第26話 初めての森林地帯

「しっかし……なんでこんな箱があんなに高いんだ」


 都市で端末を購入した翌日。

 ヒトヤは購入した端末を見ながら、そう呟いた。


 形状は薄い直方体。カバーを開くと、最も広い面にタッチパネルが組み込まれている。知っている者がみれば、スマートフォンを連想する形状だ。

 まだ操作も覚えきっていない十二万ゼラで購入した端末を手で弄びながら、ヒトヤは一人でぶつぶつと愚痴を唱えていた。


 先のボンボ武装店で購入したヒトヤの防具の最高額は、胴体のプロテクター十三万ゼラ。命を守る鎧とセンターが人形狩りの申告を信用するためという理由で持たされる端末の値段が、ほぼ同額であることにヒトヤは納得がいかなかった。


「まあ、稼ぎ直せばいいだけなんだけど……」


 イクサがどこからか食料を調達してくるおかげで、ヒトヤにとって金は生活必需品ではない。普段手に入らないものを手に入れる手段だ。

 その為ヒトヤは金そのものへの頓着が他者に比べて低い。だから愚痴はいうものの、その表情に怒りはなかった。


「はぁ……」


 怒りは継続しにくい。が、納得出来ないことはいつまでも納得出来ない。

 言い換えれば、だからこそもう森林地帯を目の前にして一人という状況で尚、口から愚痴が漏れ出ているのだが。


 とはいえもう愚痴を言っていられる状況もこれまで。初めて入る森林地帯にヒトヤも気を入れ直す。


(端末のことは忘れよう。さて、ここから森林地帯だ……人影? ロイドバーミンか!?)


 森林の藪をがさがさと鳴らしながら来る三体の人影。

 ヒトヤの瞳は視線の先に森林が造り出す暗い薄闇という状況に素早く順応し、森林地帯から歩いてくる者達を捉えていた。


(あっちからも俺は見えているはずだ。襲ってこない……ってことはロイドバーミンじゃないのか? 或いは暴走体……少なくとも騎士じゃないよな。っていうかなんだあの格好)


 三体の人影が鮮明に見えるようになり、ヒトヤは混乱した。

 鎧は着ていないから騎士ではないのは解ったが、その格好はだからといって無視できるものではなかった。


 ヒトヤが混乱するのも無理はない。

 ドレスを着て髪を縦に巻いた少女を中心に、その両脇を年配の執事と若いメイドが固めている。皆着ている服は高級な生地を使っているのだろう。艶を帯びた服や彼等の撒き散らす雰囲気は、上層階流の服装の知識などないヒトヤをもって彼等を異様と判断させた。

 少なくともヒトヤには人形狩りには見えなかった。

 もっとも彼等の服は返り血に濡れており、台無しともいえるのだが、人形狩りになり返り血など当たり前になったヒトヤには、逆にその点は全く違和感を感じさせるものではなかった。


 騎士にも見えず、人形狩りにも見えない。ならばロイドバーミンだと考えるのがヒトヤの思考回路だが、ロイドバーミンならばヒトヤを見て襲いかかってくるはずであるにも関わらず、彼等はただゆっくりと歩いてくる。


 なんだかよく解らず、ひとまず三体の進行方向から身を逸らし、武器を握って警戒する。

 ヒトヤの退いた道を優雅な仕草で歩き抜けつつ、その中央の少女がヒトヤを横目に見ながら執事と会話を始めた。


「やっぱりこの格好は目立つわね。アンドリュー」

「そのようでございますな。ですがそのドレスも我々の服も、防護服として非常に優れたもの。今は余計な支出をすべき時ではありませんので、どうかご容赦を」

「解っているわ」

(会話した……人間だったのか)


 止まることなく都市に向けて歩き続ける三人の後ろ姿をヒトヤは惚けたように暫く見送った。




 ヒトヤは我に返ると、折角入れたにも関わらず、あの三人のせいで抜けてしまった気合を再度入れ直し、森の中へと入った。


 森林地帯。まだ都市が開拓しきれていない領域。

 人の手が入らず、それ故に自然が前世界の人の遺産を飲み込んだ。

 薄暗く、木々と瓦礫が視界を塞ぐ中、猛獣やロイドバーミンが潜む危険な地帯だ。


 それ故、前世界の遺産が草原地帯に比べて多く残る場所でもある。

 騎士や腕に覚えのある人形狩り達は、だからこそ好んでこの地に足を踏み入れる。


 故に騎士を討とうと思うならば、この地が適任であるとイクサはヒトヤに教えた。


 ヒトヤは注意深く周囲を伺いながら、森の中を進んで行く。

 ロイドバーミンの痕跡を探しながら。


 騎士はロイドバーミンを探して森林地帯を進む。ロイドバーミンの痕跡を負えば騎士がいるかもしれない。

 たとえ騎士がいなくてもロイドバーミンを探して狩れば金になり、強くなって騎士を討つ力を得られる。


 だからヒトヤは足跡に目を凝らし、物音に耳を澄ませた。


 そしてヒトヤの耳が音を捉えた。


「グルゥウウウウ」


 風やヒトヤが踏みしめたことで鳴る足音とは全く異質な音。

 自分の周りを飛び回る虫の羽音とも違う。


(なんだ? ロイドバーミンか?)


 クデタマ村と廃棄地区で人以外に見たことがある生物は、カバラスくらいのもの。

 そんなヒトヤに、その獣の唸り声のような音が何かなど、解らなかった。


 声につられるように進むヒトヤはぬかるみの中で大きな足音を見つける。

 五本指の大きな足だ。

 ロイドバーミンには人型でないものもいる。先の遺跡でまさにヒトヤは人車型なる存在と出会った。

 だから、ロイドバーミンの中にもその足跡のような者がいても不思議はないと考えた。


 森林地帯に入った初日、いきなり見つけた手掛かり。

 ヒトヤは警戒しながらも揚々と足跡の残る方向へと歩を進めた。


 進んだ先、湖とも呼べぬ小さな水溜まりで、その足跡の主は直接口をつけてその水を飲んでいた。

 巨体を包む茶色い毛皮が、その主が呼吸をする度に波打つ。


(……綺麗だ)


 ヒトヤはその姿に息を飲んだ。

 前世界で熊と呼ばれた生物に似た生物。自然が造り出す人工性の一切ない、しかしながら力溢れる姿にヒトヤは感動を覚えた。

 あるいは生物が強者に対して持つ畏怖だったのかもしれない。


 動きを止め、その生物に見取れるヒトヤに、熊に似た生物は気が付いた。


「ヴオオオオオオオオ!」


 雄叫びの後、ヒトヤへと突進する巨大な獣。


(!? やばっ)


 見惚れていた為にヒトヤは巨獣の突進に反応が遅れた。

 横っ飛びで躱すも、相手は暴走したロイドバーミンではない。

 自身の攻撃を躱されたと知るや、四本の足で大地を踏みしめ、巨体にかかる慣性に力ずくで逆らい急ブレーキ。直ぐに方向転換し、ヒトヤへと再度躍りかかる。


 一方全力で跳びすさったヒトヤはその突進に対応する術はなかった。

 かろうじてなんとか再度横に跳び直撃は避けたものの、巨獣の重さと速さを乗せた突進の威力は凄まじく、宙へと身体が浮く。

 着地の前に待ち構えていた様に振り上げられる巨獣の腕は、ヒトヤを直撃し、その小さな身体を森の巨木へと吹き飛ばした。


「ゲバッ」


 防具の上からでも遅う衝撃が身体から自由を奪う。

 ヒトヤの都合などお構いなく、巨獣は再度ヒトヤへと襲いかかった。


 ヒトヤの視界から色が抜ける。

 白と黒の世界で振り下ろされる巨獣の爪。ヒトヤの胸が強く脈打った。


「ぉおおおおお!」


 振り絞った力。遅くなった世界でヒトヤは辛くも巨獣の爪から身を躱す。


「ヴオオオ!」


 間髪着かず再度の襲撃を試みる、巨獣に対し、ヒトヤは腰の刀を抜いた。

 一度は感動すら覚えた相手とはいえ、そんな感情は死地ではなんの価値もない。


 今はもうその感情を忘れ、巨獣をただの敵だと認識を変えたヒトヤ。

 腕を躱され、ならば身体ごと覆い被さろうというのか、後ろ足で立ち上がり、上半身全てをヒトヤに叩きつけてきた巨獣に対し、ヒトヤは丈夫さだけがウリの愛刀を振るう。


 巨獣の攻撃をくぐり抜けながらカウンター気味に走るヒトヤの一閃は、巨獣の首の根元を真横に捉えた。

 ヒトヤの刀でなければ折れていたかもしれない。

 そう思える程の衝撃がヒトヤの腕に走る。

 ブチブチと腕の筋肉が鳴くのを堪え、ヒトヤはこのまま振り切るのは無理だと判断するや、刀を引き抜き、再度横へと跳びすさった。


「ヴォ……ヴォオォォォ」


 巨獣の声は怒りか、それとも恐怖か。

 ヒトヤの斬撃による首の傷。首を断つことは出来ぬまでも、おそらく動脈を斬り裂いたであろう出血量は、少なくともヒトヤには巨獣への致命傷に見えた。


 だが死を前にして足掻くのが野生というもの。

 再度の突進。ヒトヤは再度躱そうと足に力を入れ


(げっ!?)


 地面の泥濘みに足を取られた。

 再度上半身の全てを叩き点けてくる巨獣をヒトヤは躱せぬとみて、せめて防御しようと刀を横に構える。

 刃に顎を叩きつけた巨獣は、その場所も地に染めながらヒトヤを地面に押しつけた。


「……ぐぅ」


 膝を泥濘んだ地面にめり込ませ、重量に耐えるヒトヤを今度は横から巨獣の腕が振り抜く。


「グブゥッ」


 再度樹木に叩きつけられたヒトヤ。背中から何かがバキンと砕ける音がした。


「ヴォ……ヴォ……ヴォオ」


 ふらふらと叩き点けられた樹木を背に立ち上がるヒトヤ。

 致命的な隙ではあったが、巨獣は既に深い一撃を受けた後。


 まだ生を諦めず立ち上がったヒトヤに気力尽きたか、巨獣はヒトヤを睨み付けながらも背を見せ、森の茂み中へと消えていった。


「……ふぅ……なんだよ……あれ……ガハッ」


 高揚からか煩い胸の鼓動を煩わしく思いながらも、ヒトヤは先の巨獣の消えた先に視線を向ける。

 体中が痛い。もしあの巨獣が思い直し、再度襲いかかって来たらヒトヤは生き残れる自信はなかった。

 

「今日は……もう帰ろう」


 巨獣がいなくなった安堵に息をつき、ヒトヤが来た道を引き返そうと振り向いたその時、パキンと強い音が響いた。


「……マジかよ」


 そしてヒトヤの防具の中でも最も高価だった十三万ゼラの防護ベストが、硬質な音を響かせてヒトヤの足下に落ちた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る