの斬撃がヤツシを追い詰めていた。
今までは。
武者に攻撃を届かせるには二つの方法がある。
一つは予知を超えること。もう一つは武者が予知しても対処できない程に速く、強くなればいい。
それは愚かな理屈だ。
強化された武者の身体能力を超えれば良いなどと、常人にとって暴論としか聞こえまい。
本来あり得ないことだ。
波動転勁に武者の紋章が敗北するまで、それが常識だった。
常人に叶うことが、常人ならぬ愚者に叶わぬ道理はない。
ふと、ヒトヤの思いに応えるように、ヒトヤの胸がこれまでになく大きく脈打った。
それはヒトヤにとって衝撃とも思える程で……
ヤツシはその隙を見逃さなかった。
ヒトヤが突如のけぞるように体制を崩したのだ。
好機だった。晒したその隙に、今度こそ致死の一撃を。
そう考えて穿つ筈の一撃をヤツシは繰り出せなかった。
ヤツシの目に映るビジョン。予知能力が伝えている。
何処に打ってもこの一撃は当たらないと。
同時期。
都市の地下にあり、ヤツシにデータを送るスーパーコンピューターは、外れ続ける予知から、ヒトヤの成長を認め、その成長速度を加味して予知演算をやり直した。
加速的に成長するヒトヤの速度に、スーパーコンピュータの割り出した結果。
それは、ヤツシの敗北だった。
ヒトヤは見ていた。
自身も自覚した、一瞬晒した隙。そこにヤツシが刃を繰り出そうとして止めた瞬間を。
ヤツシが何を考えたのか、ヒトヤには解らない。
ただその表情に戸惑いがあったようにも見えたが、ヒトヤの知るところではなかった。
胸を襲った衝撃から復帰し、そのせいで仰け反った身体をすらバネとして利用して打ち込む唐竹の一撃。
この戦いで最も早く強いその攻撃を前に、ヤツシは躱せぬと判断する予知能力に従い、ならば防ぐしかないと剣を頭上に構える。
確かにヤツシはヒトヤの刀の軌道上にその刃を構えた。
だが、ヒトヤの斬撃はヤツシの損傷した剣を砕き、ヒトヤの刃はヤツシの脳天へと吸い込まれた。
「そん……な……アサ…………」
血しぶきを上げながら倒れるヤツシ。
ヤツシの屍を見下ろし、ヒトヤはただ小さく息を吐いた。
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