第42話 愚者の紋章

「どうした、イクサ……と、これは珍しいな」

「そうだろう? だから持って来た」

「そうか。助かる」


 アランの拠点にイクサが持ち込んだものは人魚型と呼ばれるロイドバーミンの遺体だった。

 上半身は人間と変わらないが、下半身が脚の代わりに魚を思わせる流線的な形状をしており、その最後尾に鰭の様な形状の板が数枚、足の代わりに円周等分に取り付けられている。

 前時代の知識があればすぐにそれをプロペラだと言えただろう。


「人魚型か……話に聞いたことはあったが、これをどうやって?」

「企業秘密、と言いたいが大した事じゃない。今晩の飯を確保するのに川まで行ったら暴走体が暴れててな。襲われたから仕留めただけだ」

「暴走体、か……」


 暴走体の存在は好ましいものではない。

 前時代に与えられた役目を果たす為だけに働き続けるロイドバーミン。

 彼等は人間を見たとき、その殺意を顕わにする。

 それでも厄介この上ないが、開拓を望む者達にとってこの習性は有り難い。


 なぜならロイドバーミンは滅多なことで持ち場を離れないからだ。

 だから一度ロイドバーミンを破壊し、確保した地域というのは暫く安全だ。

 暫くというのはロイドバーミンが破壊されたことを察知した何者かが、まだ生き残った工場でロイドバーミンを再製造し、再度送り込んでくることがあるからだが、それはさておき。


 暴走体はこの持ち場を離れない、というロイドバーミンの習性を無視する。

 だから開拓を望む物にとって暴走体は、ときに常態のロイドバーミンよりも厄介な障害となる。


「この人魚型だけならいいんだがな」

「暴走理由は様々だ。言ったところで都市もいつも通り適当な推測を並べるだけさ。言う気もないがな」

「……そうだな」


 開拓を望む者とは都市のことだ。

 だから都市は暴走体の情報を欲しているし、可能な限り調査もする。その調査が実ったことは少ないが。


 開拓を望まぬ廃棄地区の住民としても暴走体の発生は危惧すべき災害だ。

 この瓦礫に囲まれた貧弱な防衛網が継続できている理由は、瓦礫を破壊する程のロイドバーミンが攻めてこないからだ。

 ロイドバーミンに追われた人形狩りが連れて帰った個体などに襲われることはあるが、言い換えればその程度。


 極論人車型が群れを成して突っ込んでくれば、廃棄地区には為す術もない。

 だからアランは暴走体の存在に、アランズマインドを束ねる長として、正しく恐れを抱いていた。

 悲しいことに正しく恐れは抱いても、備えも解決もできない理不尽は世に溢れている。


 アランは気分を変えるように話題を変えた。


「そうだ。そういえばヒトヤが受けた依頼だが」

「耳が早いな。もう把握してるのか?」

「都市の動きを知るのにセンターの掲示板は重要な情報源だ。当然な……それで、おそらくだが……ヒトヤの受けた依頼、裏で武者が動いているぞ」

「そうか」

「そうかって……それだけか?」


 ヒトヤが紋章持ちと衝突するかもしれない。そう警告するアランにイクサは何事でもないかのように頷く。


「それだけというか……むしろ都合が良いだろう?」

「……どういうことだ?」

「愚者の力は急激な進化……即ち適合だ。初めは何も持たず、状況の中で自らを変化させる。言い換えれば弱い内に強者と戦えばどうしようもない。そういう紋章だ」

「……」

「最初が勇者や賢者とかじゃ流石にハードルが高すぎるがな。武者なら良いだろう。いずれぶつかる相手だ。あいつも今そこまで無力ってわけでもないしな」


 一見突き放すようなイクサの態度の中に、アランはイクサのヒトヤへの確かな期待を感じ取った。






 ヒトヤとヤツシが距離を開けながらも睨み合う。


 ヒトヤにはヤツシを撃つ未来が見えないでいる。

 身体能力では負けている。力の差を覆す戦法も思い付かない。


 ヤツシもヒトヤを撃てる未来が見えないでいる。

 剣に入った罅。現状力の面では優位であるが、獲物を失えば戦局は逆転する。

 加えて先ほど逃げた人形狩り達もいる。ヒトヤを相手に消耗し尽くすわけにはいかない。

 持久戦には持ち込めない。出来れば一撃。一撃でヒトヤを仕留める必要がある。


 互いの思惑が睨み合うだけの膠着状態を生みだし、そして時間だけが流れる。


 そんな中、ヤツシは警告を受信した。

 

 (クッ……しまった!)


 時間をかけすぎたか、とヤツシは歯を鳴らす。

 先程の人形狩りか、或いはシュウジの部下かはヤツシにはわからない。

 解るのは彼等のいずれかが戻り、この場に今干渉しようとしていることだ。


 ヤツシの受信した警告。それはかつての人類が生み出した都市の地下にあるブラックボックス。スーパーコンピューターからのものであった。

 ヤツシのいる廃墟に毒が撒かれた。撒かれた毒はセンスパラライズ。


(……僅かに吸ったか?)


 直ちにマスクを取り出し装着する。

 防衛を任務とする朱羅印にとって、毒のような対人兵器は警戒すべきものの一つ。

 防毒マスクは鎧と共に標準装備として支給されていた。


(こざかしい真似を! ……だが)


 この毒はヤツシには都合が良かった。

 センスパラライズを吸った者は一時的に体が麻痺する。

 その毒を多少吸ってヤツシは脱力感こそ感じているが、動けない程ではない。


 一方ヒトヤはもろにセンスパラライズを吸っているのだ。

 この後ヒトヤは体が麻痺し、動けなくなる。その時にとどめを刺せばヒトヤは片付く。


(感謝してやるよ。褒美に全員刺し殺してやる)


 毒を撒いた何者かに歪んだ感謝を心で呟きながら、ヤツシは剣を構えた。

 狙うはヒトヤの喉。

 そこに致命の一撃を打ち込み、直ぐに毒を撒いた敵との戦いへと切り替える。


「行くぞ!」


 顔に笑みすら浮かべて刺突を繰り出すヤツシの刃は、しかしヒトヤの刀によって弾かれた。


「な!? チィッ!」


 返す刀を何とか躱しながら、ヤツシは驚愕の表情を浮かべる。


(こいつ……毒が効いていないのか!?)






 ばらまかれたセンスパラライズ。

 廃墟に吹の隙間風は、その毒をヒトヤへと運んだ。

 その為ヒトヤがその影響を受けたのはヤツシよりも早かった。


(な、なんだ?)


 突如襲い来る脱力感。脈打つ胸。

 それはしかし、数秒後身体から抜けていった。


(……なんだったんだ?)


 自身の力に理解のないヒトヤは自覚していなかった。


 既にヒトヤは一度センスパラライズを吸い込んだことがあった。

 レミナ達アマゾンスイートが騎士達の罠に嵌った時、そしてレミナ達を結果的に助ける形となったあの時。


 脈打つ胸。それは愚者の力がもたらす鼓動。

 生命の危機を感じたとき、或いは肉体に損傷を受けたとき。

 何も知らぬが故に吸収の早い愚か者の如く、愚者の力はその持ち主を変化させ、適合させる。

 回復能力はその副産物だ。


 そう……ヒトヤはセンスパラライズの耐性を身に着けていた。

 前回吸った量が少なく、耐性は完璧とは言えなかったが故に影響は受けたが、それでも本来ならば立っていられないほどのセンスパラライズを吸い込み、しかし体勢を崩すことなく、更に持ち前の回復能力でセンスパラライズの影響から抜けたヒトヤは、今完全なる耐性を身に着けていた。

 

 そのような状況下、ヤツシが繰り出した刺突。


(マズイ……ん?)


 ヒトヤは違和感を受ける。


(遅い?)


 防毒マスクによっていち早く防いだとはいえ、鈍ったヤツシの刺突に先程までのキレはない。

 それでも考える間もなく届くヤツシの剣を、ヒトヤは刀で弾き返し、しかしイクサの訓練やこれまでの実戦で身体に染み込んだ刀の一閃をヤツシに返した。


 刀は躱された。

 ヤツシは慌てるように再度後退する。


 この結果はヒトヤにとって悲観すべき事ではない。

 先ほどまで防戦一方だった戦い。しかし、今ヒトヤは漸く反撃に移ることが叶ったのだから。


(よく解らないが……いける?)


 突如動きを鈍らせた目の前の敵。

 僅かに見えた勝機。ヒトヤの刀を握る手が鳴る。


(多分。多分今だ。今しかない)


 根拠はない。それでも今までの実戦から得た勘がヒトヤにそう訴える。

 そしてヒトヤは自らの勘に従った。






「どういうことかしら? ……これ」

「……少々、わたくしめも理解に苦しんでおります」


 キャリス達としてはセンスパラライズをばら撒き、弱った二人を仕留めてこのミッションは完遂できる予定であった。

 あとはヤツシの遺体を都市まで運び、義賊にやられたと一芝居打つだけ。そのはずだった。


 しかしヒトヤとヤツシの二人はセンスパラライズが充満しているはずの廃墟で相も変わらず打ち合いを続けている。


 いや、変化はあった。

 先ほどまではただヤツシがヒトヤを嬲るような一方的な戦いが続いていた。


 しかし今は違う。

 状況はむしろ逆転していた。


 ヤツシとヒトヤは互角の戦いを繰り広げてた。

 ヤツシの動きが鈍っただけではない。

 剣に損傷を持つヤツシは、ヒトヤの刀を受けることを避けていた。攻撃の際は鎧からむき出しの急所を狙い、返る刃は全て躱す。


 身体が鈍っただけでなく、動きが限定されるというハンデを背負ったヤツシは少しずつヒトヤに押され始めていた。


「それに……気のせいじゃないわよね?」

「……はい、お嬢様」


 キャリスと視線を合わせたアンドリューが躊躇いながらも頷く。


「早く……なっておりますな」


 ヒトヤの動きは先ほどまでの一方的な戦いの時に比べ、間違いなくその速度を増していた。


 本来戦いの中で人は消耗するほどに動きが衰える。

 精神力で一時的に持ち直すことは出来る。火事場の馬鹿力と呼ばれるもので追い込まれた際に、万全の状態を超える動きを見せるものもいるだろう。


 だがそれは長くは続かない。

 それなのに、ヒトヤは増した速度を維持し、


「いえ……徐々に速度を増している?」


 ラーナの呟きにキャリスとアンドリューは再度二人の戦いに目を凝らす。

 メイソンプライドの三人は知らない。


 今、漸くヒトヤの紋章が開花しようとしているその場に、キャリス達は立ち会っているのだということを。

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