第65話 俗物のプライド
「ふふっ。わたしはあなた様のことをずいぶんと見誤っていたようです」
仏様は薄く開いた両の瞳でおれの心の奥深くまでを見透かすように微動だにしなかった。
「山口 努さん。あなた様こそ、地獄の業火で焼かれるのにふさわしい。早い所、閻魔大王様の元へ向かえばいいのではないですか?」
「やーなこったい。おれはまだ生きてるんだ。堂々と生をまっとうしてから地獄にでも落ちてやるさ」
「そう? まだそんな憎まれ口をたたきますか? では、これならどうです?」
仏様は糸子さんへ手を伸ばした。女性のように華奢で細い腕は、まっすぐに糸子さんをとらえ、その手のひらから光があふれ出した。
光に飲み込まれた糸子さんが、身もだえするように苦しみ始めた。
「あんたっ!! なにをしたんです!? 糸子さんっ!?」
「み、見ないでくださいっ!! 努様!!」
けれど、運命の歯車はまわり始め、若さあふれるうつくしい女性だった糸子さんを、本来の老齢の姿へと変えてしまった。
「これでもまだ、彼女のことを好きだとのたまうのですか? 糸子さんだって普通の人間です。外側だけ若返りはしても、その寿命まで伸ばすことはできませんよ。あっははははっ。百年の恋も一気にさめたことでしょう!?」
いいや、おれにだって覚悟はあった。糸子さんが本来の姿に戻ったらとか。寿命までは伸びないことも。そのことを彼女がものすごくおそれていたこともみんな含めて。
だから。
「なぁーんだ。やっぱり糸子さんは、どんな姿でもかわいいですよ。おれにはもったいないくらい」
そう言ってから、涙と震えの止まらない糸子さんをぎゅっと抱きしめた。本当に、痩せばらえてしまって。もっとたくさん、フロマージュ食べさせなきゃな。
「ふん。無駄な抵抗を。糸子さんはわたしのものだ。誰にも渡さない。糸子さんは、わたしと一緒にここで生きていくんだ。ここでなら、寿命を延ばす手立てはある。また若返りすることだって可能だ。どうです? とても魅力的でしょう?」
老いて尚、うつくしく泣く糸子さんの涙を、おれはハンカチでやさしく拭った。
「おれは、どんな糸子さんでも愛しています。その気持ちは変わらない。そのせいで地獄に落ちるってんなら勝手にしろよ。おれは、糸子さんがいてくれる、その場所が極楽なんだ」
「よく言えたな、努」
薫たちが緑の壁を縫うようにしてあらわれた。
「まさか!? わたしの結界を破ったというのか!?」
「あのねー、仏様。ぼくこーんなにかわいいんだけどぉ、一応お坊様になるために一生懸命修行してるの。それがどういうことかわかるぅ?」
「結界よりも強い愛。それ以外はないんですよ、仏様」
響、舜!!
「俗物の世界では、友愛という言葉があるんですよね。だから、地獄に落ちるなら、ぼくたちも一緒だ」
薫ー!! そんな気遣いやめてー。きみたちにはまっとうに極楽浄土に行って欲しいんだー!!
「ま、せっかくもらったいつかのポイント、ここで使わせてもらっただけなんで。仏様の力がどうこうじゃないですから、ご安心くださいね」
鬼の笑顔で薫が言った。
きみたち、こんなところでポイント使っちゃうなんて。
「戻ったら、フロマージュは努のおごりな?」
もう、それくらい払いますようー。
「と、言うことですので、仏様がいたく感心をよせていらっしゃる『エリザベート』を上演いたしましょう」
糸子さん、鶴の一声! って感じであっさり演目が決まった。
「さてと。本気の劇場部を観せてやるぜぃっ!!」
つづく
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