第58話 進歩

 現実に戻ったおれたちは、なぜかまた浜辺にいた。海を見つめる糸子さんは、大人っぽくて。説得に失敗してしまった後悔で、胸の奥がもやもやしている。


 どっちも泥棒だったのならば、今回は最初から放っておいた方がよかったのではないかと悔やまれる。


 でも、そうとわかっていても、きっと糸子さんはあの二人を放っておかない。糸子さんは、そういう人だから。


 やさしすぎるんだよ。


 だから、嫉妬してしまう。おれじゃ、糸子さんの側にいる資格がないんじゃないかって。だから、昨日の告白も考えさせて欲しいだなんてメールがきて。あれは、遠回しにあきらめてくれという意味だったのではなかろうか。


 いや、おれはそれでも糸子さんを信じる。彼女はそんなあさましい考えを持つ人ではない。


「おやさしいのは、努様だっておなじではないですか」


 不意打ちで言われて、目を見開く。やさしい? おれが?


「あのお二方を、あのままにしておくのは耐えられませんでした。それに、みな様のやさしさにわたくしが甘えていたのです。ですから、せっかくのお芝居をあのような形でおわらせてしまって、申し訳ありませんでした」

「糸子さんがあやまらないでくださいよっ!!」


 おれは、心の底から叫んでいた。もし、おれがもっと絵がうまく描けていたら?


 もし、おれがもっとうまく芝居ができていたら?


 後悔してもしきれない。


「糸子さん、ごめんなさい。上手に芝居ができなくて。あの二人を説得できなくて、ごめんなさい」


 そんなおれの肩に、薫がやさしく手を置いた。


「どうする? まだ三時間目の授業に間に合うけど?」


 とても授業ができるメンタルじゃなかった。


 人は見かけで判断できない。


 現に、あの二人の本性を、おれは見抜くことができなかった。それは、弁護士の素質がないと言うことになる。


 おれでは、弁護士になんてなれない。父さんの言うように、頑張って勉強して、公務員試験を受けた方が何倍も向いてるじゃないか。


 でも、採用されなかったら?


 おれみたいなモブ、キャラの濃い連中の前では簡単に霞んでしまうだろう。


 ああ、違う。今は、糸子さんの話だ。


「努さ、今混乱してるだろう?」


 今だって簡単に、薫に見抜かれている。


「きみが本気で悩んでいる姿って、初めて見たかもしれない。それって、進歩なんじゃないの?」

「進歩って? おれが?」


 ああ、と薫がさわやかに笑う。


「もっと悩めよ。そうしないと答えが出ないからさ」

「……うん」


 とりあえずそう答えて、おれたちは学園に戻ることにした。


 先生からは厳しく叱られてしまったけれど、それがかえって心地いいくらいに感じられた。


 つづく

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