第31話 再び落ちるもの

 森林地帯で視界を覆う木々が生える場所も、元は前世界文明によって開拓された大地だ。元が住居か倉庫か不明な建築物は蔦に覆われ、苔に侵食されて、その建築物を突き破るように木々が生える。 

 前文明を緑が上書きしたような領域は、人間目線で一言で言うならばゴールなき迷路。木々の葉が太陽の光を遮るこの仄暗い世界で、もし方向感覚を失ったならば、或いはこの迷路は迷い込んだ人の命を容易く奪い得るのかもしれない。


 尤も、少なくとも端末を持つ人形狩り達が方向感覚を失うことはないのだが。


 本来獣の巣に近づくならば風下を取るべきだ。もちろん取れた方がいいのだが、建屋の瓦礫が暴風壁となり、風の流れを乱すこの場では、風下だと思って近づいたつもりが、しっかり獣達の嗅覚に捉えられていた、などということも多い。

 ヒトヤの五感がエル=アーサスの巣を近くに捉えた時点で、フーシェは可能な限り物音立てぬよう指示しながらも、まっすぐエル=アーサスの巣を目指した。


 フーシェの作戦とも呼べない戦法は、エル=アーサスの巣へ全速力での突入。

 狙うは群れの頭一点。群れにボスが必要ならば、ボスを討ち取れば群れは崩壊するはずだ。如何なる獣も急所を刃で貫けば命尽きる。

 スピード勝負。フーシェ達ウェイブランの得意技だ。


 流石にただ特攻するのはどうかと、キャリスが提案した追加の作戦をフーシェが受け入れたことで、実際の作戦は陽動からの特攻となる。


 まずキャリス達がウェイブランと逆方向から巣を突く。エル=アーサスを引きつけたところでフーシェ達が突入する。ヒトヤの仕事はシャオンと共にフーシェの進路を阻むエル=アーサスをフーシェ達に近づけぬよう妨害し、フーシェにボスへの活路を開くこと。

 屋上という表現が適切か、瓦礫となった建屋の頂上でエル=アーサスの巣を視界に収めたヒトヤ達にフーシェがそう指示をした。


 小さな湖を巣にするエル=アーサス。

 湖には当然木も瓦礫もなく、光を遮るものはない。


 もうすぐ落ちる赤くなった日光が、暗い世界をそこだけをスポットライトの様に照らす。歪んだ円形を描く、小さなその湖の畔で、黒い巨体を揺らすエル=アーサス達とは明らかに違う真っ白な個体が我が物顔で寝そべっていた。


 寝そべってはいるものの、その目は開き、明らかにヒトヤ達の方を見ている。

 そして周囲の獣達も、ある者は威嚇の声を上げ、ある者はウロウロと歩き回りながらヒトヤ達を警戒していた。


「気付かれてる……よな」

「ああ。そう都合よくはいかないさ」


 ヒトヤの声にしかし口元に笑みを浮かべてフーシェは応える。


「なんか……余裕って感じだな」

「変異体の能力は解らないが、少なくとも俺達にとって最悪の能力ってわけじゃなさそうだからな」


 俊敏な動きで敵の懐に潜り込み、急所を撃つ戦法を得意とするフーシェにとって、厄介な敵は急所がフーシェに破れぬほどの装甲に覆われた相手だ。

 実査変異体の中にはアーマーのような装甲で自身の表面を覆うようなものも存在する。

 変異体と聞いて如何なるものか警戒していたフーシェだが、少なくともその変異体が自分との相性的に最悪のものではないことが解った。

 それ故にフーシェは持ち前の性格もあり、この戦いに対し自信を見せていた。


「さて、ここで見ていても仕方ない。行くとしようか」


 夜の帳が下りる。ヒトヤやレミナのような例外はともかく、常人に視界の確保出来ぬ暗闇の戦いは難しい。かといって森林地帯で一夜を過ごすリスクを負うならば夜間に戦った方が良い。

 幸いにも人形狩りであるヒトヤ達は皆闇を照らす光源を装備の一つとして持参している。


 突入すべく場所を移動する。度々ヒトヤの喉がゴクリと音を鳴らす。

 ついつい思い出してしまう、エル=アーサスとの戦闘。死を垣間見た記憶。


(怯えるな。恐怖を捨てろ)


 自信に言い聞かせるヒトヤに応える様に脈打つ胸。


「大丈夫か?」

「ああ」


 取り決めていた突入場所に辿り着いた頃には、そう訊ねるフーシェに即答できる程度にはヒトヤは落ち着いていた。


「それなら良かった。始まったぞ」


 エル=アーサスの巣の近く。森の藪と暗闇がヒトヤ達の姿を隠す。

 獣達はヒトヤ達の接近に気付き、警戒しながらも巣を離れ、襲いかかろうともしなかった。強者の誇りか、それとも縄張りを守ることを優先したのか。


 巣を挟み、ヒトヤ達の対面側から強い光がエル=アーサス達の巣を照らす。

 キャリス達がエル=アーサスの巣に打ち合わせ通り突入したのだ。

 

 変異体を除く、巣にいたエル=アーサスは十二体。

 内七体がキャリス達を向かい撃たんとその巨体を起こした。


「半分以上が行ってくれたな」

「油断はするなよ? まずは先兵が出る。人間と同じだ。まだ動いていない奴らが臆病者って可能性もないわけじゃないが、基本的に残った奴らはキャリス達の方に行った奴らより群れの上位の奴。つまり強い個体だと思っておけよ?」


 フーシェの忠告に、かつて自身を殺害しかけたあの個体と同等か或いはそれ以上のものが五体、そしてそれらを超える変異体が残っている。そうヒトヤは自分に言い聞かせ気を引き締める。


「行くぞ!」


 キャリス達に引きつけられたエル=アーサスは変異体から十分な距離をとった。

 フーシェの言葉にヒトヤ達も光源を点灯し、一直線に変異体へと向かって駆ける。


 エル=アーサス達が立ち上がり、しかし光を嫌がるように顔を背ける。

 光源の光が視界を焼くのを嫌がったのか。それはヒトヤ達にとって好機だった。


 走るヒトヤ達。その刃が変異体に届けばこの依頼は終わる。

 ならばそれ以外の個体はただの障害物だ。動かずいてくれるのなら都合がいい。


 勿論そんなに都合良く運びはしない。

 多少の逡巡の後、遅れて動き出したエル=アーサス達はやはりヒトヤ達を狙って襲いかかって来た。


 始めに襲いかかって来た巨獣を迎撃したのはシャオン。

 咆哮上げながら突進し、鋭い爪を振り下ろす巨獣の口を、斬る機能を捨てた独特な槍が貫く。

 脳と体を繋げる神経を断つ間違いなく致命の一撃。


 自分を追い詰めたであろうあの巨獣と同等の敵を一瞬で仕留めたシャオンの動きを視界で捉え、突入の最中で有りながらヒトヤは感嘆する気持ちを禁じ得なかった。そして同時に、


(今のは……キャリスと同じ?)


 槍と剣。まるで違う武器を使ったキャリスの戦いが頭の中でフラッシュバックする。敵の進行方向に自身の攻撃を置いておいた。そんな動き。


 更に前方から襲い来る敵を、今度はフーシェがその一撃をかいくぐって跳躍。エル=アーサスを飛び越えるような驚異的な跳躍力で、巨獣の頭上に飛んだかと思えば、逆立ちをするようにエル=アーサスの頭を掴んでいた。


「波動転勁。頭墜かしらおとし」


 巨獣の頭を掴んだ状態で体に捻りを加えながら、巨獣の背へと身を落す。

 巨獣と言えども首の筋力だけで人間の体重全てを支えられはしない。自身の重量と動きに合わせたフーシェの捻転力に耐えきれず、首をあらぬ方向に曲げられた巨獣は、苦しみの声を上げながらその場に頽れた。


(……これもだ)


 自分に足りないパズルのピースが見つかった様な、そんな感覚がヒトヤに訪れた。かつてないほどに強烈な脈音をヒトヤの胸が鳴らした。


「ヒトヤ!」


 シャオンの警告に我に返る。

 エル=アーサスがシャオンを襲った個体同様に、鋭い爪を振り下ろす。

 ヒトヤにはその動きがスローモーションの様に見えた。視界から色が抜けた、地下遺跡で体感した世界。


 ヒトヤは考えて動いたわけではない。

 ただ、その世界で本能の命じるまま体を動かした。


 巨獣の一撃を躱すと同時に繰り出されたヒトヤの横凪は、吸い込まれるように巨獣の首を捉えた。

 エル=アーサスとの初戦同様、カウンターで繰り出された一撃が頸動脈に至る。


(そうか……だから)


 ヒトヤがエル=アーサスの攻撃を見るのはこれで何度目か。

 キャリス、シャオンとフーシェがやったことを漸く実感を持ってヒトヤは理解した。


(相手の動きを読め……こういうことなんだな、イクサ)

 

 返す刀を怯んだ相手の脳天に叩きつけ、そのまま変異体に向かって駆ける。

 ヒトヤの仕事はエル=アーサスの動きを止めることで倒すことではない。


 ヒトヤが視界を変異体の方に目を向けると、既にもう一体を迎撃したフーシェとシャオンと目が合った。

 フーシェとシャオンの表情は称賛。

 言葉なく駆ける二人の後を追うヒトヤの表情にも僅かな笑みが浮かんだ。


(後は変異体を討つだけ)


 フーシェとシャオンに任せておけば問題はなさそうだ。

 だったらヒトヤは足を止めても良いのかもしれないが、キャリス達の方へ向かった個体が戻ってこないとも限らない。


 だから駆けながらも、ヒトヤはどこか安心していた。

 仮に戻って来ても先と同じように迎撃すればいいだけだ。そして変異体はフーシェとシャオンが倒す。

 それは僅かにヒトヤに芽生えた油断だった。




「シャオン姉!」

「あいよ!」


 フーシェが進路を変える。強靱な皮膚に覆われ、人より遙かに強靱な骨格を持つ野生の獣を瞬殺するならば、カウンターによる一撃が必須だ。

 だが、変異体は仁王立ち。王者の風格すら漂わせ、その場でヒトヤ達を迎え撃つ。


 カウンターが取れないとみるやフーシェとシャオンは以心伝心、すぐさま戦法を変えた。

 シャオンが長い槍のリーチで安全圏から突き、その攻撃に変異体が気をとられている内にフーシェが後ろに回り込む。


 二人の作戦は的確だった。

 致命には届かぬものの、シャオンの槍が変異体の体を赤く染める。


 変異体がシャオンに反撃しようと動くや否や、フーシェが拳の一撃を放つ。

 ヒトヤの目にフーシェの打撃がどのような効果をもたらしているのか解らない。

 だが、確かに変異体はフーシェの一撃を受ける度に、嫌がる様に腕を振り回し、しかしフーシェに気をとられるが故に、再びシャオンに傷をつけられる。


(このままなら勝てそう……か。でも……)


 フーシェの一撃はどこまで効いているのだろうか? アンドロイドの頭部を破壊して見せたフーシェの攻撃を疑うつもりはなかったが、見た目に解らぬヒトヤは、自分の刃の方がこの獣には効くのでは? と考えた。


 敵が背を見せたときに斬り掛かるだけ。リスクは少ない。

 見ているだけより、援護した方が仕事も早く終わるだろう。


 既に恐怖を拭い去り、精神的にも油断にも似た余裕を取り戻したヒトヤは、変異体が背中を見せたその瞬間駆けだした。


「! 退け!」

「え?」


 フーシェの警告が響く。

 変異体の白い体毛が、空気を響かせる青白い電流を僅かに纏った。


 敵は変異体。群れを統率するボスだ。

 ただ色が違うだけで獣は従わない。エル=アーサスが変異体に従っていたのは、変異体に獣達を従える力があったからだ。


 ヒトヤはそれを失念していた。変異体と呼ばれる獣の特性は様々だが、群れのボスとなる変異体の特性は戦いに特化している。


 そしてこの白い変異体が得た能力。

 それは、放電現象だった。


「ヴォオオオオオオオ!」


 変異体が猛る。周囲に撒き散らされる電流。

 ヒトヤはそれを真面に浴びた。


「ぐ……がはっ!」


 感電して動けぬヒトヤを変異体の剛腕が吹き飛ばす。

 樹木に叩きつけられたヒトヤに変異体が襲いかかる。


「クソッ」


 フーシェとシャオンがそれを見て駆け出すが、警戒し、変異体から充分に間合いをとった二人の助けは間に合いそうにない。

 死に体となったヒトヤに変異体がとどめを刺すべく剛腕を振りかぶる。


 しかし、その一撃はヒトヤに届くことはなかった。


「ヴォアッ!?」


 変異体の肩口を捉えた投擲された短剣。

 ヒトヤの霞む視界に、短剣を投げたであろうアンドリューとこちらに駆けつけるキャリス達の姿が映る。


 変異体はヒトヤにとどめを刺すか、それとも彼等を迎え撃つか戸惑い、体を揺らす。そして僅かに膝から体勢を崩した。


(……お前も感電してたのか)


 少しずつクリアになる思考の中でヒトヤはそう判断した。

 ヒトヤの考えは正しかった。放電能力。その様な能力をフーシェとシャオンにあれだけ攻撃を受けながら、変異体が直ぐに放つことなく奥の手としていた理由は、その放電により自身も少なからずダメージを負うからだ。


 ヒトヤは霞む視界の中で目を凝らす。息を粗くし、追い詰められた獣がそこにいる。今、獣は駆けつけようとするフーシェやキャリス達に気をとられている。ヒトヤに隙を見せている。


(……動け!)


 あの放電能力はあと何度使えるのか?

 フーシェやキャリスも駆けつけたところで迂闊には近づけまい。


 つまり、ヒトヤにとって今は絶対絶命の危機であると同時に、一矢報いる唯一の好機だ。

 ヒトヤの意思に応え、胸が脈打つ。感電して動けなくなっていた体の自由が取り戻されていく。


 変異体は決断した。まずはヒトヤにとどめを刺す。

 ヒトヤを斬り裂こうと体勢を固める。

 その動きに合わせ、跳ねるようにヒトヤも身を起こした。


 鋭い爪で武装した剛腕。ヒトヤにはもはや見慣れた一撃。

 体重を乗せた変異体の一撃に遭わせ、コンパクトに振り抜かれたカウンターの横凪は、変異体の首を断ち斬った。


「……マジかよ」


 首への一撃から生じた反力。防具が嫌な金属音を響かせる。

 再び落ちた防護ベスト。

 いつか見た光景を眺めながら、ヒトヤはそのいつかの時と同じ言葉を呟いた。


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