第37話 シュウジの依頼
空を刃が切裂く音が鳴る。
見た目に反してやたらと重いヒトヤの刀が、上段に振りかぶられては振り下ろされる。
「やっと基礎の大切さを理解したか」
「……もうちょっと早く教えてくれても良かったんじゃないか?」
「むしろよく今まで気付かなかったな」
「……」
今日の訓練は素振りだ。
ヒトヤはイクサと訓練を続けていたが、その形式は全て実戦形式。素振りという本来やってしかるべき基礎訓練を受けたことはなかった。
普通の剣術訓練を知らないヒトヤはそれに疑問を感じずに、今までイクサの教えるとおりにただイクサと実戦訓練を積んできた。
そのことに疑問を感じたのはキャリスの剣を見たことが大きい。
自分は根本的な何かが抜けているのではないか? 漠然とそうイクサに問うと、イクサはやっと気付いたかと笑いながらヒトヤに素振りを命じた。
ヒトヤの刀は重い。まだ少年であり、身体の軽いヒトヤは刀を振るだけで重心を崩される。そしてそれを気にしていると身体が縮こまり刀を上手く振れない。だから刀の重さに任せて振り回す。
イクサに教わりながらもヒトヤの剣筋が大振りになっていた一因でだった。早い話、身体がまだ出来上がっていなかった。
「……どうしてだ?」
「意味がないからさ」
「? 素振りにか?」
「いや、教えることにさ。お前はそういう奴じゃない。気付かなきゃ意味がないんだ」
「?」
「その内解るさ。大事なのは必要性だ。今はこれだけ覚えておけ」
「……全然意味が分からねえ」
首を傾げながらもヒトヤは刀を振る。あの時エル=アーサスの首を飛ばした剣筋をイメージしながら。
ふとヒトヤの胸が脈打った。
午後になりヒトヤはセンターへと足を運ぶ。いつもの日常だ。
掲示板で良い依頼がないかを探す。
本来ならば森林地帯に潜伏し、騎士狩りといきたいところだが、森林地帯の入り口で死にかけた身だ。潜伏している間に野獣の群れに襲われれば騎士狩りどころではない。
アランは運がなかったと言っていたが、ヒトヤにとってエル=アーサスを相手に死にかけた出来事は、まだ力が足りないことを思い知らされるトラウマとして充分なものだった。
力を身につける為には強い装備を。その為には金とランクが要る。
依頼のない日はロイドバーミンを狩りに出かけたりもしているが、やはり手掛かりなく探すのは難しい。
依頼を受けるというのが、やはり狩りの面でも金の面でも効率的だった。そして依頼の内容はピンキリだ。現状ランクが11のヒトヤ。受けられる依頼はそこそこにあるが、報酬のいい依頼となるとまだまだ少ない。
「依頼依頼……あん?」
ふとヒトヤの目に留まった。
【緊急依頼:ランク10から】
森林地帯よりの荷台警護の為人員を招集する。
・募集人数四名まで。
・実行日は翌イツクサの日。
・報酬は一人につき十五万ゼラ。
・依頼期間、依頼開始より完了まで受注者はツルナリグループの指揮下にあるものとする。
・受注後の途中離脱は基本許可しない。
依頼者 シュウジ・ツルナリ
十五万ゼラ。依頼料として破格とは言わないが、それ相応の金額ではある。
「一応内容は確認しておくか」
奢りは死に直結する。情報は集めて集めすぎることはない。
金額を見て直ぐに受けたい気持ちになったヒトヤだったが、衝動を堪えてヒメノの下に向かった。
「お薦め出来ないわね」
依頼寮が高いのには理由がある。依頼寮が高い依頼がお薦めできる依頼であることの方が希だ。
若干枕詞と化しつつあるヒメノの忠告を、しかし聞き流すことなくヒトヤは真剣に聞き入れる。
「この依頼ね……おそらくなんだけど、義賊の件と無関係じゃないわ」
あくまで推測。そう断りつつヒメノは自身の見解を語った。
ヒトヤが荷台警護の依頼を見る数日前。
シュウジの事務所に訪れたのはヤツシだった。
義賊を名乗る者達による快楽主義の悪事の暴露。この件に対しアサギの反応は冷静であった。
快楽主義を守る朱羅印と義賊。快楽主義の悪事が明かされた、という結果だけをみれば、その勝負は義賊の勝利だ。
だが、義賊は騎士達に勝負を挑んだわけではない。義賊の手法を考えるにむしろ義賊は騎士達との勝負を避けた、と思われてもおかしくはない。
騎士達の誇示すべきは力による防衛。何も全ての事故を察知し、防ぐことを期待されてはいるわけではない。未然に防げた事故など当事者以外には解りようもないからだ。むしろ有事の際に華々しく活躍し、それを収めてみせる力こそが求められていた。
事実市民の評価は割れていた。義賊は騎士達を怖れ、戦いを避けたと言う者がいる。片や騎士達は義賊立ちにいいようにやられたという者達がいる。
そして騎士達の役目の本質は市民の好感を得ることではない。都市を守ることだ。
アサギは義賊の追跡任務を継続するとしながらも、この件で明らかになった快楽主義の悪事を追求することを表明した。
それは即ちシュウジ率いるツルナリグループを検挙するという宣言に他ならなかった。
奴隷を斡旋する業者がツルナリグループであることはもはや周知の事実であった。ならば奴隷を娼婦として働かせている快楽主義がツルナリグループの傘下にあることなど自明である。つまり、アサギはツルナリグループへの敵対を宣言したと言って良い。
そんな中で、そのアサギの部下であるヤツシがツルナリグループを訪ねてきたのだ。シュウジの心中は穏やかではなかったが、相手は紋章持ち。何の準備もなく戦って良い相手ではなかった。
「それで……朱羅印のエース殿がどのような用件で?」
舐められれば潰される。面子を保つためにもシュウジは冷や汗を掻きながら虚勢を張った。そっちが戦うつもりならこっちも容赦はしない。そう態度で示す。
シュウジの虚勢はある意味で無駄だった。紋章持ちであるヤツシの思考は選民思想に近い。常人の事など歯牙にもかけていない。
その上でヤツシは威圧することもなく、ただ、シュウジにこう告げた。
「頼みがある」
「……ほう」
命令ではない。嫌なら断っていい。頼みとはそういうものだ。
或いは朱羅印からの宣戦布告ではと考えていたシュウジは少し抱け固くしていた身体を緩める。
朱羅印の評価は割れていたが、ヤツシにとって快楽主義の件は敗北でしかなかった。時代を担う朱羅印のエース。手柄のためにお膳立てされた舞台。
そこで自分が得たものは、市民からの嘲笑のみ。
ヤツシは我慢ならなかった。紋章持ちたる自分がコケにされたというその事実に。
何の力もないシュウジに頭を下げる。それはヤツシにとって屈辱的な者だったが我慢できた。アサギがツルナリを検挙すると宣言している。どうせこいつらには未来はないと思えば、溜飲を下げることもできた。
「依頼を出して欲しい。かかる費用はこちらで持つ」
「……詳しく聞かせな」
ヤツシはシュウジに自身の意図を伝える。それはただ紋章持ちというだけで、もて囃されて生きてきた若者が、生まれて初めて精一杯考えた抜いた作戦だった。
ヤツシは自身の力で如何に義賊を捕縛するか。最悪殺害でもいい。どうやって片をつけるか、それだけを目的として考えた。
義賊がどこの誰だか不明である以上、片をつけるためには何らかの方法で誘い出す必要がある。では義賊はどうすれば誘い出せるか。
義賊は確かにアマツキの日に行動した。予告状の宣言の通りに。
それはアサギが言うとおり、市民の支援を受けるため、アマツキの日に何らかの行動を取る必要があったからではないか?
あの日の出来事がアサギの推測の裏付けとなるのなら、逆に考えれば義賊達は失敗することを、市民に失望されることを怖れている。
では義賊が市民に失望される為にはどうすればよいか? 仮に快楽主義があの事件以降も平然と商売を続け儲けを出していたならば?
これは手っ取り早いが難しいとヤツシは考えた。快楽主義の事件は大きくなりすぎた。
ならば快楽主義が潰れても次の業者が簡単に現われれば?
義賊のやったことなど大火事の前に垂らしたコップ一杯の水に等しいのだと世間が考えたならば。
そんな噂を流させるわけにはいかないと義賊は火消しに追われるだろう。
次の業者を見つけるのは簡単だ。シュウジと取引があるのは快楽主義だけではない。その業者に思わせぶりに荷物を届ける。人が一人入るだけのサイズの箱。
そしてその噂を市民に流す。
箱の中は空だ。しかし実体を知らない市民は、その荷物が届く場面を見て、結局義賊のやっていることは焼け石に水だったのだと思うだろう。
仮に義賊達が襲い荷物が開けられても中身は空。そしてその時自身が名乗りを上げる。荷台の護衛に変装していた朱羅印のエース。ツルナリグループを既に抑え作戦に参加させたと市民に告げ、その上で義賊を捕縛する。
人形狩りを雇うのは、市民に噂を流す人員を担保するためだ。自身が義賊を捕縛する。圧倒的義賊と自分の差。それさえ伝えてくれれば誰でも良い。
箱の中身がロイドバーミンと思わせる為にも森林地帯からの出発となることから、不自然さを消すためにもセンターの常識に従いランク10からとしたが、依頼を受ける者は誰でもよかった。
勿論そのことをそのまま伝えてはシュウジは面白くない。だからヤツシは義賊を捕まえる、その一点のみを強調してシュウジに自身の作戦を伝えた。
「いいぜ。乗ってやる」
そう告げたシュウジにまずは第一段階成功とほっとしながらヤツシは帰った。
「よかったんですか?」
「この状況だ。ベストはねえよ。だが、損にはならねえだろうしな。それに奴のくだらねえ作戦が失敗したらむしろ美味しい方に転ぶかもしれねえ」
シュウジは部下の問いに口元を歪めた。
「?」
「義賊と騎士がガチで敵対し話題になれば、騎士の視線も市民の話題もこっちから外れるからな。むしろあいつには失敗して死んで欲しいくらいだ。大々的にな……さて、折角だ。となれば俺もちょっと動くとしよう」
重要で大きな事件も、続く大きな事件が起きればいつしか皆忘れてしまう。シュウジは世の中を知っていた。
ヒメノはヤツシとシュウジの密談を知っていたわけではない。
しかし、受付に入ってくる最低限情報とこれまでの業務経験から、騎士がこの件に絡んでいると推測していた。
仮にこの依頼がツルナリグループの判断によるものであれば、ツルナリグループはこの件で騎士を挑発しているとも取れるからだ。
ロイドバーミンを街に運び込んだ犯人を朱羅印が検挙する。そう宣言している中でそれを運び込もうとするなど、市民の感覚からすれば狂気である。
だからヒメノは裏でまた人形狩りを囮に騎士が暗躍しているのだろうと考えていた。推測は少し間違っているのだが、それ故ヒメノはお薦め出来ないとヒトヤに告げたのだった。
そしてそれはヒトヤが待ち望んでいた依頼でもあった。
場所は森林地帯。騎士が同行するかもしれない。
他の同行する人形狩りが邪魔だが、あるいは騎士を狩る絶好の機会かもしれない。
「受けます、俺」
「……私がお薦めしない依頼を敢えて受けている、ってわけじゃないのよね?」
「いや、違いますよ?」
ヒメノのジト目に狼狽えるいつも通りのヒトヤ。
普段と振る舞いを変えず、しかし胸に殺意を宿す。それは衝動的なものではない、冷酷な冷たい殺意を胸深く抱く者の姿だった。
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