第8話 マナミ

「大丈夫か?」

「……ああ」


 もう日も落ちた夜、少し青い顔で家に戻ってきたヒトヤをイクサは笑っているようにも心配しているようにも見える顔で出迎えながら見ていた。


 薬草採取の依頼の中で人形狩り五人を殺害したその日、イクサの家に帰るとヒトヤは突如強烈な吐き気に見舞われ、何度となく家の外に出ては嘔吐を繰り返していた。


「そんなんじゃ復讐なんて言ってられないぞ?」

「問題ない。慣れるさ」

「そうか……ならいいんだがな」


 妙に確信のあるヒトヤの発言にイクサは顔をしかめながらも頷いた。

 イクサの感情は解らない。ヒトヤを心配しているのか、それとも知ったことではないとしか思っていないのか。

 ヒトヤにとってあくまで親はヤソジとイヨナだ。

 イクサには育てて貰った恩は感じているものの、イヨナが言ったから仕方なくイクサはヒトヤの面倒を見ているだけだと思っている。あくまでイクサとは他人。

 ヒトヤはそう考えていたからイクサの態度に思う所もなかった。


 イクサのことを意識から外し、ヒトヤは今日の出来事を頭の中で振り返った。


 ヒトヤは初めて人の命をその手にかけた。

 見方によっては正当な防衛であろうが、ヒトヤにとって人形狩り五人との戦いは八つ当たりに近いものだった。

 普段騎士達の姿を目にすることは少なくない。だが、手は出せない。

 鬱屈し溜まりに溜まった負の感情をあの男達にぶつけただけだ。


 男達を命を奪ったこと自体に罪悪感はない。やられる前にやっただけ。

 そんなヒトヤの思考に関わらず、単純に人を初めて殺したという事実がヒトヤの胸を締め付ける。

 あの日、あの騎士達を同じように……自分はその手を人の血で染めた。

 自分は彼等と同類となったのか? 認めたくないという感情が芽生える。自分を正当化しようとする本能を、しかしヒトヤは理性で押さえ込んだ。

 そもそも正しいことをしようと思っていた訳じゃない。

 正しい理由が欲しいのか? 復讐は正しいのか? 答えは否だ。

 ならば復讐を諦めるのか? あれは悲劇だったと忘れて生きるか? 答えは否だ。

 

(同類? 知ったことかよ)


 心を押しつぶそうとする強烈なストレスに、ヒトヤはそう割り切ることで抗った。


「それで、もう一度聞くが問題はないんだな?」

「……ああ」


 先の大丈夫か? とはニュアンスが違うヒトヤの問いかけに気付きながら、ヒトヤは同じ答えを返した。


 イクサが聞いているのは、人形狩りの男達を殺害したことで、この廃棄地区に、アラン達に悪影響は生じないかということだ。


 男達を殺害後、マナミとタマキはよそよそしい態度でヒトヤと距離をとるように接した。マナミとタマキの目には人を殺すという行為をまるで躊躇せず、当然の様に実行した危険人物のようにヒトヤが映っていた。


 しかし、ヒトヤのおかげでマナミとタマキが助かったのは事実である。

 タマキは距離をとりながらも、感謝の気持ちの表れか、自分から売却金は全てヒトヤに渡すことを約束して、荷台にロイドバーミンの遺体を乗せた。


「少し前にロイドバーミン討伐に参加して、負傷した人形狩りが何人も僕の店に運ばれた事があるんだ」


 都市への帰り道、気持ちの整理をつけたタマキが語り出した。


「都市の病院に行って高い治療代を払う金もなく、でも治療は受けたい。だから僕のところに来たんだろう。薬だってタダじゃない。金を払えない患者を善意だけで治療していたら、店が保たない。とはいえ、負傷者を放っておくこともできず、センター経由で借金の借用書をしっかり書かせて、僕は彼等に薬を渡したんだ。中には高価な薬を渡さなければならない患者もいた。薬を使っても救われなかった者達もいた。それでも使った薬は借金という形で仲間達が負うことになった。中には返せない借金を背負った者達もいただろうね」

 

 きっと彼等はその内の一部の者達だったのだろう。上を見上げ独り言のように語った後、タマキは漸くヒトヤに目線を合わせてこう言った。


「僕の事情に巻き込んですまない。それと、守ってくれてありがとう。彼等については僕がしっかりセンターに証言するから安心してくれ」


 タマキの言葉を聞いて少し心情を動かされたマナミも、まだヒトヤから目を逸らしながらタマキの言葉に続いた。


「私も……私からもちゃんと伝えるね」


 廃棄都市の者の言うことなど信じては貰えないだろう。だが、都市内の住民の言葉ならセンターも無視はしないはずだ。

 ヒトヤの行動は正当防衛として扱われる。だから、この件で廃棄地区に悪影響は生じない。

 そう語る二人に、ヒトヤはただ「助かる」と返した。

 そしてその後一言も言葉を交わすことなく、センターにロイドバーミンの遺体を売却後、二人と別れた。


「ま、今日は……寝るのも難しいか。明日は休みにしてやる。しっかり休め」

「……ああ、分かった」


 互いを他人と割り切る二人が住む奇妙な家族。その家庭で一人は度々その後も嘔吐を続け、もう一人はその様子を苦笑して眺めながらその夜を過ごした。






「具合はどう? 母さん」

「大丈夫よ。マナミは心配性ね」


 ベッドに横たわる母親、ジアにマナミは食事を運び、ベッドの横に腰掛けた。


「そう。よかった。じゃあ、ささっと食べちゃって」

「今日はあんまり食欲がなくて」

「ダメよ。食べないと元気になれないんだから」


 横たわる母親を無理矢理起こす。


「マナミは厳しいわね」

「そうよ。厳しいの。なんて言ったって騎士ですから」

「フフ……そうね」


 マナミの母親は気丈に振る舞う娘を笑いながらも心配そうに見つめた。


 マナミは騎士だった。

 都市の平民街と呼ばれる下位地区にありふれた普通の家庭に育った少女だ。

 将来どんな職に就くのか、これからどんな人生を送るのか。

 そんな夢を視る時間を得る資格のある、普通の少女だった。


 だがある日ジアが病に倒れた。マナミは夢視る時間を失った。


 呪斑病。その病にかかると身体にアザのようなものが浮かび、急速に身体が衰え、いずれは死に至る。治す術はあるが、その技術は都市の上位地区、貴族街の中でも医術の最高峰と言われるレドクロス病院しか保持していない。

 治療代はあまりに高額で、平民街の人間からすれば実質不治の病であった。


 それでもマナミは諦められなかった。


 平民街の人間が大金を稼ぐのは難しい。

 平民街と貴族街の人間では資産が違う。受けられる教育が違う。

 企業に就職し、得られる給金には限りがある。かといって自分で店を持っても周囲の住民に金がなければ、当然大金を稼ぐことなどできはしない。


 だから絶対不可能かといえばそうではない。二つ方法がある。

 騎士になるか、人形狩りになるか。


 マナミは騎士になることを選んだ。

 だが、騎士とはロイドバーミンと戦う部隊。当然命の危険がある。

 ただの少女でしかないマナミにとって訓練についていくのも死に物狂いだ。

 しかも騎士団の他の団員と比べても明らかに自分の実力は下位。


 もし、部隊で足を引っ張れば切り離されて捨てられる。そうなれば母親を助けるどころではない。

 そう考えたマナミは更に自分に厳しい訓練を課すため、人形狩りに登録した。

 平日は騎士の仕事を、休暇は人形狩りの仕事をこなし、自らを鍛えつつ母親の治療代を稼ぐ。


 そう考えて人形狩りに登録し、初めて受けた依頼が今回の薬草採取だった。


 ジアもそれは知っている。自分の為に娘を危険な仕事に就かせたくはない。

 だがマナミは言っても聞かず、ジアもマナミを止められる力はなかった。


「今日の仕事はどうだったの?」


 だからジアにできることはマナミからこうして様子を聞くことだけだ。

 娘の苦労を、悩みを聞いて、一緒に分かち合うことだけだった。


「あー……」

「何かあったの!?」


 そして愛娘はいつも平気な顔で大丈夫としか言わない。だから、ジアは珍しく今日は少し戸惑うようになマナミの様子に不安を隠すことなく声を上げた。


「いや、別に私に何かあったって訳じゃないのよ? ただね……」


 母親に心配させないよう顔に笑みを貼り付かせ、マナミは今日あったことをジアに語って聞かせた。


「そう……そのヒトヤ君にはちゃんと御礼を言わないとね」

「そうなんだけどね……」


 マナミはヒトヤに最後まで感謝も謝罪も言えなかった。ただ、マナミはヒトヤが怖かった。結局何もしなかった自分。ヒトヤに全て任せきった人形狩りとしての初仕事。マナミは今日の仕事に後悔と悔しさを感じていた。


「でも、そんな危ない仕事ならやっぱり考え直したら?」

「大丈夫よ。言ったでしょ? 騎士なんだから。一応こうして切り札も配布されているしね。別にヒトヤ君がいなかったらやられてたってわけじゃないわ」

「……そう」


 母親に心配はかけたくない。気持ちを切り替え、また気丈に振る舞い、そういって見せびらかすようにマナミが取り出しのは放電玉と呼ばれるアイテムだ。スイッチを押して投げつけると強力な電撃を放出する騎士団の対ロイドバーミン兵器。

 人馬型のロイドバーミンを見つけた時の妙な余裕や人形狩りに対面した際、マナミが平静でいられた理由がこれだった。

 騎士団の装備は形式としては貸し出しであり、任務外の時は返さねばならない。

 だからマナミは武器も防具も自分で購入したものを身につけていたが、とある事情で余分に手に入れた放電玉だけは切り札として隠し持っていた。


「だから心配しないで」

「無理よ」

「もう……」


 そう答えるとふて腐れるように頬を膨らませる娘を愛おしく感じながら、ジアはそういえばと思い出した。


「心配と言えば、コウキ君が夕方来ていたわよ?」

「コウキが?」

「ええ--」


 ジアを遮る様に、家のドアの強いノック音が聞こえてきた。


「誰かしら?」

「コウキ君じゃない? 噂をすればってやつね」

「はぁ……ちょっと見てくる」

「はいはい」


 ため息をつきながら扉に向かう娘の姿を、ジアは微笑ましいものとして眺めていた。




「何!?」


 不機嫌を隠そうともしない声で、マナミは来客を迎えた。


「マナミ、無事だったんだな? 良かった」

「無事だから帰ってきたのよ。それで、何か用?」

「何ってマナミが心配だったから……」


 再度ため息をつきながら、マナミは夜に我が家を訪れた幼なじみ、コウキを見る。

 マナミのジトッとした目つきに、コウキは少し怯み言葉を飲み込んだ。


「私ってそんな頼りない? 平原地帯の仕事で何かあるかもって思われるほど弱いの?」


 マナミは八つ当たりだと分かっていながらも、コウキを責めるような口調で問い詰めた。


「いや、そういうわけじゃないけれど……でもほら、昨日の訓練も大変だったし、それなのに休日も人形狩りの仕事とか、無理してないかなって……」

「そう……」


 コウキに当ったところで仕方ない。

 近所に生まれ、同じ騎士団に入った幼なじみ。

 自分に好意を向けてくれていることも知っている。それを嬉しく思うこともある。

 だが、今のマナミにとって同じく騎士であるコウキに心配されるということは、自分が弱いと思われていることと同義の様に思えて、心配してくれるコウキの姿を見ても喜ぶことはできなかった。


「……心配してくれてありがとう。今日は疲れているの。そろそろ休みたいんだけどそれだけ?」

「あ、ああ」


 それでもコウキに気を使い、思ってもいない感謝の気持ちを口にして、マナミは引き上げようと扉を閉じようとするが、


「マナミ!」

「……何?」


 コウキが出した大声に扉を閉じようとした手を止めた。


「マナミは俺が守る!」

「……そう」


 幼なじみの好意に溢れた言葉。この幼なじみは本当に純粋に心配してくれていたのだろう。


「ありがと……」


 今度は心のまま笑みを浮かべたマナミの様子に安心し、コウキは少し調子に乗るように袖をめくり、自分の右肩を見せびらかせた。

 その肩には白い幾何学模様の紋章が浮かんでいた。


「俺は勇者だからな!」

「そうね……おやすみ、コウキ」

「おう、おやすみ、マナミ」


 その紋章が、その紋章が自身に与える力が、マナミに更なる無力感を与えていることなど知らず、コウキは笑いながら自宅へと帰って行った。

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