第7話 無駄だけど無駄じゃなかった
「あ。なにか飲みますか? って言っても、自販機しかないですけど」
「いいえ、わたくしは。それより、そろそろ病室に戻りましょうか? 努様のお加減が悪くなったら大変ですから」
「ああ、その。そう、ですよね」
おれたちは、なんの進展もないままベンチから腰を上げた。
「あのっ!!」
ふいに糸子さんの顔が真っ赤になった。それからあわててハンドバッグの中からメモ帳を取り出し、なにか書きつけた。
その紙を丁寧に破って、おれの方に差し出す。
「二学期から、わたくしも音木学園中等部に通うことになりました。それで、その。よろしければ、わたくしのアドレスなのですけれど……」
「いいんですか?」
「はいっ。無作法を承知で告白しますと、わたくし、努様に一目惚れをしてしまったみたいなのです。努様とはなにか、よくわからないのですけれど、ずっと以前からの知り合いのような気がして。それは、劇場部のみな様からも感じておりましたがその。努様はなんというか、特別、という感じで」
しまった。女の子に告白させてしまった。
「おれもです、糸子さん。おれ、ずっと前から糸子さんのことを知っていたような気がして」
そこまで言うと、おれは糸子さんからもらったメモ帳を大切にポケットにしまい込むと、思い切って彼女の手を取った。
「退院したら、水族館にでも行きませんか? もちろん、トモくんも一緒に」
糸子さんは、うつくしい涙を流しながら頷いた。
「はい。では、劇場部のみな様で参りましょう? その方がきっと、楽しいです」
夏休みは無駄にしてしまったけれど、完全に無駄ではなかった。
二学期からは糸子さんと毎日会えるかもしれないし、劇場部も本格的に活動を再開する。
「糸子さん。もしよろしければ、おれと一緒に、これからの人生を共に生きてみませんか?」
それは、とてもひかえめなプロポーズだった。中等部なんだから、これでも背伸びした方だろう?
「はい。たのしい記憶をたくさん残してゆきましょう」
そして、おれと糸子さんは、婚約者になった。ちゃんとした手順を踏むのは、まだ先のことになる。
つづく
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